18+. 過去
接待は俺にとって苦手な仕事の一つだ。
……苦手というか、嫌いというべきかもしれない。
お偉いさんに気に入られるべく媚びるのは吐き気がするほど厭だし、酔うと何しでかすか自分でも分からないから気軽に酒を飲めないし、何より接待されて気分が良いからその会社とは付き合おうという、非常に日本的なその発想が気に食わない。
そんなわけで俺はトイレに行きたいと嘘をつき、逃げるように席を立っていた。
「あー、どうすっかな。これから」
料亭の人気のない廊下で、壁にもたれ掛かりながらため息を漏らす。
どうするも何も、このままとんずらなど出来るはずもないのだが、悩まずにはいられない。
あの卑下た人間どものいる場所には戻りたくないのだ。
非常に投げやりな気分になってきて眉根を寄せると、小さな靴音が聞こえてきた。
「やべっ、誰か来た!?」
こんな所で油を売っているのを俺が接待すべき会社の人間に見られてみろ、心象を悪くするだけでは済まなくなる!
俺はポケットから煙草を取り出しかけた手を止めると、引き攣った顔を微笑みに変えた。
さて、どう言い逃れをしようか。
「――って、あれ?」
とぼとぼと気落ちしたように歩いてくるスーツ姿の男に、拍子抜けしてしまう。
これっぽっちも、見覚えがないのだ。
どうやら今日この料亭を接待場として使っているのは、俺たちの会社だけではなかったらしい。
全く関係のない人間であることに安堵しながら、俺は再び壁にもたれ掛かかった。
その間にも、男はゆっくりとした歩調で近づいてくる。
思わず引っ張りたくなるようなふっくらとした頬に、真っ直ぐで綺麗な黒髪。
大きくて丸い瞳も同様に黒色で、涙に潤んでいるのか妙に艶やかだ。
可愛い……って、持つべき感想はそうじゃないだろ!
「何、泣いてるんだよ?」
自分に叱咤を入れながら、本格的に泣きじゃくり始めた男に駆け寄っていく。
どうにも無視することが出来なかったのは、やはり外見が好みだからなのか。
とりあず次から次へと流れてくる雫をハンカチで拭ってやろうとすると、いきなり突き飛ばされた。
「おわ!? な、何す――」
板張りの床に尻餅をついた俺が顔を上げる頃には、男の姿は消えてしまっていた。
い、意味が分からん……!
何が起きたのかイマイチ理解し切れないまま立ち上がり、背後から聞こえてきた声に振り返って、目を見開く。
そこでは先程の可愛らしい男が、いつの間にやって来ていたのか大柄な男に慰められていた。
「救急車、呼びましたよ。後は医者に任せておけば大丈夫ですから、もう泣かないで下さい! それにこれは、泉さんの責任ではありません。俺も先方にアレルギーを持っている人がいるなんて知らなかったんですから!」
「でもっ、でも……僕、が…ちゃんと調べなきゃ、いけなかったのに……っ」
どうやら料理でアレルギー反応を起こして倒れてしまった人間が出たらしい。
泉と呼ばれているあの男は、俺と同じで接待の幹事を勤めていたのか。
……そりゃ、泣きたくもなるわな。責任取らされることになるだろうし。
「さぁ、泉さん。今日はもう帰りましょう。次長には俺が説明しておきますから、安心して下さい」
「いっ、いいえ。僕が……」
「遠慮しないで下さいよ。俺と泉さんの仲じゃないですか」
男はやけに甘ったるい声で囁くと、泉の肩を抱いて歩き出した。
二人がどういう仲なのか俺にはサッパリ分からないが、見ていて妙にイラッとくる。
あの程度の男に泣きつくぐらいなら、俺のところへ来ればいいのに。
何だこの感情は?
もしや、これが嫉妬ってヤツなのか?
「あ、ありえねぇよっ」
二人が廊下の奥に消えた後、俺はしっかりしろと自分の頭を叩いた。
今までの人生で、あんな風に突き飛ばされたことも存在をまるっきり無視されたこともなかったから、戸惑っているだけなのだ。
泉とかいう男の泣き顔が頭から離れないのも、おそらくそういう理由。
俺は今までに感じたことのない胸の高鳴りに無理やり理由付けをすると、そろそろ酒がまわってハイになってきているだろう人間どものいる和室に戻ることにした。
いっそ誰か倒れて、俺の計画した接待も中止にならないものだろうか。
そんな不謹慎過ぎることを考えながら、よく磨かれた光を反射する廊下を歩いていく。
実はこれが人生初の一目惚れだったと気づくのは、新しい会社に就職してから数年後、近所の川原で花火大会が行われる日。
――同じ課に配属されることになった、泉の姿を見かけてからだ。
END