レシィ×ユエル 第二話いざ部屋の前に立ちはしても、なかなか扉を叩く勇気は出てこないものだ。 「……本当に僕、何でこんな事してるんでしょう…?」 ユエルの部屋の扉の前に立ってから、レシィはふと一人ごちた。 病気で、薬が嫌でそれを隠しているんだったら大変だ、という思いもある。 ミニスに頼まれたのと、転じて彼女の頼みを断った時が怖いのとがある。 昼間の一件で、なんとなくユエルと顔を合わせるのが怖いと思う反面、逃げては駄目だ、きちんと理由を確かめなければという思いもある。 …あるいは、単純にユエルと会って声を聞きたかっただけかもしれない。 「…ともかく、悩んでいても仕方ないです…よね。…遅くならない内にさっさと済ませて……戻ればいいんですし…」 幸い、夜は更けかけ辺りは静まり返りつつあったが、まだ階下には明かりがあり、 人の気配が感じられる時間帯だったのもレシィを元気づけた。 …そうだ、これは決して夜這いなんかではない。…決して! 意を決して手を振り上げ、レシィはドアを三つノックした。 コンコンコン ……………………返事は、ない。 (…あれ? ユエルさん、もしかしてもう寝てしまったんでしょうか?) 首をかしげるレシィ。 (でも、確かに誰か起きてるのを感じたような気がしたのに…) 気になってもう一度ドアを叩いてみる。 …名前も呼んでみることにした。 「…ユエルさん、ユエルさん? …もしかしてもう寝ちゃいました?」 「……!! ……レ、レシィ…ッ!?」 レシィの耳に微かな、しかし確かに吃驚した様な悲鳴の様な声が入る。 「…やっぱり起きてたんですね。すみませんがちょっとだけ……」 「ユ、ユエル寝てるもんっ!! ……か、帰ってよぉ……」 瞬間、グサアッと、レシィの胸に何か冷たいものがぶっ刺さった。 (…あ、あのユエルさんの口から、いつも笑顔だったユエルさんの口からっ) 『…か、帰ってよぉ…』『…か、帰ってよぉ…』『…か、帰ってよぉ…』(エコー) (…き、きき、拒絶されてますよね。これって拒絶されて、拒絶、きょ、拒ぜ…) 二度目の正直。 昼間のが何かの間違いでない事の証明に、レシィはショックのあまりにちょっと後ろによろけかけたが、そこはかろうじて踏みとどまった。 …今の彼には、たとえユエルの嫌われてでも後ろに引けない理由がある! (そうです、誰かも言ってたじゃないですか、『うぬはそれでも護衛獣か、護衛獣たるもの、常に退かぬ、媚びぬ、省みぬであれ』って!) …かなり混乱していたが。 …そして、以下は扉の前での二人の押し問答。 「…寝てる人は、自分で自分が寝てるだなんて言いません」 「…そ、そんな事ないよっ! きっと言う人もいるよっ?」 (いやいませんって) 「ユエルさん、昼間もいいましたけど、やっぱりどこか具合が悪いんですね? しかも今聞いたら、何だか声まで掠れてるじゃないですか」 「…しし、知らないもんっ! ユエル病気なんかじゃないもん」 「じゃあどうして晩御飯食べに来なかったんですか!? いつもは僕が食べ切れなかった分まで食べちゃうくせに、ユエルさんらしくないですよ?」 「……ユ…ユエルそんなに大食いじゃないやい! ご飯だっていつもはおかわりを入れて三杯までにするようにしてるよっ!」 (…僕は十分大食いだと思いますけど) 「…はぁ、ユエルさん、注射しませんから。お薬も甘いのを用意しました、嘘ついてたことも怒りません、…だからここを開けてくれませんか?」 「…えっ、甘いお薬…? ……!! だっ、駄目駄目、ぜーったい駄目、レシィだけは絶対に駄目なの! レシィは入ってきちゃだめーっ!」 …言ってて、レシィは悲しくなってきた。 身に覚えは無いけれど、でもここまで嫌われているとなれば、自分はよっぽどユエルさんを傷つけていたに違いない。 …それがひたすら悲しかった。 …だが、だからといって、明らかに具合の悪いユエルを前にして、じゃあ判りました、と素直に帰る事もレシィには出来ない。 ここリィンバウムではユエルもレシィもちょっとした病気が命取りなのだ。 嫌われても噛み付かれてもいいから、無理やり口をこじあけてでも薬を流し込んでおかなければ、という切迫感があった。 溜息をついて、懐から小さな鍵を取り出す。 ガチャリ 「…!!?」 鍵をかけておいたはずのドアがあっさり開けられ、ベットのシーツに潜り込んでいたユエルが慌てて飛び起きる。 「レ、レシィッ!? …な、なんで入って来れるのっ!?」 「…ユエルさん…まさか忘れてませんよね…?」 『じゃ~ん、へへへー、レシィ見て見て、いいでしょー?』 『あっ、ユエルさんどうしたんですか、その鍵?』 『ミニスのお母さんがね、「どーせ大量に余ってるから」ってユエルにもお部屋くれたんだ! これでユエルもいっこくいちじょーの主だねっ!』 『…よ、よかったですねぇ(さりげなくファミィさんが嫌味ですけど…)』 『でね、だからレシィにも、ハイッ、ユエルの部屋の鍵一個あげるね』 『…は? …なっ、そ、そんな、受け取れませんよぉ、部屋の鍵なんて』 『ええっ? だってレシィ友達でしょ? それにミニスにもあげたし…』 『…いや、その、みだりに同年代の男性にですね、あの、自分の部屋の鍵を預けるなんてことはですね、…り、倫理道徳上…その…』 『…レシィ、ひょっとして、ユエルの部屋の鍵なんていらないの…?』 じぃ~~~~~~っ…… 『…………も、貰いますっ! 貰いますからっ!』 「…なんて事が、あったじゃないですか」 「……あ、あああああーっ、そういえばーーーーーーっ!!」 だから言ったじゃないですか、といいながら、レシィは静かに扉を閉めた。 …誰かに見られて誤解され、トリスやミニス、ファミィさんから延々からかいの種されるのだけは、たとえ死んでも回避したい所だ。 …部屋の中の照明は消えていたが、窓が大きいので月明かりが多く、歩き回るのに不自由するほどには暗くなかった。 …もっとも、ユエルもレシィも普通の人間に比べて夜目は効く方なので、これくらいの暗さ等別段どうってことないのだけれど。 …まぁそんなんだから、ベットの上でシーツに包まりながら震えているユエルの姿は、すぐに判る。 「ユエルさん、もう……」 そう言いながらレシィが一歩踏み出すと、しかし 「やだーっ、やだやだやだやだやだ、帰って帰って帰ってよレシィ!! こっちに来ないで、ユエルに近寄っちゃ駄目ーっ!」 ユエルはまるで尻尾を踏みつけられた犬のように飛び上がって、シーツにくるまったまま反対側の部屋の隅まで逃げ…… ……ようとして、しかし意外と機敏に動いたレシィの腕に捕まった。 だてに両者ともMove4は謳っていない。 「やっ…、離…してよぉ、レシィ、止めて…いやだよぉっ!」 両手を両手で封じても、もの凄い力で暴れるユエル。 純粋な力ではレシィの方に若干の分があったが、しかし戦闘経験の差と、鋭い爪と牙の存在がある分レシィの方が不利である。 このままの勢いで暴れ続けられたら、早晩抑えきれなくなるのは目に見えて明らかだった。 しかし…… 「ごめんなさいユエルさん… (僕が嫌いなのは仕方ありませんが)、でも、ユエルさんの病気を黙って見てるわけにはいかないんです!」 不意に、レシィの折れた角が微かな金を帯び、瞳が緑の輝きを放つ。 「あ……」 まともにそれを直視したユエルは、たちまち力を失いぺたんとその場に座り込んでしまう。…どう見てもその手の犯罪向けな技、メトラルの魔眼。 「や……」 「…すみません、こういう事にはあんまり使いたくなかったんですけど…」 謝りながら、何気なくユエルが引っ被っていたシーツを剥ぎ取り…… ……そのままの体勢で、レシィは硬直した。 ユエルは、おそらく寝間着代わりだと思われる、簡素で薄いシャツを一枚はおっただけの姿だった。 …もっと率直に言ってしまうと、下は何にも履いてなかった。 おまけにその…何といっていいのか…つまりはその…遠目でも良くわかるほどに、ユエルの股の周辺が濡れていて、しっとりと湿った彼女の髪の毛と同じ色の茂みが月の光をてらてらと反射して、何ともいえないエロチズムな雰囲気を醸し出している。 当然、レシィは目を離せない。視線はその部分に釘付けである。 シーツを抱きかかえたまま、目をまんまるく見開いて完全に固まっているレシィの姿は、傍から見ればとても滑稽なものだったが、レシィ本人としては、この時ばかりは自分の夜目が利き過ぎる事を羨ま………じゃなくて、恨めしいと感じずにはいられなかった。 しかも、それだけならまだしもだ。 「ヒック……ウッ……グスッ、グスッ…違う……もん…」 ユエルは泣いていた。魔眼の力で体の自由が効かず、ただ泣くしかできなくて大きな瞳からポロポロと涙を流している。 レシィがこんな風にユエルが泣きじゃくるのを見たのは、後にも先にもユエルが仲間になるきっかけとなったあの一件の時のみだったはずである。 「…グスッ、レシ、ィ、見ちゃ、やだぁ…、ち、ちが…違う、んだもん…ふぇ…、ユ、エル…こんな、グスッ、…エッチな子じゃ、ない、よぉ…」 …そうやって泣きじゃくるユエルの姿を、レシィはただ、息をするのも忘れて――もしかしたら、心臓止まってたかもしれない――呆然と眺めることしかできなくて。 それでも辛うじて、渾身の力を振り絞り、なんとか後ろに一歩、足を踏み戻して…… びきっ、とな。 「…っ~~~~!?!? …った、たた、いたいたいたいたイタタタ、あっ、あしっ、あしあしっ、足がっ、足がぁ~~~~っ!!」 そのまま後ろにばったんと倒れて、ひっくり返った蟹の様に悶え始めた。 …どうやら、またも器用なことに両足同時に攣ったようである。 さながらキンチョール攻撃の果てに死ぬ寸前になったゴキブリのように、背中を丸めてわさわさと悶えまくるレシィの姿に、これにはユエルも泣くのを止めてポカンとするより他はない。 …ムード、ぶち壊し。 ……10分経過。 「…レシィ、もう大丈夫?」 「な、なんとか…」 レシィはようやく痛みの収まって来た足をさすりながら、それでも慰める所を逆に慰められ、情けないやら恥ずかしいやらで顔を赤らめた。 「…でも、両足同時に攣らせるなんてどうやったらできるの? ユエルは絶対無理だよ、やっぱりレシィは器用だね」 それでもベットに座ったまま、ユエルはクスクスと笑っている。 レシィとしては不本意だが、それでもさっきの騒動が結果的にユエルを落ち着かせるきっかけになったらしい。 「はあ…ですが、それよりもユエルさん」 けれどこうしていても始まらない、確かめなければならない事がある。 「…詳しく教えてください。…いつから、こんな風になりました?」 一転、わずかにうつむくユエル。暫しの沈黙の後、口を開いて言う事には。 「…判んないけど…トリスとレシィがこっちに来てくれた頃から変になって……最初はそうでもなかったんだけど……段々酷くなってきて……」 それを聞いたレシィが、無言でユエルの首に手を伸ばす。 ユエルはやはり一瞬ビクリとしたが、それでも今は幾分落ち着いているからか、昼間のように反射的に手を伸ばす様な事はしなかった。 「…やっぱり、少しだけど熱があります。食欲が無い以外に、声も掠れてるみたいですけど、喉は痛くないんですね…?」 「うん…あと…」 首の後ろに当てられる手のひんやりとした感触に、ユエルは小さく息を吐いた。 「あと…頭がぼーっとなる事があって…体中がムズムズして……ユエルのおしっこする所が、熱くて、でもっ! 昼間は我慢できるのっ!」 震えながら、ちらり、と窓の外を見るユエル。 そこには上弦を通り越したばかりの西瓜型の月が、煌々と輝いていた。 「…月…、よ、夜になると…、ユエルどうしたらいいのか判んなくなって! 手が勝手に動いちゃって、止まんなくて、自分が自分でなくなるみたいで、他にも一杯吼えたくなったり、走り回りたくなったりしちゃうんだよぉ!」 自身の体の変調への不安からか、またグスグスとぐずりだすユエル。 「…だから、ユエル、また、あの時みたいに、皆に襲い掛かっちゃうんじゃないかって、そういう病気なんじゃないかって思うと、怖くて、怖くてっ…」 「ユエルさん!」 いきなり強い調子で呼ばれて、再度ビクリと怯えるユエルを、レシィはそっと背中を叩いて慰めてやった。 「…心配しないでくださいユエルさん。そんな事には絶対なりませんから。それは…ユエルさんみたいな女の子になら、誰にでもやってくる事で…」 …少なくとも人間にはやって来ないし、全ての亜人についてそうなのかはレシィも詳しいことは知らなかったが、敢えてそう言っておく事にした。 ユエルを安心させる為になら、なりふりかまってられない覚悟だった。 「……そう…なの? ユエル、また皆に追い出されたり、しない…?」 「はい、しません。…するわけないじゃないですか、だから安心してください」 とりあえずの笑顔で、レシィは答える。 …だが、果たして本当にそうだろうか? そんな不安が、ふとレシィの胸中に色濃く不安の影を落とす。 『だんだん酷くなる、夜になると抑えきれなくなる』 そう、ユエルは言った。怯えたように窓の外の月を見ながら。 オルフルは狼に近い一族だけあり、月の影響を強く受けると聞く。 月の輝きが強くなるほど、気分の高揚が高まるらしく、戦い方も壮絶になると。 …そして月が満ちれば満ちるほど、内なる衝動もまた強まるのなら。 今はまだ半月だというのに、既に限界に近いユエルの精神は? それでなくとも、発情と月齢の関係はメトラルの間でもよく知られている。 …もちろん、そういうのを抑える薬もきちんとあるのをレシィは知っていた。 意外と必須の薬なので大量に作らされるのを手伝わされた事もあり、うろ覚えだが、作り方も知っていると言えば知っている。 …だが、今のところリィンバウムでその原料となる草を見た記憶はない。 やがてレシィの脳裏に最悪の光景が描かれる。 とうとうあまりの衝動に正気を失って暴れまわるユエルの姿、いやそれですらまだマシなほうだ、最悪、理性を失い本能に従うがままにフラフラと男漁り出かけるユエ…… 「そんなの絶対にダメですっ!!」 「レ、レシィ!?」 突然大声を上げたレシィに吃驚し、ユエルは思わず身を後退させる。 その時のレシィの顔が、普段からは想像もできない程に怖かったからであろうか、ふいにその口からこんな言葉が零れてしまった。 「や、やだ… もうユエル痛いのやだよぉ…っ」 「…え?」 思わず聞き返したレシィだったが、ユエルが仲間になった時にトリスから言われた事を思い出してハッする。 『レシィ、同じメイトルパの仲間、ユエルと仲良くしてくれる?』 『はい…でも…ちょっと怖いですね、食べられちゃったりしないでしょうか…』 『そんな事ないわよ、…それにユエル、ちょっと男の人を怖がる所があってね… レシィやロッカとかだったら、上手くやっていけると思うのよ』 『? 男の人が怖い? …なんだかちょっと変わってますね』 『…あはは、うん、そうね…』 …あの時は、まだよく判らなかったが、けれどリィンバウムに来てから随分と立った今では、当時トリスが言わんとした事がレシィにも判る。 苦々しい事に、そういう目的に召喚獣を使う人間は、少なくはないのだ。 つまり、ユエルは…… 「…レシィは…あいつらみたいな事、しないよね? …しないよ、ね?」 まるで雨の中に捨てられた子犬のような目でユエルが見つめてくる。 一瞬、どう反応してあげればいいのか迷うレシィ。 …でもそれも、ほんの一瞬。 「…約束、守ったのに、あいつら…ユエルが痛くて泣いても、皆して…っ?」 発作的に、レシィは強くユエルを抱きしめていた。 「もういいですから、ユエルさん。もういいですから……」 …その時のレシィの力は、ユエルが驚くほどに強かった。 ひ弱で優秀不断ないつもの彼からは、想像だにつかないほどに。 「…本当は、何となく判ってるんですね? 何をしたらいいのか…」 ユエルは目をつぶったまま答えなかった。答えなかったが……、でもそれは、おそらく『教えられなくても判っている事』、のはずだった。 「でも怖くてどうしていいか判らない、だからこんなに困ってたんでしょう?」 けどそう言われて、初めてコクリと、小さくだったが頷くユエル。 それを確認し、つとめてユエルを怖がらせないように努力しながら、真剣な顔を保ってレシィは続ける。 「でも、聞いてくださいユエルさん。今のユエルさんの病気を治す方法、それには本来なら3つの方法がありました」 不思議とそんなに努力しなくても、表情を平静に保つ事ができる。 それが何故なのかを考える余裕は、今のレシィには無かったけれど。 「ですが、その内の一つ、一番簡単な薬を飲んで治す方法は使えません。…あの草は、たぶんメイトルパにしか生えてない草なんだと思います」 こっくりこっくりと、何度も首を縦に振るユエル。 自然と、レシィの服の裾を掴む力が強まるのは、気のせいではあるまい。 「残った二つの内一つは、このまま春が終わるまで我慢する方法。…ですがたぶん、これはきっと、もの凄く辛い。もの凄く…」 今のユエルさんでは、正気を失ってしまってもおかしくないほどに、とは、内心だけで留めておいて。 「そして最後の一つが、ユエルさんも薄々感づいてはいる通り、『そういう事』をして治す方法です。…すれば、治ります」 『すれば治ります』のところにアクセントを強くおいて、レシィはそんな自分に恥ずかしさがこみ上げてくるのを、辛うじて堪えた。 …けれど、もう止められない。 「…だから、ユエルさん。…僕を、信用してみてくれませんか?」 (…何言ってるんですか?)と、頭の中でもう一人の自分の声が聞こえる。 実際、レシィ自身もなんで自分がこんな事を言っているのか理解に苦しむのだが、しかし口をついてでる言葉はもう止まらなかった。 「僕は…その、当然そういう経験はありませんし、…上手くできるかも判らなくて、ひょっとしたら全然だめなのかもしれませんけど、でも、でも…」 …本当はもっと穏便な、例えば明日ファミィやトリスに相談して、何か別の解決策を探してもらうなどという方法もあるのだろうけれど。 …今の弱ったユエルを――泣きながら自分のあそこを指でいじるようなユエルを――自分以外の誰かの目にさらすのは、レシィは嫌だった。 何故か、と聞かれると困るのだが、とにかく嫌なものは嫌なのだ。 「本当は、きちんと成功すればとっても気持ちがいい事なはずらしいですし、…しっ、失敗するかもしれませんけどっ、でも僕、絶対頑張りますからっ!」 ――発情の形式の主なるものに、まずは雌が発情し、その独特の仕草や匂いに反応する形で雄が発情する、というものがある―― (つまり、さっきユエルさんがへたりこんで泣きじゃくるのを、あそこがぐしょぐしょに濡れてるのを見た時から、とっくに火が点いちゃってたわけなんですね、それでなんだかんだと理由をつけて、ユエルさんとやりたくてやりたくて仕方がないと。…最低ですねぇ、僕って) 自分の中の皮肉屋な部分が、そんな風な口出しをしてくるのを、レシィは無理やり頭の中で叩き潰した。 そういう部分がないわけではないのも事実だったが、…でも今は、それが全てではないと思いたかった。 「…だから、その…、怖いのは判ります、でも……ダメ…ですか…?」 …じっとユエルの目を覗き込み、懇願の意すら込めて、レシィは繰り返す。 「僕じゃ…ダメ、ですか?」 ……当然、ユエルは迷っていた。 怖くないかと聞かれれば、正直言って怖い。…とてもとても、怖い。 本能がそれを望んでいても、たとえ相手がレシィであっても、自分の中の直感がレシィの言っている事が間違いでないと知らせていても、怖いものは怖いのだ。 それは、放っておけば酷くなるだけだと判っていても、それでも痛いのが怖くて歯医者に行けない子供の心理に似ている。 …少なくとも、あの時の彼女は激痛に打ちのめされるしかなかったから。 彼女の野生が渇望しても、理性が恐れで封殺する。 …でも、とユエルは考える。 レシィはいつだって、彼女の為に一生懸命になってくれていた。 今だって、こんなハシタナイ事をしていた自分を軽蔑するような事もせず、親身になって相談に乗ってくれている。 そうして、自分のことを助けてあげようと一生懸命にすらなってくれている。 …なのに自分はどうだろう? レシィもあいつらと同じなんじゃないかと、疑ってばっかりで。 …そう考えると、急にユエルはレシィの事をちっとも信用していない自分が恥ずかしく思えてきた。 それだけではない、自分がレシィの『信用してくれないか』という申し出を断ったら、レシィはきっと悲しそうな顔をするだろう。 レシィがそんな顔をするのが嫌だから、レシィが晩御飯を作った時だけは大嫌いなニンジンだって食べるようにしているユエルとしては、その点だけはなんとしてでも承服しがたいものがあった。 なんとしてでも。 …それに、トリスだって教えてくれたのだ。 『世の中には確かにどうしようもないくらいの悪人もいるけれど、そうでない人間だってたくさんいる、だから信じてあげて』と。 そしてユエルは、レシィが悪い奴なんかじゃないという事については、だれにも負けないくらいの根拠と自信を持っていた。 …だったら、答えは一つではないか。 「…レシィも、怖いんだよね?」 思い切って顔を上げると、レシィの瞳に一瞬だけど困惑の色がよぎった。 たぶん、図星なんだろうと、ユエルは検討をつける。 レシィは必死に隠そうとしているけれど、レシィの膝から下がガクガクと震えているのに、ユエルはとっくの昔に気がついていた。 …だからたぶん、「失敗」する方の確率の方が大きいんだ、とも思う。 「でも、ううん、いいんだ」 覗き込めば呪いをかけられるから、出会っても絶対に見てはいけないときつく仲間から注意されていたメトラルの目。 だけどユエルは、そんなレシィの瞳がとても大好きだった。 とても綺麗な、緑色の目。 一番臆病なくせに、一番それを隠して頑張ろうとする人の目だ。 「ユエル、レシィの事、信用する」 つづく 前へ | 目次 | 次へ |
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