夜更けの月に誘われ、目的もなく散策に出掛けた先で通りかかった女王候補の寮、二人の部屋に灯る明かり。
クラヴィスは、遅くまで頑張る二人にふとささやかな贈り物を思いつき、王立研究院に足を向けた。
人気のない廊下を抜け、奥の間に入る。そこは、守護聖が大陸にサクリアを送るために作られた特別な部屋であった。クラヴィスが、サクリアを注ぎ始めると、薄暗い室内に淡い光に包まれた幻想的な姿が浮かび上がる。
本来、守護聖は、自らの意志でサクリアを使う事を禁じられていた。女王や女王候補がそれぞれの力をバランスよく制御して、宇宙や大陸を導いていく上で、その行為は、均衡の崩壊を招く恐れや女王への反逆と取られかねないものである。
それを知りつつクラヴィスは、大陸にサクリアを注いだのだ。もっとも、影響を与えない程度の微かな力であったが。
サクリアを送り終えると、満足そうな笑みを浮かべながら、扉に向かった。
「何をしておいでです?」
不意に扉の陰から掛けられた声に、驚いたクラヴィスの身体がビクリと震える。 声の主は、見ずともわかった。
「クラヴィス様、お答え下さい」
問い詰めながら、研究院の責任者であるパスハがクラヴィスの前にその姿を現した。
異なった種族でありながら、女王から異文明からの客人として尊重され、今回の女王試験において、惑星の育成指導を任される能力と責任感の高い男。
女王の両翼である闇の守護聖であっても、容赦なく責任を追及するであろう事が、クラヴィスを見る強い視線から感じられる。
クラヴィスは、まずい人間に見つかったものだと…内心でため息を吐きながらも、パスハを無表情に見上げ淡々と答えた。
「…見ての通りだ」 「何故、あなたともあろう方が禁忌を犯されましたか?」
「気紛れ…とでも言っておこうか」
その答えにパスハが微かに笑みを浮かべる。
「あなたらしい…」
クラヴィスは、視線を外すと用は終わったとばかりに、無言で横を通り抜けようとしたが、パスハは、素早く腕を掴んだ。
「何処へいかれます?」
クラヴィスは、掴まれた腕の痛みに眉をひそめ、言葉には出さずにパスハを見遣る。
「私邸へ戻る」 「このまま、帰ると?」 「謹慎していると、ジュリアスに付け加えておけばよかろう?」
パスハが報告すれば、謹慎処分となるはず、査問に呼び出されるかも知れぬが、ジュリアスの煩い小言を少しでも後回しにしたい…そんな本音がクラヴィスにあった。
パスハは、掴んだ腕ごとクラヴィスを引き寄せ、耳元に囁いた。
「潔い事ですね。しかし、守護聖自らが禁忌を犯すなど、前代未聞…陛下がさぞ悲しまれることでしょう」
「…何が言いたい?」
パスハの行為を不快を感じたが、それよりも女王の名を出された事に、動揺を隠せずクラヴィスの視線が漂う。動揺を察したパスハが、更に言葉を重ねた。
「自分に対する反逆かと、思われるかもしれませんね」
反逆だと?馬鹿な…しかし、陛下にいらぬ心配を掛けることは、確かか……
クラヴィスにとって、いまだ女王は、特別な存在…この時期に彼女に負担を掛けることは避けたかった。
「陛下に心痛をお掛けしない為にも、これは、不問に伏すがよろしいかと」 「おまえが見逃すと?」 「あなたが望まれるなら」
ジュリアスに勝るとも劣らない厳格なパスハの言葉にクラヴィスは、目を見開いた。
今夜のパスハは、何かが違う。この申し出もそうだが、このような接触を持つような事はせぬ。どこか、危険な雰囲気を醸し出している。だが…
パスハの申し出は、クラヴィスには、抗いがたい魅力があった。
「面倒は、好かぬ。見逃してくれるなら、そうしてもらおう」 「では、代償を頂きましょうか」 「代償?」
怪訝な表情で問い返すクラヴィスに、パスハは、楽しげな笑みを向けた。
「そう、代償を…」
その笑みに言い知れぬ不安を感じ、クラヴィスは、後退ろうとしたが、パスハの右腕に肩を抱き込まれ動きを封じ込まれる。
「パスハ!?」
パスハは、左手で細い顎を持ち上げ、困惑する紫水晶の瞳を覗き込んだ。
「美しい…この瞳の色は、我らの種族にありません。あなたの髪と肌によくお似合いだ。見事な色合いですね…初めてあなたを見た時、これほどに美しい存在があるのかと驚きました」
「……何を言っている?」 「私は、サラを愛しています。しかし、彼女を愛しながらも美しい者に惹かれてしまうのも事実…あなたがサクリアを注ぐ姿は、特に美しかった。その身体を手に入れたいと願うほどに…私は、このような機会を逃すほど、愚かではない」
クラヴィスは、目を瞠った。パスハの求める代償の意味を理解すると、腕から逃れようともがいた。
「離せ! おまえの戯言に付き合う気はない。報告したければ、すればよかろう!?」 「陛下を悲しませてもよいと? あなたの想い人でしょう?」
パスハの一言にクラヴィスは、抵抗を止めた。 極少数しか知るはずのない秘密を…
「…何故…」 「サラは、優秀な占い師ですから」
これでもまだ、抵抗出来ますか? と酷薄な色を浮かべたパスハの瞳が、問い掛けた。
|