宿屋の非凡な日常 2忙しい昼食時は過ぎ、ライ達は安堵の息を吐いた。 しかしようやく今日の戦いを終えられる予定のはずが……また新たな敵が侵攻してくるとは。 「はい。ここの人気メニュー、ギネマ鳥のソテーだよ。ギアン、クラウレ。ゆっくりしていってね」 「ああ、すまないねエニシア」 「有難うございます」 エニシアの持ってきた料理を受け取りながら、ギアンは彼女に微笑む。 ……気まずい。とにかく気まずい。 店の外で起こった出来事は聞いたが、まさかエニシアがそんな目に遭いかけていたなんて。 彼女は「すぐに助けて貰ったから、私は平気だよ」と笑っていたが、そんな言葉で安心出来るはずもない。 もしギアン達が来ていなければ……と考え、ライは自身の不注意を内心恨んだ。 「あれが店の外だったのが不幸中の幸いだよ。ボクはエニシアのバイト中は、暇さえあれば城からここを見てるからね」 どんだけ暇人だよ、と突っ込みたかったがライは唇を噛み締めて堪える。 突っ込めるものなら、彼が着ている一張羅と思わしき、縦縞灰色スーツと胸元を見せた黒シャツにも物申したいのだが。 「それじゃあライも今のうちに休んでおいてね?私が洗い物を済ませておくから」 「お、おう」 そう言ってエニシアは笑い掛けると、厨房へと向かっていった。 ギアンと居合わせるこの状況で彼女に抜けられるなんて心細いもいいところだが、引き止めるわけにもいかない。 空間を支配する沈黙にライが耐えかねていたとき。 「はいはい、湿っぽい空気はこの辺で幕にしましょうよ。せっかくの美味しい料理が台無しです」 重い空気を破ったのはシンゲンだった。 彼は食後の緑茶をすすった後、静かにそれをテーブルに置く。 「しかし何ですなあ。お宅の姫君は日に日に女性としての魅力を増しておられる。お客の視線を見ていても分かりますよ」 「それでさっきのような悪い虫がまとわりついてきては、ボクとしても困るのだがね」 「そこですよ!自分としては、彼女に手を出そうとする輩を排除するためにも、御主人にはとっととツバを付けておくべきだと提案したいんですが」 「お、おおおい待てよシンゲン!?」 またしても急にとんでもない発言をする眼鏡侍に、ライは紅潮しながら飛びかかる。 まだエニシアへの気持ちは、ほとんど周囲に知られていないはずだ。 狼狽するライをよそに、シンゲンは平然と続ける。 「同じ場所で働いてるわけですし、仲も宜しいようですし、自分としてはお似合いだと思うんですけどねえ?……それに御主人、もう十五歳でしょう」 「そうだけど……何だ?」 ライの問いで意味深な笑みを浮かべるシンゲンに、一抹の不安を覚える。 「自分としてはそろそろ、童貞を卒業してもいい頃合かと」 「って、待て待て待てぇ!?」 予感的中。 思わずそのスケベ顔に拍車をかける眼鏡を叩き割ってやりたい衝動に駆られながらも、ライは何とか自制する。 十五歳なんてライにとってはまだまだ子供。 ようやく最近恋を覚えたばかりだというのに、そんな領域にまでたどり着けるはずもない。 シンゲンの発言に嫌悪を覚えたのか、そばにいたリビエルが眉を険しく寄せた。 「昼間から食堂で猥談だなんて……トイレでカレーを食べるくらいにお下品ですわね」 「あっはっは。おぬしもなかなか下品だぞ、リビエル?」 「御主人、十五歳で非童貞なんて鬼妖界じゃさほど珍しくないですよ。自分も初体験は十五歳でしたし」 「おやおや。おぬし以外に遅いのだな?我は十一歳だったのだが」 「いやーっ、こいつは非常に手厳しい!」 ……こんな奴らと少し前まで命をかけて共に戦っていたのかと思うと、ライは自分が嫌になる気がした。 ぶるぶると首を振ると、ライはいまだ猥談を続けようとする仲間達を遮るようにテーブルを強く叩く。 「うるせえなっ、オマエらの世界の常識なんて知らねえよ!そもそもここには生粋のリィンバウム人なんていないし、十五歳が早いか遅いかなんて、オマエらに基準はわかんねえだろうがっ」 「よう!今日は随分と大勢が揃ってるな」 ……どうしてこの男は、こうも狙い済ましたようなタイミングで来てしまうのか。 ネタにされる運命とは知らずに、無邪気に笑っている青年。 元気良くドアを開けて入ってきたのは、この街の駐在軍人グラッド、その人である。 「久しぶりに時間が取れたからさ、ここで昼飯でも食っていこうかと思ったんだよ。ライ、今日のお勧めは――」 「兄貴っ!!」 助け舟が来たとばかりに飛びつくライ。 その少年の眼差しもまた、残酷なほどに純粋だ。 突然のことに首を傾げるグラッドに、ライはここぞとばかりに口を開く。 「兄貴、初体験は何歳だったんだ?」 「………………っ!?」 聞いた。聞いてしまった。 真剣な眼差しのライをよそに、グラッドと仲間たちの表情が凍りつく。 世の中には聞いていいことと悪いことがあるのだ。 「無垢な子供の言葉は、時に残酷なものですね……」 「って俺経緯は知らないけど、あんたが発端なんじゃないのか何となく!?」 儚げな面持ちで眼鏡を掛けなおすシンゲンに、グラッドが悲痛な声を上げる。 今まで静観を続けていたアロエリが、そのときふと立ち上がった。 「貴様たち、その辺でやめておけ。この男が童貞だとしても、それは悪いことではないだろう」 アロエリの援護にとどめを刺され、グラッドが真っ白になっているが彼女は気付いていない。 「そもそもセルファンでは男女間の行為は、未来へ希望を託す巣作りの一環で神聖なものだ。巣作りをする気もないのに娯楽として交わる貴様たちの思考のほうが、オレたちセルファンには理解し難い」 「ま、まあアロエリの場合はそれも分かりますけれど、でも……」 そう言ってリビエルは視線を一方に向ける。 ……その先は、アロエリの兄であるクラウレだ。 周囲の視線に気付き、クラウレは頬張っていたギネマ鳥のソテーを飲み込むと、精悍な面持ちで答えた。 「俺はセルファンの誇り高き戦士だ。一族の掟を破るはずがあるまい。童貞に決まっている」 言い切った。この男は紛れもない本物の戦士だ。 童貞を誇らしげに語る彼の眼差しには一点の曇りもない。 裏切り者だ何だと言われる彼の背中から、なぜか後光が差しているようにさえ見えた。 「更にこちらにおわすギアン様も、俺と同じく童t「ぶはああぁぁぁぁっっ!!!!」」 言いかけたクラウレの顔面に、ギアンの口から料理の断片が噴きかかる。 「クラウレエエェェェッ!!!」 「いかがなさいましたか!?まさか、料理の中に一服……!?」 「違う……!!」 椅子から崩れ落ちてしゃがみこむギアンの背中を眺めながら、ライは予想外という風に目を見開いていた。 調教師という設定上、さぞかしあんな事やこんな事をやらかしていたのだろうと思っていたのだが。 「お、オマエもそうだったのか……ギアン」 「ライ!貴様は同じ響界種でありながらなぜ気付こうともしなかった!?この俺でさえ察したというのに……!!」 「そういうことは察しなくていい!!」 絶望に打ちひしがれながら涙ぐむギアン。 その言葉に、クラウレの顔が傷心に歪んだ。 計らずとも主君を傷つけてしまったことへの罪悪感に、苦しげに目を細める。 「ご、ご安心くださいギアン様!我らセルファンの言い伝えによると、幻獣界の血を引く男は三十歳まで純潔を守り通すと妖精に至るという伝説が……!!」 「ウソウソウソウソウソだぁっ!!そんなものに至るくらいならもう一度堕竜になったほうがマシだ!!」 ……騒ぎ立てる大人たちの会話はまだ続くのだろうか。 この二人には勝手に漫才を続けてもらうことにして、ライはため息をつくと厨房を見た。 そういえば、エニシアに洗い物を任せっきりにしていた。 店長である自分がいつまでも雑談をして遊んでいるわけにはいかない。 ライは彼らの様子を見ながら、こっそりとその場を抜け出していった。 「ありがとう、ミルリーフちゃん」 「えへへっ。ミルリーフだってお手伝い慣れてるんだもん。これくらいカンタンだよ!」 厨房を覗くと、そこにはエニシアとミルリーフが仲睦まじく食器の後片付けをしていた。 食堂のむさ苦しくもカオスな空気とは雲泥の差だ。 「ミルリーフ。姿が見えないと思ってたらエニシアを手伝ってくれてたのか」 ライがミルリーフの頭を撫でると、嬉しそうにそのあどけない顔をほころばせる。 「ねえパパ!こっちのお片づけはほとんど終わったから、次は食堂のお掃除してくるねっ?」 「ああ、悪いな」 厨房から出て行ったミルリーフを視線で見送り、ライは改めてエニシアを見る。 そういえば今日は色々あったせいか、忙しすぎて彼女と二人っきりになることがなかった。 だが、いざ静かな場所で話す時間ができたとしても、妙に緊張して言葉が出てこない。 ……おまけに、昼食時にはあんな出来事があったわけだ。 大きな鍋を持ち上げようとしているエニシアに、ライは口を開く。 「あのさ。今日は随分と頑張ってくれてるよな。いつも以上に」 「そんなことないよ。私はいつもと同じで……あっ」 よろけたエニシアに、ライが慌てて駆け寄る。 洗った鍋が大きな音を立てて床に転がり、彼女の体はライの腕にすっぽりと収まっていた。 「ご、ごめんね、ライ」 「謝んなって。鍋くらいまた洗えばいいし……」 何気なくエニシアを支える手をずらしたと同時に、彼女の体が小さく震える。 とっさに俯いたその顔が、どことなく怯えているように見えたのは気のせいではないだろう。 「……エニシア?」 不安げにエニシアの顔を覗き込む。 ライに向けて再び上げた顔は、笑顔だった。 今にも、泣きそうなほどの。 「や、やだね私……。ライに助けてもらったのに、こんな態度しちゃって……」 ぎゅ、とライの胸元へ顔を埋める。 エニシアの呼吸を肌に感じ、ライの鼓動が高鳴った。 「さっきの、嘘なの。お仕事で気を紛らわせれば、あの時のことも忘れられるかもって……そう思って」 「あの時」とは、客に外で絡まれたときのことだろう。 ギアンからも詳しいことは聞かされなかったのだが、エニシアがその男に何かをされたのは間違いのない事実だ。 一応そいつが生きていたことを考えると、エニシアはそこまで酷い目に遭ったわけではないのだろうけれど。 具体的に何をされたのかなど聞けるはずもなく、ライはそのとき黙っているしかなかった。 そんなライの気持ちを感じ取ったのか、エニシアは静かに呟く。 「本当に、大したことじゃないよ。ちょっと体を触られたくらいだから」 「あ、ああ。だからさっき、怖がるような顔したのか。……ごめんな」 「ううん!私こそ!……でも、でもね?私、ちょっとだけ嬉しいの」 意味の分からない言葉に、ライは首を傾げる。 エニシアは頬を赤らめ、少し戸惑うように口ごもった。 しかし意を決したように目をつぶると、自身の腕をライの背中へと回した。 「こうやって、ライに触れてもらうことができたから……」 優しく、遠慮がちにライの体へと触れるエニシアの体。 柔らかなその感触に、高鳴る鼓動がひときわ大きく跳ね上がる。 「こ、こんなときにこんなことしちゃってごめんねっ?でも私、いつどんな風に言えばいいか分からないしっ、ライは私の気持ちなんて気付いてないかもって思ってっ」 ……今、なんと? 幻聴か、現実のものか。 エニシアの口から、望んでやまなかった言葉を聞いた気がしたのだが、気のせいだろうか。 「……エニ、シア?」 彼女の肩を掴み、確認するようにライは顔を覗き込む。 エニシアは恥ずかしさが最高潮に達したのか、頬を真っ赤に染めながら瞳を潤ませている。 「め、迷惑だったらごめんなさいっ。私、さっきから謝ってばかりだけど、でも……」 「迷惑だなんて言ってねえよ!?分かったから泣くなってっ」 「今日のことだって、きっとバチが当たったんだよ。私、今朝夢を見て……その中で勝手に、ライのこと……」 ……夢? 何だろう。何かが引っかかる。 ――直後、ライの頭が火を灯したように熱く火照り始めた。 (夢ってのは……いや、まさか) 同じく頬を染めているエニシアを前に、ライの喉が大きく動いた。 響界種は夢の空間を共有できる。 エニシアと出会ったのだって、最初は夢の中で……。 「質問……なんだけどさ。その夢っていうのは……」 「い、言えないよっ!そんなことっ」 真っ赤になって首を振るエニシアだが、ライもここは引き下がれない。 もし夢の世界を共有してるとしたら、だとしたら。 ……予想が外れているなら、そのとき大恥をかくだけだ。 ライはエニシアの肩を掴み、その目を見据えた。 「お、オレたち、裸だったりしたのか……!?」 「あ、う……っ!?」 図星、らしい。 どうしてそれを、と言わんばかりに目を大きく瞬き、完全に動揺しているエニシアがそこにいる。 つまり自分が今朝見た夢も、夢ではあったれけども。 その相手は紛れもなく本物の――。 「じゃあオレは、エニシアを……だ、だだ抱いてっ」 「ダメッ!恥ずかしいからそれ以上言わないでぇーっ!!」 「おお、今度はまた一段と盛大な音ではないか」 「まったく、二人ともおっちょこちょいにも程がありますわね」 厨房から聞こえた轟音に、セイロンはのん気に笑う。 リビエルは耳を塞ぎながら、響く音に顔をしかめていた。 「ところで、ギアン殿はこんな所でのんびりしていて宜しいんですか?大事な「妹君」を、誰かさんに持っていかれちゃいますよ」 からかうような目つきでシンゲンはギアンに問いかける。 その問いに彼は一瞬無言になるも、持っていた紅茶を再び口に運んだ。 「言っておくが、ボクは別に二人が一緒にいることを反対するつもりはない」 「意外ですわね。私はてっきり、ライのことは認めていないのかと思っていましたわ」 「ボクがライを認められないわけがないだろう。彼なくしては、ボクは今、こうして安らかに毎日を過ごすことは出来なかった」 年下の少年だが、その心は自分よりもずっと逞しい。 ギアンの壊れかけていた心と体を救ってくれたのはライだ。 そして、エニシアが大切な存在だということを深く思い知らされ、彼女に楽しく幸せな日常を与えてくれている人物でもある。 「エニシアの幸せを見届けることが今のボクの生きる意味だと思っているけれど、ライになら、彼女を託してもいいと思っているよ。……エニシアの兄代わりとして」 「あっはっは。まあ、店主殿に任せれば心配はあるまい」 「……ああ、ボクもそう願ってやまないよ」 ギアンは静かに微笑むと、席を立ち上がった。 つづく 前へ | 目次 | 次へ |
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