0時少し前俺は、クラヴィス様の私邸、それも寝室の窓近くにそびえ立つ木の上にいた。
珍しく早めに休んでいる愛しい人。
いわゆる夜這いってやつになるのだろうか?
否。寝顔に、そっと声を掛け帰宅するから夜這いには、ほど遠いか。
それでもこの姿をクラヴィス様に見つかれば、激怒を免れない無謀な行動には、理由がある。
昨日、訪れた女王候補の部屋。
お嬢ちゃんに嘘を告げて、11日すべてを奪い取ってしまうつもりだった。
しかし、試行錯誤しながら必死でケーキ作りに奮闘している姿を見ると、とてもじゃないが言い出せず、逆に励ます始末。
恋する少女は、健気で可愛い。 元々女性の味方を名乗っていた俺だ。 彼女のきらきらした瞳を涙で曇らせたくなかった。
だから、せめて一番に誕生日の祝いと贈りものをしたくて、日付が変わるその時を待つ。
手には、お馴染みの赤い薔薇の花束とワイン。
赤い薔薇は、俺の気持ちを伝えるには、最も有効だと毎年贈っている。
残念ながら、気持ちよく受け取ってもらえたことはないが。
ワインは、先日のクラヴィス様の台詞に反省を込めて、持参してみた。
気持ちを表した薔薇が押し付けと思われるなら、あの人が喜びそうなものを考え、ポーカーで勝ちオリヴィエから奪ったカティスの秘蔵酒。
これなら機嫌よく受け取ってもらえそうだ。
いつもの愛のメッセージも今年は、ない。 眠っていれば聞いてもらえないからな。
俺の代わりに薔薇が目覚めたクラヴィス様に伝えてくれるだろう。
それにしても11月の夜は、寒い。 聖地なら気候の変化もそうないのだが、ここ浮遊大陸には、女王候補の為に四季が設定されている。
じっとしていると益々身体が冷えていく。寒さに震え、思わず小さくくしゃみが出た。
おっとクラヴィス様に気付かれていないだろうな?
慌てて視線をやると同時に、暗く静まった室内に薄暗い照明が灯される。 ああ!開かないでくれ!と俺の願いも虚しく、目の前の窓が開かれてしまった。
「…何をしている?」
不機嫌さを隠しもしない地を這うようなクラヴィス様の声。荒んだ視線で睨みつけられる。 この人の寝起きの悪さには、定評がある…やばさに顔が引き攣る。
「お起してしまって申し訳ありません。日付が変わるのを待ってました。部屋に忍び込もうと」 「………ほう…それで何をするつもりだった?」
俺の言い方が悪かった。焦ったせいで、正確に説明できていない。
誤解を招き、更にクラヴィス様の怒りのオーラが倍増。 いっそう険しい表情になってしまった。
「やましい気持ちじゃありません!祝いの言葉を述べさせて頂こうと思っただけです!贈りものを置いて帰るつもりでした!本当です!」
自分でも必死の形相だと自覚できるくらい、懸命に言い訳をする。それが功を奏したか、クラヴィス様の鋭い眼差しが緩まった。
「たったそれだけのため、この寒い夜中にいたと?」 「昼間一緒に過ごせないなら…せめて一番にお祝いをしたかったもので」
誤解が解けた事にほっと息をつく。クラヴィス様は、俺の様子を見ながら微かに苦笑を浮かべた。
「…昼間か……おまえがアンジェリークを妨害する危惧を抱いていたが…杞憂であったか…誤解していたようだ」
「これでも俺は、フェミニストですよ。そんな陰湿な行動など取れません」 「もしも、そのような真似をしていたら軽蔑し許さなかったが…見直したぞ」
俺の背筋に冷や汗が流れる。思い止まってよかった。心底そう思う。
急に汗をかいたせいか、無性に寒さを感じた。 室内には、警戒して入れて下さらないよな。
言うべき事を言って、渡す物を渡して早々に帰るとするか。 目覚めて下さったのだから愛の言葉も… 待てよ…ここで機嫌を損ねるのは、避けるべきか。 記憶削除するくらい…不快と言われたし…
寂しいが今年は、純粋な祝福だけでやめよう。
俺は、花束とワインを差し出した。
「受け取って頂けますか?」 「今年は、ワインつきか?珍しいことだ」 「はい。これならあなたも喜んで頂けるかと」
クラヴィス様は手に取ると、しげしげとワインを見つめ、カティスの秘蔵酒と気付いたのか、表情がほころぶ。
「ワインだけでよかったのだが」
悪気がないのは、わかっているが…予想通りの反応だ。
相変わらずの率直な物言いに力が抜ける。
まあ…贈りものを初めて喜んで頂けたし…よかったかな。
後は、祝福の言葉か。
告げようとした矢先、クラヴィス様から思いがけない招きを受けた。
「ここは、冷える…入るか?」
「よろしいので?」 「襲わなければな。おまえに押さえ込まれれば、同じ男でも力では敵わぬ」
信用してよいな?と視線で念を推される。
奇跡のようなお誘いを無下にできるものか。
この夜を少しでも一緒に過ごせるなら煩悩を押さえ込んでみせる!
「そのような無体は真似はしません。お約束します」
クラヴィス様は、頷くと躊躇なく窓辺から離れた。俺は、勢いをつけ室内へとジャンプする。
初めて見る寝室を一通り眺めると、どうしても寝台が目に入る。
二人でも悠々と眠れるな…ふと邪な想像が思い浮かんだが、せっかくの信用を裏切るわけにはいかない。
釘付けになりそうな視線を外し、ソファーへと腰を降ろした。
クラヴィス様は、俺の葛藤を知る由もなくテーブルに花束とワインを置き、酒棚からグラスを取り出していた。
早速、ワインを味わうつもりらしい。 グラスが2個…俺も相伴できるとは、嬉しい限りだ。
もちろん嬉しいのは、俺のために用意されるグラス。
この人なら自分の分しか出さなくても不思議じゃない。
機嫌の悪い時なら俺の存在を無視されるからな。
あなたがご機嫌だと俺も和みますよ。
「来年もその次もずっと…こうしてあなたと共に過ごしたいものです」
気分のいいままに少しおどけて後姿に声をかけると、笑いを噛み殺しているのかクラヴィス様の肩がわずかに震える。
「夢のまた夢…夢の中を漂っていても虚しかろうに…物好きな…」
甘いと…そう簡単にいかないと仰りたいわけか… 即座に却下されない分ましかな?
やはり機嫌がいいようだ。余程ワインがお気に召したのか? この手の台詞だと普段は、一刀両断な答えが飛ぶところだ。
虚しくても物好きでも…諦めない。決意を込めて真面目な口調で呟く。
「それでも、夢は叶えるためにあると信じていますから。諦めたらそこで終ってしまう…」
グラスを持ってくるとクラヴィス様が向かいに座り、複雑な瞳の色で俺を見つめる。
「おまえは、ロマンチストなのか…愚か者なのか」
「たぶん両方でしょうね」
諦めの悪い夢追い人ですからと補足して俺は、肩を竦めた。
「自覚があるようでなによりだ。好きにしろ…無用な期待など持たずにな」
薄く笑みを湛えクラヴィス様は、ボトルの栓を抜く。
ある意味クラヴィス様の辛辣な態度は、優しさの裏返しか?。
期待をもって動けば、叶わなかった時のショックが大きい。
だからこそ、予防線を張ってる?
ふとそんな風に考えてしまった。
「今夜のあなたは、優しいですね」
「優しいでなく気分が良いだけの事。おまえが傍にいるのに珍しい事だが」
思わず口に出したが…クラヴィス様は、クラヴィス様だ。 俺ってあなたを怒らせるだけなのですか…
「俺の存在は、それほど気分を害しますか?」
「…今夜のようにおまえがいらぬ事を言わねば…よい飲み友達と思える。不服であろう?しかし、こればかりは…私にもどうしてやる事もできぬ」
いらぬ事…愛の言葉ってわけか。
俺もあなたに恋愛感情さえもっていなければ…どれほど楽か。 惚れたものは、仕方ない。
当分は、言葉を控え飲み友達から始めてみるのも悪くないかな。 いづれは……
ボトルの栓を抜き終えクラヴィス様は、それぞれのグラスに優雅な仕草でワインを注ぐ。
流れ落ちる液体、グラスに注がれる音までが優美だ…つい見惚れてしまう。
あなたのすべてに魅了されていく俺。あなたが欲しい。だから…
「あなたにできないのなら、俺が頑張るしかないでしょう。人の心は、変わっていきますから」
「……さて、何とも答えられぬ。変わる事もあれば変わらぬ事もある…」
表情を変えずクラヴィス様は、ボトルを置くとグラスを手に取る。
「精進させて頂きます。ご覚悟を」
俺もグラスを持つと笑みを浮かべた。
グラスを心もち高く上げ軽く乾杯。
「あなたを生み出してくれたすべてのものに感謝を…」
「おまえが見果てぬ夢から醒めることを願って」
台詞のわりにクラヴィス様の表情は、どこかやわらかい。
尤も心を許してくれたなんで甘い考えをもつほど俺は、愚かじゃない。
今は、あなたの微笑を肴にこのひとときを楽しもう。
来年こそは、この腕にあなたを抱いてこの日を…
赤い薔薇の言葉のままに朝を迎え……
そして、こう囁く。
―おめでとうございます。俺のクラヴィス様―
END
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