リンリ×エッジ・前編



「それにしても、相変わらずここは暑いなあ……」
ハンマーを担いだ少年が、山あいの道を行く。
道から外れてしまうと、あたりに湧いている熱湯の溜まりに落ちてしまうこともあり、彼の足取りは慎重なものだ。
ここは湯けむり温泉地獄。
シルターンの気風を強く残した、有数の温泉山地である。
「ホントです……ボクもすっかりびちょびちょです」
――と、冒頭の呟きに対して、彼の傍らを歩いていたものが答えた。
「うわ、ホントだ。毛が全部しなってるよ、アーノ」
「やっぱりですか……」
アーノ――メイトルパから来た獣人の少年は、自分の毛並みを見てふうと息をついた。
「やっぱり雪山の方が良かったかな? 武士の心得はもう三個くらい揃えたんだし」
「そんなことないです! あっちは寒くてブルブルです!」
強く拒絶する護衛獣に、ハンマーの少年――エッジ・コルトハーツは苦笑を浮かべた。

ゴウラの事件が終結してからというもの、エッジは専ら鍛冶の仕事に打ち込んでいる。
何故かと言うに。

ゲドーやグレンのたくらみは打ち砕かれ、大団円の終わりを迎えた――とはいえ、全てが元通りになった訳ではない。
何より大きいのが、親友たるリョウガ、そしてその姉のリンリとの別れだ。
あれだけ村に迷惑をかけ、しかも召喚獣だったのでは、流石に居続けることは出来ない。
そんな理由にエッジとしては納得できるものではなかったが、本人達が決めたのだから口の挟みようもなかった。
親友との別れ。そして、リンリに対してはいつの間にか芽生えていた、『友人の姉』などという言い方とはまるで違う思いが。
エッジにとっては、ひどく重いように思えたのだ。

――そんな思いを振り切るように、彼は一心に鍛冶の鍛錬に打ち込み続けている。
(リンリさんは、また会えるって言ったけど……)
ふと足を止めて、エッジはところどころに立っている鳥居を眺めた。
シルターン由来のこの建造物は、神の門としての役目を果たしているらしい。
神といえば、あのゴウラもあれだけの力を備えていれば立派に神と呼べるものだろう。
そして、リンリはその眷属だった。だとするなら、神の眷属がその門の周りにいたとしても――
「ご主人さま。どうしたですか?」
「えっ」
取りとめもない思いを走らせていたエッジは、アーノの言葉で気を取り直す。
「あ、うん。ちょっと考え事をしてたんだ」
「悩み事なら、ボクも力になりたいです」
「いや、悩みっていうほどのものでもないからね……」
心配してくれた護衛獣に微笑みを返しながら、少年はふう、とため息をついた。
「今日はこの辺で引き上げようか。なんだかいつもより暑いし、真巫女ザル鬼と戦う気があんまり起きないから」
「ご主人さま……元気ないですか?」
「……ちょっとだけね」
悩みはないと言われても、この様子では主人が不調なのは明らかだ。
アーノもすぐに理解したが、しかしエッジ本人に悩みがないと言われては助けようもない。
「うぅ……」
自分の不甲斐なさに、護衛獣はうぅと唸る。
不調なご主人さま。なんとかして、助けて――治してあげたい。
「……治す、です……」
それを閃いた瞬間、アーノの頭に一陣の疾風が駆け抜けた――と本人は感じた。
「ご主人さま! 元気がないなら、それを治せばいいです!」
「え……?」
言うが早いか、エッジの袖を引っ張って風の子は歩き出す。
「か、帰るんならエスケープで……」
「エスケープじゃ駄目です。せっかく治すですから、いい場所に行くです!」

そしてもって。
途中で出会ったはぐれ召喚獣などは、実力をつけた二人の敵ではまったく無く――
アーノの言うところの、『いい場所』に辿り着いた。
「ってここ、温泉じゃないの?」
「はいです!」
見渡す限りのお湯と湯気。
以前、ここで些細な誤解から忍者の兄妹と戦う羽目になった、広い温泉、である。
「ここで、ご主人さまの元気がないのを治すです」
「うーん……」
アーノはキラキラとした目でこちらを見つめている。
確かに、温泉に入ることで様々な病気、怪我が治ると聞いているが。
「でも、温泉で悩み事が解決するかどうかは……」
「大丈夫です。クウヤさんもコヒナさんも、ここでいっぱい治ってたです!」
「そう言われればそうかも……」
こう真剣な眼差しで言われていると、段々正しい気になってくるものだ。特にエッジという少年は。
「うん、気分転換にもなるだろうし、温泉に入ってみよう」
「入るです!」
一度決めるとエッジの行動は早い。
そのまま、温泉に一気に突撃しようとする――服を着たままで。
「あ、ダメです!」
「えっ!?」
片方の膝がお湯につかったあたりで、アーノが慌てて主人を止めた。
「コヒナさんが言ってたです、温泉に入る時は服を脱ぐです」
「あ、そっか……忘れてたよ」
あはは、と少年は屈託無く笑う。
改めて服を脱いで、裸になったエッジはふと隣の護衛獣に目をやる。
「あれ? アーノ、脱いでない……」
「ボク、温泉には入らないです」
自分が誘ったくせに、とエッジは首をかしげた。
「入らないって。どうして?」
「ボク、耳に水が入ったら死んじゃうです!」
「え、そうなの!?」
「ハイです」
「そ、そうなんだ……」
随分と意外である。というよりそれはウサギの話じゃなかっただろうか。
「だから、ボクはその辺で遊んでるです」
「いや、遊ぶったって……」
「それじゃご主人さま、ゆっくり治してくださいです!」
とてとてとアーノは走っていった。止める暇もあればこそ、である。
「あ……大丈夫かな。この辺、はぐれ召喚獣もいるのに……」
今のアーノの実力なら、多分大丈夫だろうとは思うのだが。
「耳に水っていくらなんでもそんな……あ、ひょっとして、たまには一人でゆっくりしろってことかな?
 ……そっか。せっかくアーノが気を遣ってくれたんだから、無駄にするのも悪いし……」
仕方ないと自分を納得させて、エッジは温泉の方を向いた。
そっと足をお湯に入れて――
「うわ、熱い……」
少しだけ我慢しながら、底の岩場を踏みしめ、ゆっくりと深いところへ進む。
足首、膝、そしてお腹――お湯につかる部分が増えていくうちに、身体が熱で包まれていくのが分かる。
「なんだか、不思議な気分だなあ」
布団に包まれているのとも違う、不思議な暖かさだ。
そしてある程度の深さの場所まで来た時に、エッジはゆっくりと腰を下ろし――湯船につかった。

「ふう……」
自然と声が漏れた。
湯につかった一瞬は熱いと感じたが、すぐに熱さは温かさに変わる。
鍛冶をしている時も温かいので、熱には慣れていると思っていたが。こうしてみると温泉とはまったく別のものだ。
表面だけではなく、奥にまで温かさが浸透してくる。
かわりに、身体に溜まった悪いものが抜けていくかのようだ。
「確かにこれなら、どんな怪我でも治って不思議じゃないかな……」
一人で納得しつつ、少年は足を伸ばしてくつろぐ。
その付け根のあたり、股間部はタオルを置いて隠してある。
エッジも年頃なのだ。誰もいないと言っても、屋外で堂々と晒すことは出来ない。
「はぁ……こんないいところなら、一度リンリさんを連れてきてあげて……」
ぼんやりと呟いたその独り言に、エッジ自身がはっとする。
「……リンリさん、か。今頃どこにいるんだろう」
彼女が村から出ていく時に言葉を交わして、それ以来一度も会っていない。
リョウガも一緒のはずだから、生きていくのに不都合はないはず――ではある。
更に言えば、ゴウラの眷属たる彼女達はかなりの強さだ。
エッジ自身、幾度か刃を交え、その力が紛れも無く人外のそれであることを知っている。
ましてや、ゴウラそのものが復活を遂げた今、場合によっては故郷に帰ることさえ出来るのかもしれない。
「帰っちゃうのかな、リンリさん……リョウガ……」
それは、何だかとても寂しく、辛いことのように思える。
本人達にとっては、帰る方が良いに決まっているのに。
「……また、会いたいな」
またため息を吐く。これでは、アーノの心配りも無駄に終わりそうだ。
もう少ししたら、温泉から上がって帰ろう。そう、エッジが心に決めた、その直後。
「お湯の中にタオルをつけるのは……」
後ろから、穏やかな声が聞こえてきて。
「えっ!?」
慌てて振り向いたエッジの、股間を隠すタオルが――
「マナー違反よ、エッジ君」
優しい微笑みを浮かべた、憧れの人によって。
そう、同じく一糸纏わぬ姿の、リンリの手によって奪い取られたのであった。

「あっ……あ、ああっ……!」
会いたいとばかり考えていた人が目の前にいる。
その事実に気が逸って、エッジは言葉にならない言葉を漏らすだけだ。
もっとも、それ以上にお湯の中で揺れている豊かな膨らみが頭を混乱させているのだが。
「はい、こうして頭の上に乗せて……出来上がり。
 エッジ君のことだから、知らなくても無理はないんだけど……これからは気をつけてね」
頭の上に、綺麗に折りたたまれたタオルがちょこんと乗せられる。
そうしてから、リンリは湯船に浸って柔らかな微笑みを浮かべてみせる――が、エッジにとってはそれどころではない。
「な、な、なな、なんでこんなところに!?」
「リョウガが温泉に行きたがっていたから……私も、見るだけではなくて入ってみたかったからね」
「は、はあ……」
言われてみると、納得のいくような説明ではある。
「ここはシルターンにも似ているから、居心地もよくて……今後のことを考えるのにも何かといい場所でしょう」
「そ、そうですね」
疑問はある程度解けてきたが、エッジはどこに目線を置けばいいのかで迷っていた。
本能的な反応とでも言うべきか、ついつい胸の膨らみに目がいってしまう。
だが、あからさまにそんな場所を見るのは少年の理性と矜持が咎めて、必死で目を逸らそうとするのだ。
その二つが激突して、結果あちこちに視線が飛び回る挙動不審の状態になってしまっている。
「それで、こうして温泉に入っていたら、なんだか聞きなれた声がするでしょう?
 エッジ君とアーノ君だってすぐに分かったから、驚かせてあげようと思って気配を殺していたのよ」
「全然わかりませんでした……」
「ふふ……そうでしょうね。エッジ君、あまり元気がなかったものね。
 気合が充実している時ならともかく、今の状態では私が本気で気配を消せば感知できないわ……」
ゴウラの眷属であるリンリは、彼女自身が類稀なる力の持ち主でもある。
このたおやかな見た目からは想像もつかない、力と技の使い手だ。
――まあ、だからと言って彼女の美しさ、優しさが消えるというものでもない。
そんな彼女の乳房も、当然のことながら湯気の間に姿を現し、エッジの視線を虜にしようとするくらいだ。
「それで、どう? 元気は出たかしら……?
 この温泉、シルターンでも滅多に見ない良質のものだから、身体にはとてもいいはずなのだけれど……」
「は、はい! 凄く元気が出ました!」
反射的にエッジは答えた。
元気が出たのも、温泉のお陰というよりはこうしてリンリに再会できたことが大きいのだが。
ついでに言えば、今現在身体のある一部分に猛烈に元気が出始めている。
15歳の少年にとっては、何しろ魅惑的に過ぎるものが見えているのだ。
「そう、それは良かったわ。エッジ君に元気が無いと、私も不安になってしまうから。
 あなたには、いつも元気でいてほしいの……」
「は、はい……」
僅かに影のある彼女の言葉に、うろたえていたエッジも少しだけ冷静さを取り戻す。
「あんなことをしてしまって……結果的には良かったと言っても、エッジ君には本当に迷惑をかけてしまったのよね。
 こんな風に話しかけるのも、本当は悪いんじゃないかって思って……
 それでも、どうしても気になってしまうの、あなたのことが」
リンリは瞳を閉じて、ゆっくりとそう語る。
「僕は、全然平気ですから……あ、いや、リンリさんに心配されるのが迷惑ってことじゃなくって、
 もう、そんなことで悩まないでください、リンリさん」
「……有難う、エッジ君」
ふ、と彼女は微笑んだ。
まだ影は完全には消えないが、幾分柔らかくなったようなその顔に、エッジもつられて微笑み返す。
「ふふ……」
そうして、二人で笑いあっていて――不意に。
「ところでエッジ君。見たいのなら、もっと堂々と見た方がいいわ。
 ……私としても、エッジ君にならむしろ見られたいくらいだし……」
「――え」
「温泉の中では裸の付き合いをするものだから……何も、そんなに必死になって目線を逸らさなくてもいいのよ?」
「あ、あ、あの、そ、それ、それは、その、えっと、あのっ――」
思いっきり気づかれていた、ようだ。

本人の許しをもらったからと言って、じっくりと眺める訳にもいかない。
「ご、ごめんなさい! そういつもりじゃ……なくて、その……」
うつむいてしまったエッジに、リンリはそっと近づき、耳元に顔を寄せた。
「そういうつもり、でも私は構わないわ」
「……え、えっ!?」
「理由は色々あるのだけど……何より、エッジ君は可愛くて、それに頼もしいから。
 こういう人に抱いてほしいって、ずっと思っていたのよ」
「だ、だ、抱いて、って、あ、あのっ……!」
少年の脳髄を、言葉が衝撃の波になって走り抜ける。
「勿論、ただ抱きしめるだけではなくて、その先も含めて……ということ。
 ……ねえ、エッジ君。私、まだあの時のお詫びもしていないから――
 迷惑でないのなら、あなたの情けを、私に貰えないかしら……?」
途方も無い申し出だ。この言葉だけで、エッジは何か遠いところへ達してしまう気さえした。
ただ頷くだけで、今まで夢想の中だけだったものが手に入る。
密かに思ってきた人が、こんな誘いをかけてきてくれている――
――けれど。それでも、エッジはエッジであって。
「で、でも、そういうのは……駄目だと思い、ます……」
「……どうして?」
拒絶、というものではないにしろ、否定の言葉が返ってきたことでリンリは少しだけ残念そうな顔をする。
そうなることも考えていないではなかったが、実際に言われると悲しいものだ。――が、
「だって、お詫びだなんて……そんな理由で、リンリさんと、そういうことは出来ません、よ。
 僕、リンリさんのことが好きですから、お詫びだとかじゃ……嫌なんです」
「好き……? 私のことが?」
「はい……リョウガの姉さんってだけじゃなくて、女性として……僕、リンリさんが……」
どんどん声が小さくなっていって、最後はもう流れるお湯の音にかき消される程だった。
「そう、なの……有難う、エッジ君……」
「は……はい」
真っ赤になって俯くエッジの顔に、リンリは両手を添えて――
「……ん」
唇を、少年のそれへと重ね合わせた。
柔らかで、熱のこもった感触をエッジは受け取る。
不意の口付けに、何も対応できずただリンリの柔らかさを受け止めるばかりで、エッジの身体が弛緩する。
そして唇が離れると、今度こそ彼にとどめを刺す言葉が放たれる。
「それなら、お詫びなどではなくて。ただ、愛しい人として、あなたに抱かれたいの……」
「…………」

――エッジは、頷くことしか出来なかった。


つづく

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