特急くまがわ

車内

特急くまがわ走行線区

特急くまがわは肥薩線経由で熊本−人吉を結び、途中新八代で新幹線と接続しています。 歴史は古く、昭和34年4月1日に準急くまがわとして門司港−人吉にデビューしたのが ルーツです。5月1日には熊本−宮崎の準急えびの、40年11月1日からは 熊本−西鹿児島の準急やたけが運転を始めました(下りのみ豊肥線阿蘇始発)。当時、都市間連絡の急行列車が 多かったのに対し、人吉という当時としては中途半端な位置で発着する列車が 設定されたのは、地元が利用債を引き受けたからです。そのためもあって1往復のみの設定で、 やたけ、えびのの補完的な位置づけでした。3列車はそろって昭和41年3月に 準急から急行へと格上げとなります。

その後、やたけは昭和53年10月改正をもって廃止。 えびのも出水−水俣−山野線経由宮崎行きの単行急行からくに(昭和37年2月準急で登場、 昭和41年3月急行格上げ、昭和45年10月快速格下げ名称消滅)を連結した時期もありましたが、 最終的には都城−熊本(宮崎−都城は快速)の運転となっており、 2000年3月11日改正をもって廃止となっています。面白いのは一時期西鹿児島行きの えびのが連結されており、前2両が西鹿児島行きのため吉松で開放、その代わりに からくにを連結して宮崎へ向かっていたそうです。

くまがわは昭和40年10月から 下り列車が湯前まで延長運転されるようになります。その後、昭和55年には特急有明の増発などに 伴って特急おおよどの廃止と同時に門司港−博多が廃止となり、博多−人吉の運転となります。 国鉄末期には1往復ながら博多−熊本を 快速列車、そして湯前線にも乗り入れ、人吉−湯前を普通列車で運転していました。

1989年3月改正より1日4往復に増発され、その後11年ほどの安定期になります。 運転区間は時期により曲折があり、水前寺や湯前に乗り入れた時期もありました。 2000年3月11日改正で急行えびのが廃止になったことを受けて比較的利用者の多かった 人吉−熊本において本数を確保するために6往復体制となり、これが新幹線開業まで 続きます。すでに急行列車の本数自体が国内で数えるほどになっており、その中で 最多本数であったため注目されます。

しかし、新幹線開業とともに特急列車に格上げとなり、 一部は九州横断特急に吸収される形で特急くまがわとしてキハ185系が活躍するようになりました。 現在特急くまがわは2.5往復、九州横断特急が3.5往復運転されています。

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