アティ過去SS真っ白な軍服は同年代の少年らの憧れの的だった。 その少年も例外ではなく、むしろ誰よりもその思いは強かったのかもしれない。 義務教育を終えると同時に軍へと志願した。 軍学校出でなければあの白い仕官服を着るのは難しいと言われたが、難しいだけで不可能ではない。 決して裕福ではない家庭の少年にとっては、高額の学費を必要とする軍学校へ進むよりは、早くに実戦に出て功績を積む方が、夢を叶える為にはずっと現実的な選択だったのだ。 だから人一倍努力しようと思った。焦がれていた場所に立つために。 「新米、吐くなら外行け、外」 せり上げる吐き気を堪えるのに手一杯で、苛立ちの言葉に答える余裕がない。 どこにでもある家だった。木造の壁、小さな暖炉、台所には鍋が置きっぱなしになっている。 生活感溢れる光景―――の筈が、そこには『死』の臭いが充満していた。 腐れてゆく血と肉と糞尿の臭い。 発生源は、床に転がるふたつの死体。 この家に住む夫婦だったそれらは、濁った目玉をあらぬ方向に向けてだらりと手足を弛緩させていた。 咽喉がぐう、と鳴る。 壁伝いによろよろと外へ出て、膝を折り思い切り吐いた。 胃が痙攣するのとみっともなさとで涙が出る。部隊でこんな状態なのは自分だけだ。 三月前に訓練を終え、部隊に配備されたばかりとはいえ、これは情けなさすぎる。 ようやっと収まったところで、隊長が村長と話す声が聞こえてきた。 「―――旧王国の連中は三人で間違いないな」 「はい、村の者が見てます」 「で、犠牲者はこの家だけかい?」 「はい……あ、いえ殺されたのはここの夫婦ものだけですけど、その場に居合わせた娘さんは助かってます」 「目撃者がいるのか。話が聞きたいが、何処にいる?」 「その……あの子はまだ小さくて……それに今話せる状態じゃ……」 視界の端を何かが横切る。顔を上げるとまだ幼い女の子の姿が目に入る。 鮮やかな赤い髪の少女は、ふらふらと少年の傍を通り抜け、まだ死体の転がる家へと入ろうとした。 「ちょっと待てテメエ!」 慌てて声をかけるが、少女は止まらない。 声に反応したのは村長の方だった。小走りに寄ってきて、少女の手を掴んで止める。 「まだ寝てなくちゃ駄目じゃないか―――ああ、すいません。この子が……」 「なるほどな……」 隊長の言葉に苦いものが混じる。 少女は無言のままだ。何ひとつ映さない虚ろな瞳が、ひどく哀れに思えた。 「おそらく目の前で親を……その、奪われたせいだろうと、村の治療師が言いまして……」 「だろうな。話はいい。旧王国の連中の狩り出しは四時から始めるから、参加者を募っといてくれ」 村長は少女の手を引き一旦自宅へと戻る。 彼女はしばらく自分の所で預かるから、回復したらお知らせしますと言った。 その後ろ姿をなんとなく見送っていた少年に、隊長が呼びかける。 「新米、お前はこっちだ」 「はっ……って、モップに雑巾?」 「お前は山狩りに参加せんでいい。その代わり」 あの家掃除しとけ、と言われて少年の顔が蒼白になる。 「遺体は安置所に移すから、とにかく今日中に人の住める状態にしとけ」 「なな何で……」 「民間人に好かれる軍隊を目指してるからな」 そううそぶいて、厳しい目を向ける。 「理由はふたつ。ここまで旧王国の連中を逃がしたのは、追跡隊である俺らのミスだ。何らかの形で償いはせにゃならん。それに、お前は山狩りに出せんからといって遊ばしておくわけにもいかんからな」 「そんな、俺だって―――」 睨まれた。 「俺だって―――何だ? 言っとくが『俺だって戦えます』とかぬかすなよ。お前はガキで、弱っちくて、実戦では役立たずなんだよ。そんなののフォローする余裕はないんだ」 つまり、自分は山狩りに参加する民間人よりも弱いということらしい。 反論の言葉はでなかった。酷く腹立たしいことに、それが正しいと自分自身が知っていたから。 隊長の着る軍服の白さが、今は目に痛い。 「終わったら村長の家で待機だ―――これも任務だ、さぼるなよ」 「…………了解しました」 掃除の途中、二度ほど吐いた。最後は胃液しか出なかった。 それでもどうにか終わらせる頃には、辺りはとっくに暮れて、煌々とした満月が山の向こうから覗いていた。 とりあえず台所で手を洗い着替えると、少しはましな気分になれた。 (この明るさならカンテラ要らねェか……ん?) かた、と戸の開く音がする。予想通りというか、そこには赤い髪の少女が立っていた。 「お前また来たのか」 返事がないと分かっていても言わずにはいられなかった。 片付けたとはいえ、どうしても落ちなかった黒い染みの残る床は、彼女の目にはどう映っているのか。 そもそも彼女は現実の光景を捉えているのかどうか。 「……ったく。ほら、村長の所まで連れてってやるから」 手を引く。嫌がるかもしれないと思ったが、余りの無反応ぶりに少々拍子抜けした。 無言のまま夜道を進む。月明かりのおかげで歩くには苦労しないが、途中慣れない道のため方向が分からなくなった。 「おい、村長の家はどっち……」 言葉が途切れる。 突然、何の前触れもなく物陰から男が飛び出してきた。 目が合う。 血と脂に汚れた剣。酷使のためぼろぼろになった鎧。そして、撒き散らされる敵意。 ―――間違いなく、この男が。 「もう追いつきやがったのか、帝国の犬め! 畜生捕まってたまるかあ!」 戦場では帝国の兵を殺し、この村では少女の両親を奪った、旧王国兵。 「ひっ……!」 脚が震える。訓練ではない、本物の、殺気。 逃げなければ―――そう思った時。 自分の腰にしがみつく熱い手に気がついた。 本当に小さな身体は身動きひとつすらせず、伝わる体温がなければ生きているかどうかも怪しい。 唯、目の前の男を見つめる眼には溢れださんばかりの恐怖が。 逃げ出せなくなる。 彼女を抱えて逃げるのは不可能だ。すぐに追いつかれてしまう。 そして、背後からの一撃に耐える自信は、悲しいことに無い。 だからと言って、見捨てることなど出来ない。 「……し、心配するなよ」 必死で絞り出した声が自分でも情けなく思う程震えていたとしても。 「新米だけど、俺だって軍人なんだ……絶対に守ってやるからよっ……!」 彼女を後ろに庇いナイフを手にする。 百戦錬磨の兵士を相手にするには、武器も、自分も貧弱すぎる。 それでも、もう後には引けない。 「がああああっ!」 雄叫びを上げて突っ込んでくる男にナイフを投げつける。 目にでも当たれば動きを確実に止められるが、肩をかすめただけだった。 力任せに振り下ろされる一撃をかろうじて避ける。 背後の少女は咄嗟に思いっきり突き飛ばした。 「……っ」 「逃げろ!」 叫んで男と少女との間に割り込む。 武器は残り三本。これでどこまで戦えるのか、 そもそも武器が尽きる前に体力が尽きてしまうのではないか。嫌な考えに汗がどっと出る。 (―――って冗談じゃねェぞ! まだ14年しか生きてねェのにくたばってたまるか!) 虚勢だと分かっていた。多分、相手にも分かった。 男が哂う。血走った眼をして、絶対の自信を持って、剣が振るわれる。 今度は避けきれなかった。 太腿を赤い液体が染める。右足から力が抜けて尻餅をつく。 痛みは後からやってきた。 押さえても血は止まらない。 おそらく、今振り下ろされる一撃で自分は死ぬだろう。 (あのガキ、ちゃんと逃げられたよな) 血の臭いを嗅ぎながら、ぼんやりとそんなことを思っ 「うわああああああああっ!!」 幼い叫び声が響く。 がつ、と音がして男がよろめく。 石ころが頭めがけて投げつけられたせいだ、と気づいた。 「……っ! 馬鹿がなんで逃げなかった?!」 答えはない。向けられた殺気に動けなくなっている。 だから逃げろと言ったのだ。さっきのは僥倖に過ぎない。犠牲は一人でたくさんだった。 背中にナイフを投げつけるが、男の動きは止まらない。 間に合わない。 血錆の浮いた剣が、少女を切り裂く光景を幻視する。 ―――ひゅう、と。風切り音が耳に届く。 絶叫が上がる。男の背から矢が生えていた。 「新米生きてるか?!」 怒鳴り声と共に矢が次々と打ち込まれる。男はもう立っていられない。 山狩りに出ていた連中が戻ってきたのだ。助かった、と安堵でへたり込みそうになる。 だが、出来なかった。 「よくも村の者を殺してくれたな……!」 「あいらの無念思い知れ!」 口々に叫ぶ顔は、憤怒と憎悪で歪んでいた。 兵士らは止めない。流石に命にかかわる事態になれば割って入るのだろうが、そうでなければ黙認する。これが、村人達に許される唯一の復讐の機会なのだから。 それは少年にも分かっていたが、それでも。 右足を引きずり少女へと歩み寄る。 彼女は、村人を―――優しかったはずの彼らの変貌を凝視していた。 少年は少女の前に立ち、強く抱え込んだ。 「お前は見るな」 腕の中の小さな体はひどく熱い。太腿の痛みを堪えて、頭をなるたけ優しく撫ぜる。 怒声を、悲鳴を、暴力と争乱を少しでも遮断できるようにと願いながら。 一夜明け、昼前になって護送用の馬車が来た。鉄格子の中に捕虜を押し込み、自分達は馬車の側を歩く。 街道を行く途中、少年は問いかけた。 「……あのガキ、これからどうなるんですかね」 「親類あたりが面倒みるだろうさ。でなけりゃ施設に引き取られるだろ」 なあ、と続きには溜息が混じっていた。 「あんまり入れ込むな。嫌な話だが、戦争ともなればあんな事いくらでも起こる。情をうつし過ぎると……辛いぞ」 「……分かりました」 到底納得など出来そうにないが。それとも、経験を積めば割り切れるようになるのだろうか。 一度だけ振り返る。 村はどこまでも静かで平和だった。 それから数年の後。 村外れの墓地に一人の少女が佇んでいた。 少女は赤い髪を風に揺らし微笑む。 「―――それじゃあ、行ってくるね。お父さん、お母さん」 よいしょ、っと荷物を肩に掛け歩き出す。 村の外へと続く門の前には、幾人もの村人がいた。 「アティちゃん、御両親への挨拶はちゃんとしたかい?」 「うん。それから、ありがとう。今まで面倒見てくれただけじゃなくて、学費まで出して貰って……」 「気にするなって。村の子どもは皆の子どもさ」 「しかし軍学校の特待生とはねえ。ウチのばか息子にも見習ってほしいもんだよ」 「やだよ俺勉強きらいだし」 「つか兄ちゃんとアティじゃそもそも出来が違うし……あてっ」 「お前もういっぺん言ってみろ今度はこんなもんじゃ……ひだだだっ?!」 「あ・ん・た・は言ってるそばから!」 「あはははは」 賑やかで優しい人達。 離れるのは淋しいし、不安でもあるけれど。 「いってらっしゃい」 「月に一度は手紙くれよ」 「都会の連中に嫌なことされたら無理せず戻ってこいよ!」 様々な言葉が本当に嬉しくて、頑張ろうって心の底から思えるから。 「きっと、夢を叶えてここに戻ってくるから―――行ってきます!」 ずっと見ていた夢。 医療と召喚術を学び、傷ついた命を救うこと。 両親の時のように何も出来ずにいるのはもう嫌だから。 ―――その想いのなかに、かつて出会った新米兵士がいるかどうかは、もう遠い過去のこと。 それでも、村の治療師への師事ではなく軍学校への進学を決めたのは、 最新の医術を学び、国からの正式な医師免許を受けるためというのを差引いても。 それは、本人すら忘れてしまった遠い遠い過去のこと。 おわり 目次 |
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