おまえが生まれたこの夜に
(SIDE JULIOUS)



 扉を開けると、夜の色に満たされ始めた空と変わらぬ薄闇の中で、部屋の主はなにか書類に目を通しているところだった。

「クラヴィス、いるか?」
 声を掛けると、ゆっくりと顔を上げて少しだけ瞳を笑わせる想い人のすぐ傍まで近づいて、訊きたい事を、率直に聞いてしまうことにする。

「……なんだ?」
 聞き返してくる声や、表情からは答えが予測できない。
 
 ……そんなことはない、とは思っていても少しだけ不安に感じる。
 なにしろクラヴィスは"無関心"という題の絵を書くとしたら、この上ない被写体になるであろう性格で、時折こちらが切なくなるほどに、物事に関心が薄い人間なのだから。

「今日が何の日か――わかっているな?」
 つい、疑わしそうな視線で見つめてしまったようだ。
「さあ?……何の日であったか――」
 答えるその声は、ほんの少しだけ楽しそうな響きが含まれている。

「……クラヴィス……」
 責めるように名前を呼ぶと、クラヴィスは堪え切れないというように含み笑いを漏らした。
「そなた――わかっていてか?」
 その率直に笑う顔が、嫌になってしまうほどに綺麗で、つい視線を奪われそうになったけれど、そのからかうような言葉に軽く睨んで見せる。
「許せ。おまえが疑っているから……期待に応えねば悪いと思ったゆえ」

 その綺麗な笑顔で、憎まれ口を叩く。
「そのような期待に応えるな!こういう時は、期待を裏切ってくれた方がよいものを……」

 つい本音を口にしてしまったがクラヴィスはまた可笑しくてたまらない、とでもいうように笑う。
 その瞳を真直ぐにみつめると、笑いの蔭を引込めて少しだけ違う口調で呟いた。
「そう、怒るな。おまえの誕生日を忘れていると思われた私も、寂しいぞ」
 伏せた目と、その言葉がいとおしくて、その白い頬に指を伸ばす。
「そなたのことだから……つい心配で――すまぬ」
 唇を寄せて、重なろうとした瞬間に、無粋にも扉を叩く音がやけに大きく部屋中に響いた。


「誰だ!?」
 返事を返すと、一瞬の沈黙の後に風と緑の守護聖が入室してきた。
「ランディとマルセルです。失礼致します!」
 元気な声で登場した割に、なにか言いづらそうに二人とも視線を彷徨わせている。
 用があるのなら早急に済ませて早早に立ち去ればよいものを。
「どうした?」
 クラヴィスが声を掛けると、やっと用件を話始めたのは良いのだが、話半ばで軽い頭痛に見舞われる。
「ジュリアス様がこちらにいらっしゃるって聞いたものですから。えっと――今日は、ジュリアス様のお誕生日ですよね?ですから、俺達、パーティの準備をしたんです」
「内緒にして、驚かそうかなって、あの……ご迷惑でしたか?」

 クラヴィスの表情をうかがい見ると、困惑したような瞳で見つめ返してきた。

 もう随分以前より誕生日の夜は二人きりで過ごそうとの約束をしていた。
 内密にしていたのだからこういう事態が起こるのも当然といえば当然なのであろうが、複雑な心境なのには変わり無い。年少の者達の好意はとても有難いと思うが、もう少し違う形で示してくれていたならとつい考えてしまう。
「そなた達の心遣いを嬉しく思う。喜んで行かせてもらおう」
 逡巡しながら返事を返すと、クラヴィスが追い討ちをかけるようなことを言う。
「よい誕生日になりそうだな。楽しんで来い」
 思わずその顔を睨みつける。
「……そなた、来ぬつもりか?」
 少しだけ不機嫌な声になって言うが、クラヴィスは視線をそらしたままだ。

「クラヴィス様もぜひ参加して下さい!」
「一緒にお祝いをしてさしあげましょうよ!」
 年少組ふたりは、人の気も知らずに明るくクラヴィスをパーティに誘っている。
「だ……そうだ。来るであろうな?」
 せめて、一緒に来ないなど許さぬ!そう思いながら軽く睨みつけると、クラヴィスは「主役に請われては、参加せぬ訳にもいかぬな」 とまだ他人事のように返事を返す。
「ありがとうございます!じゃあ、ご案内しますね」
 嬉しそうに先に立って案内する二人の背を見、会場に向かいながらも、思うように進まなかった計画を思い溜息が零れた。

 会場にたどり着くと、今度はルヴァやオリヴィエにとりかこまれ、杯が乾く間も無いうちに次次と満たされ、空ける羽目になる。
 たしかに、こうなってしまった以上飲むくらいしかやることなどないが。
 視線の隅に、クラヴィスがいる。部屋の片隅でグラスを手に、まるで傍観者のように静かな態度だ。
 手にしていたグラスを一気に空にし、新しい酒を注ごうとする手を遮って人の輪から抜け出し、そこだけが別世界のように静かな、クラヴィスのいるソファのところへ避難する。


「少し、休ませてくれ」
「随分と飲まされていたようだな……」
「……ああ。あの者達に付き合っていてはたまらぬ」
 堪えていた溜息を吐き出しながら隣に座ると、クラヴィスが 少し眉根を寄せて言う。

「主役がそのような顔をするな」
「わかるか?」
「私以外には、わからぬだろうが」
 苦笑が洩れた。
 皆の前では精一杯嬉しそうに振舞ったつもりだが、クラヴィスにはお見通しというわけだ。
「予定が狂い過ぎだ。そなたと二人きりで過ごすはずだったものを」
 知れずと、本音を口にする。しかし返される言葉は、他人事めいたものばかりだ。
「子供達の好意だ。仕方あるまい」
「わかっている。だから、早く帰りたいのを我慢している」
「主役が一番に帰ってどうする?」
「……そなたは、淡白だな。そなたにとって私の誕生日などどうでもよいのか?」
 普段なら言わないような言葉がつい口から出てしまう。少し酔っているかもしれぬと思いながらクラヴィスを見つめると、困ったような瞳で見返してきた。
「私とて二人で過ごせぬことを残念に思うが、別々の場所で迎えるよりもよいと思わぬか?」
 囁くような低い声で、やっと欲しい言葉を告げてくれる。
「それはそうだが。――やはり、二人でいたかった」
「子供がいるのだからそう、遅くまでやるまい?夜は、長い。それからの時間は、おまえと共に――」
 言葉を紡ぐ唇を、口以上にものをいうような深い紫の瞳を見つめて、一瞬自分が何処にいるのか忘れた。
「――クラヴィス……」
 細い肩を抱き寄せ、顎に手を掛けるとクラヴィスは慌てたような声を上げる。「ジュリアス!待……」
 その言葉が終わる前に唇を塞いだ。

 瞬間、水を打ったようにざわめきが遠のいた。次いで、なにか物が落下する音。周囲に目をやると、部屋中のあっけに取られたような視線の全てが自分に集中している。

「……だから、待てと言おうとしたのに」

「――遅い」

 頭を押えて虚空を見上げた。ぐるぐると色々な考えが頭を駆け巡る。そんな私の姿が面白いのか無責任にも、クラヴィスは笑い出す。珍しく、声を上げて。

「笑うな!」
 睨みつけたが、ますます可笑しくてたまらない、というようにクラヴィスは肩を震わせて笑っている。
 
 もうこうなれば致し方ない。訳もなく覚悟が固まった。

 クラヴィスの手をとり立ち上がらせると、ごく自然に肩を抱き寄せ、未だ固まったまま自分を凝視する集団の中心に歩み寄った。

「すまぬがこれで帰らせてもらう。後は、ゆっくり楽しんでくれ」
 とりあえず挨拶だけをして、あとは早早にこの場を逃げ出してしまうのに限る。
 早足で会場を抜け出そうと歩き出すと、背後からランディが謝罪の言葉を述べている。

「あの、俺達……ジュリアス様やクラヴィス様のご都合も考えないで……お邪魔しちゃってごめんなさい」
 
 返事を返すのも照れくさいので、無視して歩を進めるが、クラヴィスがまだ笑いながら言葉を返している。
「気にすることはない。なかなか楽しかった」
「クラヴィス――笑いすぎだ」
「すまぬ」
 睨みつけたが、笑いが収まる気配はない。普段なかなか笑顔なぞ見せぬくせに、こんな時だけそんなふうに綺麗に笑う。

 やっと会場を抜け出し、扉を閉めたと途端に、今までの沈黙が嘘のような歓声が響く。しばらくは飽きない話題を提供してしまったことになるな、と思うと少し頭痛がするが過ぎてしまったことは気にしても仕方ない。しばらくは何もなかったように振舞うのが得策であろうが。
 
 ――有得ぬような失態をしてしまったものだ。
 零れ落ちそうになる溜息をかみ殺して、館への道のりを急いだ。



 台無しになった二人きりの夜をやり直すために、グラスを合わせて乾杯をする。
どこかいつもと違う柔らかい視線のクラヴィスの瞳を見つめて、今日一番言いたかった言葉をやっと言う機会に恵まれる。

「色々とあったが、今年もまた、愛するそなたと祝うことができて嬉しく思う」

クラヴィスはそっとグラスを目の高さにまで掲げて、微笑んだ。
「私に愛する者を授けてくれたすべてに感謝を捧げよう。そして、おまえが生まれたこの夜に――」


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