九州地区:過去の写真

急行列車編



寝台急行霧島

寝台特急なはの増発列車として90年から96年まで運転された臨時急行です。 95年春以降はきりしまの名称が日豊本線の特急列車として使われたために ”桜島”と改称しました。長期連休の他、土日連休のような日にも設定され、 これは92年11月の23日ごろの連休に運転された列車だったように記憶しています。 なお、当時の西鹿児島駅ホームの発車案内はタイマー式の回転行灯だったため、 夕方になると”金星 名古屋行き”や”霧島 新大阪行き”の表示が現れ(どちらも1656発だったような)、 いつ来るのだろうか、と来るはずのない列車を待っていたことも記憶に残っています。
92年11月鹿児島運転所


急行かいもん

93年春にドリームつばめに格上げされるまで走った九州島内の夜行列車。バックサインは 開聞岳の麓に咲き乱れる菜の花をデザインしています。最近、運転会でその幕(1分の1)を 目にすることができましたが、色使いも丁寧な美しいデザインで、間近にじっくり見た人々からも 感嘆の声が漏れていました。残念ながらさよなら運転以外にヘッドマークは取り付けられませんでしたが、 末期までティーサーバーが設置されたり、グリーン車用のリクライニングシートがすえられたり、と テコ入れが行われ、高い利用率を記録していました。現在はドリームつばめもなくなり、 熊本以北にはそのスジを利用した早朝・深夜の有明号が設定されるのみとなりました。
93年2月西鹿児島


急行日南

急行かいもんと双璧をなす日豊本線経由の夜行列車で、かいもんとともに門司港発着でした。 西鹿児島−宮崎は普通列車扱いで運転され、運転時間も長く、寝台ではよく眠ることができたのでは ないかと思います。やはり93年に廃止。現在は九州内に唯一残る夜行列車ドリームにちりんとして 783系で運転されています。
92年10月鹿児島運転所


えびの旧色

昭和34年5月に、準急くまがわに遅れること一ヶ月で登場した準急えびのは熊本−宮崎の 都市間輸送列車としての使命を与えられました。昭和35年には博多延長となり、 さらに翌年には西鹿児島行きも登場。吉松駅で宮崎行きえびのは西鹿児島行きを解放する かわりに出水からの準急からくにを併結して宮崎へ向かう運用も行われました。 昭和41年に急行列車へ格上げ。49年には特急おおよどに1往復が格上げとなり、80系気動車が 使用されますが、日豊本線全線電化の翌年の昭和55年にはおおよどが廃止となり、 同時に熊本−宮崎のみの運転となり、元の鞘に収まっています。 平成元年から4年ほど再び快速列車で博多乗り入れが復活し、そのとき撮影したのが熊本駅 1番のりばに入るこの写真です。その後、平成7年には宮崎−都城が快速へと格下げになっています。 昭和63年頃からこの急行色となって車内もボックスシートから改善されて 運転されていました。
93年2月熊本


えびの最終状態

ヘッドマークは変わっていませんでしたが、93年2月(上の写真を撮影して一週間ほど後)には ブルーの新カラーの”九州新急行色”の車両が登場し、順次塗り替えが行われました。 アピール文字は宮崎のシーガイアとなっています。シーガイアは 総合保養地域整備法(いわゆるリゾート法)によって宮崎県が立案し法律の初適用を 受けたリゾート施設です。紆余曲折があったのはみなさんの記憶にもあると思いますが、 車内までは特に変化はなく、シーサイドライナーとの車両交換があったりして、 SSLのロゴが残ったままの車両も見受けられました。元グリーン車用の座席を使用した車両は、 信じられないくらいリクライニングして、半分寝そべっているような感じに なったのを覚えています。00年3月改正で廃止となり、3往復が抜けた人吉−吉松は 普通列車1往復が増発されたのみで、同区間の存在意義が大いに議論されたこともありました。 新幹線開業と同時に立派な観光資源として再生されたのは記憶に新しいところです。


くまがわ旧塗装

門司港−人吉に昭和34年に登場した急行列車で、上のえびのの他、やたけ、からくに、 ゆのまえなど、球磨・北薩地方をネットしていた急行列車の一員です。その中で 唯一生き永らえてきました。湯前や吉松(普通列車で延長)に乗り入れていた時期や、 熊本で進行方向を変えて豊肥本線水前寺まで乗り入れていたこともありましたが、 最終的には熊本−人吉の県内急行として落ち着きました。4往復が運転されていましたが、 00年3月にえびのが廃止になるとそのうち2往復を吸収し、全国で最も多い6往復へと 膨れ上がりました。しかし、新幹線開業の際に特急へと格上げされて、九州内から 急行列車は消滅しました。
93年2月熊本


くまがわ最終塗装

えびのなき後のくまがわはもはや宮崎県内に乗り入れないのでシーガイアのロゴは 外され、ローマ字で列車名が入れられた装いに改められました。ヘッドマークも 貫通扉に椿と球磨川の流れをデザインしたものにほぼ統一されていたようです。 上の写真にある助士側にかけられている大きなヘッドマークは球磨川下りをイメージしたもので、 その他にも、球磨連山と球磨川、球磨川くだりの船頭と人吉城など15種類ちかくが 用意されていました。それらは熊本クラフトセンターの社員が作成された、とのことです。


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