first name
「愛してるよ、昴」
「…活動写真に感化されたのかい?まぁいい。僕もだよ、サニーサイド」
顔を見合わせて笑うと、軽く口付ける。
「そういえば…いい加減ファーストネームで呼んではくれないのかい?昴」
ボタンに伸びる手に眉を顰めつつもそう言われてふと考える。
サニーのファーストネーム……。
「昴?」
一分は悩んだだろうか。
悩んだ末に僕は呟いた。
後に考えればもう少し穏便に言うべきだったのだろうが。
うっかり思ったままを口にしてしまったのが間違いだった。
「君のファーストネームってなんだい…?」
その後は凄い事になった。
立ち上がったサニーの顔が青くなったり赤くなったり、表情も怒ったり泣いたり。
「昴には人間の血が通ってない」だの「昴はボクへの愛が足りない」だの人でなしのようにたっぷり30分は言われ続けた。
…あまりにも凄い剣幕で口を挟む隙すらない。本当に良く喋る男だ。
こういうときのサニーは好きにさせるに限る。
一年も一緒に暮らせば相手の性格など大体は把握できるものなので、言うがままにさせていたのだが。
それが尚更まずかったのだろうか。
一通り僕を罵ったサニーは最後に僕に指を突きつけてこう言った。
「昴がボクの名前を思い出すまでキミとは口を聞かない!」
「…はぁ?」
まるで子供の喧嘩のような台詞に呆れた声が出る。
…口を聞かない、って。
そのままどさりとサニーはソファに腰を下ろす。
「サニー。言い方が悪かったのは謝る。だが、本当に知らないんだ。だから、教えてくれないか」
とりあえず、膝をついて見上げながら宥めすかしてみる。
これで機嫌を直してくれると良いのだが…。
「……」
サニーは僕を見たまま答えない。
やれやれ、この程度じゃ無理か。
「サニー。お願いだから機嫌を直してくれ。僕が悪かったよ」
背後から抱きしめて耳元で囁く。
なるべく、甘い声で。
「………」
サニーがちらりと振り向き僕を見る。
しめた、と思ったのがまずかった。
サニーは僕を見て、そんな見え透いた事をしてもお見通しだよと言わんばかりに口の端を歪めて笑った。
「…!」
その態度に下手に出ていた気分が一気に失せた。
勝手にすればいい。
くるりと踵を返して部屋を飛び出す。
そのまま夕食時も口を聞かず、別々の部屋で寝た。
久しぶりの一人寝は少し淋しかったが、向こうが折れるまで謝る気もなかった。
本当に知らないのだから仕方ない。
それを大人気なく口を聞かないと言うサニーにだんだん腹がたっていた。
「サニーの…馬鹿…」
「昴。そりゃあお前が悪いよ」
「うんうん、すばるが悪いな」
「昴さん…サニーさんが可哀想ですよ…」
「おじさまも可哀想に…」
翌日、僕とサニーが一言も口を聞かないのを見て不審に思ったシアターのダンサー達に問い詰められ
渋々昨日のあらましを話すと口を揃えてみんなはそう言った。
…最初は馴れ合おうとも思わなかったし僕とサニーの仲も隠していたのだが、一年も経ちシアターの仲間とも
大分打ち解けてサニーとの仲は自然に知られるところとなっていた。…僕の性別や素性は当然言ってないが。
「…知らないものは仕方ないだろう。僕は悪くない」
口々に僕が悪いと言われ、つっけんどんに返す。
「お前ら一緒に暮らして一年経つんだろう?それで相手のファーストネームも知らないって…やばいだろう」
「言われた覚えがない。第一、名前なんて何て呼んだっていいじゃないか」
「昴は男心がわかってないわねぇ…まあ、サニーもそういう所が好きなんでしょうけど」
くすくすと笑うのはこのシアターのトップスターのラチェット。
やけにサニーに詳しい所を見ると、もしかしたら以前は付き合っていたのかもしれない、と思う。
「ラチェット。君なら知っているんだろう。教えてくれないか」
「そりゃあ知ってるけど、教えたらつまらないじゃない。昴が自分で知ろうとしなきゃ」
「だからこうやって聞いているんじゃないか」
「リカ知ってるぞー。サニーサイドのファーストネームは…」
シアターで最年少のダンサーなリカが口を開きかけたときだった。
「…リカ。それ以上言ったら一ヶ月ご飯抜きだよ」
地獄の底から響くような声がリカの背後から聞こえてきた。
「サニー…」
いつの間に楽屋に現れたのか。
「うわっ!?サニーサイド…何処から現れたんだ」
「それでも良ければばらせばいい」
冷ややかな目でサニーはリカを見つめる。
「そ…それは……リカ、ご飯抜きはいやだ…」
「じゃあ、ばらさないでいてくれるのかい?いい子だね。これはご褒美だよ」
そう言ってサニーは一転、笑顔になるとリカにホットドッグを差し出す。
…用意のいいことだ。
「他のみんなもばらしたければばらせばいい。…だが、その後は保障しないけどね」
「サニー…いい加減、機嫌を直したらどう?昴が可哀想よ」
「いいんだよ、ボクがいなくたって昴には想ってくれる人が居るんだし。ボクの名前なんて知らなくてもさ」
見るに見かねたらしいラチェットが助け舟を出してもサニーは取り合わない。
「いいよ、ラチェット。僕もこんな子供っぽい男には付き合ってられない」
いい加減にうんざりしていた。
何故、自分よりも15歳も上の男の子供っぽい我侭に付き合わねばならないのか。
「サニーサイド、君がそう言うのならばお望みどおり出て行くよ。世話になったね」
そのまま振り返らずに楽屋を後にする。
もう稽古は終わっていたからあとは帰るだけ。
…行き先は…気が進まなかったが、言った手前そこに行くしかない。
シアターを出ると、ため息をつく。
なんでこんなことになってしまったんだか。
僕はただ、一緒に居られればいいのに。
「それは…昴さんも悪いと思います」
「新次郎までそんな事を言うのか…」
サニー曰く『想ってくれる人』らしい幼馴染の新次郎の部屋に、トランク片手にしばらく泊めてくれと言い放ち
驚いた新次郎に事情を説明したら予想とは違う答えが返ってきてがっくりした。
新次郎なら、わかってくれると思ったのに。
「だって、ぼくだって昴さんに『大河』としか呼んでもらえなかったら切ないですもん」
幼馴染でずっと好きだった新次郎に別れを言って数ヵ月後。
何故か、正式に紐育留学の名目でやってきた新次郎と今では普通に話せるようになっていた。
男と女ではなく、友人として。
お互い、昔は結婚の約束までしていたので恋愛感情が全て消えたわけではないだろうが、特に新次郎は。
サニーもやはり気にしつつも『昴が会いたければ会うといい』と言ってくれたのでたまにアパートにも訪れていた。
日本にも実家である九条家にも未練はないが、やはり知っている日本人に会えるのは嬉しい。
新次郎が嫌いで別れを告げたわけじゃないのだし。
「それは…だって、新次郎は小さい頃から知っているし…僕だって新次郎に『九条さん』なんて言われたくない」
「そういう問題じゃないですよ」
新次郎は困ったような笑顔を浮かべる。
「好きな人にはやっぱり名前で呼んで欲しいんじゃないですか。サニーさんだってきっとそうですよ」
「随分サニーサイドの肩を持つんだな…新次郎」
てっきり自分の肩を持ってくれると思っていたのでやたらサニーの肩を持つ新次郎を上目遣いで睨む。
「別に、サニーさんの肩を持つわけじゃないですよ。大人気ないなぁとは思うし」
「だろう?」
「どうせならこれ幸いに昴さんをぼくのものにしちゃおうかなーとか思わないわけじゃないですし」
「だろう…って、新次郎!」
その台詞に慌てて椅子から立ち上がると新次郎はにこにこと微笑を浮かべたままだった。
新次郎も紐育に慣れたせいか、大分逞しくなった。
ある意味、サニーに似てきた気もするが。
「ぼくはまだ昴さんの事を諦めたわけじゃないですよ。サニーさんと別れるのを待っているだけで」
「……さりげなく怖い事を言うな、君は」
「でも、こういうのってフェアじゃないじゃないですか。それにサニーさんには借りもありますし」
「借り?」
「ぼくがこっちに来るのが決まったときにこのアパートを手配してくれたの、サニーさんなんですよ」
「…え」
「いつでも昴さんに会えるように、って。他にも何か困ったことがあったら言ってくれ、と」
「サニーが…そんなことを…」
知らなかった。僕にはそんな事を一言も言わなかったのだから。
「ぼくが『いいんですか?昴さんを取っちゃうかもしれませんよ』って言っても『それはそれで仕方ない』って」
「僕の知らないところでなんて会話をしているんだ…君たちは」
少しムッとする。
どっちも僕の気持ちを知らないで好き勝手な事を言ってくれる。
「昴さん」
新次郎の手が僕の手に重なった。
「昴さんの気が済むまでここに居ていいですよ。ぼくは大歓迎ですけど…昴さんは本当にそれでいいんですか?」
「僕は…」
重ねられた手が熱い。
「まぁ、うっかり理性が吹き飛んで昴さんを襲っても許してくださいね。優しくするつもりですけど」
「新次郎…何だか変わってないか…性格が」
「そりゃあ好きな人と一つ屋根の下で数日ですよ。普通の男は狼になりますよ」
「僕はここを出て行ったほうが安全なのかな…」
深々とため息をつく。
僕に安息の地などないのかもしれない。
「あ!冗談ですよ、今の所。だから、他の男の所に行かないで下さい」
「……誤解を招く言い方をしないでくれ。行くとしたらシアターの仲間の女性の家だよ…」
「良かったぁ。あ、良くないですけど。昴さんにサニーさんとぼく以外の男が居たらどうしようかと」
「…出て行く」
「昴さん!冗談です、冗談ですよ。だから、出て行かないで下さい!!」
それから二日が経ち、三日が経ったがサニーが謝る様子は全くなかった。
最初は気を使っていたシアター仲間もだんだん楽しんでいるようだ。
「こういうのって『夫婦喧嘩は犬も食わない』って言うんですよね。師匠から聞きましたけど」
ジェミニが言う。
「犬かよ!…日本には嫌な言葉があるんだな」
「犬かー。ノコとどっちが美味しいんだ?」
「ダメですよ!犬もノコも食べちゃ」
…ここは平和で何よりだ。
「全く、二人とも強情なんだから。サニーももうすぐ35になるんだからいい加減大人になればいいのに」
「お、そういえばもうすぐサニーサイドの誕生日か。今年はどんなパーティーをするのやら」
「え、そうなのか?」
素っ頓狂な声をあげた僕をみんなが信じられないようなものを見る目で見る。
「昴さん…まさか…」
「おじさまの誕生日、ご存知なかったんですか?10月18日、明後日ですよ」
「…知らなかった」
本当に。
「昴…流石にちょっとサニーが可哀想よ。ファーストネームも知らない、誕生日も知らない。私がサニーでも拗ねるわね」
ラチェットが僕にトドメを刺すように深く息を吐いた。
「昴さん…」
部屋に帰ってその話をすると、むしろ新次郎は同情的な目をして僕を見た。
「本当にサニーさんの事、好きなんですか?」
「…うっ…」
だんだん自信がなくなってきた。
「だって、仕方ないじゃないか。サニーとは会った経緯が経緯だし…それどころじゃなかったし」
「昴さんらしいですよね。色々な所で器用なのに、そういう所だけ不器用で」
ぼくはそんなところも好きですけど、と新次郎は言う。
「新次郎…」
「ぼくの誕生日、覚えてます?」
「…8月20日」
すらすらと答えが出る。
「良かった、覚えていてくれたんですね。忘れられてると思いました」
新次郎が嬉しそうに顔を輝かせる。
そんな事くらいでそこまで喜ばなくてもいいだろうに、というほど。
「忘れていないよ」
「昴さんは5月9日ですよね」
素直に頷く。
「そうだ。君こそよく覚えているな」
「好きな人の誕生日を忘れたりしませんよ」
「……僕は…」
「まぁ、知らなかったものは仕方ないですよね。でもサニーさんは昴さんの誕生日知らないんですか?」
「知ってるよ。今年の誕生日も僕が抱えきれないほどの花束を寄越されて嬉しかったけど困ったし」
自分の誕生日については以前、生い立ちを話したときに同時に教えていたのでサニーは知っていた。
あんまり気にしていなかったのだが、当日家に帰るなりそんなことをされて驚いた覚えがある。
「その時にさりげなく聞くとかすれば良かったのに」
「…サニーなら放っておいても自分からアピールしてくると思っていたんだ」
思わず言い訳めいた言葉が口をついて出た。
「ああ、確かにそうかも。でも、どうするんです?知った以上、無視するつもりじゃないでしょう?」
「……この状態で僕にどうしろって言うんだ。プレゼントなんて、何を贈れば喜ぶのかわからないし」
「うーん。やっぱりここはアレじゃないですか。プレゼントは『僕だよ』って…」
「新次郎。君には躾が必要だ……!」
「わひゃあ!?昴さん、待ってください。嘘です、嘘ですよ!」
「サニーさん、今年はパーティーを開かないみたいですね」
「毎年のように開いてたのにな」
「リカ、ごちそうが食べれるから楽しみにしてたのに残念だぞ」
「おじさまもお忙しいからきっと誕生日くらいゆっくりしたいんですよ」
「単に昴が祝ってくれないから拗ねてるだけだと思うけどね」
相変わらず言いたい放題なダンサー仲間達にそろそろ言葉がなくなってきた。
みんなの視線が僕に突き刺さる。
「…いい加減に仲直りしたら?貴方達」
「それは…」
僕だって仲直りしたくないわけじゃない。
サニーを見かけたら声をかけようとはしている。
でも、向こうがとりあってくれない。
どうしろというのだ。
「サニーのファーストネームくらいはいい加減分かってるんでしょ?」
「……」
「昴…」
「昴さん…」
「すばる…」
憐れみすら込めた目で見られて居た堪れなくなる。
「だ、だって僕にどうやって知れって言うんだ!」
「普通に知らないほうがおかしいわよ」
ラチェットの冷静なツッコミが入る。
「僕だって支配人室に忍び込んで、何かヒントがないかと探してみたりしたんだ…!」
「昴。それは不法侵入で犯罪だ」
「法の下にお前はアウト〜だな。いしししっ」
サジータの声にリカが付け足す。
「別に何も捕ったりはしていない。ただ、書類でもあればフルネームがわかるかと思って…」
「で、あったんですか?」
ジェミニが言う。
「…なかったよ」
それくらいはサニーも予想していたのか綺麗に手がかりになりそうなものはなかった。
…全く、普段は物ぐさなくせに妙な所で几帳面というかなんというか。
「ああ、だから私の秘書室に書類をどっさり持ってきてしばらく預かってくれと言ってたのね」
あっけらかんとラチェットが言う。
「おじさま、そんな事までしていたんですか…」
サニーの親戚というダイアナが驚いたように口に手を当てる。
むしろ君からあの困ったおじさまに何か言って欲しいくらいだ、と思いつつ。
「…でも、本当に今までサニーから本名のわかるようなことを聞いたり貰ったりしたことないの?」
「……ない、と思う」
「一年も一緒に暮らしていてそんなことはないっつーのもおかしいぞ」
「昴さん、よく思い出してみてくださいよ。きっと何かあるはずです」
…何か。
必死に考える。
だが、思いつかない。
「もういい…考えるだけ疲れる。なるようになるさ。さぁ、今日の公演が始まるよ…」
すぐに面倒くさくなって思考を打ち切る。
そしてあっという間にサニーの誕生日当日になった。
かれこれサニーの屋敷には5日ほど帰っていない。
「…昴。今日も帰らない気?」
「サニーは一人でさっさと帰ったんだろう。だったらそっとしておくさ」
心配するみんなを残していつものように新次郎の部屋に帰る。
「おかえりなさい、昴さん」
「ただいま、新次郎」
「……」
「どうしたんだい?」
「いや、まさかぼくの部屋に帰ってくるとは思わなくて」
「…迷惑かい?だったら出て行くよ。いい加減、君にお世話になるわけにも行かないしアパートでも見つけようかと…」
「違います!そうじゃないんです」
僕の言葉に新次郎が手を振って否定する。
「今日はサニーさんの誕生日じゃないですか。いいんですか?帰らなくて」
「いいよ…別に」
どさりとソファに身を沈め、ぶっきらぼうに言う。
疲れに目を閉じて眉間に手を当てていると、新次郎の足音が近づくのを感じた。
「じゃあぼくが昴さんの恋人になってもいいですか?」
「…新次郎?」
目を開けると目の前に迫る新次郎の顔。
「言ったでしょう?ぼくは今でも昴さんが好きだって。あと、好きな人と同じ屋根の下に居たら狼になるって」
手首を掴まれて、唇が重なる。
柔らかくて、少しかさかさした唇の感触。
…昔、結婚の約束をしたときにしたことはあるが、かれこれ7年ぶりの口付けだった。
昔がどうだったかもう思い出せない。
「ちょ…新次郎!やめ…」
「ぼくは5日我慢しましたし、忠告もしましたよ」
服に手をかけられて背筋がぞっとした。
「いや…いやだ!」
「サニーさんのことはもういいんでしょう?あんな薄情な人は忘れて、昔みたいにぼくと一緒に…」
「…!」
サニーの名前を出されて身体がびくんと震えた。
無意識に、新次郎を突き飛ばす。
「すまない、新次郎…やっぱり、僕は…」
「あーあ。やっぱり無理か。いけるかと思ったんですけどね」
突き飛ばされた新次郎は服の埃を払いながらけろっと言う。
あまりの変わりように言葉が見つからない。
「し、新次郎…?」
「本当は敵に塩を送るようなことはしたくないですけど…昴さんに幸せになって欲しいのは嘘じゃないですよ」
そう言って新次郎はタンスの上にあった小箱を手に取り僕に差し出す。
「はい、昴さん。どうせ昴さんの事だからプレゼントも用意してないんでしょう」
「新次郎…」
「中身はネクタイピンですよ。これなら買ったのがぼくだってばれないでしょうし」
カードもありますけどそれは自分で書いて下さいね、と言われてふと頭にひっかかるものを感じた。
「もしかして……」
「昴さん?」
「僕は、サニーサイドのファーストネームを知っているかもしれない…」
「…昴さん」
呆れたような新次郎の声。
「……これを、貰ってもいいかい」
躊躇いがちに呟きながら、その小箱に手を伸ばす。
「もちろんですよ。その為に用意したんですし」
新次郎は僕の手に小箱を渡す。
「じゃあいってらっしゃい。仲直りできるといいですね。…ぼくは出来なくても構いませんけど」
「新次郎…君は仲直りさせたいのかさせたくないのかどっちなんだ…」
「んーどっちでしょう。あ、仲直りできなかったら帰ってきてくださいね。今度こそ、昴さんが嫌がってもやめませんけど」
さらりと言う新次郎に苦笑しながらもその頬に軽くキスをする。
感謝と親愛の気持ちを込めて。
「ありがとう…新次郎」
そのまま小箱を手に駆け出す。
だから僕は知らない。
一人残された新次郎が僕の唇が触れた頬に手を当てて
「…ちょっとくらい、意地悪してもいいですよね」
と呟いたことを。
「…はぁっ…はぁ……」
走り続けてサニーの屋敷に到着する。
屋敷には明かりがついてはいたが静かだった。
本当に一人で過ごしているらしい。
鍵は持っていたので勝手に開けて中に入る。
中も誰もいないかのように静かだった。
足早に自分の部屋に行く。
部屋中をひっくり返す勢いで『あるもの』を探した末にようやく見つけた。
「…あった!」
今年の誕生日にサニーから貰った花束に添えられていたバースデーカード。
カードを開く。
そこには『昴へ 愛を込めて マイケル・サニーサイド』と書かれてあった。
「……そうだったのか」
花束の大きさに気をとられてカードはちらりと見ただけでしまいこんでいた。
そっとカードを胸に抱く。
…謝っても許してもらえないかもしれないけれど。
謝ろうと、思った。
そのままカードと小箱を手に屋敷を歩き、サニーを探す。
渡り廊下を越えた先にある私室で気配を感じ、ノックをして返事を聞かずに入る。
サニーは一人静かにワインの入ったグラスを傾けていた。
「…ただいま」
「おかえり」
顔を見た瞬間、言おうと思っていたことが全て頭から飛んでしまい、そんな言葉しか出てこない。
だが、口を聞かないと言い切って本当に聞いてくれなかったサニーははっきり『おかえり』と言った。
なんとか、なるかもしれない。
すっとサニーに近づく。
「……誕生日おめでとう。マイケル・サニーサイド」
「昴……」
後ろ手に隠し持っていた小箱をサニーの目の前に差し出しそう呟くとサニーが驚いたように僕を見上げた。
「…ボクの誕生日を知っていたのかい?ついでに名前も思い出してくれたのかい。それとも誰かに聞いた?」
「誕生日はみんなに聞いた。でも名前は自分で思い出したよ。…これを見て」
そう言ってカードを見せるとサニーも納得してくれたらしい。
「ああ、捨ててなかったんだ」
「捨てるわけないだろう」
「忘れてたくせに」
「う……」
サニーはちらりと小箱を見て、僕を見た。
「貰ってもいいかい」
「どうぞ」
小箱が僕の手からサニーの手に渡る。
「…すまなかった。君の名前も忘れていて、誕生日も知らなくて」
素直に頭を下げ、謝る。
「思い出してくれたならいいよ。誕生日は…まぁ、聞いてもくれないのは淋しいといえば淋しかったけどね」
サニーは片手で小箱を手で弄びながら頬杖をつく。
「この年になると誕生日なんてさして楽しいものでもないし」
「…まだ、怒っているかい?」
おそるおそる視線を向けるとサニーは微笑んでいた。
「怒ってないよ。昴が帰ってきてくれて安心してるさ。大河くんの家にずっと居たらしいしね」
「それは…!だって、サニーが…」
「別にキミと彼の仲を疑う気はないよ。仮に、そうだとしても戻ってきてくれたんだし」
言うなりサニーは僕の手を取ると、自分の元に引き寄せる。
優しいキスが、口元に落とされた。
「開けてもいいかい?」
「どうぞ…」
リボンを解き、ラッピングを丁寧に取り除くとサニーは中の箱を開ける。
中には新次郎の言ったとおり、ネクタイピンが入っていた。
「……ん?何か下に入っているのかい」
「え……」
新次郎はネクタイピン以外に何か入れているとは言ってなかった。
一体何が入っているのだろう。
「写真…?」
箱の底から一枚の写真を取り出す。
「!!」
「…ほぉ〜…これはこれは」
裏返しになっていた写真をひっくり返し、僕は固まりサニーは眉を吊り上げた。
そこに写っているのは幼い新次郎と僕。
おそらく、一緒に遊んでいたときに写されたものだろう。
幼い新次郎が幼い僕の頬にキスをしている写真だった。
「いやぁ、妬けるねぇ。さすが、結婚を約束した仲だ。小さい頃からラヴラヴだったんだね、キミたちは」
刺々しいサニーの声が僕の全身に突き刺さる。
…どうやら、新次郎にはめられたらしい。
「で、これを今のボクに見せるっていうことは現在のキミたちも同じくらいラヴラヴだったのかい?」
「ち、違う…これには理由が…!」
「へぇ〜。どんな理由なのかじっくり聞かせてもらおうか。…ベッドで」
サニーは僕を軽々と持ち上げるとずんずんとベッドルームへ向かう。
「サニー!だから誤解だ!」
じたばたともがいてもサニーは当然離してくれない。
「言い訳はベッドの上でじっくり聞くよ、昴。…朝まで寝かすつもりはないから思う存分言うがいいさ」
「サニーサイド!離せっ…冗談じゃない、僕はごめんだ…!」
「古来より、男の誕生日に贈るものと言ったら決まってるだろう?プレゼントは『僕だよ』ってね」
「……」
やっぱりサニーと新次郎は似ているのかもしれない。
諦めのため息をつきながら僕は思った。
(新次郎…覚えていろ。今度はもっと、厳しい躾が必要だ。でも、ありがとう…)
「しょうがないな…ハッピーバースデー…プレゼントは僕でいいよ」
「そうこなくちゃね。じゃあ遠慮なく頂くよ、昴」
ぱたんと閉まるドアの中で、二人きりのバースデーが幕を開けた。
END