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ホット・タイム




冬だというのに暑い島であった。
暑いのに、からりと空気が乾いているせいかさほど汗が出てこないのも、彼らには異なことであった。
彼らとは、草薙京と八神庵の二名である。
彼らはハワイ諸島オアフ島にバカンスに来ていた。
二人とも某格闘大会の常連で毎年ベスト4に名を連ねる強者であるというのに、『日本語が通じる外国』ハワイには一度も来たことがない。
それどころか賞金もたっぷり貰っているはずなのになぜか金がなく、リゾートとは無縁な無頼漢どもはガイドブックを用意することなど頭になく、地図もなしに街中を歩いた。
そう、空港からホテルまで。
神楽が送迎タクシーまで用意してくれたというのに、どこかですれ違い、おまけに庵が「歩いて行けばいい」などと言ったのが敗因だったろう。
片言の英語と片言の日本語で、宿泊予定のホテルは空港周辺ではなくバスで30分ほどのところだとわかった。
「……。もしかしてさっき出たバスがそうか?」
「……。トレーニングがわりに歩けばいい」
観光に来ても鍛練という庵の言葉に、京は渋い顔をした。
「そーゆーのはやりたい時にやるもんだって。
ジョギングでラブホ行くヤツはいないだろ」
京にとって、今回の旅行も豪華なラブホ+α程度の認識しかないのがよくわかる発言だ。
「脳味噌のほどが知れる例えを使うな。
貴様のために言い直してやるからよく聞け。
俺に動けと言うのは、貴様の足腰の鍛え方が足りないからだ。
ヤル気がないならさっさと死ね」
こちらは京のことより自分の欲望を優先させて高らかに笑い声をあげる。
端から見ると変な組み合わせの妙な二人組だが、事情を知る者がいたとすれば往来でそんな会話をするなと鉄扇でツッコミをいれたことだろう。
幸い、二人の他には色鮮やかな小鳥しかいなかった。
そして庵の意見に賛成する形で徒歩でホテルにむかうことになった。
市街の大通りに沿って歩く。
南国ですといわんばかりに植えられたヤシの木の緑とハイビスカスの赤が目に鮮やか。
湿度が低いせいで汗が蒸発しやすいといっても、摂氏20度を越える日中に長時間歩き続ければ、軽い脱水症状になる可能性がある。
途中で休憩を兼ねた食事のために入った、ステーキハウスに罪があるなら牛が可哀想だ。
「ステーキ?
テレビで騒いでる狂牛病は大丈夫なのかよ」
よくわからないないなりに牛肉は危険らしいということだけは京も覚えていたようだ。
二人の祖国では牛肉すべてがペケと思い込む人が多かったが、さすがに庵は肉を主食とするだけあって京よりは詳しい。
「アメリカ産の牛は管理が厳しいんだ。もっとも、良質な肉はハンバーガー屋が買い占めてるともきくがな」
「ふーん?」
いかにもアメリカンですといわんばかりの店に入る。広くゆとりのある椅子も、大柄な二人にはちょうどいいサイズだ。
ステーキは重量単位で注文するのがふつうだ。
日本であればグラムだが、アメリカではオンスが使われる。
1オンスが何グラムなのかさっぱりわからない京は、注文を庵に任せることにした。
そうして出てきたものは。
「デカい……」
厚くて大きなミディアムレア状態のフィレステーキ。
しかして庵の前には。
京の皿上に乗る肉よりひとまわり大きなものがどかんと乗っている。
たっぷりと肉汁を含む赤肉はまさしく垂涎ものだが、肉塊というに相応しい量がいったいどうやって庵の胃袋におさまるのだ。
「………庵、それ食って歩けるのか?」
「言っておくが、やらないからな」
どう解釈したのか、庵は「京が肉を狙っている」と思ったらしい。
肉を前にして涎をたらさんばかりの今の庵に何を言っても無駄だ。京がいただきますと言い終わる間に庵はすでに一口目にとりかかっているのだから。
ナイフがするりと入る。
やわらかく焼かれた牛肉は非常に美味しく、京も巨大なステーキをどんどん減らす。
順調なペースで肉を口へ運びながらも京は向いに座る庵に視線を据えていた。
庵がナイフで切った肉片は一口で食べるにはどう見ても大きい。
大きめに切るのが庵の流儀らしく、いつもそうだった。
そして唇を寄せて、こぼれ落ちる肉汁に吸いつく。京はいつもここで手を止め、唇からのぞいた舌が官能的な動きを見せるのに見入ってしまう。
京が食事もせずに見ているのを指摘したことがないのは、なんのことはない、庵が肉に夢中で気づいていないのである。甘い肉汁を飲み、柔らかな肉の感触を口中全体で味わい、喉奥に飲み胃の腑に落ちゆく様に、庵の目はきっちり京を見ていながらも恍惚としてしまっている。
世の中には食ってしまいたい程好きと言う比喩もあるが。
いくらなんでも牛の肉に嫉妬心を燃やすほど京は子供ではない。
「庵」
ふいをついて京が声をかけた。
は、と意識をひきもどされた庵の前に、フォークにつきさされた肉片。
そして京の満面の笑顔。
「あーん」
庵が言われた通りに口を開けると肉が飛びこんできて、すかさず食い付く。
再び肉の感触に夢中になった庵の顎に垂れた肉汁を指でぬぐい、今度はその指を差し出すと。
呆れるほど簡単に指を吸い、舌まで絡めてくる。
これが男と女なら、恋人同士の甘〜いひとときととれないことはない。
が、京の眼前にいるのは食い意地が張ってるだけの男なのだ。
「………。おまえは魚か?」
ただし、肉食魚だが。
あまり刺激されてもいまは正午、場所はレストラン。いくらなんでも欲情するには都合が悪い。
早く食事を片付けてホテルに行ってからゆっくり庵を剥けばよいのだと、とにかく眼前の肉塊と格闘を再開した。




ようやくホテルに着いた頃には夜になっていた。
見たことのない花に道草をくったり、露天の土産物を見分して予定外の時間がかかったのは言うまでもない。
当初臆面もなくダブルベッドの部屋をと希望したのだが、このホテルのツインルームはすべてダブルサイズベッドということだった。
フロントでチェックインしようとすると、なんと隣にはブラウン管で見かける有名芸能人がキーを預けているところ。
彼女がフロントから去っていくと、京はいささか浮かれてエレベーターホールに移動しながら庵に話しかける。
「庵、今の『みらい☆くるーず』のかのこちゃんだったよな!
テレビよりずっとかわいいな〜」
「貴様、ああいうのが好みなのか?
ユキとかいう女はどうした」
「『みら☆くる』はアイドルだぜ?
アイドルってのは見て楽しむ存在なんだよ」
「麻宮もアイドルのはずだが」
「アイツとはKOFで顔合わせてるからな」
「……?」
庵は理解不能と眉をしかめた。
彼が次の言葉を探し当てる前に二人はエレベーターホールに到着し、目的の階へのボタンを押すと上昇をはじめる。少ない振動と静かさが、ホテルの格を示そうとする。
「…まあでも、おまえより楽しい奴はいないだろうな、たぶん」
「もしいたら、そいつに夢中になるか」
言外に自分は用済みかと複雑な胸中で尋ねる。
「会ってみないとわかんねーな。おまえもそうだろ、庵。
俺が草薙の当主じゃなければ、目もくれないだろ?」
上昇速度が緩まり、機械の動作音が変わり、エレベーターは目的の階に止まった。
いっそ清楚といってもいい丁寧さでドアが開く。
「たしかに、弱気な貴様の首など欲しいと思わんな」
するりと庵がドアをすり抜け、先に自分達の部屋へ向かう。
運命の悪戯か、このとき鍵は庵が持っていた。
だから彼はすんなり入ることができた。
しかし、後続の京を待たずに部屋のドアは閉まる。
「え……?」
一瞬、なにが起きたか京には把握できなかった。
もちろんオートロック。
2枚のカードキーは庵がフロントで受け取って、それきり。
ノブを握ってもガチャガチャ無情な音を鳴らすだけで、一向に開きはしない。
情けないが中にいる人間に訴えるのが一番早い。
「庵! 入れてくれってば、庵ー!」
だが、ドアが開くこともなければそれらしい物音もしない。
焦った。
急に庵が立腹して京を閉め出したらしいこの状況。
「あ、そうだ。晩飯奢るぜ。
さっき食ったステーキ旨かったもんな〜
晩飯もステーキにしよっか。
でも、財布もトラベラーズチェックもそっちのバッグなんだよなあ〜」
扉に張りついて猫なで声攻撃。
二食続けて肉食えるかというのが京の正直なところだが、美味しかったのは確かだし、ここで庵を懐柔できないともっと「おいしいもの」を逃がすことになるのだ。
草薙京は20歳で高校生やっていても、己の欲望のためなら一応計算ごとくらいできる男である。
「…………」
待つこと5分。
ドアの隙間がちらりと開いた。
再び閉じることがないよう念のために足を滑り込ませてから、京はドアを押し開ける。
灯りもつけない室内は暗く佇んでいる。不機嫌な背中を見せる男はドアから離れて窓側のベッドに寝転がった。
「さっさとメシでも女でも食ってこい」
厳しい声が、京が近づくことを許さない。
もともと斑気(むらき)な男だが、京の誘いを断ることは稀であった。
常の態度との相違に戸惑った京が無言になるほど、空気の緊張感がいや増す。
状況を打開したい…京は願ったが、今はその術も言葉も思い当たらず、断念する。
「先にシャワー使うぜ」
時間が庵を落ち着かせるかもしれない。
シャワーから出る頃には庵の姿はないかもしれない。
じれったい葛藤を抑えて、京は別室に消えた。




いつもより時間をかけて、京は鏡の前で慎重に身繕いを整える。
髪型は男ぶりを上げているか。顔は、庵がこの笑顔を気に入っているのだから最高の笑顔で。バスローブではなくタオルを巻いただけの格好がいいだろう。
バスルームのドアを開ける前に深呼吸。
KOFの決勝戦でも、受験の日にも、こんなに緊張した記憶はない。
庵の前では常に自然体でいられる。
同時に彼の目線が誰より気になる。
矛盾は京の中で矛盾なく存在するらしい。
ようやくドアを開けてベッドに近づく。先刻同様ライトは消されたまま。
星明かりにシルエットを浮かび上がらせ、はたして彼はそこにいた。
「庵…」
口の中でこっそりその名を呼ぶと、まるで秘密の呪文のようだ。
京を見ようとしない庵のベッドへと歩み寄る。
ナイトテーブルにことんと置いたのは、移動させたティッシュボックスとローションとゴム。
ハワイでは冬に裸でいても寒くはないとはいえ、やはり夜は少し涼しいと感じる。
「いつまでもガチガチの殻にこもって拗ねてんじゃねーぞ」
京がベッドに膝を乗り上げ、庵の隣に寝転がる。
低く落としたトーンを熱い息に乗せ、小さめに整った庵の耳に齧りつきながら言った。
「ハワイくんだりまで俺達なにしに来たと思ってんだよ。
もぉ腰たたなくなるまで、泣いても叫んでもやめてやらねーから」
「貴様のオツムは正月の飾り物か?」
それまで無視を決め込んでいた庵が軽く上体を起こし、京を見下ろす。
「シャワー浴びながら考えた口説き文句がそれでは情けなさに涙が出てくる。
熱湯でもかぶってもう一度考えてこい」
「うぐっ…」
口説きたい相手からリテイクくらうとはなんたることだ。
京はまたしても返す言葉を失い、頭を垂れる…といっても庵から見下ろされているため、伏し目がちに視線をそらしたというのが正解だ。
冷静さを取り戻すことと怒りを鎮めることを庵は両立できるのだ。
手強い男をねじ伏せてしまいたい本能と、共に気持ち良くなりたい欲求と、男が己の予想を上回る瞬間を見たい理性と。
溢れてぶつかる感情の濁流。
うなだれた京が本気で熱湯を浴びようかと思案しだした時、庵が小さく低く呟いた。
「…貴様より強い草薙の存在など考えたこともない。
そして貴様を倒すのは俺だ」
草薙と八神の長い戦いの歴史はいまだ続いている。
これも因縁だろうか、京も庵も、互いと闘うことに欲望を覚えてしまった。
「そうだったな。
そのときは最高の試合にしようぜ。俺達の最高の炎がぶつかれば、死体も残らないくらい綺麗な花火になるだろうな」
それこそ花火大会でも楽しみにしてる顔で、京は笑った。
部屋が暗いので庵の微細な表情は読めなかったが、おそらくこれで仲直りできるはずだと確信した京は話題を変える。
「で、庵。晩飯はどうするんだよ。
俺はいますぐ食いたいんだけど」
京が指先でナイトテーブル上にセットした品々を示していた。
使うために置いたのだと訴える黒い瞳。
苦くも甘い笑みを庵が唇に刻む。
「貴様の奢りでステーキということだったな…
いや、たしかにそれは後回しだな」
「ハワイにいる間はホテルとステーキ屋の往復だけだな、こりゃ」
予定がないはずの旅行は、もうスケジュールがぎっしりつまっている。
一幕目に観客は必要ない。
わずかに漏れ入る地上光を絶つためにブラインドが下ろされる。
ベッドヘッドに据え付けられたライトの光度は、暗闇にぼんやり顔がわかる程度にしぼって。
時間をかけて男達の影が溶け合っていく。
南国の夜はからりと乾いていながら、日中よりも格段に熱い。



...fin.




WRITTEN BY 姉崎桂馬
ストーリーがあるようなないような…(-_-;)
ゴルフかサーフィンの話になる予定でしたが、肉が主役のような話に。

モドル






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