ヤード×ミスミ・2「……キュウマさんから、最近風雷の郷に不吉な影があると持たされていたこれが、まさか役に立つとは思いませんでした」 林の間をすり抜けた陽光に、白銀の刃が光る。 振り下ろされた苦無は、ヤードの喉元に噛み付く寸前のところで、彼の持つ短剣にその切っ先を妨げられていた。 思い望む結果を得られなかったミスミは、ヤードを突き放し風に乗ってふわりと大きく飛び退く。 感情の欠落した表情でヤードを睨みつけた。 「……いつから気付いておった」 「初めから違和感がありましたよ。あの人はこの郷を“妾の”等とは決して言いませんからね。さらに言うなら、疑惑が確信となったのはスバル君についての貴女の言葉です。あの人がスバル君を蔑ろにする事など絶対に有り得ません」 土を払いながらヤードが立ち上がる。服の内に隠されていた鞘へと短剣を収め、代わりに取り出したのは持つ者の魔力を増幅し、集中の手助けとなる能力を備えた短杖。 「成る程な。あの女の事ならば良く理解している、という訳か」 仮面のようだったミスミの顔が、再び微笑みの形を取る。 「ふむ……度胸もあり、頭も切れるか。妾の好みに適うな。ここで殺すには少々惜しい男よの」 見た目だけで言うのであれば、そこには間違いなく風を操り舞う美しき鬼の姫がいた。 だが風雷の郷の者であれば誰もが間違いなくこう思うであろう。 コレは違うと。 このような邪悪な風を纏う者が我等が郷長の筈は無いと。 ミスミの面を被ったまま、黒い妖気を発する目の前の存在にヤードは目を細めた。 「あの女が心を許し、且つ度々二人きりとなる貴様に為り代わりて近付こうと思うておったが……どうじゃ、妾に手を貸さぬか。聞けば貴様もあの女を憎からず思うておるようじゃからのう?」 目の前の存在の笑みが変わる。より黒く、より淫蕩なものへと。 辛うじて両肩に残る着物に手が掛けられた。 大きくはだけられた着物の合わせをより寛げ、雪の様な肌を胸の谷間まで外気に晒す。 すると、ミスミのようなそれは自分の手を着物の内へと差し込み、豊かな二つのふくらみをまさぐり始めた。 ヤードへと見せ付けるように。 自らを慰めるのでは無く、まるで陵辱を加えるかの様に両の乳房を弄び続ける。ぎりぎりまで露出させられていた乳房は、妖しく踊らされ遂には桜色の先端をしこらせて外へとまろび出た。 赤い舌が顔を覗かせ自身の唇の上を這い回る。その様は蛇が獲物に巻きつく光景を連想させた。 「ふふ……妾に従うというのであれば、この姿で伽の相手もしてやるぞ? 悪い話では無かろうて。妾には比べるべくも無いがこの身体も中々のもの。この世のものとは思えぬ快楽を貴様に与え……」 「黙りなさい」 ただ一言。それの言葉を、ヤードの声が遮った。 重く、深く、そして――冷たく。 その声はこの場にあるあらゆる物を凍りつかせていく。何一つの例外も許さずに。 これは果たして本当にあの穏やかで優しいヤードが発した言葉なのか、そう思わずにはいられない冷徹な声。 「それ以上一言たりともその顔で、その声を発する事は許しません。今すぐ本当の姿を現しなさい」 冷たい炎。 そんな矛盾した形容こそ、今のヤードに当て嵌まるものだろう。 静かに佇む彼の内には、激しく燃え盛る怒りがあった。 拒否も反論もさせぬ――しかしそんなヤードの烈しい眼差しさえ、それには心地良い微風程にしか届かなかったのか。 相変わらずの艶やかな笑みを絶やさず、いや一層その淫気を濃くしていく。 「何とも剛毅な男よの。その意気に免じて貴様の願い聞き届けて進ぜよう。かつての姿を見せられぬのが聊か心残りではあるがの」 そう言うと、辺りに巻いていた風がそれの元へと集い、それを覆っていった。 木々は揺れ、その腕に抱える緑を舞い散らせていく。 段々と強さを増す風に、ヤードは僅かに目を伏せた。 やがて風の強さは頂点に達し、弾け飛ぶ。 瞬きの隙に跡形も無く消え去った風の集っていた場所には、代わりに一人の女が立っていた。 「…………」 ヤードはその姿に訝しむ様な視線を送る。 朱色の袴は踝まで届く裾に深い切れ込みが入り、すらりと伸びた脚を惜しげもなく見せている。 白の上衣は肩口から先が無く、代わりに重ねられた呪符を袖として、その女を封じるかの如く細く白い腕を覆っていた。 所々に朱紐で結わえられた鈴や勾玉、そして紅白二色からなるその服の色あいは、伝え聞いた事のあるシルターンのミコが着る服を思わせるもの。 だが女は操を重んじ、身を潔く在り続けなくてはならないというミコには、纏う気が淫らに過ぎる。 身体の線を曖昧にする着物を着ていても分かる見事な曲線は、男を誘う為だけに存在する業の体現。 何より、女の生やした金色の尾は、彼女がミコはおろか人間ですら無い存在である事を雄弁に語っていた。 「その衣装、そして仮面……どこかで」 そう、そして女の格好にはもう一つの特徴があった。 顔の上半分を隠す仮面。 鋭い曲線を描く顎とすっと通った鼻筋だけでもさぞかし美しい顔立ちであろうというのは想像が付く。 だというのに、その素顔は仮面によって視線を隠されていたのだ。 獣の頭を象ったと思しき仮面には、中央に一筋の亀裂が走っていた。 「ふん。貴様も見覚えがあろう。あの女の式と成り下がった妾を」 女の声に憎しみが混じる。 自身の仮面へと真っ赤に染められた爪を立てるが、しかし仮面も恐らく袖の符と同じく女を封じる呪具の一種なのだろう、外れる気配は無かった。 「仮面を被ったシルターンの召喚獣……確か名前は“狐火の巫女”九尾狐姫……でしたか。ですが貴女はあの人の使役する召喚獣の一人だった筈。それに姿も雰囲気さえも違う。一体……?」 「貴様の見た式は九に分けられた妾の尾が末じゃ。全くもって忌々しい……この仮面さえ無くば、とうに復活を果たし九ノ尾を取り戻して鬼妖界に再び混乱と享楽の淫毒を振りまいておるものを……」 整った爪を噛む。ぎちり、と鋭く尖った犬歯が白魚の様な指先を食い破り、紅い珠を浮かび上がらせた。 「やっとの思いで蜘蛛の糸より細き封印の綻びを潜り抜けてみれば、力の大半を宿した末の尾の気配が鬼妖界の外と繋がっておるではないか。あの時は怒りで気が狂うかと思うたぞ」 紅は指から零れ、地に届く前に蒸発した。 符では抑えきれない妖気が、九尾狐姫の周りに彼女の二つ名に背負う狐火を燃やしたのだ。その火は再生と浄化を担う護法の焔と対極にある、禍々しき破壊の力。 女魔の言葉と炎に、ヤードは大凡の事情を汲み取った。 「……そういう事ですか。つまり貴女はかつてシルターンで調伏された魔物の一匹。力を分けて封印され、しかし貴女は封の隙間を突き、分けられた力を取り戻そうと」 「奪われたのならば取り返すのが道理であろう。仮面により自我を封じ罪の償いと称して妾の力を術士に貸し与えた鬼神龍神どもに、妾の内で八つ裂きにしても飽き足らぬ恨みが渦巻いておるわ」 サプレスならばまだしもシルターンの術にはそう明るいわけではないヤードは知るべくも無かった。 女魔が、かつて鬼妖に名を轟かせた傾国の美貌を誇る大妖怪の分身である事など。 それでも、九尾狐姫の持つ凶悪な邪気は只ならぬと感じ、自然と杖を持つ手に力が入った。 「末の尾さえあればこんな封を破る事など造作も無い。だがあれを取り戻すには式にしている者が邪魔での。こうして妾自ら出向いてやったという訳じゃ。壁を越えるのには貯えた力を殆ど使ってしもうたわ」 「貴女の様な危険な存在を野放しにしておく訳にはいきませんね。このまま元の世界へと還るならよし、そうでなければ私が貴女をリィンバウムより立ち退かせる事になります」 「つれない男じゃ。苦労して此界に来た妾に手土産の一つも無しで還れとな?」 九尾狐姫が手を振ると、どこに潜んでいたのか、鬼面の忍達が彼女の周囲を守るように現れた。 「此方で虜とした者達じゃ。心を縛ったため人を欺くような芝居は出来ぬ様になってしもうたが、単純な仕事なら良く働いてくれるので重宝しておる。例えば……目の前の男を殺せ、といった風にの」 仮面の下の目が、狂気に輝いたのをはっきりと悟った。 空いた手がポケットの中を探り、召喚の印が刻まれた石を確認する。 幾度と無く繰り返されてきた行為は、目で確認せずとも指に触れればそこにある石が何と契約した証なのか伝えてくれた。 ――ダークレギオンとスヴェルグ、プラーマは無し、か。聖鎧竜は元より秘伝の陣が無くては使えませんが……手持ちの石でやるしかありませんね 「残念ながら私は死ぬ訳にはいきません。まだ今日の授業が残っているのですから」 「案ずるでない。貴様の生徒も後から送ってやろう。貴様の分の六文銭も持たせておくから、安心して……」 横へと伸ばされていた手が、ヤードを指す。 殺気が膨れ上がる。 「…………先に逝くがよい」 九尾狐姫の人形となった鬼忍達が、一斉にヤードへと飛び掛かった。 「盟約に応えよ、黄泉に潜む者よ!」 天へと放たれたヤードの魔力が虚空を撃つ。 穿たれた穴から黒の旋風を伴い、ソレは現れた。 ソレを喚んだのならば、ソレの方を向いてはならない。 万が一、ソレを見ようものなら、恐怖に心は凍り、言葉を失ってしまうから。 恐怖と沈黙の支配者――ブラックラックがヤードと鬼忍達の間の中空へと舞い降りた。 不吉な黒衣に身を包んだブラックラックが、無言で前方へと視線を向ける。 黄泉に繋がっているこの悪魔の虚ろな視線は、彼の住処である黄泉の一端をその場に現界させるのだ。 邪眼に貫かれ、鬼忍達の脚が一瞬怯んだその隙に、ヤードは背後の林へと駆け出した。 続く 前へ | 目次 | 次へ |
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