新しい宇宙への移動が行われ、新たな女王が決定した数日後の事。
地の守護聖は、光の守護聖を訪れていた。執務を淡々とこなす主座の傍らで、のんびりと穏やかな口調で話し掛ける。
「間もなく陛下の御世が終幕を迎えるのですね」
「ああ、そうだな」
「思い返せば早いものですね。長いようで短いような」
「ああ、そうだな」
書類から顔を上げる事もせず、気のない返事を返すジュリアスから早々に話を切り上げて、執務に専念したい気持ちを読み取ったがルヴァは、気付かぬ振りで話を続ける。
「退位された後、どのような生き方をなさるのでしょうね」
「さてな。それは、陛下自身がお決めになられる事だ。我らが口出しすべきではない」
「それは、わかっています。ただ……心配なだけです」
「心配? 誰を?」
ルヴァが何を言いたいのか察したジュリアスは、ようやく顔を上げると皮肉気な笑みを送った。
「陛下ではあるまい。あの方は、ご自身の足で立てる力をお持ちだ。あの者と違ってな」
「その通りですよ。私は、クラヴィスが気がかりで仕方ありません」
ため息を吐くとルヴァは、いつになく真剣な表情を表した。が、ジュリアスは、すぐに興味を失ったかのように再び書類へと視線を移す。
「心配したところで、何もなるまい」
「我々にできる事は、ないのでしょうか」
「甘やかすのは、あの者の為にならぬ」
己にも他人にも厳しい彼らしい突き放すような口振り、ルヴァは、興味を誘うかのようにゆっくりと話した。
「クラヴィスが『黄昏の女神の夢』に捕まらなければいいのですが」
「黄昏の女神の夢? どのような意味だ?」
反射的に聞き返したものの思惑に乗せられたようでジュリアスは、釈然としなかった。が、聞いた事のない言葉に好奇心が勝った。ルヴァは、内心笑みを浮かべながら、遠い過去を馳せるようにしみじみと語る。
「聖地に伝わる古い伝承です。嘆き悲しみながら聖地を去った者は、その呪縛が解かれる事ないと云われています。過ぎ去った事を忘れることができず、いつまでも夢のように追い求め続け、いづれ絶望の淵で泣きながら生涯を閉じると」
「------初めて聞いた」
「そうでしょうね。これは、封印された伝承の一つですから。宇宙を導いた女王や守護聖達のあまりに憐れな最期です」
「黄昏の女神の夢……」
ジュリアスは、口の中で呟くと深く考え込むように目を閉じた。その様子にルヴァは、満足気に頷くと用事が終ったとばかりに部屋を出る。
そして、扉を背にもたれるとクスクスと笑い声を洩らした。
「初めて聞いた、ですか。無理もありません。私の作った伝承ですからね。この役目は、あなたの方がふさわしいでしょう。後は、頑張って下さいね」
++++
女王交代の儀式を翌日に迎えた午後。
謁見の間に入室したジュリアスは、跪くと人払いを願いでる。女王は、訝しく思いながらも受け入れ、補佐官ディアさえ遠ざけた。
「我が不遜の願いを承諾して下さり感謝致します」
「ジュリアス、何事ですか?」
女王の問い掛けにジュリアスは、常と変わらぬ冷静な表情と口調で逆に問い返す。
「陛下は、聖地を去られるにあたり、思い残す事がございませんか?」
「突然、何を言い出すかと思えば。そのようなもの……」
ベールに隠された女王の表情を伺い見る事は出来なかったが、息を飲んだ一瞬の動揺をジュリアスは、見逃さなかった。やはりあの者の面影を抱いていると確信すると、表情を微かに和らげる。
「陛下は、大いなる翼によって終末の宇宙を見守り続けられ、もてる限りの愛と光を分け隔てなく全ての生命に注がれました。それも明日で終りです。これから先、陛下は女王のサクリアを失うでしょう。しかし、あなたが光の天使であることに変わりないのです。ある者には」
「------ジュリアス」
女王は、かつて想いを分かち合った彼が長い年月を経ても同じ想いを抱いているのか、不安が正直な気持ちを隠そうとするのか、ジュリアスの本意を理解しながら気付かぬ風を装う。だが、俯き僅かに震える唇が心を表していた。
「そなたの言いたい事は、分かりかねます」
「陛下、退位されればあなたは自由です。過去を引きずり暗く淀んだ者に未練などないのであれば、新しい道へ進むもよいでしょう。私としては、怠慢な姿勢を監視する誰かがいてくれれば大いに助かりますが」
不安を悟るとジュリアスは、打ち消す言葉と冗談めかした己の本心を織り交ぜ、優しく微笑み掛けた。
厳格な光の守護聖らしい台詞の中に思いやりに満ちた温かい感情を感じ取り、女王は小さく息を吐く。そして、全てを振り切るように凛と頭を上げると、少女時代を思い起こさせる鈴の音のような明るい笑い声を響かせる。
「そうですね。苦労を掛けた光の守護聖の為にも、監視役が必要でしょう」
女王の言葉にジュリアスは、安堵の表情で頷くとふと思いついたように進言した。
「思い出の場所を散策されては、如何ですか?」
女王には、ジュリアスの真意を汲み取る事ができなかったが、即位してから行く事の叶わなかったある場所が脳裏に浮かび、立ち上がる。
「では、言葉に甘えましょう」
「ご存分にお心に写し取り、新たな思い出となりますように」
++++
ジュリアスは、深く頭を垂れ女王を見送ると、次いで闇の守護聖の執務室へと足早に向かう。前触れもなく扉を開けると、眉をひそめ自分を見るクラヴィスの元へ歩み寄り、腕を掴み立ち上がらせた。
「ジュリアス!?」
「お膳立ては、してやった。さっさと森の湖へ行け!」
クラヴィスは、ため息をつくと剣呑な表情で怒鳴りつけたジュリアスを睨みつける。
「森の湖? 何の事だ? 分かるように話してもらいたいものだ」
「馬鹿馬鹿しくて説明する気にもならん。もう一度言うぞ。今すぐに行って来い!必ず彼女がいる」
「彼女とは?まさか……何故だ?」
クラヴィスは、瞬時に誰を指すのか悟ると、信じられない思いと戸惑いに視線を泳がせ、声を途切らせながら振り絞るように問い掛けた。しかし、ジュリアスは、直接返答する代わりに唇の端を上げ、皮肉とも自嘲とも受け取れる笑みを洩らす。
「世界に注がれるべく光の役目は、終った。だが、ひと一人くらいを照らす光が残っているであろう。その光を我がものにしたくば、行け」
「何故、おまえが?」
クラヴィスは、言い掛けた言葉を飲み込むと軽く首を振った。
「いや、聞いた所で答えぬであろうな。一言だけ言わせてもらおう。感謝する」
初めて晴ればれとした笑顔を見せた闇の守護聖をジュリアスは、絶望や苦渋の表情をさせるばかりだった過去が過ぎったのか、眩しげに目を細める。
「これでようやく、気の滅入るそなたの暗い顔を見ずにすむ。その上、監視付ならば私の執務の負担も減る」
「そうなれば、私もおまえの煩い小言から解放される」
「互いに良い事尽くしではないか」
「まったくだ」
皮肉と厭味の応酬を演じながら、いつも張り詰めた空気を作り上げていた二人の間に穏やかな風が通り過ぎ、徐々に胸の堅いしこりが溶け出すのを互いに感じ始めた。
ジュリアスは、慣れない空気の居心地の悪さに照れ隠しのように、クラヴィスの肩を軽く叩き外へと促す。
「早く行け。女性を待たせるのものではない」
「ああ、今度こそ光の天使をこの手に」
クラヴィスは、もう一度微笑みを投げ掛けると執務室を後にした。
++++
ジュリアスが部屋を出ると、満面に笑みを浮かべたルヴァが待ち構えていた。
「黄昏の女神の夢をあれから調べてみたのだが、そのようなものは見つからなかったぞ。作り上げてまで私を動かす必要があったのか?」
「その答えは、あなたの中にあるのでしょう? 偽りとわかっていながらも、二人の為に動いて下さったのだから」
ルヴァの答えを聞きながらジュリアスは、廊下の窓から青く澄んだ空を眺めた。
「かつて、私はクラヴィスに引導を渡した。あの時は、彼女が女王になることが必要だった。それゆえ、今でも間違った事だと思わぬ。だが、必要なくなれば今でも必要とする者の所へ帰してやらねばなるまい」
「明日になれば、きっと他の守護聖達が驚くでしょうね。退位した陛下が闇の守護聖の館に住まう事になるのですから。皆の顔が楽しみです」
楽しげに語るルヴァを振り返ると、ジュリアスは苦笑を浮かべた。
「その騒動を思うと頭が痛いぞ。しかし、皆の驚きは、あのクラヴィスが幸せそのものの笑みを見せる事の方が大きいかもしれぬがな」
「それもそうですね。明日は、色々な意味で大変な一日になるでしょう」
「しばらくは、私も楽ができぬな。いや、騒動の元に全てを押し付けてしまう手もあるか」
「名案かもしれませんが、恋人達の時間を削ってしまうと不機嫌さで安らぎのサクリアが荒れるかもしれませんよ?」
「それは、困る」
冗談か本気なのか区別のつかない真剣な表情で考え込むジュリアスに、ルヴァは吹き出すように笑い出した。そして、つられるようにジュリアスも珍しく笑い声を上げる。
森の湖で想いを確かめ合っているであろう恋人達を思いながら。
END