桜島公共交通資料館

バス概歴


町営バスは昭和14年から運行しており、65年の歴史があります。その歴史は自然の厳しい 桜島において、決して平坦な道のりではありませんでした。 現在でこそ、鹿児島市に乗り入れて垂水市側の接続点である黒神口まで足を伸ばしていますが 昭和21年には大噴火があり、その前後に台風災害も起きています。 一般的な乗合路線としては 袴腰の桜島港から県道26号線に沿って鹿児島市の黒神口まで走る路線と 港から南側は国道224号線で鹿児島市との 境界に近い桜島病院まで行く路線の2つがあります。なお袴腰から黒神へ行こうとすると 必ず東白浜で乗り継ぎが必要です。また、町営バスの黒神口バス停と後述の大隅交通の 桜島口は、路線こそ接していませんがわずかしか離れておらず、 徒歩3分程度ですのでバスでの桜島一周も可能です。

南回りの国道224号線には古くから国鉄バスの桜島線が走っていました。この道路は昭和28年に 国道に指定されていますが、バス路線は戦時中の昭和19年12月12日に、垂水−袴腰線として 開通しています。大隅半島ではすでに昭和10年10月に省営バスが古江−隼人に開通しており、 1日4往復していました。島内の路線はフェリーと連絡して1日13往復、90銭の運賃で走りました。

フェリーが走り始めてから大隅地区を走る省営バスをなんとかして袴腰まで乗り入れしてもらおうと 陳情を繰り返していましたが、そうこうしているうちに太平洋戦争が始まります。 当時、門司鉄道管理局では長崎地区の路線と袴腰線の2つが申請されていましたが、 申請事由に”観光”の文字があり、時局柄不許可に終わりました。しかし、以前から フェリーに関心を持っていた鹿児島県知事が出張時に フェリーで公用車を運ぶことを試み(それまで知事はフェリーに乗るが、クルマは陸路加治木・福山経由で 先回りして桜島側で待っていた)、これが経済的だったことから友人である門鉄局長にかけあって 許可が出た、という話が残されています。しかし、開設当時、のちの国道224号線は赤水−有村において、 地形図で見る限り幅2m未満の小道しかなく、自動車が通れるようになった、との記述は 散見されますが、離合などかなり難しかったのではないかと思われます。

戦後の昭和27年には大隅半島の牛根二川から輝北町百引までの 路線も開設され、これと直通する形で11月から袴腰(現在の桜島港)からバスが出るようになりました。 昭和21年の噴火以降、一部区間が不通のため、どのような経路をとったのでしょうか...。 また当時は国鉄古江線も鹿屋市の古江までしか開通していません(36年に海潟、 47年国分まで全通=大隅線)。 海潟(温泉)まで開通すると鉄道とバスがネットワーク化され、 当然としてその接続の便宜が図られたと思われますが、詳しい資料を持っていません。

国鉄バス国分線は鉄道路線の大隅線全通後も存続し、支線を数多く持っていたことでも有名です。 昭和62年3月に大隅線が廃止されると、桜島口で転換バスと路線を接続する形で 桜島港から鹿児島空港や垂水までJRバスが出ていました。 また島内だけの便でも桜島口での乗換えの便が図られ、垂水中央、鹿児島空港行きとの相互接続が 図られ通し運賃で利用できる、という特色がありました。

JR九州のバス路線として引き続き運行されてきましたが、 1999年に地元企業であるいわさきグループのバス部門、鹿児島交通に路線が引き継がれます。 しかし、乗り継ぎの便が悪くなったほか、通し運賃制度も廃止になりました。 さらに空港リムジンバスを統合するための布石と独占禁止法との絡みもあって、 2004年にグループ内で分社化され、大隅交通ネットワークの路線となっています。


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