朝霧



 身支度を整えたジュリアスは、寝台の中で惰眠を貪る恋人の身体を乱暴に揺らし、覚醒を促す。

「クラヴィス! そろそろ起きぬか。執務に間に合わぬぞ」
「う…ん……先に行け……もう少し寝る…」
「そなたは、そのような事を言ってまともに来た事がないであろう! さっさと起きぬか!」
「…うるさい……眠い…」

 クラヴィスは、睡眠妨害の声を遮るようにシーツの中に潜り込んだ。

「クラヴィス! そなたは…」

 ジュリアスは、無視を決め込んだクラヴィスの身体を、抵抗する間もなく無理矢理にシーツの中から抱き上げると、浴室へ向い放り込む。

「シャワーでも浴びて、目を覚ませ! 私は、やらねばならぬ事があるゆえ先に行くぞ!」
「ジュリアス!おまえは…」

 驚いて睨み付ける恋人に取り合わずジュリアスは、その場を去った。
 残されたクラヴィスは、仕方なしに乱暴に夜着を脱ぎ捨てるとシャワーの全開にして、熱い湯を浴び始める。

「まったく乱暴な奴だ! 執務が忙しいと取り合わないと思えば、人が眠っている最中に急に来ては、散々好き勝手をする! 一体誰のせいで、睡眠不足だと思っているのだ! あの者は、本当に私を愛しているのか!?」

 クラヴィスは、ブツブツと不満を言いながらも、手早くシャワーを浴びるとバスローブを纏った。


 恋人の口うるささや自分本位な態度は、今に始まった事ではない。以前なら、我慢できたはずが何故か近頃は、鬱陶しく感じてならなかった。
 お互いに反発しあいながらも惹かれあい、いつしか愛しあった大切な関係であったはずなのに。
 あれを鬱陶しく思うのは、愛が冷めてきたせいなのだろうか?
 私は、ジュリアスを愛していると自信をもって言えるであろうか?
 自分の気持ちがつかめない。


 クラヴィスは、寝室に戻り何気なく窓の外を眺めた。珍しく朝霧がかかっている。すぐ近くにあるはずの景色がぼんやりとしか映らない。
 見えるはずの景色が見えない…

「まるで私のジュリアスに対する気持ちに似ているな」

 苦い笑みを浮かべため息をついた。




「失礼致します」

 執務室の扉が声と共に開けられ、オスカーが入室する。
 寝椅子でまどろんでいたクラヴィスは、自分に近付き、片膝をつくオスカーを夢現に見つめた。

「ご休息の所を申し訳ございませんが、お時間を頂けますか?」
「何用だ?」
「まだ、眠っておられるご様子ですね。眠らせて頂けなかったのですか?」

 表情も変えずにオスカーは、クラヴィスの耳元に囁くように問い掛ける。

 クラヴィスは、オスカーがジュリアスとの関係に、気付いている事を察したが、内心の焦燥を出す事無く、無表情に視線を投げかけた。

「そのような戯言を言うために来たのならば、出て行け」
「失礼。そのお姿を拝見するとつい構いたくなるもので」

 オスカーは、悪びれた様子も見せず、クラヴィスに微笑みかける。

「では、本題に入らせて頂きます。今夜、俺の館へいらっしゃいませんか?」
「……どういう意味だ?」

 クラヴィスは、言葉の意味が解らなかった訳ではなかったが、何故、自分を誘うのか、何を考えているのか、問いかけずにはいられなかった。

「もちろん、今、あなたがお考えになった通りですが?」
「何故、私がおまえの誘いに乗らねばならぬ? ジュリアスとの事を知らぬ訳ではあるまいに…」

 クラヴィスは、暗に警告する意味でジュリアスの名を出したが、オスカーは怯まない。

「そうでしょうか? 近頃のあなたを見ていると、ジュリアス様に良い感情をお持ちでない様に見受けられます。本当に愛しておいでですか? 心から…」
「だからと言って、おまえに付き合う謂れはない。下がれ」

 当のジュリアスにさえ悟られていない気持ちをオスカーに見透かされていた事に、クラヴィスは、動揺を隠せず自然と表情も口調も硬いものとなっていく。
 オスカーは、自分の感じた事が正しかったと確信をもつと嬉しげに笑みを浮かべた。

「謂れですか?俺にとって、またとない機会だからではいけませんか?」
「機会だと?」

 クラヴィスは、訝しげに眉をひそめる。

「俺が聖地に来た時には、すでにあなたは、ジュリアス様のものでした。お二人の間に割って入るような隙は、全く無いほど愛し合っておられた。だから、諦めていたのですよ…あなたを…」
「…オスカー?」

 クラヴィスは、思いも寄らなかったオスカーの告白に、呆然とその名を呼んだ。

「ようやく、俺にもチャンスが巡ってきました。初めてお会いした時から、あなたに惹かれていました。愛しています」

 オスカーは、クラヴィスの手を取り、その甲に口づける。触れた唇の熱さに、クラヴィスは、忘れていた胸の高鳴りを覚えた。

「放せ。無礼であろう…」

 言葉で非難してもクラヴィスは、自分から動かない。オスカーの熱が体中に駆け巡り、その熱さに酔ってしまったように頬を紅潮させた。このままでは流されしまう…ジュリアスを裏切りそうな予感にクラヴィスは、顔を背ける。

「クラヴィス様…愛しています」

 オスカーの指がクラヴィスの細い顎を持ち上げ、自分の方へ向けた。クラヴィスは、何をされるのか理解していながら、恋人への罪悪感よりも、目の前で愛を囁くアイスブルーの瞳に魅了され、逃げることが出来ない。
 ゆっくりと唇が降りてくるのをクラヴィスは、瞳を閉じて受け入れた。


 唇が触れ合った瞬間、クラヴィスは、例えようもない嫌悪を覚え胸の高鳴りが一気に収束する。
 違う! この唇ではない!
 感情そのままに身体を硬くしたことにオスカーは、気付きながら行為を続行した。

「愛しています」

 囁きながら、オスカーの唇がクラヴィスの首筋を這う。身体が硬さを増し、嫌悪に身体が震える。

「クラヴィス様」

 オスカーの手が裾を割って中に入り込むと、クラヴィスは、堪らず身をよじり全身で拒否した。

「触れるな!」

 オスカーは、驚いた様子も中断させられた不快感も表さず、身体から離れる。そして、嫌悪と戸惑いに揺れる瞳を覗き込んだ。急に湧き上がった羞恥に視線を受け止める事が出来ず、クラヴィスは、そっと眼を伏せ呟く。

「…すまぬ」
「謝らないで下さい。俺は、あなたの身体だけが欲しい訳ではありませんから」

 オスカーは、クラヴィスの乱れた衣装を丁寧に整えながら言葉を続ける。

「あなたが俺の想いに心を動かされた時、期待してしまいました。しかし…身体は、正直ですね。俺では、駄目だと受け入れて下さらなかった。あのまま強引に身体だけでも手に入れてしまおうかと、一瞬邪道な考えが浮かびましたが、俺の主義に反しますので」

 衣装から手を離すと、複雑な表情で自分を見つめるクラヴィスの両頬を、包みこむように手を添えた。

「あなたの心を手に入れたい。それが不可能なら幸せでいて欲しいと願います。あなたが幸せに微笑んでいる姿を見せて下されば、それだけで俺も幸せを感じることが出来る」
「私の幸せか…」

 クラヴィスは、寂しげに瞳を伏せると小さくため息をつく。

「俺が愛したのは、幸せに微笑んでいるあなたでした。その笑みを浮かべさせたのは…」

 オスカーは、あえてその名を口にせず、クラヴィスの髪に指を絡め唇を寄せた。

「それでも、あなたが一時の自由と慰めを求められるならお相手をさせて下さい。その時は、途中で嫌だと言われても止めませんからご覚悟を」

 オスカーは、クラヴィスに軽く唇を合わ微笑み立ち上がると、静かに一礼して部屋を出た。

 クラヴィスは、指で唇をなぞるとその手を強く握りしめる。
 オスカーの告白に心が動いた。彼ならば、私にこのような不安を抱かせない気がする。だが真に求めるのは…

「ジュリアス、おまえが私を捕まえておかないからだ」

 疲れたように額に手をやりクラヴィスは、再び寝椅子に力なく横たわった。


 夕刻、執務を終えたクラヴィスが帰り支度をしていると、突然扉が開き慌てたようにジュリアスが走りこんできた。普段の彼らしくない行動に驚きクラヴィスは、非常事態が起こったのかと、緊張の面持ちで問い掛ける。

「何かあったのか?」
「いや。そうでなく…共に帰ろうかと思って」

 己の行動を恥じたのかボソボソと口篭もるジュリアスの様子にクラヴィスは、緊張を解き呆れ返った。

「驚かすな。何事かと思えば、たかがその程度で走って来たのか? おまえらしくもない」
「らしくない事は、わかっている。だが、最近、会話らしいものをしていない事に気付き、ゆっくり時間を持ちたいと思ったのだ。執務の忙しさとそなたが何も言わない事に甘えきっていた。すまぬ」
「急にどうした?」

 恋人の申し出や謝罪は素直に嬉しく思うが、クラヴィスは、朝のジュリアスとの違いに戸惑いを隠せない。

「オスカーに…」

 ジュリアスの口から出たオスカーの名にクラヴィスは、先程の件がばれたのか? と不安に身体が震えるのを抑えた。

「そなたに元気がないようだと言われた」

 続いた内容に安堵の息を吐く。しかし、その程度でこの礼儀を重んじる彼が走って来るだろうか? と疑問も湧く。実際、ジュリアスの表情は、苦々しいような苛立ったような雰囲気を纏っている。

「元気がないのでなく、眠かっただけなのだが?」

 言い訳じみた台詞に、ジュリアスは頷き、クラヴィスを抱きしめた。

 オスカーがジュリアスに告げた真実の言葉は…

『俺は、クラヴィス様を愛しています。今のあの方は、不安でいっぱいだ。付け入る隙は、充分にありますよ。あなたがクラヴィス様を放っておかれるのなら、遠慮なくさらいます。よろしいのですか?』

 オスカーの挑戦的な視線、その瞳は真剣だった。腹心の部下だと信じていた男の思いも寄らない反逆の意志表示。
 ジュリアスは、『失いたくない』『奪われてなるものか』と居ても立ってもいられず、文字通り形振りかまわず、恋人の元へ駆け込んだ。
 廊下を走る後姿をオスカーが、満足そうに笑みを浮かべて見ていたのにも気付かないまま。

 ジュリアスは、両腕に力を込め強く抱きしめ続ける。

「愛している。私の傍から離れる事は許さぬ」
「…ジュリアス」

 クラヴィスにとって久しぶりの台詞。『愛している』その一言がずっと聞きたかったのだ。言葉が全てではない事は、頭で理解していても心が欲しいと寂しさを告げていた。同じように愛されているのか不安でたまらなかった。
  以前は、頻繁に囁かれ満たされていたから、恋人の口喧しさも自分本位な行動も許せたのかもしれない。
 欲しかった言葉をジュリアスの代わりに、オスカーが言ってくれたから胸が熱くなったのだ。代わりなど誰にも出来ないのに…
 愛しているのは、ジュリアス。欲しいのはジュリアスの口から告げられる言葉。

「ジュリアス、私を離すな。おまえだけを愛している」
 


END

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