妹が、死んだ。
大学で講義を受けている最中に、突然携帯に着信があった。
父からだった。
妹の聡美が、救急車で運ばれたと言う。
急いで病院に来いと言う。
驚きのあまり、何か俺の感覚は麻痺してしまったようで
絞り出すようにしゃべる父に
俺はただ、生返事を繰り返すだけだった。
あまりに突然のことで、信じられなかった。
病院につくまで、雲を踏んでいるような感じだった。
病室に駆け込んだときには
聡美はすでに意識がなかった。
そして、そのまま帰らぬ人となった。
それから1週間ほど
あわただしく時は過ぎていった。
父は悲しみをこらえようと必死だった。
葬儀にやってきた聡美のクラスメート達は皆悲痛な面もちで
中には泣き崩れてしまう女の子もいた。
周囲が悲しみに染まる中で
俺は何故か、悲しみを感じていなかった。
ただ、とてつもない喪失感と虚脱感だけが俺を支配していた。
一通りの儀式が終わっても、俺は抜け殻のようになったままだった。
何かしようという意欲はまったく沸かないが
それでも、無理矢理日常に戻っていかねばならない。
父はまた仕事に出るようになり
俺もまた大学に足を向けた。
大学の門をくぐる。
ふと、聡美の言葉を思い出した。
「来年は、一緒に行けるように頑張るからね」
いつも、俺のあとをついてきていた。
高校も俺が進学したところを1年遅れて受験し
俺と同じ学校に通うのが本当に嬉しそうだった。
来年の春には、一緒にこの門をくぐれたはずだったのに。
門の下で、俺は泣いていた。
誰に見られようと、なんと思われようとかまわなかった。
奇異の目を向けながら通り過ぎていく人達の中に
一人、俺の前で立ち止まる影があった。
「吉川くん・・・・」
声をかけてきたのは、相田だった。
相田純。同じサークルの、同学年の女の子。
恋人ではないが、女友達としてはかなり親しいほうで
家も近いので・・・聡美のことは知っていた。
「吉川くん、ここじゃ・・・ね?」
泣きじゃくる俺の肩にそっと手をおき
抱き寄せるようにして俺を校門から少し遠ざける。
俺はただ泣いているだけで答えることもできない。
そのまま相田に誘われて、植え込みの縁石にしゃがみ込む。
その隣に、相田もそっと腰を下ろし、ただ黙って俺を抱き寄せた。
ぽとり
ふと、うなじに熱く滴る感触に気づいた。
体を起こす。
相田もまた、涙を流していた。
そのまま、二人肩を寄せあって泣いていた。
どれほどそうしていただろうか。
ひとしきり泣いて落ち着いてくると
子供のように泣いていたことが気恥ずかしく思えてきた。
「ごめん・・・その、みっともないとこ見せちゃったな」
「ううん・・・みっともなくなんか、ないよ」
少し気まずかった。
「その・・・なんで相田は泣いてくれたんだ?聡美のことは、そんなに良くは知らなかっただろ?」
相田はサークルの活動の相談のために何度か家に来たことがある。
聡美とも顔を合わせて、挨拶ぐらいはしているだろうが、それ以上の関係はなかったと思う。
そんな赤の他人のために、涙を流せるものなのだろうか。
「・・・ごめん、たぶん・・・聡美ちゃんのために泣いたんじゃないと思う」
「え?」
「泣いている貴方を見てたら・・・すごく悲しくなって・・・だから・・・」
相田の手が俺の顎に伸び、気が付けば俺は彼女にキスされていた。
時間が止まったような気がした。
目をつぶった相田の柔らかな唇が、俺の唇にそっと重ねられている。
やがて、ゆっくりと唇は離れていく。
「今・・・わかったわ・・・・・・」
「・・・何が?」
「私・・・貴方が好き・・・だから・・・貴方が悲しんでいると、私も悲しくなるのよ」
「それは・・・ただ同情してるだけじゃないのか?」
「同情だけで・・・ファーストキスはあげられないよ・・・」
何か思い出したようにパッと相田が立ち上がり、腕時計を見て慌てる。
「ヤバ、私もう行くね!・・・って、吉川くんも民法とってるでしょ!?」
「あー・・・ごめん、もう少し落ち着いてから行くわ」
「そう?・・・うん、そうだね・・・じゃ、先に行くから!」
そう言って走り去りかけて、ぴた、と立ち止まり、振り返る。
「私・・・私、本気だから!」
まだよく事態を把握できない俺を残して、彼女は教室に走っていった。
それから
俺と相田・・・純は恋人としてつきあうようになった。
どちらかというと彼女の方が積極的で
俺は押されっぱなしな気もしたが
彼女の優しさは、聡美を失った心の隙間を少しずつ満たしていった。
ただ、この空虚さが完全に埋まることはきっとないとも感じていた。
それがもどかしくて
彼女に申し訳なくて
ある日、俺は彼女に提案した。
「あのさ・・・今日・・・俺の家に来ないか」
言っていることの意味は、彼女にも伝わっているだろう。
心で隙間が埋まらないのなら、体で埋めていくしかない。
それは、きっと彼女も感じていたことなのだろう。
一瞬の逡巡の後
彼女は黙って首を縦に振った。
家につくまで、二人ともほとんど何も喋らなかった。
玄関を入ると、すぐ俺の部屋のある2階への階段がある。
「とりあえず・・・俺の部屋行こうか」
「・・・あの・・・」
少し気まずそうに、純がぽつりとつぶやく。
「なに?」
「妹さんの・・・聡美ちゃんの部屋・・・見てもいいかな」
意外な言葉だった。
「・・・え?・・・いいけど・・・なんで?」
実を言うと、聡美が死んでからは部屋に入っていない。
主のいない部屋を見るのがつらかったのだ。
「前に来たとき・・・私、ちょっとだけ聡美ちゃんと話したの。貴方がいないとき」
「へぇ?」
「そのときね・・・こう言われたの・・・「貴方なら、許せるかもしれない」って。それで気づいたの」
「・・・何に?」
「聡美ちゃんは、お兄さんを・・・貴方のこと、愛してるんだな、って」
「そんなこと言ったのか、あいつ」
「ええ・・・だから、その、なんて言うかな・・・ケジメつける?みたいな」
なんとなく、純の気持ちもわからなくはない。
「わかった。先に聡美の部屋、行こうか。どっちにしても俺の部屋の隣だし」
「うん・・・ありがと。ごめんね、変なこと言って・・・」
俺の部屋の隣。「聡美」と書かれた小さな木製のプレートが下がったドアの前に立つ。
「ここだよ」
ドアを開け、中に入る。
何も変わっていない。ほとんどの物が、聡美が倒れる前のままになっている。
聡美だけがいない虚ろな部屋に、俺はただ立ちつくしていた。
後ろから純が抱きついてくる。
そっと腕を胸に回し、抱きしめてくる。
そして、つぶやいた。
「やっと来たね・・・お兄ちゃん」
その瞬間、心臓が鷲掴みにされているような圧迫感を感じた。
・・・誰だ?今俺を抱きしめているのは誰だ?今つぶやいたのは誰だ?
これは純の腕だ。今のは純の声だ。
じゃあ・・・後ろにいるのは純なのか。
違う。
何か違う。決定的に違う。
純じゃない。
誰か別の・・・ひどく懐かしい、ひどく切ない、ひどく愛しい・・・誰か。
背後でつぶやきが続く。
「ずっと・・・ここで、待ってたんだよ・・・」
「・・・さ・・・さと・・み・・・か?」
振り向くことができない。振りほどくことができない。
「さあ・・・愛し合おうよ・・・アタシとお兄ちゃんが・・・したくてもできなかったことを、しよう・・・」
胸が背中に押しつけられる。吐息とともに耳元で囁く。
「それに・・・この体も、それを望んでる・・・」
それからのことはよく覚えていない。
互いの衣服をむしり取るようにして裸になって
ベッドにー聡美のベッドにー二人もつれるように倒れ込んで
俺は何度も妹の名を呼び、そして何度も「お兄ちゃん」と呼ばれながら
何度も精を放っていた。
そんな気がする。はっきりとはしない。
そんな、まるで夢の中のような不確かな世界の中で
それでも二人の愛だけは確かな物に思えた。
目が覚めると、腕の中には純がいた。
・・・純、だろうか。
見つめていると、純も目を覚ました。
「あ・・・おはよう・・・吉川くん・・・」
・・・もう、純だった。
後から聞いた話では、純もあのときのことは夢のようだったらしい。
なぜか思ってもいない行動をとる自分を
まるで夢の中の光景のように見ていたそうだ。
自分が何を喋っていたのかは
よく聞き取れなくてわからないとも。
ただ、感覚とかはあったらしく
「・・・痛かった・・・吉川くん、乱暴なんだもん・・・初めてだったのに・・・」
としばらくの間文句を言われた。
その後も、俺と純の関係は続いている。
もう、あのときのように純が別の意識下で行動するようなことはなかった。
ただ、気になるのは
だんだん、純の仕草が聡美に似てくること。
そして
セックスで絶頂を迎えるたび、彼女が「お兄ちゃん」と叫ぶこと・・・
(Seena◆Rion/soCysさん 作)