特急有明

787系走行線区

特急有明略史

新幹線が昭和39年に新大阪まで開業すると、新大阪で新幹線から接続を取り、 九州へ向かう旅行客が増えました。昭和43年10月の改正で本州との連絡を取る特急のほかに、 九州内の特急として有明が設定されます。45年には鹿児島本線が全線電化され、 電車特急となり、門司や博多から西鹿児島まで乗り入れる急行かいもん、熊本行きの急行火の国などと ともに走りました。

昭和55年から急行列車が特急に吸収される形で格上げされるようになると 有明も本数が増え始めます。その後の一大転機は昭和61年11月の改正で、 博多‐熊本に開通した高速道路を利用する高速バスとの競争の構えを見せて、 ”待たずに乗れるL特急”を合言葉に短い編成(3両編成も出現)で大増発(+10往復で 25往復)をされました (この改正前後で登場した車両の解説は、特急きりしまのページを参照のこと)。

さらには、熊本駅が市街地から遠いことから、昭和62年4月(JR発足時)より 市街地に直接乗り入れる高速バスに対抗して、 市街地の近くを通る豊肥本線の水前寺まで乗り入れが開始されました。 当時、豊肥本線は非電化でしたので、ディーゼル機関車であるDE10の後ろに 貨物列車用の車掌車を改造した電源車を連結して乗り入れ。

民営化後も昭和63年12月に、新型特急車両である783系をいち早く投入しました。 平成4年の改正で、西鹿児島まで行く特急列車は有明から名称が分離され、”つばめ”となり、 有明は、熊本から北での運転となり、熊本‐博多ではつばめと有明が交互に 30分毎に発車するダイヤとなります。さらに、つばめは主要駅にしか停車しない速達特急、 有明は小さな駅にも停車する、以前の急行タイプの列車として役割が分担されるようになりました。 平成6年には早くも新型特急車両である783系に使用車種が統一され、485系が 運用を離脱。同時に水前寺乗り入れが 廃止となりました。

787系登場後

その後、99年3月改正からは、熊本‐博多で、日本最初の特急列車20分ヘッド運転が開始され、 有明が1時間に2本、つばめが1本という運転体系となりました。 99年10月には豊肥本線が肥後大津まで電化され、特急電車も機関車に引っ張られる必要が無くなり、 直接水前寺まで乗り入れが可能となります。

それに先立ち99年3月改正では、まもなく福岡都市高速道路と九州自動車道大宰府ICが連結されるようになり、 高速バスがスピードアップされることを念頭に入れる必要がありました。 従来つばめに投入されてグレードの高さで人気のある787系120両を、全て6両編成と7両編成に 組替えることになりました。まず99年度は抜き取った中間電動車2両にクハ787-0(定員60)とクロハ786を 6両ずつ新製4連6本を揃え、博多−熊本の特急20分ヘッド運転を開始しました。この結果、 従来使用されていた783系は長崎・佐世保線系統へ転出することになり、485系を置き換えて 2000年春から先頭車化改造を施すなどして活躍し始めました。そして、鹿児島本線系統の 特急電車は787系に統一されました。

翌2000年春には余剰となっていたモハユニット5本に余剰となっていたサハ6両のうち5両を 先頭車化改造(サハ787-100定員64→クハ787-100定員56)し、追加で新しく作られたクロハ786と組み合わせて、 さらに4両編成を追加しました。

車内はクハ787に関しては 当初は博多‐熊本を主要な舞台として水前寺まで乗り入れるほか、1往復が肥後大津、最終列車や 始発列車が八代、水俣発着でした。

2001年改正では、日豊本線のにちりんが小倉どまりになり、その穴を埋める形で、有明の8往復が、 博多から小倉まで延長運転されることになっています。

787系の4両編成には”ありあけ”のロゴがつき、つばめとの区別をしていますが、 つばめの利用者が多い場合、6両編成や7両編成の後ろに連結され、10両編成や11両編成で 西鹿児島まで運転されることもありました。

2004年3月からは博多−新八代の特急リレーつばめ号が1時間2本となり、有明は 1時間1本となっています。

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