女王の消える日

彼女が舞台を降りる事を決意したときには新聞も雑誌も悲しみを込めて彼女の引退をこう呼んだ。
『ブロードウェイの女王が、我らの悲しみの涙の花束を手に去ってしまった』


「…ですって。大げさよね、そう思わない?サニー」
自分の記事を見ながらラチェットが苦笑する。
「私はそんなのじゃないのに。…それに、私が私であることに代わりはないのに」
長い睫毛が伏せられ、整えられた指先がくしゃりと新聞を掴んだ。
俯いた拍子にハニーブロンドが彼女の顔を隠し、彼女の表情は見えない。
…大体の予想はつくが。
「そうだね、とても失礼な記事だ。キミが魅力的なのは舞台の上だけじゃない。普段もこんなに魅力的なのに」
「ありがとう…サニー」
はにかんだように彼女は笑う。
ラチェットお気に入りの円環状のイヤリングが揺れた。
「さて、仕事をしなくちゃね。舞台を降りてもやる事はたくさんあるんだから」
そう言って彼女は支配人室を出て行く。
ボクはその後姿をただ眺めるしか出来なかった。

ブロードウェイの女王と評された大スター、ラチェット・アルタイル。
彼女が舞台を降りると決意した時には紐育中、アメリカ中が騒然とした。
「何故、まだ若いのに」
「勿体無い。もう一度考え直してくれ」
「あんな小さなシアターの舞台に嫌気がさしたのなら、是非うちに」
…そんな言葉が飛び交う度にラチェットは困ったような笑みを浮かべてそれらをかわしていた。
シアターにも苦情と抗議と嘆願の電話と手紙と贈り物の山が毎日のように届く。
本当の理由など言えるはずもない。
霊力の消失。
それと共にラチェットは言った。
「私は、舞台を降りるわ」
リトルリップシアターの面子を前に彼女がそう言ったとき、サジータは反対し、昴は反対も賛成もしなかった。
もう一人、彼女から星組の指揮権を委譲され、シアターではモギリを努める新人の大河も必死に彼女をなだめた。
ジェミニもワンペアも悲しそうな目でラチェットを見つめていた。
だが、彼女の決意は変わらなかった。
「私の役目は終わったわ。だから、これからは貴方達星組をサポートする役割になろうと思うの」
誇り高き女王であったラチェットから出た言葉にその場の全員が驚き、言葉を失った。
「…ラチェット。具体的にはどうするんだい?」
驚く面々の中で、一番冷静と思われる昴が彼女に問う。
「シアターの支配人という形で残留するわ。シアターの経理、事務、サニーの秘書的な役割も含め」
ラチェットがちらりとボクを見る。
既にそれについてはボクとラチェットで話し合い、その方向で話を進めていた。
「なるほど。確かにそれならおかしくはないな。君はサニーサイドより優秀だしね」
さりげなく酷い事を言われた気もしたが、それが彼女と付き合いの長い昴なりの気遣いなのだろう。
「昴は言った…僕はラチェットの意見に賛成する。どんな形であれ、彼女が望んだ事なら従うべきだ、と」
「ありがとう……昴」
「で、君たちはまだ詮無き問答を繰り返すのかい?それとも決意の理由まで彼女に言わせなければ気がすまない?」
そう言われてしまえばサジータとて黙るしかない。
彼女が舞台を降りる決意をした理由は誰よりもここに居る人間がよく知っている。
「あの…ラチェットさん」
空気を読めないような間の抜けた声で大河が呟く。
昴は彼を鋭く睨みつけたが、彼は気付かないのかラチェットを見て言った。
「ぼく、ラチェットさんの舞台を見れて、凄い感動しました。だから、あの…上手く言えないんですけど」
「大河くん…」
「ぼくがここに居れるのはラチェットさんのおかげです。素敵な舞台を見せてくれて本当にありがとうございました、そしてお疲れ様でした」
「ありがとう…大河くん」
彼の言葉にラチェットは優しく微笑む。
「…他のみんなも納得してくれたかい?」
ラチェットの身体がかすかに震えているのを見てその場をまとめるように言うと
「……仕方ないな。お疲れ様、ラチェット」
「ラチェットさん、お疲れ様でした!ボクも、いつかラチェットさんみたいなスターになれるように頑張ります」
「……お疲れ、ラチェット。これからも、よろしく頼むよ」
サジータの拍手にみんなの拍手が重なる。
「ありがとう…みんな」
「…じゃあ、そろそろ稽古を始めようか。ラチェット、書類の整理を手伝って欲しいから支配人室に来てくれるかい?」
「え、ええ…わかったわサニー…サジータ、昴。稽古頑張ってね。ジェミニもお掃除お願いね」
そそくさと楽屋を出て行くラチェット。
「じゃあ、次の公演もよろしく頼むよ」
片手をあげて挨拶をし出て行こうとすると、ふと昴と目が合う。
昴はボクを見つめたまま『さっさと追いかけろ』と言わんばかりに軽く顎をしゃくった。
…自分で慰めないところが昴らしいというか。
苦笑しながら楽屋を出て彼女を追いかける。
彼女はテラスの支柱に手をついて、鼻をすすらせていた。
背を向けているので顔は分からないが、きっと見られたくないだろうと少し遠くからその背中に声をかける。
「…ボクの胸でよければ貸そうか?」
「貴方がそんな事を言うなんて。私にどんな頼みごとをする気かしら」
涙声だが、彼女はふふっと笑う。
「ひどいなぁ。ボクはそんなに信用ないかい?」
「貴方が優しそうな物言いをするときには絶対裏があるもの。…素直に信じたら馬鹿を見るわ」
「じゃあ一つ頼みごとをしてもいいかな。今夜のディナーを一緒にどうだい?その代わり、ボクの胸を今だけ貸すってことで」
「…いいわよ。じゃあ…ちょっとだけ、借りるわね」
くるりと振り向くと、ラチェットがボクの胸に飛び込んでくる。
「よしよし、お疲れ様ラチェット」
そう言いながら彼女の長い髪を撫でると彼女がむすっとした声で呟く。
「……子供扱いしないでよ」
「泣くときくらいは子供に戻ってもいいんじゃない?人は誰しも泣きながら生まれて来るんだしさ」
「…見てなさい。今日の夜はとびきり着飾って貴方がよろめくくらいの女性になってやるわ」
「もう十分よろめいているよ、ラチェット」
「バカね…そういう台詞は夜までとっておくものよ…」
「ははっ、それもそうだね。これは失敬」

女優には二種類の終わりがある。
自らの意思で美しいまま降りるもの、老いて降りるもの。
ブロードウェイの女王は舞台から自らの意思で降りた。
…いや、厳密に言えば彼女の意思ではないのだろう。
だが、美しいまま舞台を去った彼女は永遠に語り継がれるだろう。
それが人気の絶頂に突然であればあるほど伝説化され神格化される。
…そういう世界だ。

「……っ」
敵を仕留めそこなった大河を見て、彼女が思わず身を乗り出しかけた。
エイハブの中から、副司令として星組の戦いを見つめる彼女は時折もどかしそうに拳を握りしめる。
舞台と同じくらい、いやそれ以上かもしれない。
彼女の存在意義であった戦いに加われないもどかしさ。
星組の隊員の前では決して見せないけれど、彼女がそれを感じているのは知っていた。
戦うための霊力を持たないボクには理解出来ない感情ではあるが、なんとなくはわかる。
「ラチェット」
司令の椅子から立ち上がり、彼女の傍へ行く。
ワンペアは操縦や砲台の管制にまわっていて、部屋に居るのは二人きり。
「…彼らを信じよう。きっと、大丈夫さ」
握りしめた拳を自分の手で包み、開かせる。
「そうね…」
ブロードウェイでも戦いの世界でも天才と呼ばれた少女は、大人になりただの女性になった。
だが、彼女の輝きは決して失われる事はない。
「キミの人生はまだ長い。約束してくれるかい?これからは普通の女性として生きてくれると」
彼女は答えの変わりに、ボクの手に自分の手を重ねた。

END




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