Day after tomorrow
紐育には平和が訪れた。
信長は新次郎の中に眠り、少しずつ街も本来の姿を取り戻しつつある。
リトルリップシアターにもいつもの騒がしい日々が……
「にゃうん!大河さん…もうっ、そんなところにぼさっと立ってられたら邪魔ですよっ」
「え……あ、ごめん杏里くん」
戻ってきた、のだろう。
少なくとも表面上はそう見える。
「新次郎」
「………昴さん」
後ろから呼びかけると、少しの間の後に彼がその人懐っこい笑顔を僕に向ける。
僕を見て微笑む彼も、前と変わらないはずだ。
でも最近の新次郎は何処かおかしい。
ぼんやりする事が増え、何かに悩んでいるのか俯いている事も多い。
本人は意識しているのかいないのか。
けれど、誰が遠まわしに尋ねても新次郎は首を振るばかり。
具合でも悪いのだろうかと思うが、それならばダイアナが気付くはずだ。
そして何よりも僕を避けているような気がしてならない。
……何だかすっきりしない気分だった。
ニューイヤーパーティーの夜、お互いの気持ちは確かめ合ったはずなのに。
思い返すと新次郎がぼんやりするようになったのはあれ以降な気がする。
…彼と、性別関係なく付き合っていくことは無理なのだろうか。
「ふぅ……」
今日もまた僕の部屋に寄らないかと話す口実を持ちかけてみたものの、片付けがあると断られてしまった。
以前なら週に一度は来ていたのに、最後に彼が訪れたのは……。
そこまで考えて寝転がっていたソファから起き上がる。
そう、『あの』決戦前の夜が最後だ。
自分の性別を晒す覚悟までして彼に自分を選ばせようとした日。
クローゼットを開けるとあの日に着ていたドレスもそのまま残っている。
今思い返すと、あの時の自分の行動は魔がさしていたと思われるようなものではあったけれど。
彼に性別を晒してもいい、という気持ちに変わりはないのに。
ドレスに顔を近づける。
鼻腔をくすぐるのは自分の匂いだけで、彼の匂いはもうしない。
それが少しだけ淋しかった。
「新次郎」
結局、そんな状況に僕が耐えられなくなるまでそう時間はかからなかった。
「す、昴さん」
ジェミニに頼まれて大道具部屋掃除に従事していた彼の元につかつかと歩み寄る。
「あ…何かご用ですか?」
こちらを振り向いた新次郎の視線が不自然に逸らされる。
そんな些細な事でも今の僕をイラっとさせるには効果抜群だった。
「言ってくれるね。用がなければ君に話しかける事も出来ないのかな?」
「そ、そういうわけじゃないですよ…!」
…気まずい雰囲気が流れる。
言いたい事はこんな事じゃないのに。
「明日は休日だけど予定はあるのかい?」
引きつりそうな顔に微笑みを浮かべ、優しく彼に問いかける。
「え…ええと」
まぁ、問いかけるというか半ば命令口調に近いものはあったがそんな事はこの際どうでもいい。
「どうなんだい?」
ネクタイを掴まんばかりにずいっと顔を近づけて彼の顔を覗き込む。
「な、ないです……けど」
「じゃあ僕と出かけないか。買い物に付き合って欲しいんだ」
「買い物…ですか?」
その単語に彼がちょっと困った顔になった。
何を考えているのかは言われなくてもわかる。
『昴さんの行くような店にぼくがついていっていいのかなぁ…』という所だろう。
とりあえず安心させる為にというわけではないが。
「……この間、君のために服を選んだと言ったら喜んでもらえたようだから…どうせなら君に僕に合う服を選んで貰おうかと思ってね」
「え」
フォローのように付け加えると新次郎の瞳がキラリと輝いた。
「ぼくが…選んでもいいんですか」
うっ……何だその犬がご主人様に餌をねだるかのような熱い視線は。
「勿論だよ。君がどんな服を選ぶのか興味あるしね」
「昴さん……!!」
眼を輝かせながら僕を見つめる姿は、さきほど目を逸らした人物と到底同じとは思えない。
……彼を誘う口実として考えた理由でこんなに喜ぶとは誘った当人である僕すらも予想していなかった。
というか彼は何かに悩んで僕を避けていると思ったのだが、僕の気にしすぎだったのだろうか。
まぁいい…彼と出かけるのも久しぶりだ。僕も嬉しくないわけではないし。
「い、行きます。ええとあの……、あ」
「じゃあ10時にホテルに迎えに来てくれるかい。楽しみにしているよ」
遠くで新次郎を呼ぶジェミニの声が聞こえ、新次郎は掃除中の自分を思い出したらしい。
僕も邪魔する気はなかったのでそれだけ言い残すと大道具部屋を後にする。
たった一つの約束を交わしただけで足取りが軽くなる自分は、思いのほか単純なのかもしれないと思いながら。
「どれでもいいよ」
「どれでもってわけには……!」
翌日。
ここ数日がウソのように新次郎は朝からご機嫌だった。
ブティック中を見渡しながら僕の服を選ぶ姿は真剣そのものだ。
ぶつぶつ独り言を言うのはちょっと変だが、こんなに明るい彼を見るのは久しぶりなので好きにさせることにした。
「……ふぅ。それで、僕はどれを着ればいいんだい」
そうして新次郎の差し出す男物や女物の服を試着しようとする度に、彼は新たな服を差し出してきて試着すらままならない。
いつまでも見ていたい気もするがこれではこのまま一日が過ぎてしまう。
それはそれで淋しい気がする。
「え…ええと……それじゃあ」
そう言って彼がおずおずと差し出したのは胸元のリボンが特徴的な女物のワンピース。
入ってすぐに目を輝かせながら見せられた品の一つだった。
他のを選んでるときにもチラチラ視線で気になる素振りを見せてはいたが、やはり女物の方に興味があるらしい。
「いいよ…じゃあ、ちょっと待っていてくれるかい」
試着室にて手早く着替え、鏡の中の自分に向き直る。
うん、サイズ的にも悪くない。
新次郎がこれでいいと言ってくれたら、適当なサンダルを見繕ってこのまま出かけるのも悪くないかもしれないと思いつつ。
「新次郎?」
「あ、はい」
カーテンを閉めたまま外に問いかけるとすぐ外から声がする。律儀に試着室の前で待っていたらしい。
「着てみたんだけど…どうかな?」
カーテンを開け新次郎の前に姿を現す。
「……」
鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして彼は僕に見入っている。
「新次郎?」
「……へっ。あ、はい!その、よく似合ってます……」
ぽかーんとしていたと思ったら、今度は頬を染めもじもじしながら下を向いてしまった。
やれやれ…さっきまでの勢いは何処へ行ったのやら。
「じゃあこれでいいかい?新次郎が気に入ったのなら、僕はこれでいいけど。ああ、後ろはこんな感じだよ」
流石にローファーには合わないので置いてあった試着用のサンダルをひっかけて彼の前に立つとくるりと一周してみせる。
「あ…はい。じゃあぼくが…………」
僕の言葉に顔をあげた新次郎がそのまま凍りつく。
「新次郎…?」
見た目にもわかるほど青ざめた姿を見て思わずその手を握ると、驚いたかのように彼の身体がびくっと震えた。
「…………すいません。やっぱりぼくには選べません」
新次郎はやんわりと僕の手をはらうと俯いたまま呟く。
「すいません、昴さん。ぼく…用事を思い出したので帰りますね」
「待っ…新次郎……!」
逃げるように、新次郎は店を飛び出していく。
咄嗟に追おうと思ったが試着したまま追うわけにもいかない。
試着室に戻り、着替える間にも頭の中は焦りと苛立ちで歯噛みをしたい気分だった。
彼の考えも、行動も何もかもがわからない。
さっきまで喜んでいたのに急に何が起こったのか?
いくら頭の中で推理してみても答えなど見つからない。
結局は、彼に問いただすしかないのだ。
…もしかしたら、聞かない方がいいことなのかもしれないけど。
「……昴さん」
彼の言葉を信じるなら、先回り出来るだろうと思って彼の部屋の前で待っていたのは正解だったらしい。
足音に振り向くと目を丸くした彼が立ち尽くしていた。
「おかえり。思ったより遅かったね」
もっとも、新次郎は予想していなかったのかあからさまに動揺しているが。
「その…さっきはすいませんでした。買い物の途中で……」
相変わらず挙動不審に視線を彷徨わせながら、それでも必死に言い繕うとする新次郎の口に人差し指を当てる。
黙れ、という意思表示に。
「言い訳ならいらないよ。その場しのぎの理由を聞いても僕は納得しない」
その言葉に『昴さん…』と言いたげな顔の彼が僕を見下ろす。
「僕が知りたいのは真実だ。君が何を考え、悩んでいるのか。何故僕を避けるのか」
「……」
かすかに、ため息のような吐息を指先に感じたが新次郎は黙ったままだった。
「もしも…」
そこで、一旦言葉を切る。
やはりその先を言葉にするのは躊躇われた。
「……君が」
ダメだ。彼を直視しながら言う事ができない。
これじゃあ今の彼と変わらないじゃないか、と心の中で思いつつもぽつりと囁く。
たった一言を言うのにこれほど勇気がいるのも初めてかもしれない。
「僕以外の人間を選ぶのだとしても僕は……、っ!?」
「ちょ…ちょっと待ってください!」
最後まで言う前にいきなり腕を捕まれて真正面から見据えられる。
これには僕のほうが驚いた。
「…どうして、そういう話になるんですか」
呆然と見上げる僕を見て、新次郎は我に返ったのか少しバツの悪そうな顔をしながらも呟く。
驚きと焦りの入り混じった、そしてちょっと悲しそうな声で。
「だって……君は」
あぁ…まずい。
目頭が熱くなるのを感じて気を散らせようと何かを言おうとしても言葉にならない。
思いを言葉にすれば出てくるのはきっと彼への疑心か不安か不満か。
喉から出かけるそれらの言葉を唾と一緒に飲み込む。
醜い感情に駈られる自分を見たくない、彼に見られたくないと思う程度にはまだ理性が残っているようだ。
……人を好きになるというのは存外難しい。
『僕らの間に言葉は要らない』
そう思っていた気持ちが今の自分には皮肉を通り越して滑稽にすら思えてきた。
結局、僕は彼に対して本当の気持ちなどいつも言えないでいる。
曖昧な態度で濁して、からかう素振りで弄んだつもりでいて挙句にこの様とは。
ミイラ取りがミイラになる、というのはこういうことを言うのだろうか。
「……でも」
どれくらいお互い沈黙していたのか。
気まずい雰囲気の中で先に口を開いたのは新次郎だった。
「そうですよね……ぼくの態度じゃそう思われても…仕方ないですよね」
僕に聞かせるためというより独り言のように言う彼の目は何処か虚ろで遠い。
こんな新次郎を見るのは…初めてだった。
「最初から…全てを話せば良かったのかな」
「……?」
「昴さん」
ふと視線を落とした彼が真剣な眼差しで僕を見る。
「聞いて欲しい話があるんです、あなたに」
そう言って僕の手を取った彼の手は…かすかに汗ばんで、震えていた。
「……どうぞ」
僕を部屋に上げた後、新次郎はキッチンに消えてご丁寧に珈琲を淹れてきた。
「ありがとう……」
受け取って、一口飲むと少しだけ心が落ち着く。
それは彼も同じらしい。
長い息を吐いた後、彼はこう言った。
「何処からどうやって話せばいいのかわからないですから…ぼくが眠っている間に見た夢の事から話します」
「……」
彼はそう言って自分の腹部をおさえた。
そこは…彼の五輪の痣のある場所。
「信長に腹を貫かれて生死を彷徨っている間…ぼくは夢を見ていました」
「夢?」
鸚鵡返しに問うた僕に新次郎は頷く。
「ぼくの前世と思われる…夢でした。ぼくは前世も五輪の戦士であり、そして一人の僧侶でもありました」
新次郎の前世が五輪の戦士。
……当然、僕は知らなかった。
当然、星組のみんなからもそんな話は聞いた事がない。
驚きを隠せずに新次郎を見ると、彼は曖昧に微笑みながら先を続けた。
「前世のぼくは信長を倒すべく他の五輪の戦士と旅をしていました。…当然、5人の戦士と共に」
彼はそう言って4人の人物の名を挙げていく。
だが。
「そして最後は……」
そこで口を噤んでしまう。
一分待っても、五分待っても、彼は最後の一人の名前を口に出そうとはしなかった。
「新次郎?」
「……っ」
名前を呼ぶと、彼は頭を振って何かを否定するような素振りを見せる。
僕にはわからないが、何か…彼の中に最後の一人の事で葛藤するものがあるのだろうか。
「最後の一人は…名前はわかりません。ただ、僧侶のぼくからすれば異教の神に仕える女性でした」
「そう…か」
もしかしたら、僕も彼と同じく前世も五輪の戦士だったのかもしれないと思ったが誰の名を聞いてもぴんと来ない。
だが、僕の痣は九条家の当主に代々伝わるもの。
だとしたらそのうちの一人が僕の先祖なのだろうから全くの無関係というわけでもない。
何故、新次郎だけにそういう記憶があるのかはわからないが…もっとよく話を聞くべきだろう。
しかしそう思った矢先、新次郎は押し殺したような声でこう言った。
「そしてその女性を犠牲にして、前世のぼくたち五輪の戦士は信長を封じました」
「……!」
そうだ、五輪曼陀羅を使うには犠牲が必要。
本来なら、僕とてそれで命を失うはずだったのだ……僕は、生き延びる事が出来たが。
けれど、それが稀有な例であることは信長の口ぶりからも明らかだ。
以前にそれによって命を落とした人間が居てもおかしいことではない……しかし。
新次郎の自分を責めるような口調が気にかかった。
「彼女は、犠牲になる事を自ら選びました。ぼくは…それを止める事が出来なかった。だから、今度は絶対に昴さんを失いたくなかった」
「新次郎?」
名前を呼ばれた彼がはっとする。見開かれた瞳が、悲しげに揺れた。
「新次郎……混乱する気持ちはわかるが…話がごちゃごちゃになっている。僕はここにいるから、だから落ち着いてくれ」
こういうときは言葉より態度の方がいいのだろうか。
ちょっと迷ったが、彼が落ち着くならと傍に寄り、その手を取る。
新次郎は指を絡めるようにして僕の手を握りしめると、数度深呼吸をしてようやく落ち着いたようだった。
「……すいません、なんか取り乱しちゃって」
「いや…君が戸惑う気持ちはわからないでもない。前世の記憶なんてものがあったら…僕だって、動揺するだろうしね」
それは僕なりに彼をフォローする為に言ったつもりだったのだが。
新次郎は肩を落とし俯いてしまった。
「………昴さんに、もし前世の記憶があって…結ばれなかった愛しい人と現世で巡り会ったらどうしますか」
「新次郎…何を言って……」
「五輪の犠牲になった女性…名前は思い出せなくても、その人の顔は……」
指先を握る手に、力がこもる。
「他人の空似かもしれません、そもそも…夢ですら本当にぼくの前世であるかもわかりません。でも、それでも…」
回りくどい言い方をするのは、彼自身が否定したい気持ちがあるからだろうか。
「ぼくの前世が愛した人は…五輪曼陀羅の犠牲になった女性は…昴さん、あなたと同じ顔をした人でした」
「……!!」
新次郎が僕を見つめる。
僕の背にある五輪の痣が、熱を帯びたかのように疼いた。
「……っ…」
息を吐いても、言葉は出てこない。
常識では測れない事象など今までいくつも経験してきた。
今よりもっと非常識な出来事もなかったわけではない。
なのにこんなに心がざわつくのは…他でもない彼の言葉だからか。
異教に仕えた名もない娘が自分の前世だと言われても…当然ながら僕にはそんな記憶など全くない。
僕は僕、九条昴という一人の人間。
それ以上でも、それ以下でも……。
「昴さん」
視界がぐるぐる回る。
シンジロウガスキナノハ……。
「昴さん!」
よろけた僕を新次郎が抱きとめる。
その肩を掴み、僕は震える声で叫んだ。
「……僕が、その女性の生まれ変わりだと言うのか。馬鹿らしい!」
「違います!」
「何が…」
「ぼくにとって大切なのは昴さんです!だから……もう少しだけぼくの話を聞いてください」
「……」
これ以上聞きたくない。
そうは思っても彼の必死の形相を見たら無視して声を荒げる気にもなれなかった。
「眼が覚めたときから…ずっと悩みました。正直に、話そうかとも思いました。でも……言えませんでした。あなたに、嫌われるのが怖くて」
「新次郎……」
「だって…嫌ですよね。真実ともわからない夢の話で、まるで前世の償いのように昴さんを好きになったなんて…ぼくだって嫌です」
今にも泣き出しそうな彼は、僕に顔を見られたくないのか顔を背けたままかすれた声でぽつぽつと語る。
僕を支えていたはずの腕はいつの間にか抱きしめるようにして背中に回されていた。
「ぼくは、ぼくです。前世とは違う…そう証明するのに必死で、だから誰も犠牲を出さずに…戦いを終わらせたくて、無我夢中で……」
……確かに。
五輪曼陀羅の犠牲に関しては彼は誰よりも否定し、誰よりも犠牲を出さない事に必死だった。
サニーサイドを殴ったときには流石に僕も驚いたが、彼があれほど激しい剣幕だったのもそういう理由ならば無理もないだろう。
「信長と戦っている時はそれでも色々考えずに済みました。でも、平和になったら…今度は違うことに気がついたんです」
「新次郎……」
「過去をやり直すためじゃない、ぼくはぼく自身の意志で昴さんを選んだ。昴さんが男であっても女であっても、ぼくが昴さんを好きな気持ちに変わりはない。
…けれどその感情こそが、愛する人と結ばれなかった前世をやり直したいからなんじゃないからか、って」
新次郎が、深いため息をつく。
なんとなく…だが、彼の言いたい事はわかる。
性別不明であろうと、前世引き裂かれたの恋人と同じ顔をしていたら今度こそと思ってしまうのも無理はない。
ただの夢、で済まされない証が身に残ればなおさらだろう。
前世…そして輪廻。どちらもにわかには信じがたい。
だが五輪の痣という運命の爪痕が魂に遺した痛みが、生と死を繰り返してもなお消えぬとはそれほど強い感情だったのだろうか…。
もし自分が同じ立場だったら、と想像しようとしてすぐにそんな考えは頭から捨てた。
彼は既に一度死に掛けている。
あの時の胸をかきむしられるような気持ちは…もう、二度とごめんだ。
「ぼくが本当にどんな昴さんでも受け入れる覚悟があるのならば…夢の事だって話せるはずなんです。でも、ぼくにはそうする勇気がなかった」
そうして言い出せないまま、いつしか昴さんを避けるようになっていました…と彼は言う。
「決戦の前の日を覚えていますか。あの時だって…そうです。偉そうな事を言っても、本当は逃げてたんです。知ることが、怖かった」
「……」
「女性であったら過去の繰り返しだと怯えるかもしれない。男性であったらあれは夢なんだとほっとするかもしれない、でも…それってどっちもズルいですよね」
「新次郎……」
「自分が情けない…です。たった一度の夢に振り回されていつまでもうじうじ悩んでいるなんて…これじゃサムライとして失格です」
「そんなこと……ないよ」
彼の両頬を手で挟んで目線を合わせると、新次郎は真っ赤な目をしていた。
ああ、でも何故だかその姿が今はとても愛しく思える。
お世辞にも格好良いとも凛々しいとも思えない。でも、そんな彼を慰めたいと思うこの感情は……なんなのだろう。
「僕が…前世君の愛した女性であったかはわからない。けれど、大切な人を失った前世の君の気持ちに…君が同調する心理はわからないでもない」
「昴さん……ぼくのこと、嫌いになったんじゃないですか」
「何故?」
「だってぼくは……、……」
その先の言葉は、実力行使で封じる事にした。
もういい。
『僕らの間に言葉は要らない』
その気持ちを言葉よりも態度で示す事にしただけだ。
「……」
閉じていた瞼を開き、顔を離すと新次郎は呆然としていた。
「昴は問う。君の目の前に居るのは誰だい?」
「す、昴さんです……」
「今、君に触れているのは?」
「………昴さんです」
「ならば…昴は今一度、求める。君の全てを」
あの日と同じように、彼の瞳が大きく見開かれた
「!!昴さん……」
「僕の性別を知って……それでも気持ちが変わらないかどうか、どうするかは君次第だ」
猫がじゃれるようにして、彼の首筋に頭を寄せる。
指先で頬を撫で、唇で鎖骨に軽くキスをした。
「そんな……いけません。そんな」
「イヤなら、拒めばいい。選ぶのは、君だ」
「……っ、昴さんは、意地悪です!」
「今頃気付いたのかい?」
どうする?と目で問いかけると彼は切羽詰ったように唸った。
「途中で昴さんがイヤだって言っても、止まりませんよ…ぼくは……!!」
背中に回された腕は、絶対に離さないと言わんばかりに力が篭もっている。
苦しいほどのその強さが、今は心地良かった。
絡めた指先をぎゅっと握り合う。
お互いの存在を、確かめ合うように。
その先にはもう、言葉は要らなかった。
「……昴さん」
「何だい」
「ちょっとぼくの頬をつねってくれませんか」
「…?いいけど」
言われたとおり、彼のすべすべした頬をつまむとぐっと力をいれてみる。
「…い、痛い痛い痛いですっ!」
「……自分でつねろって言ったんじゃないか」
「そうですけど……もうちょっと手加減してくれても…いたたたた」
つまんだ途端、痛みのあまり反射的に僕に背を向けて頬をさする新次郎を見て苦笑がこみ上げる。
「痛いのは夢じゃない証拠だよ。それともまだ疑うならもっと他の方法でわからせてあげようか?」
「………痛いのは遠慮します」
頬を押さえたまま、彼がこちらを向く。
そのかすかに開いた唇に静かに口付けを落とした。
「こういうのは、どうだい」
顔を離しながら微笑むと、彼は一瞬考える素振りをした後にしれっと呟いた。
「……一瞬でわからなかったから、もう一度お願いします」
「しょうがないな……」
呆れたように笑いながらも今度はもう少し、長く彼の吐息を味わう。
そして顔を離すと、どちらともなく笑いあった。
「昴さん」
「うん?」
「もう一度…今日のデート、やり直してもいいですか」
「…それは、買い物のことかい?」
新次郎は素直に頷く。
「それは別に構わないけれど…今度は男物と女物、どちらを選ぶんだい」
「それは……」
からかい半分で聞いたのだが、彼は真面目な顔をしてきっぱり言った。
「どちらもです」
「…は?」
「だって、昴さんがどちらも似合う事に変わりはありませんから。ああでも…ぼくの給料で買えるかな……両方」
思わず吹き出しそうになる。
僕の性別を知っても、変わらずに居てくれる新次郎はやっぱりでっかい男なのかもしれない。
そう思いながら起き上がろうとしてある事に気付いた。
「……あれ」
「どうしました?」
「君の…痣の場所は、ここだったよね」
ふと、彼の下腹部に視線を向けてそこに五輪の痣が見当たらない事に気付く。
「はい、そうですよ。信長に貫かれた場所に……あれ」
彼も僕の視線の先を見て、痣のあった場所をさする。だが、当然ながら消えた痣が浮かび上がる事はなかった。
「おかしいな……ジェミニもお風呂に入ったときとかに浮かび上がるって言ってたから…ぼくもそうなったんですかね」
「そうだね…そうかもしれない。もしくは、もう必要なくなったから、かな」
「…昴さん」
痣のあった位置に、優しく触れる。
そこは他の部分より、ほんの少し温かい気がした。
「もしかしたら、また必要なときが来れば浮かび上がるのかもしれない、だけど……」
僕たちはもう犠牲を払わずとも…そう言う前に、彼の強い口調に遮られた。
「ぼくはもう…痣なんていりません!誰かを犠牲にするような方法でなんて……」
「新次郎……」
語尾が震えている。
僕は彼を宥めるようにして、髪を梳く。
「もしかしたら…君の前世も同じ事を思っていたのかもしれない」
「え?」
「もう誰も犠牲にしたくない…その気持ちが君の戦士としての覚醒を限界まで引き留めていたのかもしれないよ」
「……」
「だとしたら、痣と共に彼の想いも昇華されたのかもしれない…そう考えるのも、悪くないんじゃないか」
あくまで都合の良い、仮定にしかすぎない考えだけれど。
過去を気にしている彼の気持ちが少しは楽になるだろうと思いついたことを言ってみただけなのだが。
「なんだか…なくなったらなくなったでちょっと淋しいかもしれません」
そんな事を言いながら淋しそうに微笑んだ新次郎にふいに抱きしめられた。
「昴さんの痣は…そのままですね」
抱きしめながらなぞられたのは背中の痣。
「僕のは…生まれつきだしね」
「………さようなら……」
彼の囁くような声と共に、痣にキスをされる。
……それが彼の失った痣への別れなのか、それとも彼の前世の恋人への別れなのかは聞かない事にした。
ただ。
震える肩を抱き、声を殺して泣く彼の頭を撫でながら心の中で思った。
たとえ僕に前世の記憶がなくとも彼の痣が消えようとも。
彼が僕を受け入れてくれたように、僕も彼の過去も今も全てを受け入れて共に歩んでいこうと。
END