レクアズ←ベル

 昇降口へ向かう途中の広い廊下で、ベルフラウ・マルティーニはアズリアとすれ違った。
「おはようございます先生。香水をお変えになりましたのね」
「……わかるのか?」
「わかりますわよ。第一、今日が今日ですものね?」
 この不器用な教官が自分の香りを気にする理由など、たった一つしかない。赤くなってしまった彼女は、一回りも年下の自分から見てもずいぶんと可愛らしかった。学生相手には決して見せない、こんな一面も魅力の一つなのだろうな、と少し悔しく考える。
「もうすぐ来るはずですから、迎えに出るところですの。ご一緒にいかがですか?」
「いや、残念だがこれから講義がある。……そうだな、もし時間が空いたら教官室に来るよう伝えておいてくれないか」
「わかりました」
 そんなこと、伝えるまでもない。時間が空こうが空くまいが、彼は彼女の元を訪れるに決まっている。月に一度きりの貴重な訪問なのだから。
 完璧に優雅な一礼をして、すたすたと歩み去る。未練がましく背中を目で追ったりしてくれていれば少しは小気味よいのだが、そんなことはしない人だということもわかっていた。

 国境警備隊に回されたはずのアズリア・レヴィノスが、補充教官としてこの学校に派遣されてきた時はお互いに驚いた。無色の派閥との小競り合いが徐々に激化し、前線に手柄を立てるチャンスがいくらでも転がっている昨今、中央の小さな士官学校の非常勤講師などは地味すぎる閑職で、誰もやりたがらなかったので辺境警備隊から人員を割くことになったのである。いわば左遷のそのまた左遷といったところだが、必ずしもそればかりでもない。
 凛として飾らず、厳しいけれども部下思いの彼女は、男女を問わず生徒から慕われている。週末に開かれる課外ゼミはいつも満員であった。アズリアの薫陶を受けた彼らはいずれ軍に入り、それは強い人脈となって彼女の力になるだろう。それを見越した上での、レヴィノス家の落ち武者に対する辺境警備隊長官の心遣いであるらしかった。


 ベルフラウ個人としても、アズリアのことは決して嫌いではない。島にいたときからそのまっすぐな人柄には好感を持っていたし、教師としての能力も申し分ない。むやみに子供扱いせず、一人の女として、時には一人前の恋敵として、きちんと接してくれるのも嬉しかった。何よりも彼女がここにいるということは、それだけ頻繁に彼がここを訪れてくれるということでもあるのだ。
 広い昇降口に出て外を見渡す。出迎えるつもりだった人物はすでに正門の前で彼女を待っていた。
「先生!」
 完璧な優等生の面立ちが、たちまち年相応の可愛らしい少女の顔になる。門までの短い石段をもどかしそうに駆け抜けて、ベルフラウはその人物――レックスに抱きついた。
「一月ぶり、ベル。またきれいになったね」
「当然よ。日々女を磨いているんですもの」
 レックスの服に頬をこすりつけ、懐かしい島の匂いをいっぱいに吸い込みながら嬉しそうにベルフラウは答える。
 月に一度、船で三日の旅程をかけて彼が島から会いに来てくれる日。それが今日だった。
「さ、行きましょ先生! 今日の予定はぜんぶ空けたの。見せたいものはたくさんあるわ、講堂に行って、寮に寄って、それからカフェでお昼にしましょう。夕方にはお父様がいらっしゃるの。お夕食を一緒にして下さる約束よね?」
 一秒も無駄にできない、とばかりに駆け出すベルフラウと、マフラーを引っ張られてあわてて元教え子についていくレックス。先をゆく少女の背が少し伸びたことを除けば、それは半年前までの島での光景と少しも変わるところがなかった。


 新築の講堂に燦然と飾られた学区対抗召喚競技会のトロフィー(もちろん、ベルフラウが勝ち取ったものだ)を見て、来るたびに模様替えされている寮の部屋に驚いて、大通り沿いのしゃれた喫茶店で島の近況などを話すうちに、時間はまたたくまに過ぎた。今はふたたび寮に戻って、とっておきの紅茶で思い出話に花を咲かせている二人である。
 少し前からそわそわしはじめていたレックスが、おもむろに二杯目の紅茶を飲み干した。
「……ところで、アズリアは今日も仕事かな? その、会ってきたいんだけど」
 ほら、やっぱり伝えるまでもなかった。ベルフラウはだまって紅茶を口に運ぶ。ふだんなら音一つ立てずに飲んでみせるのに、ずずず、と不機嫌そうな音が立った。
「ええ、アズリア先生は今日も仕事です。西館の教官室にいると思うわ。いってらっしゃい」
「そうか、ありがとう。お父上が見えるまでには戻るよ」
 餌をもらう子犬のような、心底無邪気に嬉しそうな顔をして、レックスは出ていった。急に味が落ちたように感じられる紅茶を、ぐっとあおって飲み干す。
 別に、異存があるわけではない。気持ちの通じあう二人が恋人同士であることに、少しも異存などはない。

 レックスとアズリアは、公認のカップルである。この場合の公認というのはつまり、親が認めた関係、という意味だ。
 かつての士官学校首席とはいえ陸軍のドロップアウトで、家柄どころか身寄りさえなく、おまけに今は世捨て人同然の男などとの交際を厳格無比なアズリアの父親がどうして許したか、それはベルフラウのみならずこの二人を知る皆にとって最大の謎の一つである。つきあい始めてまだ日の浅いある日、決然と二人手に手をとってレヴィノス家に乗り込み、延々五時間半にわたる問答の間に何があったのか、レックスは照れて語らないし、アズリアは微笑んで語らない。
 レヴィノス中将は一本気な人物であった。ひとたび心に定めたら決して曲げない気質は娘にも息子にもきっちり受け継がれている。かくて実家の全面的な応援を受け、月に一度しか会えないというハンデもものともせず、二人の交際は続いている。そのこと自体に文句はない。むしろ拍手を送りたいくらいだ。
 ただ、個人的なわだかまりがないといえば、それは嘘になる。



 放課後の人気のない校舎の廊下を、ベルフラウは足音を立てないように歩いていた。
 それは彼女にしては珍しく、子供らしい稚気とでもいうべきものだった。二人の邪魔をしようと思ったわけではない。ただちょっと覗き見をしてみて、彼が何かバカみたいに恥ずかしい睦言でも口にしたら(きっとするに違いない)、それをタネにしてあとでからかってやろうと、そんなことを考えていただけだ。あんなに嬉しそうにアズリアの所へ行った先生がちょっと癪にさわるから少しいじめてやろうと、そう思っただけなのだ。
 教員用の通廊に入る。ここから先は生徒が用もなくうろついていたら見咎められるから、注意しなくてはいけない。さいわいここにも人影はなく、こそこそとアズリアの教官室を目指す。派遣教員であるアズリアは廊下のはずれに小さな個室を与えられていて、こういう時にはそれが好都合だった。
 ドアに近づいていくにつれ、不思議な物音がベルフラウの耳に聞こえてきた。
「ん……んっふ…………」
 この西館は古く、部屋によってはドアを閉めても枠との間に隙間ができる。その隙間の広がったところを見定めて片目をあてたベルフラウは、そのまま動けなくなった。
「ふぁっ…………レッ、クス……っ」
 隙間の向こうに見える二人は、キスをしていた。

 キスくらいなら、ベルフラウの予想の範疇である。それが舌をからませ、唾液を交換しあう濃厚なキスだったとしても、耳年増な彼女を驚かすほどのものではない。ただし、アズリアの上着が大きくはだけられ、スラックスもずり下ろされて、半裸の状態でソファの上に押し倒されているとなれば、話は別だった。
「んむ……は、や、止め……」
「やめないよ」
 レックスの片手はアズリアの背中を支え、もう一方の手ははだけられた胸をまさぐっていた。清楚で飾り気のない下着のふくらみを撫でるたびに、むき出しになった脇腹から腰にかけての白い肌が大きくうねって、肋の線が浮いてみえる。アズリアの手はレックスの腕をつかんでいたが、それは抵抗しているのか、それとも誘導しているのか、すでに当人にもわかっていないようだった。


 唇が離れるたびに、切ない喘ぎ声が洩れる。深い深いキスの合間にレックスは首筋、おとがい、耳たぶへと絶え間ない愛撫の舌を這わせつづけ、アズリアの首から上は熱病にかかったように真っ赤になっていた。
「ふや……あ、や……駄目…レックス、こんな…所、で……」
「誰も来ないから大丈夫だよ。今日は今しか会ってられないんだし、さ……」
 対するレックスも、言葉遣いこそ落ち着いているが息は荒い。くったりと力の抜けたアズリアの上体を抱き上げて下着をずらし、控えめな大きさの乳房を口にふくむと、たまらないような呻き声を上げてアズリアはレックスの背中に手を回し、ふるえながら抱きしめた。
「……それにアズリア、こういう風に恥ずかしくされるの、気持ちいいでしょ?」
「ば…かッ……!」

 レックスがここへ滞在するのはふつう丸一日。その間、昼間はベルフラウの時間であり、夜はアズリアの時間、と二人の間には暗黙の了解ができている。ただ今回に限っては、父マルティーニ卿の上京と重なったために晩餐を共にすることとなり、夜もベルフラウの時間になっていた。だから、確かに二人が会えるのは今しかないのだ。となれば、限られた時間を当たり障りのない睦言などではなくもっと激しく濃密に使いたいと、そう考えるのも妥当ではあるかもしれない。
 しかし、こんなレックスを、ベルフラウは知らない。
 彼女の知るレックスはいつでも穏和で、からかえばからかうだけ相手になってくれて、戦いになれば別人のような強さを発揮するけれども、基本的には根っからいじられ役の似合う、そんな人だった。今、恥ずかしがるアズリアの首筋を甘噛みし、抑えきれない嬌声を上げさせて嬉しげに微笑んでいるような、こんな人をベルフラウは知らない。
 本当に好きな相手には、こんな態度をとるのか。こんな表情も見せるのか。
 とっくにわかっていたことではあったが、それはひどく悔しくて、そのためにいっそう、ベルフラウは扉の向こうの痴態に釘づけになっていった。


「ほら……お尻、上げて?」
 アズリアの体をひっくり返し、ソファの肘掛けに手をついて四つん這いの格好にさせる。何をされるのか察したアズリアは赤い顔をますます赤くしたが、それでも抵抗はしなかった。
 突き出された腰をレックスの大きな手が抱え込む。獣の体勢でレックスはズボンを下ろし、背後からゆっくりとアズリアを貫いた。
「はふ……!」
 泣きそうな、それでいて満ち足りた声。アズリアもまた、ベルフラウがかつて見たことのない甘くとろけきった表情をしていた。
「んっ……ん……!」
「ふぁっ……はぅ、あ、あ……レク、れ……!」
 レックスの腰が前後に動くたび、ぷじゅ、というような濡れた音と嬌声とが狭い教官室に響く。その前後の動きの中に微妙な回転や上下動が加えられ、それがアズリアをよけいに甲高く泣かせていることまでは、さすがにベルフラウの理解も及ばない。
 レックスが上体をこごめ、アズリアにのしかかるような姿勢をとる。黒いつややかな髪をかき分け、大きめの耳たぶを後ろからねぶるようにして唇をうごかす。
「ねえ……アズリア? もしも今そこのドアが開いて、誰かが入ってきたら、どうだろうね?」
 扉の内と外で、アズリアとベルフラウが同時に息を呑んだ。アズリアの形のよい眉が、快楽とは別の理由でぎゅっと寄せられる。それを楽しそうに見ながら、レックスは続ける。
「神聖な学舎の教官室でさ、いつも凛々しいアズリア先生が……こんなはしたない格好で、だらしない顔して、エッチなことしてるのを見られたら……どう?」
「や…や……っ、そんらこと、言うなあ……あ、あ……!」
 もしや気付かれたのかと思ったが、そうではない。レックスは単にアズリアの羞恥心を煽り、より一層高ぶらせるためにそんなことを言っているのだ。そして、それは確かに効果を上げていた。抑えきれぬ喘ぎ声は次第に高く、切なくなってゆき、突かれるままだった腰はいっそうの結合を求めて自らうねり始めている。

 アズリアの細いあごに手がかかり、背後へねじ向かせた。上体を半分ひねった無理な体勢でアズリアは懸命にレックスの唇に吸い付き、夢中で舌をからませる。それを強く抱き寄せるレックスの腕もまた、興奮と快楽でふるえていた。
「アズリア……アズリアっ……」
「れく……レックひゅ……ん………ッ!」
 その一瞬、ベルフラウの目には二人が一つの生き物になったように見えた。二つの肉体はまったく同じリズムで収縮し、痙攣し、静止し、それから弛緩した。
 それで、二人が絶頂を迎えたことがわかった。

 自覚はなかったが、ベルフラウも同時に達していた。太ももをくすぐったい感触がつたい落ちて、それで我に返る。
「…………!」
 誇り高きマルティーニ家のベルフラウが、出歯亀のごとく他人の情事をのぞき見て、おまけにイッてしまうとは。興奮で赤くなった顔が、羞恥でさらに赤くなる。
 扉の向こうの二人は絶頂の後の脱力感に身をまかせつつ、ゆったりと愛おしげな愛撫を交わしている。ベルフラウはその光景から目を引き剥がし、びっしょり濡れた下着の気持ち悪さをこらえつつ、誰もいない廊下をぱたぱたと戻っていった。



「……それでね、とうとう私たち学生の意見が通って、裏門沿いの道に街灯が設置されることになったのよ。そうでしたわね、アズリア先生?」
「ああ、そうだな。教授会の席に立って堂々と弁論したベルフラウは立派だったよ」
 郊外に建つ瀟洒なホテルのディナールーム。ベルフラウのたっての願いで、今日の晩餐にはアズリアも招かれることになった。
 自分の見込んだ家庭教師が、軍閥の名門レヴィノス家の令嬢と交際するほどの男だったのがよほど嬉しいのだろう。マルティーニ卿はさっきから上機嫌でレックスとアズリアを見比べながら、愛娘の学校生活の報告にいちいち相づちを打っている。
「だいたい伝統といえば聞こえはいいけど、要するにあの学校は古いんですわ。気質のことだけじゃなく、校舎だってオンボロなんだから。アズリア先生のいる西館なんか壁もドアも隙間だらけで、部屋の中で変なことをしたら廊下や隣の部屋に筒抜けになってしまうのよ。ね、レックス先生?」
 ごふ、とレックスがむせた。その隣でアズリアが、フォークに刺した肉片を取り落とした。
「なっ……ちょ、ちょっと待、ベル、それは…!?」
「一般論ですわ」
 すました顔でナイフを操り、皿の上のソテーを切り分けて口にはこぶ。シルターン風の上品なソースがおいしい。
 レックス自身がいみじくも言ったとおり、神聖な学舎の教官室であんなことをしていた方が悪いのである。それに結局の所、こんないい女を振ったのだから、たまにきつくからかわれるくらいの報いは当然とすべきではないか。
 なにやらひどく楽しそうに食事を進めるベルフラウと、その隣で赤くなって目を白黒させている二人を、事情を知らぬマルティーニ卿がきょとんと眺めていた。


End

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