火急の書類を携え、闇の守護聖の執務室へと急ぐ。
あの者のことだ…居眠りでもしているだろう。
目的地に着くと、怒鳴り起す準備を整え、扉を開け放つ。
「クラヴィス!」
大声で名を呼びながら定位置を目指すが、予想に反しその姿がない。
部屋を見渡すが…やはりいない。
毎日のように寝椅子で寝ているくせに、用があるときに不在とは!
まさか、私の来訪に感づいて寝場所を変えたのか?
クラヴィスなら…ありうる…
「私は暇ではないのだ!日頃、動かぬくせにこのような時に動くな!」
感情のまま机に書類を叩きつけるように置くと、ペンを取り伝言を書きなぐる。
―帰室後私の部屋に来るように―
だが、書き終えた途端に破り捨てた。
伝言を残した所で、無意味かもしれぬ。あれは気紛れゆえ。
素直に私の元へ来ると限らぬ。ここで待つ方が無難であろうな。
寝椅子に深く座ると、腕を組み眼を閉じる。
たかが予想に反した程度で…苛立っている。
気持ちに余裕のないことの表れだな。
このところ忙しく、ろくに眠っていなかったせいだろうか?
これと言うのも執務に、無関心なそなたのせいだ!
少しは私の負担を減らすべく、努力の欠片を見せてみろ!
しかし、昔から何を言っても聞かぬのだから、いまさら無理か…
どうせ無駄だと、極力仕事を回さぬように手配して、己が疲れてしまうとは…
少しは私に、感謝してもらいたいものだ。
否…『おまえが勝手にしているだけ』と言うだけであろうな。
まったく困った奴だ…
苦笑しながら、ふと…苛立った感情が、落ち着きを取り戻し始めている事に気付いた。
この部屋中に、クラヴィスのサクリアが満ちているゆえか。
静かで穏やかな空間を創りだす闇のサクリア。
司る本人は、口を開けば憎まれ口と厭味しか言わぬくせに…大した違いではないか。
私の髪に触れるのは誰だ……髪を梳く滑らかな指先が心地よい……
「目覚めたか?」
頭上から聞こえる掠れたような艶のある声……その声をもっと聴きたい…
「ジュリアス…また眠ったのか?」
微かに笑いを含んだように語りかける………クラヴィスなのか?
ゆっくりと目を開けると、私を覗き込む秀麗な美貌が飛び込んだ。
「……何処に行っていた? 用があるときにおらぬとは…」
「すまぬな。それゆえ、待ちくたびれて眠ってしまったのか?」
眠って? そうか…いつの間にか眠り込んでしまったのか。
やはり疲れているのか…闇のサクリアの威力か…
目が覚めても起きる気にならぬのは、身体が睡眠を欲しているのだろうか?
「それほど私の枕がお気に召したか?」
可笑しそうに告げるクラヴィスの台詞…そなたの枕?
すぐ上にあるクラヴィスの顔、横を向けばクラヴィスの衣装、と言う事は……
私が寝ているのは、クラヴィスの膝?! どうりで間近に見えるはず…
だが、この状況を理解できても起きる気にならぬな…まだ完全に覚醒していないのか…
それにしても、不可解な事がある。
クラヴィスを見上げ、湧いた疑問を問い掛けた。
「私は、座っていたはずなのだが…」
「覚えておらぬのか?」
呆れたような、どこか楽しげな口調に嫌な予感がする。
「おまえを起してやったのだが、そのまま腕を引かれ枕にされたのだ」
「……私がか?」
「おまえが…だ」
覚えておらぬ…寝惚けていたのだろうが…何を考えていたのやら……
クラヴィスが穏やかな表情で私を見つめる。
「私の枕が気に入ったのなら、もう少し寝ていてもかまわぬぞ? おまえは、疲れている…働きすぎだ」
「そなたが怠慢過ぎるのだ。そのしわ寄せがすべて私に来るのだぞ。分かっているのか?」
「それはすまぬ。執務など似合わぬことをすれば、宇宙が荒れ狂うかもしれぬゆえ…気を使っているのだが」
「……そのような気の使い方をするな…馬鹿者」
いつものような憎まれ口の応酬のはずなのに、どこか違う…そなたの醸し出す穏やかな感情のせいか…
「もう少し休んでいけ…時間になれば起してやる。尤も私も起きていればの話しだがな」
笑みを浮かべるクラヴィス…珍しく色々な表情を見せてくれるのだな。
傷ついたものを労わるような優しい瞳。
闇の守護聖の性であろうか? 気に入らぬ相手であろうと、癒すために躊躇いなくその手を差し出す。
「そなたが天使に見える」
「……目までやられたか?」
その憮然とした表情に笑みがこぼれる。本当にそう見えたのだがな。
クラヴィスの髪の一房を手に取り、顔を引き寄せた。
「一時間だけ眠らせてくれ。必ず起せよ?」
「約束できぬが、覚えておこう。眠れ…」
静かに微笑を浮かべたクラヴィスの指が、私の眼を閉じさせる。
闇のサクリアに包まれ穏やかな眠りへ誘われた。
ああ…火急の書類があったな…起きた後でもいいか……
疲れを癒すのも大切な執務の一つなのだから……
END