時に、何気ない言葉、表情に傷つき傷つけてしまった苦い経験が必要以上に人と接することから避けていた。
誰も傷つけたくない、誰かに傷つけられるなら独りでいた方がいい。
心では、常に誰かを求めながら『独りで平気だ』『弱い心などいらぬ』と己に言い聞かせ、偽りの仮面で心を隠す日々。
それでも…ふと人恋しく感じた時には、慰めに奏でられるハープの音色、とりとめのない話を穏やかに語る友がいた。
時折、人と接する…それだけで心の乾きから癒され、仮面を被り続けることができた。
だが、いつの間にか胸の奥底まで入り込んだおまえの存在が心を掻き乱す。
言葉を交わしたきっかけは、ほんの些細な事にすぎぬのに。
互いの気紛れに酒を酌み交わした夜が始まり。
日頃の態度に反感を覚えてか、人を見下すような言葉や冷たい視線を隠さないおまえ。
いつもなら表に出さずとも傷ついていたはずのその態度が、何ゆえか気にならなかった。
そして、酒に酔いでもしたのか、それとも何かに押されでもしたのか、誰にも語る事のなかった過去を話し出した私。
流浪の民として生きていた幼い頃。
母と引き離され泣いた日。
慣れぬ聖地との葛藤の日々。
言葉を重ねるうちに、人を刺すような強い視線がやわらかなものへ、伸ばされた腕がまるでいたわるように私の髪を撫でる。
合わさった視線の先で無言で慈しむように微笑むおまえを見た時、言い知れぬ衝動に駆られた。
『おまえが好きだ』
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想いを自覚してしまえば、消し去る事ができない。
いつも傍にいて欲しい。
おまえの声が聞きたい。
おまえの瞳を見つめたい。
おまえのぬくもりを感じたい。
我ながら苦笑を禁じえない感情。
おまえは、女々しいと笑うだろうか?
このような想いを負担と感じるだろうか?
本当は、伝えたい…知って欲しいと願いながらも言い出せぬまま日々を過ごす。
おまえと語らうひと時を失いたくないから想いを沈み込ませ、酒の相手としてだけの新たな仮面を被るしかなかった。
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今夜も訪れたおまえは、脚を組みソファーの背に片腕を回し寛いだ様子で語っている。
グラスを持つおまえの指先、私の髪に触れたその指が…再び私に伸ばされないかと、埒もない事を考える自分に自嘲の笑みを洩らす。
不意に言葉を止めたおまえが私を見つめた。
「何をお考えですか? いつも何かを言いたげなご様子ですよ。思う所があるなら遠慮なく言って下さい。俺で力になれることならいいのですが」
見透かされていた事に戸惑いながら…あまりにも優しく語りかけるから…全てを受け入れてくれるような錯覚を起し…少しの躊躇いの後…口に出す。
「おまえが…好きだ」
驚きに目を見開き言葉を失った表情を見た時、激しい後悔に苛まれた。心など伝えず、ひと時の至福に満足していればよかったものを。
「ただ…伝えたかっただけのこと。気に病むな…忘れてしまえ」
泣きたくなる気持ちを抑え、それだけを伝えた。応えは、返らない。
おまえの揺れる瞳は、拒絶を物語っているのか?
沈黙に耐えかねて、席を立とうした私の腕を引き止める指。
「本当に…俺でよろしいのですか?」
「おまえだから…」
それ以上、言葉にならぬ私を抱きしめる力強い腕。
「俺もあなたが好きだ。だから…こうしてあなたの元を訪れていました。いつから、こんな想いを抱いていたのかわかりませんが…」
「オスカー…」
「俺には、伝える勇気がなかった。同じ男である俺に想われてもあなたには、迷惑でしかないと…疎んじられてあなたと過ごすこの時間を失う事が怖かった」
微かに震える声、熱い息が耳元を掠める。
逞しい背に両腕を回し抱きしめた。力強い鼓動が身体に伝わる。
そう…このぬくもりが欲しかった。
「俺は、ずるい…あなたが何かを内に隠しているのに気付いて…もしかしたらと…僅かな期待を賭けて言わせてしまった」
「それは、同じ事。おまえが何かを引き出そうとしたのがわかったゆえ…私と同じかも知れぬと…尤も、しばしの沈黙に違っていたのかと…虚しくなったがな」
「申し訳ありません。感動していました…あなたを得た事に」
「オスカー…」
私もおまえを得ることができたのだな。嬉しさに涙が頬を伝う。
微笑み合いながら自然と重なる唇。
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「クラヴィス様」
名を呼ばれるたびに歓喜に心が震える。
おまえの唇、おまえの指が私を見知らぬ世界へと誘っていく。
翻弄の渦に身を任せながら、淫らな新しい自分と出会う。
応える術がわからぬ私に呆れていないか?
私は、おまえを満たしてやれているのか?
おまえを手にしても不安が襲う。
「あなたの中は、温かい。最高です」
心を読んだように囁かれた台詞。
汗ばんだ身体を寄せ、満足気に息を切らすおまえに安堵する。
朝の日差しに目覚めれば、おまえの腕に抱かれていた。
心地よい疲労と満たされた想いに胸が閉め付けられる。
私は、もう独りではない。もう誰かを求めることもない。
これからは、おまえがいるのだから。
いつまでも共にありたいと祈りながらそっと口付けた。
END