ハヤト×カシス「明朝迎えに来る。その時は手間をかけさせないでくれると助かるがね」 蒼の派閥の議長、グラムスはそう言い残して去っていった。 「夜中の内に二人で逃げちまえ。適当にごまかしといてやるからよ」 「そういうわけにもいかないだろ」 ガゼルはああ言うが、派閥の監視が聖王国全土に広がっている以上、どこに逃げても見つかるのは時間の問題だ。 その上、身元不明では国境を越えて他国に逃げることもできそうにない。 『捕まらない』だけなら何とかなるかもしれないが、本気で死体の山を築くことになりかねないし、こちらも人間、休む間もなく攻められれば遠からず捕まってしまうだろう。 その夜、ノックすら重々しくカシスが尋ねてきた。 部屋に入っても沈痛な面持ちで黙ったままでいる。 「どうしたんだよ。黙ってちゃわかんないぜ」 本来、こうして二人で時間を過ごすのは歓迎すべきところだが、こう重い雰囲気では逆に気が滅入る。 普段がやかましいほどに元気な彼女ならばなおさらだ。 まあ無理に聞かず、本人が言いたくなるまで待つか、とハヤトはそのままベッドに倒れ込んだ。 「ねぇ……」 それからしばらくして、カシスがようやく顔を上げ、重い口を開いた。 寝入りそうになっていたハヤトは頭を軽く振って眠気を払うと、体を起こして彼女に向き直り次の言葉を待った。 「あたしのこと……抱いてくれない?」 いきなりな言葉に耳を疑った。ついでにベッドからずり落ちそうな体勢を立て直す。 「お、お前……何言ってるのかわかってるか?」 早鐘のように打つ心臓を押しとどめ、何とか平静を保とうとする。 「うん……。これが最後の思い出になるから……」 また耳を疑った。 『最後の思い出』。最後。終わり。 「……どういう、ことだ……?」 もう暴れ出しそうだった鼓動も収まっている。 「連中にとってキミにはまだ利用価値があるだろうし、せいぜい派閥に軟禁されるくらいで済むだろうけど、あたしはそうはいかないわ。何たってリィンバウム全体の裏切り者なんだから、生かしておく必要なんて無いよ」 「いくら何でもそんなこと──」 「派閥ってのは排他的な上に潔癖だから。それくらいは平気でやっちゃうよ」 そう言う表情から、以前の彼女に戻ったような感じを受ける。 それに死ぬことを恐れていない。むしろ受け入れてすらいるような。 「何で……そんな平然としてられるんだよ……」 「ん……、あたしのしたことを考えれば、仕方ないしね……」 「そうか……、わかった。目、閉じろ」 言われるままに目を閉じるカシス。 その頬に手を当て、引き寄せると──ぱかん、と頭を殴りつけた。 「いったぁ~。何するのよもう!」 「やかましい。何が最後の思い出だ!」 びしっと鼻先に指を突きつけ、たまってた感情をぶちまける。 「そんなことしたらこっちはお前のこと思い出すたびにつらくなるじゃないか! だいたい最後も何も、お前が死ぬわけないだろ! もし連中がお前を殺すってんなら、全員ぶっ飛ばして助けに行くさ!」 「でも、あたしは……」 「他の誰が許さなかろうが、被害者の俺が許すから問題ない!」 一息にまくし立てて、大きく息つくこちらをぽかんと見つめるカシス。 そして── 「ぷっ! あはははは……! ホントにキミっていつもいつも無茶ばっか言うよね」 「やっと笑ったな。……でも、俺ってそんなに無茶なこと言ってるかな……」 生粋のトラブルメーカーが何やら自覚のないセリフを吐く。 「ま、さっきのことは……今回のことが終わったら──全部終わったら、な」 「……うん。約束、ね」 いつもの笑顔を取り戻すと、着けていたネックレスを外して手渡してくる。 「これ持ってて。キミってばいつもぽけっとしてるから、約束忘れないようにね」 「って、これ大事な物じゃないのか?」 「うん。だから貸しとくだけ。あとでちゃんと返してもらうから、大事に持っといてよ?」 そしてすべてが終わり、俺は帰ってきた。 ──自分の世界へ。 あの日の夕暮れ、あの時の場所、あの時のままの学生服。 ただ一つ違うのは……その手に握っていたペンダントだけだった。 夜。何となく、外へ出た。 ──嘘だ。奇跡でも期待しているってのか。 「アイツにもよく言われたっけな、バカだバカだって」 見上げると真円を描く月。まるで夜空に穴を開けたよう。 月は異世界への落とし穴。 俺の世界にも月がある、と口にした時、彼女はそんな話をしてくれた。 昔、召喚術というものがなかった頃、悪魔や鬼神は夜空の穴から攻めて来ていたと思われてたとか。 『もしかしたら、あの向こうがキミの世界かもね』 もしそうなら、あの向こう側では── そんなことを考えて、ふと顔がほころぶ。我ながら現金だ。 まだ一日と経ってないって言うのに、会いたさがつのる。 『はぁ……。ホントにキミってお気楽なアタマしてるよね……』 ──まったくだ。 『あれ? それってもしかしてデートのお誘いかな?』 ── 一回くらいマトモに誘っとくんだったな…… 『約束、だよ……』 ──結局守れなかったな。……ごめん。 月明かりの下、今日も──来ない君を待ち続ける。 ホントにバカだな、俺は。 それからしばらく、空を眺めることが多くなった。 昼食後の気だるい昼下がり──この後は数学なのでなおさらだ。 そんなわけで、ハヤトは遠くの空を見上げて大きなため息を吐いた。 「もう二週間……。どう思う、アレ」 サンドイッチをぱくつきながら、ぼーっとしているハヤトを目で示すナツミ。 「あんな窓際で黄昏れてるよーなの、あたしの知ってるハヤトじゃないわ」 「まあ……確かに、新堂らしくはないが」 うんざりした口調のナツミに合いの手を入れるトウヤ。 いつもボケツッコミの矛先はハヤトに向くのだが、あんな調子ではうまく決まらず、溜まったストレスがこちらに向きそうになるので戦々恐々。 「見るからに悩みの無さそうな新堂さんでも、一年に一度くらいはそんなこともあるかもしれませんよ」 ふらりと出てきてさらりとヒドそうなことを言うが、いたって笑顔のアヤ。 「ほぅ。で、そのココロは?」 「あのペンダントではないかと。カケラも似合ってませんし」 確かに似合ってない。そういえばヤツが黄昏れ出した頃から付けていたような気もする。 それらのピースがナツミの頭の中でかちゃかちゃと組み上がる。 「なるほど……。つまり『女』ね!」 「女って……新堂にそのテの話なんて聞いたことないぞ」 実際の所、ハヤトはかなり人気がある。が、元来のニブさ故に浮ついた話はいっさい出てこなかったりする。 「よぅし、あたしがそれとなく探りを入れてくるわ」 「ねぇ。あんた最近変だけど、ひょっとして彼女にフられたとか?」 がたん、とトウヤが椅子ごとコケる。 「どの辺がさりげないんだ……」 「口調や態度はとてもさりげないと思いますが……」 受け取り手のことを考えず会話のボールを投げつけてくるナツミに、うろんな視線を返すハヤト。 彼女の言葉を反芻する。 ──彼女。何か違う。 「……そんなんじゃないよ」 にべもない返事をすると、また窓の外に視線を戻す。 一瞬考えたような「間」に、これは何かあると感じ取ると搦め手から入ることにした。 「その娘ってどんな感じ? 名前は? 年いくつ?」 まったく聞いてない風なハヤトに矢継ぎ早に質問をぶつける。 「あたしの方がかわいい?」 「それはない」 はっと気付いた時にはもう遅い。思わず突っ込んでしまった。 「ふふふ……引っ掛かったわね。さあ白状してもらおーか」 にんまりと悪魔のように邪悪な笑みを浮かべて、ここぞとばかりに切り込むナツミ。 「その娘どこにいるのよ? あんたと付き合うような変わった娘、実際会ってみたいわ」 「無理だよ。こっちには……いないからな」 それだけ言って顔を背けるハヤト。 その寂しそうな横顔に思わずどきりとしてしまう。十年来の付き合いだが、こんな顔見たのは初めてだ。 はっと息をのむナツミ。 こんな表情を見せるからにはよほどのことがあったのだろう。 別れた? いや、もしかして死別? あの似合ってないペンダントも形見だとするなら頷ける。 「あ……。ご、ゴメン。ツラいこと聞いちゃったみたいね……お詫びと言っちゃなんだけど、あたしの胸で思う存分泣くといいわ……」 さあおいで、とでも言わんばかりに両手を広げてみせる。 どんな思考をしたのかまるでわからないナツミを横目で見やるハヤト。 まあこの女が突飛な行動を取るのはいつものことなのでどうでもいい。 それより、ナツミとの問答であいつのことを考えてしまった。 無論、忘れたことなど片時も無いが。 一度意識してしまうと色々思い出してきてよけいに会いたくなってくる。 会いたい。顔が見たい。話がしたい。 こんなことじゃダメだ。何か別のことでも考えて気を紛らわせないと──ちらりと目をやれば、ナツミはまだ例のポーズのまま。 本人は聖母か何かのつもりらしいが、ベアハッグ待ちにしか見えないのが悲しいところだ。 いっそのこと胸をわしづかみにでもして逃げてやろうか。 そんなことを考えてると、ふと、言い知れない感覚が走る。 確信があったわけではないが、予感のようなそれに従って椅子から立ち上がる。 「離れろ!」 強く叫んで大きく飛ぶ。 視界の端では案の定、トウヤがアヤの手を引っ張って飛び退いていた。 雷鳴めいた爆音が轟き、机や椅子やナツミが盛大に蹴散らされる。 もうもうと上がる爆煙が次第に晴れ、何かが姿を現していく。 茶色の髪、アンテナのようなくせ毛──埃でぼさぼさだ。 ローブのような見慣れた服──あちこち破れてボロボロになってる。 抱くと折れてしまいそうな華奢な体──擦り傷だらけで血が滲んでいる。 愛嬌ある顔立ち。その鳶色の瞳が何かを探すようにきょろきょろと動く。 そして「何か」を見つけると破顔し、駆け出した。 「ハヤト!」 忘れようもない声。 ハヤトは飛び込んできた少女を優しく抱きとめ、勢い余ってそのまま後ろに倒れ込んだ。 「お前……ホントに、カシス、か……?」 「うん! 声、聞こえたよ……。今度はキミが呼んでくれたんだね……」 「で、でも……どうして……」 こうして腕の中の重みを感じても、触れる体温を感じても信じられない。 「あ、これ……あたしのペンダント。この真ん中に付いてるのサモナイト石なんだ。 もしかしたら、これのおかげかもね」 「ホントに、本当……なのか……?」 未だ信じきれない顔をしたハヤトの頬をぎゅいっとつねり 「もう!そんなのどうでもいいじゃない! せっかく会えたんだから気の利いたセリフの一つも言ってよ!」 この言い草。確かに間違いなく本物だ。 言ってやりたいことはたくさんあったのに、うまく言葉になってくれない。 ──いや、考えなくてもたった一言で十分か。 「……おかえり、カシス」 「……うん!ただいま、ハヤト!」 「さ~て、一段落ついたところで色々と聞かせてもらおうかしら?」 ……忘れてた。ここは二人だけじゃなかった。輪になった周囲から好奇の視線が降り注ぐ。 そんなことはお構いなしに、ごろごろと抱きついてるお姫様。少しは空気読んでくれ。 「あ、ペンダント返してもらうね。ちゃんと約束守ってもらうから」 と、ペンダントを外して自分の首に掛け直す。 「……え?」 「も~、忘れちゃったの? あたしのこと抱いてくれるって、約束したじゃない」 瞬間。視線に怒気や殺気が混じり、刃のようにハヤトに突き刺さる。 一人だけ、新しいおもちゃを見つけた子供のようにらんらんと目を輝かせる女。非常にマズい。 「……逃げるぞ」 ハヤトはぽつりとつぶやくと、わがままプリンセスを抱え上げ、一目散に逃げ出した。 「よっしゃ、追い詰めるわよ! あたしに続けぃ!」 クラスの一同を煽動し、先頭に立って走り出すナツミ。 人ひとり抱えているとは思えないほど軽やかに階段を飛び降り、ダッシュで廊下を駆け抜ける。 充実感。いや、ぽっかり空いた穴が埋まっていくような充足感が心を満たしていく。 「やっぱ、お前がいないと始まんないな」 「あったりまえでしょ。あたしはキミのパートナーなんだから!」 おわり 目次 |
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