… 焔の啼く声 8 ―
グンジ達がここを走り去ってどれほど経っただろうか。
そんなことを忘れさせるような、風の音しかしない
物静かなトシマ。
ただ、空を見上げていた。
悲しくもないのに、涙があふれてきた。
ああ、なぜ、啼いているのだろうか…。
無音だったトシマに、派手な音が響き渡る。
軍事用ヘリコプターの音だ。
バラバラバラバラ…と、騒音もはなはだしい音がする。
それでも、寝転んだままのは眼を覚まさなかった。
軍隊が街にあふれかえり、イグラ参加者だったものたちを
次々と捉えては拘束し、トラックに詰め込んでいく。
その様子をいらだたしげに見ている人物が、一人。
「何をしている、なぜニコル・プルミエとナル・ニコルの保菌者
が見つからないのだ、この街にいるのはたしかなんだ!!」
エマだった。側に控えるグエンも、少なからず動揺していた。
これだけの軍隊を投入しても見つけ出せない所に隠れて
いるのか、それとも本当にどこかに行ってしまったのか…。
死んだわけではないだろう、その証拠に、死体すら発見
されていない。…だからこそ、エマは怒りを露にした。
そこへ、トシマの中を探査していた部隊から無線が入る。
― 子供が一人、倒れている。
と。
+
子供が倒れている、いう区域に来てみたグエンとエマは、まず
自分の目を疑った。眠っているのだろうか。呼吸だけを繰り返し
しかし、その子供の体中に巡る刺青に見覚えがあったからだ。
「この紋様は…」
「…あの実験は失敗したと伝えられている。」
「しかし…あの実験の産物だとすれば、ニコル・プルミエ
とナル・ニコルの保菌者がいないのにも合点がいく…」
子供…が全身に帯びている紋様。
これは、ENEDである科学者が秘密裏に進めていた
研究のそれと、酷似していた。
「合点だと?馬鹿馬鹿しい、こんなもので、あの…
あの者が変われる訳がない。街中をくまなく探せ、
絶対にあの男は…ナノはこの街の中にいる!!」
エマが大声を上げたことで、が眼を覚ました。
「…荒廃の街にようこそ、グエン、エマ。」
「!?」
「貴様…!」
すっかり気絶して意識などないと思い込んでいた、足元に
転がる人物からの声に、グエンとエマは驚きを隠せなかった。
刺青に全身を侵され、だがその瞳はひどく透き通っている。
「貴様、あの男はどうした、なぜここに誰もいない!」
エマがの胸倉をつかみ、がくがくと揺する。
そんな中でもは薄笑いを浮かべ、バカにした様に
鼻で笑ってみせた。
…それだけで全てを物語られた気がして、
エマの怒りも最高点に達する。
ガン!と地面に頭を叩きつけ、普段の冷静さの欠片も
見せない様子で、何度も、何度も地面に打ち付ける。
「何をした、貴様、あの男に何をした!」
打ち付けられた箇所からは血が流れ出し、地面を紅に
染めていく。それでも嘲笑をやめないを投げ捨て、
銃を、つきつけた。
「言え。あの男を、どうした!!」
「どうした、って。聞いてどうするの?」
「追いかけて殺すに決まっている!」
「もう、普通の人間なのに…?」
「!!?」
その言葉に、エマの動きが止まる。
「そんな…そんなことが…」
「できるんだよ。僕になら、ね。」
エマが何も出来なかった代わりに、僕がしてあげた。
というと、エマの中で何かがブチリと音を立てて切れた。
無言で引き金を引く。のすぐ側の地面がえぐれ、
その破片での頬に少し傷が付く。
「1分待ってやる。あの男の居場所を吐け。」
「何時間待っても、絶対に言わない。どうせまた…実験
とか言って、ナノを傷つけることしか出来ないくせに。」
「…黙れ…。」
「エマのことだから、何も出来ないのを棚に上げてナノを
殺したりするのかな?…それこそ、エマのエゴなのに。」
「だ…まれ…」
「ナノはもう普通に生きていける。エマが、いなくてもね。」
「黙れ…。黙れ、黙れええぇぇ!!!」
― パン!
「っ!!あ、ああぁあっ!」
今度こそ、エマの放った弾丸はの太ももを貫いた。
分かっていて煽ったとは言え、流石に痛い。
それまで見守ることしか出来なかったグエンが、流石に
驚き、エマを羽交い絞めにしてこれ以上発砲しないよう
押さえつける。
「エマ!ニコル・プルミエとナル・ニコルはこの際しょうがない、
今回は見送って後日改めて街中を探せばいい、だが
この子は違う、ENEDの科学力の結晶といってもいい、
あの実験が成功したんだ、全身を検査して…」
「…くっ…!!」
グエンがエマを必死で抑え続ける中、は一人考える。
(ENED関連の施設にに連れて行かれたら…そこを
自分自身と共に燃やして、それでやっとおしまいになる。)
…の中に組み込まれたプログラム。
それは、ニコル・プルミエの分解、ナル・ニコルも同様に。
そして、その仕事が終われば、残るENEDの産物は
自分だけになる。そうなったら…自分自身を燃やし、
後々にあの恐ろしい実験が再発しないように…
死ぬだけ … ―――
ゆっくりとまぶたを閉じ、来るべき死にむかって心を無にする。
いろんな人に会えた。
いろんな人が、こんな僕の。
友達に、なってくれた。
もっと一緒にいたかったけれど…
それも最初から分かってた、無理だって、こと。
だから、友達を守るために、僕は…死ぬ…
「ぐあっ!」
「貴様…うっ!!」
「?」
突然聞こえてきた声。それに反射的に眼を開けると、
目の前にはなぜかカウのドアップがあった。
「!?」
驚いて声も出せず、ただ眼をぱちくりさせては混乱する。
カウはたしかアキラ達を連れて日興連へと逃げたはずだ。
だったらこれは幻だろうか?死ぬ前にと、神様が見せてくれた
幻覚…?だとしても、カウのアップだというのは間抜けすぎや
ないか。
だがその幻は、嬉しそうに笑うとの頬を舐め上げた。
その感覚は、本物。…ということは…。
「クソ女が、ちゃんに怪我させやがって!」
「こっちの男も同罪だよなぁ、どーやってバラすか…。」
少しはなれたところから聞こえるこの声も本物なのだろう。
グンジにキリヲの声。…戻って…きたというのか。
顔を起こして確認しようにも、太ももが痛くて満足に身動き
すらとれない。殴る音、切り裂く音。悲鳴が聞こえて、
静かになって。
カウの顔が引っ込み、代わりにグンジがを覗き込む。
「なん…どうして…?」
「俺言ったべ?あんま遅ぇと迎えに来るつって。」
もー触ってもあっちくねーのかなあ。などといいながら、グンジは
の体をつついてくる。どこを触っても熱くないのを確認
して、グンジはの体を抱き上げた。
「んじゃあーいくべぇ。」
「今頃あの下水んとこで全員待ってるはずだからな。」
「全員…?みんな…逃げなかった…?」
「全員、いろぉんな意味で、お前を見殺しにはしたくねえってよ」
「…そう…なんだ…。」
体の緊張を解いて、グンジの腕に全てを任せる。
感情が高ぶっていたのか、それがおさまった今、撃たれた
足の傷がひどく痛む。眉をひそめてそれに耐えていると、
グンジが舌打ちをした。
「ちっやっぱあの女皮1枚ずつ剥がしてやりゃよかった!」
自分の愛しい愛しいにこんな傷を与えたのだ。
これではまず跡が残ってしまう。…の肌、に。
グンジはそれが許せないらしく、を抱きしめたまま
じだんだをふんだ。その振動すら痛みに変わって、
やめてくれ、と言う前に、キリヲがグンジを殴りつけた。
「動くんじゃねーよピヨ。が痛ぇだろーが。」
「ってぇなジジ!分かってんだよ!わかってっけど…」
「…ありがとうグンジ、大丈夫…だから。」
とりあえずの止血を施し、改めてを抱きかかえる。
その時チラリと見えた、グエンとエマ、だったモノ、が見えた。
本当なら、彼らに連れて行かれて、施設ごと消え去る
はずだったのだ。…無言で彼らを見つめていると、キリヲ
が声をかけてきた。
「…あの嬢ちゃんのことも治してやるって言ったんだろ?」
「!」
そういわれて、すっかりアキラのことを忘れていたのに気づく。
エマがあまりにもナノのことばかりをいうものだから失念していた。
そうだ、アキラのナル・ニコルも、消し去らねばならなかったのだ。
「…うん、いこう…。」
「よし、じゃあいくぜピヨ。」
「おう、ポチぃ行くぜー」
そういって、極力に刺激を与えないように処刑人達は
走り出した。もうこのトシマもおしまいだろう。
日興連とCFCが戦争になれば、この土地はまず更地になる。
呪われた何もかもがそこでようやく、終わりを告げるのだろう…。
の実験に関する書類一切は、「失敗した」という
報告書と共に焼き捨てられていたことを、は後で
知る事になる。
内戦が激化していくにつれて、ENEDという機関の非道さが
世の中に浸透していく。その中でニコル・プルミエ、ナル・ニコル
といった単語も何度か出てきたが、それに関して追求する者
はいなかった。
全ては、「残虐な科学者達のエゴイズムによる凶行」だと
ひとまとめにして発表されたからだ。
トシマから脱出した彼らは日興連にて手厚い看護を受け、
その後…どうなったかは、知る者は誰一人としていない。
+
…昔々。
知識という名の麻薬に侵された大人たちがいた。
その被害は全て子供達に押し付けられ、
いくつもの…何百万の命が、もてあそばれた。
その大人たちは”良い大人”達に成敗され、
その後の世界はとても安定した世界になったと、
誰かが語る。
そんな中に、日の光を見なかった被害者達もいた。
だが彼らはそれでよかったのだと、口々に言う。
今があるから、自分達は生きて行ける。
…生きて、行くのだと。
広い、空の下で。
終。
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