ヴィスキオ・パニック2
がヴィスキオの『城』に来てからと言うもの、
城の中はこれまで以上に清潔に保たれていた。
全てはのため。
転んで怪我をしては大変と、廊下にはふかふかの
カーペットが敷き詰められ、グンジが仕事でいない
時に泣かれては大変と各種様々な玩具やお菓子。
万一病気にでもなられたら大変と、毎日のお風呂と
衣服の洗濯。食事の際のバランス調節。
「…なぁにやってんだか…。」
仕事の合間に城へと戻ってきたキリヲが、嘆かわしい
とばかりに盛大に、深〜いため息をついてみせた。
今朝方にはこんなカーペットもなかったし、玩具も
お菓子もなかった。今日、出かける前までは確かに
これらは何処にもなかったはずなのに。
今はちょうど昼間だろうか。
ということは、これらの仕様は全て本日の午前中に
築きあげられたものらしい。普段は白い仮面を着けて
無愛想に突っ立っているガードマンたちまでが、どこか
しら呆けているようにすら見える。
それすらもまた、がらみだ。
「情けねぇなぁ…。」
再び長〜いため息の後、いつもの様に煙草を吸おうと
取り出しマッチを擦ろうとすると、それを見たガードマン
が大慌てで駆け寄ってきて、咥えたままだった煙草を
奪い取った。
「あぁ!?なぁにしやがる!」
「ほ、本日からこの『城』は全館禁煙と…!」
「あ゛あぁああ!?」
不機嫌も此処までくればいっそ笑える。
どうせまたアルビトロが何かキイキイ言って
こんなことになったんだろう。それもこれもまた、
のため。
「あんな幼子の肺を汚れた空気で満たすわけには!」
とかなんとかほざいたに違いない。別にこの城が禁煙
になることはどうでもいい。外に行けば制限などない
いつも通りの日常が待っているだけだ。
だが、いつの間にやらこの『城』は、に都合の
よい方ばかりに変わっていく。…それが嘆かわしいのだ。
たかが餓鬼一匹のことでここまでするかね。
もともと短い方のキリヲの我慢も、すでに限界だった。
そのとき。
「あー、じじちゃんだ!」
「………」
ふかふかのカーペットがあって足音に気づかなかった。
背後から子供特有の高く甘い声がしたかと思えば、
どん、と軽い衝撃が来た。
抱きつかれたか。背後を取られたか。
なんだかいろいろな感想があったのだが、まず聞いて
おかねばならないことがある。
「今、お前ぇなんつったぁ?」
「…じじちゃん?」
「…じじちゃん。」…大方、あのヒヨコがいらん事を
吹き込んだのだろう。そしてその吹き込まれた餓鬼は、
忠実に言われたことを守っているだけなのだろう。
幼いがゆえの仕打ち、だがしかし、キリヲの堪忍袋の
緒をブッ千切るには清清しいほどの材料だった。
「手前ぇな、あんま甘やかされてっからってイイ気に
なってんじゃねえぞクソ餓鬼が!いっぺん死ぬか?」
胸倉をつかんで高く持ち上げる。幼子の体重など
キリヲにしてみれば綿毛も同然。先ほど煙草を取り
あげたガードマンの一人が、悲鳴を上げた。
だが、キレてしまったキリヲを止められるものなど
グンジやシキくらいのものだろう。一介のガードマンが
そんなことできるわけがない。仮面をしていてもそれと
分かるほどの顔面蒼白。
それをみてキリヲはなんとなく安心した。
じじ”ちゃん”呼ばわりされただけで、自分の位置は
不動のものだと分かったからだ。だが、この目の前の
餓鬼にはお仕置きの一つでもしてやらないと気が
すまない。
(さぁて、どう料理するかぁ…。)
ニヤリ、と口角をあげて笑うと、ガードマンから目を離し
の方を見直した。…見直して、落胆した。
「すごーい!ぱぱのたかいたかいよりたかいね!」
「……………。」
これっぽっちも。1ミリたりとも。
(怖がっちゃいねぇ…。)
をぶら下げたまま、首だけがうなだれる。
ガードマンはといえばどうしていいのかわからずに
固まっているし、餓鬼は餓鬼でこの有様だ。
(…そろそろ潮時かぁ…?)
などと、辞職願いってどうやってやるんだっけなと考え、
ふと、もう一度餓鬼を見ると、今度は不思議そうに
こちらを見ている。
もはや怒る気にもなれない。
「…何だ、何か俺の顔についてるかよ…?」
「んーん。」
どうせ放り投げたところでこのふかふかのカーペットが
衝撃など吸収してしまうのだろう。挙げていた腕を
下ろし、がポスンと廊下に降り立つ。
はといえば、何を思ったのかキリヲが持っている
煙草のパッケージをひっつかむと、目の前に差し出して
きた。
「あ゛?」
「ん。これ、たばこ。」
「これがどうしたよ。」
「吸わないの?」
「…手前ぇのせーで吸えねーんだよ。」
「どうして?」
「俺が知るか…。」
それでしばらくが黙り込む。
もうこれ以上付いていけないとばかりにキリヲがその場
を離れようとすると、必死に伸びてくる小さなてのひら。
キリヲのコートのすそを捕まえると、
やはり煙草を差し出してくる。
「じじちゃん、すっていいんだよ?」
「んなことしたら俺が怒られんだよぉ。」
「でもぱぱが、じじちゃんはたばこすいたいひとだって
いってたもん。ぼくたばこなんかへいきだから、ね?」
幼い頭で一生懸命考えたのであろうその言葉は、
意味だけがよくわかった。つまり。
「全館禁煙の原因のお前が良いっつーんならいいよなぁ?」
「ぜんきんかんん…?わからないけど、いーの。」
その子供はにっこりと笑い、キリヲはなんとなく渋々、
煙草を受け取る。一本取り出して火をつけて、
煙を深ぶか吸い込むと、わざとの目の前に
煙を吐いてみせた。
「げほっ!ごほっ!?」
それに当然のようにむせる。だが、キリヲの
気持ちは煙草を吸えた事もあって、比較的穏やかに
なってきていた。
「何だぁ?煙草なんざ平気だったんじゃねぇのか?」
ニヤニヤと笑いながらそういうと、なみだ目の子供は
一生懸命むせるのを我慢して、
「へっ…へいきだもん!」
と、強情を張る。シカシカする目をこすり、懸命に
何事もないように振舞う姿。…まあたしかに…
可愛…くも、ないような…。
だが。
「オイ、俺のことは”キリヲさん”って呼べ。」
「こふっ…ん?だってぱぱがじじちゃんでいいっていう。」
「あんなヒヨコの言うこと守ってたら馬鹿になるぜぇ?」
「ぱぱってひよこさんだったの!?」
「ぶはっ…はっはっはっはっは!!」
最後の言葉はキリヲのツボにはまったらしい。
ぽんぽん、と多少力は強いが頭をなでられ、
はくてんと首を傾げてみせたが、そこは
さすが順応能力に優れた子供。にかっと笑い、
「じじちゃんはたばこすってるときかっこいいね!」
「そ〜かぁ?俺が煙草吸ってるときは側にいるか?」
冗談めかしてそういうと、笑顔のままで頷かれる。
(…こりゃ…なつかれたな…。)
と、頭のどこかでそう思いつつも、
それも悪くない。
と、笑っている自分がいることに気づいた。
立ち上がり、再度仕事へ向かうキリヲに向かって、
は「じじちゃんいってらっしゃい」と声をかけた。
それに片手を挙げることで応え、『城』を後にする。
相性は最悪かと思われたが、意外にもキリヲに
受け入れられたは、これからもすこやかに
育っていくことだろう。
城に住むことの中で一番危険なこと、それは、
アルビトロの側に置いておくこと。危ないから近づくな
といえば、近づいてしまうのが子供ならではの好奇心。
ならば、誰かがそれを阻止すればいい。
自然と、キリヲはをアルビトロから遠ざける
係りへと収まってしまった。だがそれもまあまあ、
「まんざらでもねー…かぁ。」
と、今日も煙草をふかし、の待つグンジの
部屋へと、足繁く通うのであった。
続。
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