妖怪共が蔓延りし 死の時代
人間は恐怖に戦き 神に願い乞う。
されど応えぬ神々に 人々は落胆し
いつしか祈る事すら やめてしまった。
神が応えぬ事それに 理由があろうとはつゆ知らず。
ウシバカ珍道記
「…ワット?」
それはとても奇妙な光景だった。
たまたまた立ち寄ったアガタの森。
そこは曇ヶ淵と呼ばれる淀んだ水を湛えた暗く木々の生い茂る森。
少し以前にとある神が大神降ろしにて塞の目を復活させてから
雰囲気は幾分か明るくなったとはいえ、この世に蔓延る「闇」の
根本が消えない限りは妖怪たちも消えたりはしない。
そんな妖怪がうろつく森、その水辺。
…人間らしきものが、ひっかかっている。
ウシワカが多少警戒しながらも近づいてみると、やはりそれは人だった。
よくよく見ればそれは薄い着物1枚まとっただけの、傷だらけ。
妖怪に襲われたのであればこの程度で済むはずが無いのだが。
そもそもこんな薄絹で傷だらけで ― 一体何があったのか ― 。
うつ伏せになってどうやら気絶しているらしき人を、生死確認の為
笛でつんつんと突付いてみると…返事は無いがどうやら生きている。
「ヘイ ユー?こんな所でスリープしていると妖怪に襲われるよ?」
声をかけてみるものの、返事はなくただ浅い呼吸が繰り返されるのみ。
放って置く訳にもいかないし。何と言っても自らを人倫の伝道師と
名乗り憚らないウシワカである。妖怪であったならば問答無用で
止めを刺してあげようものだが、人間相手にはそうは行かない。
しようがない。とため息一つ、兎に角半身を水に浸したままの
人を引きずりあげて、うつ伏せの体勢から仰向けにしてみる。
「ワオ!」
…と、ウシワカが思わず声を上げた。伸ばしっぱなしなのか、水に
濡れてもそのきめ細やかさを失わない美しい髪に、整った顔立ち。
ウシワカとて永遠の美少(青?)年として名を馳せたるも、
今目の前で気絶しているらしい青年もなかなかのものだ。
ちなみに「青年」と分かるのは、着物が水に濡れて体に張り付き、
女性であったならばそこに在るべき膨らみがなかったからであるが。
あまりの整った風貌に思わず「男だよねえ…?」と一人ごちる。
改めて見れば顔以外の腕や足には生々しい傷が幾多
存在し、ひとしきり驚いた後に思わず顔をしかめてしまう。
そこでふと、気絶していた青年が目を開いた。
「アー ユー オーケィ?」
そう声をかけてみるものの、青年はウシワカが本近くにいるというのに
不思議そうに声も出さずに瞳の動きだけでキョロキョロと見回している。
負けじと不思議そうにその身動きを見守るウシワカだが、すぐに
合点がいった。この青年、瞳に光が宿っていない。…簡単に言えば。
「ユー もしかして…目が見えない…?」
そっと肩にふれて行動で「こっちだよ」と教えてやれば、首だけ動かして
ウシワカのほうへと顔を向け、無言でコクコクと何度も頷いてみせる。
それで気付く事、もう一つ。
「まさか、声もでないのかい?」
また音もなく、コクコクと。
さてやっかいなものを拾ってしまったとばかりにため息をつき、ウシワカが
小さくため息をついた。こんな状態でますます放って置く訳にも行かない。
薄着に目も見えず声も出ない。体中は傷だらけ。
「とにかく、その傷と着物をまずなんとかしないとね。」
ウシワカがそう言って青年を抱きかかえようとしたときに、彼らの
背後にかすかな妖気が現れた。…微か、というのは無論、それが
雑魚妖怪であり、ウシワカにとっては朝露よりも興味の無い代物
だからである。
だがその妖怪はウシワカではなく、今しがたウシワカによって
助けられた青年の方に用があるらしかった。
「ソコノ小僧!」
「…小僧って…ミーの事かな?」
「ソイツヲ渡スンダギャ!」
「そいつって…この子の事かな。」
他に誰もいないこの森で、目の前の青年以外に在りはしないのに、
からかう為にウシワカはあえて分からないといった風に会話を促した。
「”瑠璃ノ瞳”ト”鈴ノ声”、マダ”絹ノ髪”ガ残ッテタッテイウノニ
ソイツトキタラ勝手ニ逃ゲチャッタンダベ!連レテ帰ラナイトオラ
ガ君主様ニ怒ラレテシマウギャ。分カッタラソイツヲ渡スベサ!」
「”瑠璃の瞳”に”鈴の声”…?」
ご丁寧に説明をしてくれた妖怪を差し置いて、改めて青年を見遣る。
目が見えない、声が出ない。”瑠璃の瞳”に”鈴の声”。結びつけると
「もしかしてユーは妖怪に声と瞳を奪われたのかい?」
妖気を察する事はなかったが、妖怪のギャーギャー煩い声に
聞き覚えでもあるのだろう。とたん起き上がって身を縮め、
ガタガタと震えだした青年を見ていれば…体中の傷も、成る程。
この妖怪の言う、”君主様”とやらに虐待されたか。
「オーケィ、ミーが取り返してあげよう。」
まるで「落し物を拾ってあげよう」とでもいう様な気軽な言葉の
雰囲気に、弾かれる様にウシワカの声がしたほうを見上げた。
声などなくとも表情を見ていれば分かる、心配されている。
だが。
妖怪退治なら任せてくれたまえ。と青年の肩をポンポンと叩き。
「妖怪退治は得意なのさ、人倫の伝道師、ウシワカ イズ ヒア!」
と、常套句を言ってのけ、宝刀「ピロウトーク」を抜き放つ。
ここで目が見えていればウシワカの華麗なる絶技をとくと拝見出来た
であろうが、残念な事に青年は音は聞こえても見ることは出来ない。
程なくしてドタバタといった物音が止み、呆然としていると
青年の左手にそっと触れた温もりがあった。ウシワカの手だ。
「雑魚は退治したよ、さあまずは近くの村へ行こうか?」
ウシワカの声と、手の温もりに体の緊張もほぐれたのか、青年は
うっすらとウシワカの方向へと向きなおして、にっこりと微笑んだ。
「!!!」
その微笑が余りにも美しかった為にウシワカは目を見開いて驚く、が、
相手は男子じゃないかしっかりしないか!と頭を振って煩悩を退散
させ、相手は目が見えていないということに幾許かの安心を持ちつつも
隠し切れない照れをごまかす為。
「神木村が一番近いね、さあ行こう!」
と、ぐるんと方向転換して歩きかける…が、直ぐに思い直す。
「…ごめん、ユー目が見えないんだったね。」
照れ隠しに焦りもあったとはいえ、そんな事も一瞬忘れてしまって
一人で進もうとした自分が情けない。ウシワカはポリポリと頭を掻き、
少し悩んで、自分よりも華奢で頭一つ分低い青年を抱き上げると、
フワリと空を舞って神木村へと向かっていった。
まさか自らが空を飛んでいるなどとは思いもしないであろう青年は
不思議そうに頬に当たる心地よい風に疑問符を浮かべている。
そこで思い出したようにウシワカが青年に問いかけた。
「そういえばユー、ネームは?あ、口の
動きで分かるからノープロブレムだよ。」
そこで初めて青年が口を動かして、自らの名を告げる。
「ふぅん、君だね。ラジャー。」
青年の名を知って、何故か緩む口元を、今だけは
見えていないその瞳に何となく感謝するウシワカであった。
続
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