狂風



 リュミエールが望むなら、体を好きにさせてもかまわないと思った。
 だが、オスカーが来る現実を前にそのようなものは、自己犠牲、自己満足な考えに過ぎなかった事を思い知る。
 私は、恐れる。
 オスカーが怒りのあまりにリュミエールを殺しかねないことよりも、この姿を見て隠し様もない欲情の姿を見て、嫌悪、侮蔑される事を。

 失いたくない。闇から救い上げてくれたおまえを…
 私を包み込む暖かな腕、優しい微笑み、言葉。
 オスカーを失ったら…私はどうすれば…
 私は、いつのまにこんなに弱くなったのか。
 扉よ!開かないでくれ!どれほど願っても、扉は…開かれていく。

「遅くなってしまって申し訳ありません。風が!!」

 扉を開けながら話すオスカーの言葉が止まる。
 瞳を見開いたまま、凍りついたように動かない。
 私は、リュミエールに貫かれたままの姿を晒し、やはり動けず声も出せなかった。
 まるで時間までが止まったような錯覚。

「邪魔をしないで頂きたい」

 リュミエールの静かな声で、時間が動き出す。
 オスカーの瞳が、瞬時に憎悪へ変化する。

「リュミエール!!貴様ー!!」

 迸るような絶叫、怒りの為なのか蒼褪めた表情、唇、身体が小刻みに震えている。全身からリュミエールへの憎悪が立ち上がっている。
 かつてこれほどのオスカーの怒りを感じた事がない。
 もし、視線だけで人を殺す事ができるのならば、今の彼を前にして生きている者はいないだろう。
 それほどの怒気、憎悪。
 オスカーが私を見る。

「クラヴィス様!申し訳ありません…俺が遅れたばかりに」

 恐れていた嫌悪や侮蔑は、欠片もない。
 あるのは、己を責める言葉、いたわりの瞳。
 こんな時だと言うのに、安堵する。失わずにすんだ事を。
 自然に涙が溢れる。

「オスカー…」

 救いを求めてその名を呼ぶ。救いを求めることが恥だとも思わない。
 すぐにオスカーに抱きしめて欲しかった。
 私に安らぎを与えてくれる唯一の…

「静かにして頂けませんか?気が散ってしまいました。さあ、クラヴィス様、先程の続きをいたしましょう」

 リュミエールの物憂げな口調、苛立つ表情。

「貴様!いますぐクラヴィス様から離れろ!」

 オスカーが走り寄ろうとした時、リュミエールの両手が私の首を締めつけた。
 息が…苦しい。オスカーが…霞んで…いく……

「お断り致します。それ以上動くと、もっと苦しまれますが?」
「クラヴィス様!やめろ!貴様、気が狂ったか!?」

 オスカーが動かない。動けないことを確認すると、リュミエールが首から手を離す。
 私は、空気を求め咳き込んだ。容赦なく締められた首が痛む。
 その首筋にリュミエールの舌が這う。

「この方を愛した時から正気ではいられなかった。オスカー、あなたは、そこで大人しく見ていなさい」
「ふざけるな!」
「わたくしは、まだ一度も達していないのですよ」

 オスカーの怒気にも一向に怯んだ様子もなく、淡々と告げる。
 嫌だ…止めてくれ。オスカーの目の前で私を犯すな!
 リュミエールが緩慢な動きを再開する。

「オスカー!」



 俺が執務を終えていつものように、クラヴィス様を迎えに行くと、ジュリアス様から急ぎの書類を渡されていた。いつもならそのまま、お傍で待っているところだが、用事を済ませてから、もう一度迎えに来ることになった。
 帰りがけ通ったリュミエールの執務室、奴がいたことに、何故か胸騒ぎを覚えたが気のせいだと、気にしすぎだと自分を納得させてしまった。

 最近のリュミエールのクラヴィス様を見る目の色が、切羽詰ったような、思い詰めたような不気味さを感じて仕方なかった。
 だから、あの方に何度も、奴と二人きりにならないようにお願いしたが、どこまで分かっていらっしゃるのか。
 俺の独占欲だとでも、思われたことだろう。それに、リュミエールを信じたい気持ちもあるだろう。

 思ったよりも長引いた用事を済ませ、クラヴィス様の元へ急ぐ。
 だが、聖地では考えられない強風に煽られ、更に時間がかかった。
 時間が経てば経つほど、取り返しのつかないような、夕方に感じた胸騒ぎ以上のものが俺を圧迫する。

 何故…俺は、自分の直感を信じなかったんだ!
 リュミエールの危険性を一番理解していたのに!
 クラヴィス様以上に大切なものなど、ありはしないのに!
 お傍を離れなければよかった。そうすれば、こんな無残な光景を見ずに済んだのに…クラヴィス様を守り通せたのに。


「オスカー!」

 クラヴィス様の助けを求める悲痛な声、初めて耳にする悲痛な叫び。
 涙がその頬を伝っている。今すぐにでも、助けたい!
 だが、俺が一歩でも動けばリュミエールの手がクラヴィス様の首へと伸びるだろう。芝居でもなく、本気で殺そうとしているのが分かった。
 剣で斬りかかるよりも、早くにクラヴィス様の命が危ない。
 危険な賭は…出来ない。
 何故、クラヴィス様を…愛している者を苦しめるんだ!
 クラヴィス様に触れるな!その方に触れていいのは、俺だけだ!
 許さん!リュミエール貴様だけは!

 リュミエールがクラヴィス様を押し倒し、胸の飾りを口に含みながら、握り締めたものをきつく扱く。
 クラヴィス様が、瞳を硬く閉じ唇を噛みしめ耐えられていても、息が荒くなっていくのは明らかだった。
 見たくない…聞きたくない…
 だが、ここで目を背ける事は、奴に屈する事とクラヴィス様が傷つき苦しまれている事からも逃げるのと同じ。俺もあなたと共に耐えましょう。
 見届けてやる。あなた一人を苦しませはしない!
 俺は、唇を噛みしめ手のひらに爪が食い込むほど、強く握り締めた。

「もっと声を聞かせて下さい」

 リュミエールが耳元に囁く。
 クラヴィス様は、瞳を閉じたまま、顔を背けた。

「先程までは、素晴らしい声で泣いて下さいましたのに。オスカーがいるからと、遠慮なさる事はないのですよ?」

 優しい口調で、言葉で嬲りながら、出入りの速度を上げ始める。

 クラヴィス様の噛みしめた唇が痛々しい。奴に翻弄され、溢れそうになる声を抑え噛みしめなおす。揺さぶられるままに、細い肢体が揺れ、両手を戒めていた布が解けていく。
 リュミエールが、時折、俺を見ては薄く笑う。
 俺の唇から、手のひらから、血が流れるのが分かったが痛みは感じない。
 クラヴィス様…クラヴィス様…俺は、こんなにも無力だ。目の前であなたが蹂躙されているのを…見届けるしかないなんて…
 二人の姿が霞む。いつの間にか泣いていた…


 俺にとって、クラヴィス様にとっても、長い時間が終わりを告げる。
 リュミエールが、ゆっくりと身体を離し立ち上がった。クラヴィス様が崩れ落ちるように寝椅子に倒れる。
 俺は、腰の剣を抜くとリュミエールに斬りかかった。

「貴様!殺してやる!」



 クラヴィス様の中に精を放った瞬間の夢心地な至福感。
 これでこの方を一生失う事になろうとも、長年の想いを遂げた今は…
 わたくしが生きてきた時間の中で、最も幸福な時に死ねるのならこれほど幸運なこともないでしょう。
 オスカーが剣を抜き、斬りかかって来るのを、まっすぐに見つめる。

「貴様!殺してやる!」
「オスカー!やめろ!」

 今まさに、剣先がわたくしに触れる瞬間、クラヴィス様の制止が。
 オスカーが瞬時に剣を止める。わたしくしの頬と髪を切りながら。

「守護聖を…殺してはならぬ」

 クラヴィス様が痛みの為に、自由にならない身体で懸命に、起き上がろうとされている。

 裂けた衣装の胸元から、わたくしの残した赤い痕が散らばり、激しい情交に傷つき流された血とわたくしの残滓が、足先まで流れていた。
 魅惑的で妖艶な姿…美しい。わたくしの作り出した最も美しい芸術品。

「クラヴィス様!しかし!」

 オスカーは、剣を止めたものの鞘に納めようとしない。視線も剣先もわたくしを捉えたまま。

「…宇宙の均衡が…崩れる」

 クラヴィス様の尤もな言葉。そう、わたくしが死ねば…この宇宙の均衡が崩れ、崩壊するだけ。
 しかし、今のオスカーに守護聖も宇宙の均衡も関係ないでしょうに。
 自分の大切な人を傷つけ、汚したわたくしを生かしては、おけないでしょう。
 でも、クラヴィス様が恐れ、案じているのは…

「クラヴィス様…」
「私のために…おまえが誰かを殺めるなど…見たくない」

 オスカーを止めようとする必死の思いが伝わる。それでもオスカーは、構えを崩さない。
 オスカー、あなたにこの方の真意がわかりますか?
 この方が恐れているのは、宇宙の崩壊でもあなたが誰かを斬る事でもなく、結果なのですよ。
 わたくしを殺めることによって、あなたが処罰される事。
 守護聖を殺し、宇宙を崩壊させていく大罪。

「ここに来てくれ。傍に…オスカー…」

 クラヴィス様の切ない哀願に、逆らえる者がどれだけいるでしょう。
 はっとしたようにオスカーは、クラヴィス様を振り返る。
 招くように差し出された両手。
 急激に薄れる殺意。
 オスカーは、素早く剣を鞘に納め駆けより、マントで包み庇うように抱きしめた。

「出て行け!」

 オスカーが怒声を上げる。
 わたくしの至福の時が終わったのですね。

「クラヴィス様、楽しい時間をありがとうございました」

 わたくしは、一礼し微笑む。クラヴィス様の肩がビクッと揺れる。
 表情は、オスカーの陰に隠れ見えないものの、唇を噛みしめ屈辱に耐えていらっしゃることでしょう。

 オスカーが更に強く抱きしめ、わたくしを睨みつけた。

「これが貴様の愛し方なのか!」
「あなたは、幸運にもクラヴィス様を手に入れられましたが…もし、あなたが逆の立場ならば、あなたが、わたくしになっていたかもしれません」
「俺は、そうはならん!クラヴィス様を傷つける事など!」
「その台詞、実際になっても吐けるものかどうか…求める者を得られない時、人は…」

 これは、悔しまぎれでもない。このオスカーが手に入れられなかったからと、簡単に諦める筈がない。どれほど欲しても、得られない挫折感を、現実の苦しみを知らない者の詭弁に過ぎない。
 オスカーの腕の中に守られているクラヴィス様を見つめ、二度と入ることが許されないであろう執務室を後にする。


 館に戻りながら、先程までの行為を思い返し、自分の中に後悔がないことを確認する。
 ひと時と言えども、想いつづけた方を体だけでも、手に入れる事ができた喜びに酔いしれる。
 今夜の事は、クラヴィス様の心に深く刻まれたことでしょう。
 オスカーが忘れさせようとしても、記憶が薄れても、完全に消し去る事はできない。確かな傷として残っていく。
 その傷がある限り、クラヴィス様がわたくしを忘れることもない。

 荒れ狂っていた風がいつのまにか、今のわたくしの心そのままに、満たされような心地よい静かな風に変わっていた。



END

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