想いを馳せて



瞳を閉じればいつでも会う事ができる。
黄金の髪と紺碧の瞳をまっすぐに見据えた誇り高きおまえに。
あの時代は、返らなくとも想いを馳せればいつもあたたかい感情が心に飛来する。
私を忘れないでいるだろうか?
今でも私を愛し続けてくれているのだろうか?
色褪せぬあの頃のままに。


 守護聖退任後クラヴィスは、楔を放たれた自由を味わうかのように、様々な惑星を巡る旅に出た。だが、行く先々で常に人々の好奇な眼差しを注がれ、長期間の滞在ができない状況に置かれる事になる。
 それは、闇の守護聖当時の覚えある視線に似ていた。誇りの光、知恵の地、強さの炎、優しさの水、美しさの夢、勇気の風、器用さの鋼、豊かさの緑、それぞれが生きていく上で必要とされる中、闇の安らぎだけは、本質よりも死へ導く死神として畏怖される事が多く、惑星によっては、蔑視されることさえあったからだ。
 守護聖であれば人が闇を恐れる感情として理解できたが、サクリアを失っても尚付き纏うのは、何故なのか。長期に渡る闇との付き合いが彼自身の何かを変化させてしまったのだろうか……
 また、クラヴィスが時折見せる桁外れに高い占いの能力は、いづれ災いを招くのではないかと疑心暗鬼を生じさせた。

 やがて、自分の行動一つ一つに恐れを抱く民を気遣い、その身を辺境へと潜ませる事になる。

 選んだのは、一年中眩しいほどの緑が華やかに森を彩り、澄んだ空気を醸し出し、自然が溢れる聖地に似た小惑星。そこに住む人々は、善良で穏やかな優しさをもち、クラヴィスを神秘的な存在として受け入れ、嫌悪の視線も異端者の囁きも浴びせなかった。
 人との接触を避けるように森の一軒家に住むクラヴィスであったが、村人の招きに応じてはひと時の語らいを楽しむこともできた。

 聖地や守護聖の楔を完全に取り外せない自分を嘲笑いながらも、唯一安らげる場所から離れられず現在に到る。

 夜を切り裂き朝日が照らし出す水面から、一羽の白い鳥が羽ばたき天空を目指す。羽音と共に舞い踊る水飛沫が光を浴びて、煌めく宝石のように輝いた。
 湖の水際に佇んだクラヴィスは、闇と光の織り成す絶妙な風景を眺めながら、懐かしい彼の人を想い静かに笑みを浮かべる。その微笑は、聖地の頃と変わらなく見えた。弱冠年を重ねているが、豊かで長い艶やかな黒髪、魅了される紫水晶の瞳、黒いシャツの合間から見て取れる透けるように白い肌、黒のスラックスが映えるしなやかな肢体、彼の美しさは遜色ない。
 ふとクラヴィスは、頭上を舞う鳥を見つめた。

「あれから幾歳月が過ぎたのか……数年のようでいて何十年にも感じられる」

 この地に定住してから出会いは多くあった。しかし、彼ほど心惹かれる存在はいない。宇宙の安定が知らせる遠く離れて生き続ける片翼の健在に、どれほど心癒されたであろうか。

 森の湖に来ると思い出すのは、守護聖最後の夜。

『今夜一晩、私のものになれ』

 聖地の森の湖にて告げられた言葉と抱きしめて来た腕。永久に相容れる事のない聖地史上最も険悪な筆頭守護聖と、噂され続けた片翼からの誘いだったが、驚愕も嫌悪もなかった。
 正反対な性格ゆえに衝突や激論を行い疎ましく感じながら、目が離せない不思議な存在として長い年月を共に過ごし、何気ない言葉の端々や視線の先に互いを捉え合い、誰にも気付かれず想いを伝え合っていたのだから。

 だが、いづれ訪れる守護聖退任の時、置いて行く側、置いて行かれる側それぞれのつらさを思えば、想う気持ちの強さが言葉にするを良しとせず、暗黙の了解として胸の奥に伏せて来た。なのに、それを破ろうとした彼。
 過去となる自分を振り返らず前だけを見つめろと、想いを告げさせる事、口づけ一つ許さず頑なに拒み続けた己。

『奇蹟が何故我らに起こらぬ?!』
『そなたを失いたくない!』

 彼が憤りをぶつけるように叫ぶ。同時にサクリアを失い共に生きる事を心の中で切望していたのに、現実の非情さを嘆く他なかった。それでも、互いだけが特別な半身であることで、運命を受け入れ別れの朝を迎えた。尤も、残り僅かとなっていたサクリアを使い眠らせた為、最後の言葉さえ交わさなかったのだが。

「今朝は、何ゆえかおまえを思い出す事が多い……何かの前触れなのか?」

 走馬灯のように過ぎる過去を懐かしむように瞳を閉じると、吐息と共に呟いた。
 ―その時―
「クラヴィス」

 不意に背後から聞こえた声。どれほど歳月を隔てようが決して忘れられない懐かしい響き。何故ここにいるのかと疑問を抱くよりも、声の主を求め反射的に振り返った。確信していたにも関わらず、その姿に息を飲み目を瞠る。胸の鼓動が激しく高鳴った。
 光を浴びて輝く黄金の化身。
 紺碧の瞳が真っ直ぐに自分を見つめ優しい笑みを作り、別れた頃のままの彼がそこに居た。唯一違うのは、守護聖の正装でなく、白いスーツ姿である事だけ。
 無意識に唇が震えるのを抑えながら、声を掛ける。

「ジュリアス……なのか?」
「私以外の何に見える?それとも、まさか服装が違うだけで見分けがつかぬとでも?」

 尚も言葉で確認を求めるクラヴィスを揶揄しながらもジュリアスは、瞳の優しさを絶やさない。ゆっくりと愛しい半身の元へ歩み始めた。

「ようやく逢えたな。王立研究院とメルの力を借りねば見つからないところであった。このような辺境にいるとは」
「二度と逢えぬと思っていたのに……何故……」

 クラヴィスは、目を離せば消えてしまいそうで、近付いて来る彼から視線を逸らせられなかった。そして、夢でも幻でもない現実のジュリアスが目の前に立つ。

「奇蹟が我らの間に何故起こらぬのかと、嘆いた事を覚えているか?あれから私は、毎夜宇宙に祈り続けた」

 奇蹟を祈っただと?共に新しい人生を歩みたいと願ったことをか?まさか……言わんとする事を察し、クラヴィスの表情が強張り言葉を失う。疑問に応えるようにジュリアスは、晴れやかな表情で頷く。執務を第一に考える彼が、個人的感情でこのような辺境の地へ会いに来るはずがなかった。

「そなたの余命が幾ばくもない年齢を重ねていてもかまわない。ただ生きて再会さえ叶えばよいから、少しでも早くサクリアを消滅させてくれとな」

 守護聖に誇りを持ち、宇宙と女王を守る事を常に念頭に置いていた自分の変化に対してか、ジュリアスは、自嘲の笑みを洩らしたが後悔の色はない。 クラヴィスの脳裏に、幼い現闇の守護聖と顔も知らぬ現光の守護聖が過ぎり、困惑したように眉をひそめた。

「主座の言葉と思えぬ。おまえの願いが通じたのか偶然なのかわからぬが、そのような事を祈るなど……困る者もいたであろうに……」
「心配いらぬ。ルヴァもオスカーもいる。幼い筆頭守護聖達の力になってくれよう。それよりも」

 一旦言葉を区切ったジュリアスは、揺れる紫の瞳を覗きこむ。間近に見る紺碧に思わず目を伏せたクラヴィスは、訳もなくうろたえ後退った。が、すぐに腕を掴まれ引き戻される。

「私に逢えて嬉しくないのか?もう少し喜んでくれても良いと思うのだが?」
「嬉しいに決まっているではないか……」

 クラヴィスは、正直困惑していた。二度と逢えないと考えていたのに再会を果たし、彼の強い想いを感じて歓喜に湧き出る感情の嵐を持て余し、何を言えばいいのかわからなかったのだ。混乱する心を落ち着く為に肩で息を吐くと、伏せた顔を上げにジュリアスを見返す。

「本当に嬉しいのだ……言葉が見つからぬほどに」
「それならよい。ところで、そなたに言いたい事がある」
「言いたい事?」
「そうだ。今度は、遮ることを許さぬぞ」

 その台詞にクラヴィスは、苦笑を浮かべ頷く。告げられるであろう言葉は、わかっていた。あの夜に言わせなかった想い……
 再現される場面であっても今度は、絶ち切る必要もなくありのままに受け止め、応えることができる。喜びに互いの姿を映しあう瞳は、一瞬でも逸らすことができなかった。ジュリアスは、真摯な瞳で万感の想いを込めてゆっくりと紡ぐ。

「そなたを愛している」
「私も愛している」

 即座に躊躇なく答えを返したクラヴィスの表情は、溢れ出る抑えられない喜びと幸せをやわらかな笑みで表した。次いで、あの夜のように黄金の髪を一房手にすると感謝を込めて口づける。ジュリアスは、ようやく手に入れた恋人を抱きしめ、感慨に声を滲ませた。

「ここまで来るのに長い歳月が必要であったな……」
「ああ……本当に」
「二度と離さぬゆえ、これから先覚悟して付き合え」
「何を覚悟するのだ?おまえと歩み未来に何も恐れるものなどないのに」

 微笑を交わしながら、どちらからともなく唇がゆっくりと重なる。
 守護聖である時には叶わなかった想いが新たな生を生きる今、この瞬間から二人で過ごす第一歩が始まる。
 二人は、気付かなかった。
 この惑星での日付で、今日がジュリアスの誕生日であることを。
 彼らが長い間、慈しみ見守った宇宙が捧げた感謝の贈りものだったのかもしれない。


END



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