■今日の行方■


 窓の向こうに、夏の盛りの強い日差しが、空に向かって伸びた枝に遮られ、木漏れ日と濃い影を交互に落として揺らめく。
漫然と書類の文字を目で追っていたジュリアスは、ふと人の気配を感じて視線を上げた。
庭に向く窓が開いて、流れ込む一陣の熱い風とともに闇の守護聖が入室してくる。
夏の光の下にあっても、体温を感じさせないような白い肌。その、心を魅了して止まない紫の瞳。
かすかに眉を顰めたその顔は、きっとほかの人間が見れば不機嫌さを押し殺した無表情としか思えないだろうけれど、自分にだけは・・・・・・そうじゃないことが解る。

「珍しいな、いつもは何度呼んでもなかなか来ぬくせに」
・・・・・・呼びもしないのにそなたがここにくるとは。
思った事の半分だけを口にして、目線で座るように促す。
だがクラヴィスはその椅子を通り過ぎ、執務机の前までやってくると一瞬じっとジュリアスの瞳を覗き込むように見つめてくる。

 仕事に関する主観の相違から、光の守護聖と闇の守護聖との間には諍いが多い。それはたいていクラヴィスをこの執務室に呼び出しての忠告、という形をとる事が多いので、来たがらないのも当然と言えば当然の話なのだが。
 それに相違と言えば仕事に関する事だけでなく、その世界観も、物事に対する捉え方も、まるで鏡に映し出したように違って、訳もなくその存在に苛立つ事もあった。
その苛立ちの形をした物が、他の意味を内包して隠していたと気がついた今では、それは跡形もなく消失したけれど。

「どうした?」
他の人間が聞いたとしたら、耳を疑う事は間違いないような優しい声で、ジュリアスは目の前の深い紫の瞳に問いかける。
その瞳が自分を写し出して一瞬和み、それからなにかを迷うように空を一瞬彷徨って、逸らされる。

「・・・・・なんでもない」
そう言うと、クラヴィスは不意に踵を返した。
呼び止める間もなく、今度は扉から退室して行ってしまう。
重い扉がゆっくりと閉まる鈍い音が響くなか、ひとりジュリアスはつぶやいた。
「なんなのだ、あの者は・・・・・」



藍色に染め替えられた空が、聖地に夜の訪れを告げている。
なかなか片づかない書類を机の角に押しやって、ジュリアスは窓の向こうに姿を表し始めた月を眺めた。
そして、月を見上げて思い起こす事などひとつしかない。

・・・・・この時間にあの者を訪ねたところでもう私邸に帰っているだろう。
なにか言いたげにしていたクラヴィスの瞳の色を思い出して、光の守護聖は溜息をひとつ吐き出す。いつもにまして忙しい1日だったが、あの瞳に気をとられて多少仕事の進みが悪かったように思える。
 結局、ただあの者の眼差しの動きひとつでこんなにも心が乱されている自分が少しだけおかしくて、でもそれは決して嫌な事ではないのだから我ながら不思議だと思う。
今頃は常のように月を見上げているであろう想い人の、深く烟るような夕闇色の瞳を思い浮かべる。
・・・・・理由を聞き出すのは、またあとでもいい。時間はいくらでもあるのだから。

 また書類に意識を集中させ始めたころ、予告もなく扉が開いた。
自分以外の人間がまだ聖殿に残っていたとはと内心驚きながら、その無礼な侵入者を見やる。

「・・・・・クラヴィス?」
現れたのは、今しがたまで思い浮かべていた人間。

「よくよく、珍しいこともあるものだな」
問いかけてもなにも答えず、やはりすこしなにか言いたげに、まっすぐ見つめてくる瞳。
側に寄り、その表情をかくしてしまう頬に落ちかかる黒髪を掻き上げて言葉を待つ。
「ジュリアス」
「何だ?」
見つめ返すと、どうしてかその瞳を伏せてしまう。
言葉に迷ったようなしばらくの沈黙のあと、クラヴィスはかるく首を振る。
「……いや、なんでもないのだ」

そのまま身を引いて、離れていこうとするクラヴィスを、だが今度は逃さなかった。
腕を捉えそのまま胸に抱き寄せてしまう。
「今日もう二度目だな、その……なんでもないというのは」
頬に手をやり、その視線を捉える。
「さすがに二度では気になる。言いたい事があるなら言うがよい」
・・・・・・・一度でも、充分気になってしかたないのだから。
目の奥を覗き込むようにして、重い口が開くのを待つ。
それでも黙ったままの唇に、指でそっと触れる。
「そんなに言い淀まなければならぬような事なのか?」
少しだけ真剣な口調になったせいか、クラヴィスは困ったように眉間に皺を寄せる。そして視線をそらすと、常にない早口で一言呟いた。
「今日はおまえの誕生日だから・・・・・・」

「誕生日?」
思わず訝しげに返事をしたあとに、やっと思い当たる。
今日が、なんの日であったか。
「やはり、忘れていたか・・・・・・・」
溜息のような言葉が、目の前の唇から漏れる。その表情は、声とはうらはらに綺麗な笑顔だったのだけれど。
その笑顔に引き寄せられるように、触れるだけの口付けを落とす。
「皆が、祝う用意をしている。だから、・・・・・・その前に言っておきたかったのだ」
「・・・・・・クラヴィス」
照れたように眇められた瞳が、その言葉がいとおしくてさらに強く抱きしめる。子供時代に戻ってしまったかのように純粋な嬉しさが胸に広がる。

「誕生日なぞ、どうでも良いと思っていだが・・・・・・・」
実際、どうでもよいと思っていた。たとえば、去年の今日などは。
たしか去年も皆が内密にパーティを企画し祝ってくれたのだったが、その心使いは有難いとは思えど瑣末なことに過ぎなかった。

「そなたが祝ってくれるなら、悪くない」
愛するものが一緒に祝ってくれるというだけで、こんなにも変わって見えるものだろうか。

特別な、日。
特別なただひとりの人。
そなたがただここにいるというだけで。
すべてをこんなにも特別にしていく。


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