神木村に連れてきて、傷の手当てと真新しい着物を与える。
勿論泥に汚れていた顔も体も綺麗に清めて、改めて青年、
を見ると。
「…男子なのが勿体無いねぇ。」
呟かれた言葉に、はくてんと首を傾げて見せた。
ウシバカ珍道記 弐
「さてどうしようか、妖怪の根城は分かるかい?」
身なりも整いひと段落して本題に入りたいところであるが、
目が見えない声も出ないに果たして、かつて自分が
捕らえられていた妖怪の根城の在りかなど分かるのだろうか。
そもそもどうやって逃げ出してきたのかすら、自分でも分かって
など居ないだろう。無我夢中、手探りで逃げ出して来たか。
いくら妖怪とはいえこのあたりの妖怪はまだ妖気も弱ければ
頭も弱い。先ほどウシワカが対峙した妖怪も、力いっぱい
断言していいほどの雑魚で阿呆だった。
大方、どうせ目が見えないんだからと繋ぎもせず放置して鼾を
かきながら居眠りでもしていたところを逃げ出されたのだろう。
追っ手が一匹だったのがそれを証明しているような物である。
予想を裏切らず、困った顔で首をかしげるを見て、
ウシワカは苦笑しつつも再度、さてどうしようかと呟いた。
そこへ…
「おい何やってやがんでィこのインチキ野郎!」
「おや、ゴムマリ君じゃないか。」
「な、何でェこの綺麗な姉チャンは!?」
「…ゴムマリ君、彼は男子だよ。」
「何ィ!?」
まず賑やかな登場の仕方であるが、これが彼、イッスンの常である
のでウシワカも驚かない。だけが、またも不思議そうに声の
主を探してキョロキョロとあたりを見回していた。
イッスンがウシワカに対してケンカ腰なのも今に始まった事では
ないために、アマテラスも彼らを放って、へと近づく。
クゥンと鳴き、濡れた鼻でそっとの手に触れる。
はますます不思議そうにして、手探りでアマテラスの
体へと、鼻先から徐々に触れていった。首まで手が届くと
自然とアマテラスを抱きしめているような格好になる。
フカフカと気持ちの良い毛触りに嬉しそうに笑い、
顔をこすり付けるようにしてアマテラスへと擦り寄る。
目の見えないにアマテラスがどう写るのかは分からない。
物珍しそうに毛触りを確かめているあたり、もしかすると「犬」と
いうものと接する事すら初めてなのかもしれない。
事実、アマテラスの全身の形を確かめるように手を動かし、
体を撫で続けている。顔の形、耳の形、前足、そして背中
へと手が回り、常人には見えないアマテラスの神器にの
手が触れた瞬間、アマテラスの脳裏にある映像が流れ込んだ。
それはが妖怪によって、瞳の光と、声の元を無理矢理
抜き取られる時の映像、そして、その親玉が醜く大きな口を開き
ゲラゲラと笑っている映像…。
一通り見終えたアマテラスは、未だ口論を繰り広げるウシワカと
イッスンを尻目にの着物を咥え、放り投げるとお見事、
背中にを乗せ、突如村の外へと走り出した。
「あっ!?」
「アマ公!?」
そんなアマテラスの突然の行動に一瞬ついていけなかった2人は、
だがすぐに持ち直してアマテラスの後を追う。アマテラスといえば
2人が着いてくるのが当然であるかのように後ろを振り返りもせず
神州平原を疾走して行った。
+
神州平原を越え、アガタの森を駆け抜け、ツタ巻遺跡へと乗り込む
アマテラス一行。ここはすでに以前訪れている為に迷う事も無いが、
イッスンは釈然としない様子でウシワカの肩の上からアマテラスへ声を
かけた。
「やいアマ公!こんな所に今更何があるってんでィ!」
やはり振り返りもしないアマテラスはどんどん奥へと入り込んでいく
ウシワカといえば、薄々アマテラスの行動に気付きつつあった。
アマテラスがわざわざを背中に乗せてまでこんな所に
やってきたのだ。ということは、にまつわる場所がここに在る。
「成る程、ここがその妖怪の根城というわけだね。」
「あぁン?インチキ野郎、手前ェ何か知ってやがんのかァ!?」
「…ゴムマリ君は鈍感だねえ。」
「何だとォ!」
の事情を知らないとはいえ、今まで行動を共にしてきた
筈のイッスンである。アマテラスが何の用もなく再びこんな所へ
入り込むわけが無い。何かしら在る。そう感づいても良さそう物を。
ウシワカがため息混じりにそういうと、イッスンは
ぷぉー!!!と音を立てて怒り狂った。
肩口で大声で怒鳴られて流石に良い心地はしないものの、
それよりもウシワカには気になる事があった。アマテラスの背中
にいるの様子が、明らかにおかしくなってきている。
(ビンゴみたいだね、あの怯え様は…。)
ただ跨る様にアマテラスに乗せられていたが、ある地点を
過ぎてからはアマテラスにしがみつくようにして何かに怯えている。
決して強い妖気が蔓延しているわけではないのだが、虐待を
受け続けていた空間が近づいているのだ。
目が見えずとも、雰囲気を察したのだろう。
すると突然アマテラスが立ち止まり、目の前に輝玉を出した。
何の変哲も無い壁に見えたそこだったが、輝玉が盛大に華と
散ると、粉々に砕けた壁の向こうから途端にむっと広がる冷たく
重たい空気。 ―― 妖気だ。
ウシワカやアマテラスはもはや慣れたといった感じで動じなかったが、
イッスンは驚き、そしては瞳を強く閉じて恐怖から耐えている。
「な、何でィ、こんな所にも妖怪が隠れてやがったのかァ…!?」
「そうだよゴムマリ君。そしてここの妖怪は
君の瞳と声を奪った大悪党さ。」
「何だとォ!!」
イッスンが漸く事態に気付いて、それを肯定するかのようにアマテラスが
一つ大きくワン!と鳴く。イッスンに応えたのもあるが、その声は
の耳にも力強く響いた。
はアマテラスに抱きつく力を弱め、改めて座りなおす。
「君の覚悟も決まったみたいだね。じゃあレッツ ゴゥ!」
ウシワカの言葉を合図に、アマテラス達は隠された妖怪の根城へと
殴りこんでいく。…とはいえ、今更この辺りに居る妖怪などウシワカ
にとってもアマテラスにとっても雑魚である。千切っては投げ、の言葉
にふさわしく、あっという間に最深部までたどりついてしまった。
「ここが”君主様”とやらがいるところかな?」
「ワン!」
「君主様ァ?やいやい!ちっぽけな妖怪風情が!
勿体ぶってねェでとっととお出ましになりやがれってんだィ!」
イッスンがウシワカの肩から飛び出し、先頭に立って啖呵をきる。
するとどこからともなく、コロコロと鈴を転がしたような笑い声が響く。
(…あれが”鈴の声”、ね。)
聞こえてくる声だけ聞いていれば確かにこれは鈴の声だ。
だが、闇をまとって現れた妖怪はその声には全くもって
相応しくない風貌の持ち主であった。…だが。
「…ユー…綺麗な瞳だね…目だけ。」
耳まで大きく裂けた口に、ギザギザと尖った歯列。だが瞳だけは
瑠璃の美しい輝きを放っている。それと同様に醜いのは顔だけで、
体はなんとも美しい女性の身体であった。
『おお、我の愛しき子を連れ帰ってくれた事、礼を申そう!』
「何が愛しき子でィ!その声にその瞳、返して貰いに来たぜェ!」
『はて何の事やら、その者は大昔、空より我に捧げられた赤子ぞ。
これまで育てたるは確かに我、故に我の子に間違いはあるまい?』
「大昔に空から…?」
その言葉に、ウシワカのみが反応する。空から、というのも気になるが、
「大昔」というのは一体どういうことか。それが真実ならば、は
このような青年の姿であるはずが無いのだが…。
「ケッ!適当な事言いやがって!返すのか返さねェのか!?」
『通力秘めし”瑠璃の瞳”に魔力轟かしたる”鈴の声”、幾数多の
人間の女を喰らいし我がようやく手に入れたるこの美貌と力、
貴様らのような虫けらに見せてやっただけでも感謝されるが道理、
我が子を置いて早々に立ち去るが良いわ!』
「ふぅん。あの美しいボディは人々を喰らって得たものか。」
「通力だか魔力だか知らねェが兎に角返しやがれってんだィ!」
イッスンは本気にしていないようだが、もしあの妖怪が本当のことを
言っているのだとすれば、が未だ青年なのにも多少理解できる。
何かしらの強い神通力を秘めた人物なのだろう。
そういう類の人間は大抵は不老長寿だったりする場合がある。
長年人間を見てきたウシワカのみが、妖怪の言葉を信じた。
唯一つ、「空から捧げられた」という点を除いては。
「まあ、事実はどう在れ本来その声も瞳も君の物なのだから
返してくれないとここに来た意味がナッシングなんだよね。という訳
だから、ユー、今ならまだ間に合うから素直に返してくれないかな?」
そういいつつも、ウシワカはすでに宝刀「ピロウトーク」を抜刀して
構えに入っている。アマテラスも同様に、今にも飛び掛らん勢いだ。
だがそれに怯むことなく、部分的にのみ
美しい妖怪は再び鈴の声で笑って見せた。
『ほほほほほほ!貴様らごとき人間に我が倒せるとでも!』
「ベリィ スウィートだよ。」
妖怪は無論、ウシワカにアマテラスをただの人間と狼としか見ていない
ために高笑いをして余裕を見せたのだが、残念な事に彼らは人間では
ない。
結局、旅すがら強力な神器を手にしていたアマテラスや
ウシワカの敵ではなく、手下共同様に大して刻もたたずして、
その妖怪は脆くも崩れ去った。亡骸は花びらと化して散り、
その中から淡い光がへと向かってゆっくりと飛んでくる。
それがの瞳、そして喉にすうっと引き込まれると、は
突如カクンと膝から崩れ落ちる。しかしとっさにウシワカに支えられ、
地面に倒れる事はなかった。
篭っていた妖気も晴れ、の瞳と声も取り戻し、長居は無用と
アマテラス達は再び神木村へと向かう。とりわけ仲良くしてくれている
クシナダに事情を説明して床を借り、が目覚めるのを、稲刈り
を手伝いながらゆっくりと待ち続けた。
続
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