… 焔の啼く声 7 ―
ひたすらに。
ただひたすらにトシマの廃墟を走り回る。
ナノを、探して。
無言で走り続けてしばらくもしないうちに、グンジがに
声をかけた。ただ走っているだけ、というのに飽きてしまった
のだろう。
「ちゃん、なのってどこにいんのかわかってんの?」
「やぁめとけ、ピヨ。」
「あ?」
は、ただ、無言で走り続ける。
強大な力に全身を蝕まれながら。
大きな焔を、抱えながら。
「…喰われんぞ。」
「あー、マジだ。」
チラリ、と自分の数歩先を走るを見て、グンジが
納得した。もはや茨の焔は全身に広がり、抑えきれない
力が小さな火花となっての周りでチカチカと弾けている。
それでも苦しそうな顔ひとつせず、ひたすらに。
そう、ひたすらに、ナノを目指す…。
そして、探している人物は他にもいた。
会わせる、と、約束した。リンの兄、シキ。
だが、には確信のようなものがあった。今このトシマの
空の下。どこかで…2人は対峙している。シキが追い求めて
止まないナノ。軍隊が来るのだとしても、それはまだ少し先の
話だ。彼らが戦ったとして、決着がつくのはきっと思うより早くに
なってしまうのだろう。
…そうなる前に、なんとかして見つけなければ…。
夢中で走り続けて、少し開けた場所に出た。
そこに、目的の2人を見つける。
すでに臨戦態勢に入っていて、もはやこちらの存在など
気づいてもいないのだろう。シキが日本刀を鈍く煌かせ、
ナノはただ突っ立っている。
だが、勝つのは、ナノだ。
そうなる前に…。
「シキ!」
「!」
踏み込みまであともう少し、といったまさにその時、聞き覚えの
ある声が自分の名を呼んだ。ザリ、と地面を改めて踏み直す。
ナノを意識しながらも、シキは声の主の方へと向いた。
振り返って見えたのは、刺青が全身に広がっている異様な
姿だったが、面影までは消えたりはしない。記憶をたどって、
それがなのだと認識する。
「…か…。」
「シキ!王座を明け渡した際に交わした約束、今使わせて
もらうよ。そこの…ナノを、僕にまかせてもらいたい。」
「何だと…?」
…の言葉、シキは忘れたわけではない。
丁度がまだイル・レとして君臨していたころ、城に
イル・レ戦の挑戦者として現れたシキ。その時、は
その焔の能力を使わずに戦いに挑んだ。
何よりも恐ろしい自分の中の能力、バケモノだと称された、
かつては”呪い”以外のなにものでもなかった力。
だが、シキに対してそうしたのはにとっては誤算だった。
そう、シキは強かった。これまで戦いを挑んできた、誰よりも。
何とか打ち負かしたが、その後1週間眠り続けるハメになった。
そしては意識が途切れる前に、
シキに一つ約束を願った。
『王座を明け渡す代わりに、今後何かがあったときに、
無条件で僕の出す要求に答えてもらう。いいか?』
シキは訝しげな表情を浮かべたが、現在コロシアムの
タイルに背をつけているのは自分の方だ。殺されない事が
シキの癪に障った。そして、その条件を飲んだのだ。
何を願っているのかは知らないが、この俺をコケにするのも
たいがいにしろ、と、半ば自暴自棄ながらに交わした約束。
その後姿をくらませたに変わって
シキがイル・レとしてヴィスキオに君臨し、
今の今まで王座を不動のものとしていた。
まさか今、こんな形であの約束を
要求されるとは思っていなかった。
「そんなものはもはや無効だ。」
「そう。」
「なら、力づくってやつだよなぁ…。」
ずい、とキリヲが前に出てくる。
シキは日本刀の切っ先をナノからはずし、キリヲ…正しくは、
へと向けなおす。ずっと追い求めていた獲物が目の前
にいるというのに、簡単に引き渡せるわけがない。
「フン、雑魚が俺に敵うとでも思うのか…。」
「あぁ?誰がお前の相手するつったよ。」
「その通り。相手は、僕だ。」
「!?」
キリヲに気を取られていて気づくのが遅れた。
その声はすでに自分の背後で聞こえ、風を切る音と共に
ちりん、と鈴が清らかな音を発する。
手首を取られ、そのまま捻りあげられる。痛みに思わず
前かがみになると、そのまま地面へと押し倒された。
シキが何を思ったところで、すでに手遅れなのだ。
刺青の力を全開にした、に敵うものなどいない。
「シキと遊んでる暇はない。気絶、してもらうから。」
ギリギリと締め上げられる腕の痛みをなんとか振りほどこうと
身をよじってみるが、それはただ痛みを増幅させるだけで
やはり、どうにもならない。
そのまま、背中の方で嫌な音が聞こえる。
― ボ キ !
「ぐあっああぁああ!!」
腕を捻りあげたままさらに力を加え、シキの腕を折る。
しかし相手はシキである、そんなことで気絶してくれるほど、
残念なことに彼は弱くなどなかった。
「くはっ…そんな事で俺が…」
「気絶なんてしてくれない、分かってる。…だから…。」
左手で腕を押さえたまま、右手に拳を作る。
渾身の力では、今は死にいたってしまうのだろう。
力を調節し、死なない程度、だが、気絶するくらいの力で。
シキの顎を、殴りつけた。
言葉もなく崩れ落ちるシキ。精密機械が如く顎先を
狙われたことで、脳しんとうを起こしたのだ。ぐったりと
地面にひれ伏すとは捉えていた腕を放す。
「ひゃは、やっぱつえぇなちゃん〜」
「笑ってないで、そのための荷物もち。」
「はいはいはーい」
”荷物持ち”、と言われ、グンジが気絶しているシキを
担ぎ上げた。キリヲはまだ手ぶらだ。キリヲには、ナノを
持ってもらうつもりで、付いてこさせたのだから。
「さて、こんにちは、ニコル・プルミエ。」
「お前は…」
「…何。」
「ずっと聞こえていた。泣く声だ。…そうか。お前が…」
「…何者だっていいじゃないか。さあ、ナノ、戦おう。」
時間がないんだ。と言うと同時に、が強く踏み込む。
もはやグンジやキリヲには見えない速度であったが、ナノだけは
それに反応してギリギリのところで、が放った拳を
はじいた。
無言で繰り出される攻撃。そのどれもが、心臓、胸の辺り
を正確に狙ってくる。ナノは困惑した。これまで何度も戦い、
そして完全なる勝利を得たことしかなかったナノ。
だが目の前の少年は、ナノと同等…もしくは、
それ以上の能力で持って攻撃を放ってくる。
狙いを一瞬にして定めて、防がれてももう片方の手が
信じられないような角度でえぐる様に自分に放たれる。
こちらから攻撃をしようにも、防ぐのに精一杯で手が出せない。
人間離れした攻防戦。
の方が、やや有利。
体が小さい分、懐に入りやすい。
が狙うはただ一箇所。
…胸、だ。
「………っ!!」
それまで胸にしか攻撃が来なかったので、足元が疎かになって
いた。それも計算しての事だろうか、が突然ナノの
視界から消えたかと思えば、身をかがめて足払いをしたのだと
気づいた頃には、もう遅かった。
体勢を立て直そうとした一瞬の隙を突いて、の
両手が、ナノの体を貫通する。
だがやはり、血は出ていない。…代わりに…
「ぐっ…あ、ぁ…ああああああ!!」
ナノの背中から、何かが蒸気となって放たれる。その勢いは
すさまじく、これが血飛沫ならば即死を考えただろう。
だが、そこから出ているものはただの水蒸気…否。
ラインの、原液。
「う…ううぅ…!!」
ズズズ…と、刺青が再びの皮膚を侵食していく。
ナノの体内のニコル・プルミエを全て消してしまうまでは、
この手は抜くことが出来ない。
蝕まれる、右の手、左の手。
だが、今やめてはナノが大変なことになってしまう。
もう少し、もう少し…なんだ。
そんな異様な光景を見守る処刑人達は、言葉を失っていた。
まさかこんな非現実なことが目の前で起こるなんて。
胸を貫いたはずの。
そこから流れるのは、血ではないモノ。
ますますの体を蝕む刺青、能力。
…明らかに様子が変わってくる…
ナノ、と、呼ばれた人物…。
「くは……あ…あ…?」
ニコル・プルミエが大分抜けてきたのだろう、ナノが、ようやく
人間らしい、しっかりとした瞳になってきた。自分の体に起こって
いる変化に気づくと、自分を貫く両手を必死につかんだ。
「誰か…誰かいないのか、止めてくれ、この子を止めてくれ!」
「…大分人間らしい言葉が言えるようになったね…」
「やめるんだ、死んでしまう…!」
「死なないよ、…化け物だもの。」
グンジとキリヲは何が起こっているのかがまだ把握できずに、
身動きが取れない。ただ、貫いた瞬間はあんなにも漏れ
出ていた蒸気が、少なくなってきたということだけが分かる。
(もう少し…もう少しだ…)
は自分に言い聞かせる。
刺青がさらに全身に広がっていく感覚に、必死に耐えながら。
そうしているうちに、ようやく、何かをつかんだ。
何か。
それを説明することは難しい。だが、それを壊せば、
ナノは…人間に、ただの人間に、戻れるのだ。
「う…ああああぁあああ!!!」
最後の力を振り絞って、ようやく見つけ出した”何か”に
手を伸ばす。そして、握りつぶすように、手に力を込めた。
― パキィン!
「うっ!」
「ぐあっ!」
それが壊れたのと同時に、ナノとは反発した磁石
のように引き剥がされた。ナノはまだ自分の身に起こった事
が分からないでいるようだが、には確信があった。
ナノが、開放された。…と。
吹っ飛ばされた2人を見て、ようやく我に返った処刑人が
動き出す。キリヲはもともとそのつもりでつれてこられたのだ。
ナノのほうへと迷わず歩き出し、グンジはの元へと
走ってきた。
「ちゃん、大丈夫なのかよ!?」
「うん、よかった、成功したよ…」
「な、何かわかんねーけど…オメデトウ?」
「…ふふ、ありがとう…。」
グンジもわけがわからないまま、ただが嬉しそうに
していたので、「オメデトウ」、と口した。それに素直に笑顔を
返し、荒い息を整えている最中に。
「よう、こっちの兄ちゃんはどうすんだ?」
「そうだ、2人ともはやくシキとナノつれて逃げてほしい。」
「あ?ちゃんはどーすんだよ?」
「…僕は、後から追いかけるよ。」
「「………。」」
それは本当だろうか?今まだ両腕から煙をはなち、呼吸も
荒い。立ち上がることすらできないようなのに、本当に、
本当に…後から追いかけてくるとでも言うのか。
それを疑った2人は、シキ、ナノを放り出してに触れよう
とするが、あわてたようなの言葉に手を引っ込める。
「だめだめ、今触ったら燃えるよ。」
冗談には聞こえない。なにせ、が人を燃やす所を
実際に眼で見たことがあるのだから。…だから、本人が
そういうのならば、本当に燃えてしまうのだろう。
仕方なしに、先ほど放り出した2人を改めて抱えなおし、
「あんまおっせーと迎えにきちゃうかんな?」
「気にしないで皆で逃げてくれれば嬉しいな。」
非常に心苦しいが、グンジ達は”荷物”をかついで、
アキラ達がすでに到達しているであろう北の隠し通路
へと向かう。
…しん、と、静まり返ったトシマの街に、
全身をその力に蝕まれた少年が一人、横たわる。
風が…
「…風が、止んだな…。」
誰も居ないその広すぎる空間で、はそっと眼を閉じた。
続。
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