「Fairy Tale」

最初は、一通のメールからだった。

送り主は僕のホ−ムページの常連さんの女の子。
大学生活の暇に任せて作った、はやらない僕の創作音楽のサイトに
足繁く通っては掲示板に感想や意見をいろいろ書き込んでくれる人だ。
メールの名前が掲示板でのハンドルネームと同じだったので
彼女からのメールなのはすぐにわかった。
だが、内容は不可解なものだった。
「こんにちは、メールでははじめまして。」

当たり前の書き出し。差し障りのない季節の挨拶。
そして続くのは、奇妙な「お願い」。

「突然ですが、私の兄になってはいただけませんか?」

本当に突然だ。
掲示板で意見交換をしたりして、頭の中におぼろげではあるが
彼女がどんな人なのかという人物像をある程度は持っている。
だが、それはこちらの勝手な想像でしかない。
そして、それは彼女の方も同じだろう。
つまり、お互い相手のことをほとんど知らない。
いや、そもそも「兄になってほしい」という
その理由がこのメールには書かれていない。

戸惑いながらも、僕はメールを返信する。
「詳しい事情がわからないので、よかったらチャットでお話でもしませんか?」
幸い、自分のサイトにチャットルームを設置してあったので
チャットを希望する日時を指定したメールを送信して
その日は床についた。

「バッカ、そりゃヤベェって絶対」
翌日。大学の友人に事の顛末を話すといきなりこう言われた。
「・・・そうかな」
「そうかな、じゃねえよ、まったく。そういうのは、だいたネカマか、怪しい勧誘か、電波ちゃんに決まってんだよ」
そうだろうか。掲示板の書き込みを見る限りでは、まだ幼い感じの、素直な女の子という印象しかないのだが。
「うーん・・・そんな感じはしないんだけどなぁ」
「呑気だなお前は・・・いいか、チャットとかで余計な個人情報とか喋んなよ?」
「そこまで迂闊じゃないよ」
「どうだかな・・・ま、そういうちょっと抜けてるところがお前らしいっちゃお前らしいんだけどさ」
「まあ、注意はするよ。ありがとな」
やれやれといった顔の友人と別れ、帰途についた。

家につくと早速パソコンを起動する。
彼女からの返事を心待ちにしている自分に気が付いて苦笑しながら
メールソフトを立ち上げると、新着メールが一件。
「チャットの件、了解しました。その時間にお伺いします」

そして、約束の日。
滅多に使われないチャットルームだけど
二人っきりでなければ話しにくそうなことに思えたので
入室人数を二人に制限して中で待つことにした。
30分前。・・・早すぎたかな。
彼女がやってきたのは結局待ち合わせの5分前だった。
「こんばんは」
・・・返事がない。
使い方がわからないのだろうかと思い
説明しようとした矢先に、彼女が応えてくる。
「こんばんは」
さて、なんと続ければいいのだろうかと悩んでいると
「あまりキーボードを打つのが早くないので、ゆっくりでごめんなさい」
そういえば、あまりパソコンに詳しくないと言うようなことを掲示板にも書いてたっけ。
「気にしないで。二人だけだから、ゆっくりでいいですよ」
こうして、のんびりしたチャットが始まった。

「今回は、突然変なお願いをしてすいませんでした」
・・・やっぱり、変なお願いだという自覚はあるのか。
「いえいえ。それより、その理由をよかったら聞かせてもらえますか?」
しばらく、無言が続く。
「深い意味はないんです。ただ、貴方みたいな人がお兄さんだったらいいなあ、というだけです」
「でも、お互いよく知らないでしょう?僕の方が年下かもしれないですよ?」
「ホームページの自己紹介欄を見ているので、それはないです」
あ、そういやそうか。
「でも、どうして僕にお兄さんになってほしいの?」
「ダメでしょうか」
「ダメ、というわけではないけれど・・・理由もわからないし、お兄さんになってどういうことをして欲しいの?」
「理由は、貴方が優しそうな人だったからです。アップされている音楽を聴いてそう思いました」
うーん・・・それだけで僕の性格がわかっちゃうんだろうか・・・
「特に何かして欲しいということではないです。ただ、ちょっと甘えてみたいだけです」
その後、彼女は訥々と自分のことを語り始めた。

まだ15歳ということ。一人っ子なこと。割といい家のお嬢様な事。
母親はいないこと。厳格な家庭であること。親しい友人がいないこと。
パソコンは最近ようやっと許可が出て買ってもらったこと。
家でも学校でも・・・孤独なこと。

まだ15歳という年齢にも関わらず、誰に甘えることもできない。許されない。
そんな境遇の彼女が、覚え始めたネットサーフィンでたどり着いたのが
僕の音楽サイトだったこと。アップしてあった音楽に感動してくれたこと。
感動のあまり、初めて掲示板に書き込みをしたこと。
その掲示板での、当たり前の僕の対応が・・・嬉しかったということ。

だんだんと熱を帯びてくる彼女の語り口に、僕は気づく。
この子は、ただ寂しいんだ。話を聞いて、甘えさせてくれる誰かにいてほしいだけなんだ。
うまく感情をあらわせない彼女が思いついた表現が
「兄になってください」という、ちょっと変わったお願いになってしまったけれど
それはもう僕には気にならなかった。

「ごめんなさい。私ばかり喋ってしまいました」
一気に語り終えたところで我に返ったようだった。
「いや、気にしないで。それで・・・君のお兄さんになる件だけど・・・」
少し間をおいて彼女が答える。
「はい」
きっと、緊張しているのだろう。
拒む理由はない。いや、むしろそんなことでこの寂しがりの少女を慰めてあげられるなら・・・
「僕でよければ、喜んで」
「本当ですか?ありがとうございます!」
また少し、返事に間があったのは僕の答えを読み返しでもしていたのだろうか。
そんなことを想像していると、なんだかこちらも嬉しくなってくる。
「うん・・・具体的に、どういうことをしてあげればいいのかわからないけど」
「ええと、今みたいにお喋りにつきあっていただければ嬉しいです」
それは、今やっていたようなことをこれからも続けたいという
ただそれだけのことだった。たったそれだけの、ささやかなお願い。
「うん、それぐらいならお安いご用だよ」

「では、これからもよろしくお願いしますね、お兄様」
・・・お兄様・・・なんだか、恥ずかしいな・・・
「君のことは、何て呼べばいいのかな?」
「私は・・・和美です。ハンドルネームじゃない、本当の名前で呼んでほしいです」
ネットでつきあいのある人は結構いるけれど
本名を知っている人はいないし、僕の本当の名前を知っている人もいないだろう。
そういう意味では、彼女は僕にとって特別な存在になりそうだった。

「不公平だから、僕の名前も言っておくよ。僕は慎二っていうんだ」
「ありがとうございます、慎二さん・・・でも、やっぱり、お兄様、と呼びたいです」
「うん、それでいいよ」
まだちょっと・・・恥ずかしいけれど。
「じゃあ・・・和美、これからも、よろしくね」
「はい、お兄様」
こうして。僕にはネットの中だけの妹ができたのだった。

和美とネット兄妹になって2ヶ月ほどが過ぎた。
学校のこと。家で起きたこと。ネットで見つけた面白い物。
他愛もない話をチャットで繰り返すうち、あることに気づく。
和美の世界は、おそろしく狭い。
ただひたすら学校と家を往復しているだけの毎日。
休日にどこか出かけることもない。
ただネットだけが、彼女の世界を広げている。
・・・こういうのって、良くないんじゃないだろうか。
僕だってそんなに出歩く方じゃないけれど
それでもアルバイトをしたり遊びに行ったり時には友人と酒を飲みに行ったりする。

家が厳しいとか色々大変なのはわかるけど
もっと自分の世界を広げてみてほしい。
楽しいことが、綺麗な物が、沢山あるのだから。
それを知って欲しくて
ある日、思い切って和美にそう言ってみた。

しばらく、和美は黙っていた。
「篭の鳥が」
「え?」
突然、意味の分からないことを言われ、思わず聞き返す。
「1日だけ籠から出られても、また籠に戻されるなら、出ない方が幸せなんじゃないでしょうか」
自分が・・・篭の鳥だと、そう言いたいのだろうか。
つかの間の幸せなら、知らない方がいいということだろうか。

そんなことはない。そんなことは、ダメだ。僕は反論する。
「鳥には翼があるじゃないか。大人しく籠に戻されないで、飛んで逃げてしまえばいいんだよ」
「飛び方も知らないのに?」
「それぐらい、お兄ちゃんが教えてあげるぞ」
また少し黙ったあと、和美が答える。
「そうですね。いつか、お兄様に飛び方を教えてもらうかもしれません」
そうは言ったが、僕にはわかった。
和美はもうとっくの昔に、籠から出ることを諦めていたのだ。

「それよりお兄様、私もうすぐ誕生日なんですよ」
「え、そうなの?いつ?」
突然切り替わった話題に、ちょっと驚かされる。
「来月の12日で、16歳になります」
「そうなんだ・・・何かお祝いしなくちゃね」
とは言ったものの、ネットのつきあいでどんなお祝いができるのか。
プレゼント一つ送ることもできないし・・・
「ありがとうございます。今から楽しみです」
う、プレッシャー。
こりゃ何か考えないと・・・

とりあえず、自称女性経験豊富な友人に相談してみた。
「ああ?お前のサイトで知り合ったんだろ?じゃ、何か曲書いてやれば?」
「おお!ナイスアイデア!サンキュー!」
早速家に飛んで帰る。
どんな曲がいいか、頭をフル回転させながら。

そして和美の誕生日。
試行錯誤を繰り返して、なんとか前日に曲は完成していた。
喜んでくれるといいんだけど・・・
いつものように、二人っきりのチャットの時間。
和美はいつものように5分前にやってきた。
「誕生日おめでとう、和美」
「ありがとうございます、お兄様」
「実は、和美にプレゼントがあるんだ」
「プレゼント?でも、どうやって?」
「メールで送るから、添付ファイルを開いてみて」
用意してあったメールの、送信ボタンをクリックして、少し待つ。
「届いたかな?」
「はい、届きました。これは、なんでしょうか」
「ダブルクリックしてみて」
「はい」
それからしばらくの間、和美は黙ったままだった。

「素敵です!新しい曲ですね、お兄様!」
よかった。気に入ってくれたようだ。
「うん。和美のために書いた曲だよ。サイトにアップもしてない。君だけの曲だ」
「うわー・・・ありがとうございます!この曲、なんてタイトルですか?」
「Fairy Tale 。お伽噺、ってとこかな。和美は、そういうのが好きだったから」
「わあ・・・嬉しいです、とっても・・・あの、これ携帯の着信にも使えますか?」
「ああ、着メロ用に変換したのもあるから。ちょっと待って」
適当なアップローだーにデータを置き、和美にアドレスを教える。
「できた?」
またしばらく、応答が止まる。
きっと慣れないことで悪戦苦闘してるんだろうな。
「はい、できました!これ、私だけの着メロなんですね」
「うん、そういうこと。使ってくれれば、僕も嬉しいな」
「ずっと使いますよ!私、もうずっと機種変更しないです」
苦労したけど、その甲斐があったなぁ。

「お兄様、今日は本当に、ありがとうございました。それで・・・」
「何?」
「それで・・・私、お兄様に謝らなければならないことがあります」

謝るって、なんだろう。
今までも、ちょっとした口げんかは何度かあったけれど
すぐにどちらも謝って仲直りしてきた。
でも、最近は喧嘩とかなかったけど・・・
「私、今日でお兄様とお別れしようと思います」
「え・・・どういうこと?」
「こうしてお兄様とお話しするのも、メールもサイトや掲示板にお邪魔するのも、もう、お終い、です」
突然だ。突然すぎる。それも、よりによってこんな日に・・・
「ちょっと待って。どうしたの急に?何か事情があるんならちゃんと教えてよ」
「今まで黙っていてごめんなさい。でも、前から決まっていたことなんです」
一呼吸、二呼吸おいて、和美は続けた。
「私、もうすぐ結婚するんです」

「結婚って・・・君はまだ16じゃないの?」
「はい。16歳になれば、女子は両親の同意があれば結婚できます」
そういえばそうだけど・・・
「父がもう、ずっと前に決めたことで、私は16になったら、さる家に嫁ぐことに決まっていました」
「待って。ちょっと待って」
父親が・・・決めたから?そんな理由で、16になったばかりの子が・・・結婚?
そんなアナクロな世界がまだあるんだろうか。
腹立たしさを覚えながらも、和美に問いただす。
「君はそれでいいの?相手の人のこととか、どう思ってるの?」
「まだお会いしたことはないんですけど、いい方だと伺っています・・・ちょっと、お年が離れてますけど」
・・・ダメだ。何とか和美に思いとどまらせなくては。
だけどなんと言って止めればいいのかわからなくて。
気ばかり焦って何も書き込めないまま、モニターを見つめていた。
「嫁いでしまえば、きっと今より・・・自由はなくなると思いますので、区切りの今日、お別れしようと思いました」
楽しい誕生日にしてあげるつもりだったのに
僕はただ、モニターを見つめながら泣いているだけだった。

独り言のように
和美の送り続ける文章がモニターに流れていく。
「前にお兄様に、私は籠の中の鳥だと申し上げましたね」
・・・僕はそこから・・・君を出してあげたかったんだ・・・
「籠から出ることはできませんでしたけど、お兄様は、籠に窓を開けてくれました」
・・・窓?
「お兄様が開けた窓から覗く外の世界は・・・私には手の届かない、おとぎ話の世界のようでした」
・・・手は届くんだよ・・・手を伸ばせば、そこにあるんだよ・・・
「お兄様が書いてくれた曲と同じですね・・・短い間でしたけど、いい夢をみているようでした」
・・・そこにあるから・・・僕が連れて行くから・・・
そう言えば。そう言えれば。
でも指は動かなくて。何も言葉を送れないまま。和美の別れの言葉が締めくくられていく。
「突然勝手にお兄様になってもらったのに、我が儘言ってごめんなさい」
最後に一つだけ。どうしても聞いておきたくて、僕は必死に指を動かす。
「僕は・・・いいお兄ちゃんだったかな」
「お兄様は・・・私のたった一人の、世界一素敵なお兄様です。今までも、これからも、ずっと・・・」

その日を境に和美は二度と僕のサイトには現れなくなった。
メールを送ってみても、戻ってきてしまう。
そうこうするうちに、僕も大学を卒業し、就職して、サイトの更新もままならなくなってきた。
それでも、このサイトだけが、今は僕と和美を繋ぐ唯一の場所だと思うと閉鎖もできなかった。
ただ日々だけが無為にすぎていく、そんな気がした。

ある日、急病で入院した友人の見舞いに大きな病院にいったときのこと。
疲れて帰りをタクシーにしようと、乗り場で待っているとき。
聞き覚えのある曲。
僕と。和美と。二人だけしか知らない、あのメロディ。
Fairy Tale 。
僕の前に、赤ん坊を抱いた若い女性・・・女の子といってもいい・・・がいた。
苦労して、着メロを鳴らし続ける携帯を、あの曲を奏で続ける携帯を取り出している。
・・・今、幸せかい、和美?僕はまだ、君のために窓を開けているよ。
君のおとぎ話は、まだここで君を待っているよ。
いつか、君が帰ってくるまで、お兄ちゃんはずっと、ここにいるからね・・・

(Seena◆Rion/soCysさん 作)

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