1. 気持ちを確かめあうように、僕たちは背を重ねあう
本来なら教室で授業を受けているはずの時間帯に、僕は立ち入り禁止の屋上に行って、いつものように座って空を見上げていた。
しばらくそうしていると、カチャッとドアノブの小さな音が聞こえてくる。
それから、こちらへと近づいてくる足音。
ストンと、背後に座る気配がした。
「……久しぶり、だね」
「ああ」
振り返らず、前を見たまま話しかける。
返ってくるのは聞き慣れた、落ち着いた声。
―――いつからだろうか。
こうしてここに座っていると、僕の後ろに必ず男子生徒がやってくるようになったのは。
何故男子生徒と言い切ることが出来るのかと言えば、ここが男子校だからという至極単純な理由。
そしてやってくる男子生徒は、必ず同じ人物なのだ。
何故なら、声が同じだから。
「今日も良い天気だね」
「そうだな」
本当にどうでもいいような些細な会話を僕たちは交わす。
背中越しに、顔を見合わせないままに。
『決して振り返ってはならない』
それが僕たちのルールとなっていた。
互いに決め合ったわけではないけれど、いつの間にか、出来上がっていた僕たちの間の決まりごと。
互いに顔を知らなければ、名前も知らない。
知っているのは声だけだ。
彼について興味がないわけではない。
けれど授業中に立ち入り禁止の屋上に来ているのだ。
何かしら、人に知られたくないような事情を持ち合わせているに違いない。
……僕がそうであるように。
だから、深くは干渉し合わない。
交わす会話も当たり障りのないことだけ。
互いのことを何も知らないくせに、妙な親近感と一体感、そして安心感を覚える相手が、僕にとっての彼だった。
きっと、彼にとっての僕もそうであるはず。
だからこそ、こうして授業中にやってきては僕の背後に腰を下ろし、背中を軽く触れ合わせるのだろう。
と言っても、初めからこんなにも近くに座っていたわけではない。
少しずつ、話した回数が増えるにつれて近づいていったのだ。
今では背中が触れ合うほどに、僕たちの仲も進展した……と言えるのだろうか。
思っても良いのだろうか。
「……どうかしたのか?」
「あ……ううん、何でもないよ」
黙り込んでいたのを不審に思われてしまったらしい。
僕は小さく苦笑した。
何故だろう。
先ほどから、チクチクと胸が針でつつかれたみたいに痛む。
……まあ、原因を本当は分かってはいるんだけど。
「ね、お勧めの著者の本とかある?」
「ある。宮部さんの書く本は全体的にお勧め。お前は?」
「僕はね、乙一さんの書かれる本が好きなんだ」
本当は、もっと、もっと彼と仲良くなりたくって。
彼の顔を見てみたくって。
振り返ればすぐに見ることは出来るのだろうけど、そんなことをすれば、彼とのこの関係が終わってしまう気がして。
それが怖くて、振り返ることが出来ない。
それが、もどかしいんだ。
そして僕と同じ気持ちを、彼も抱いてくれているのかが不安だった。
一方的な思いだったら、悲しいから。
今、彼はどんな表情をしているのだろう。
一体、どんな風に笑うのだろう。
気になっても、どうしても、知ることが出来ない。
可笑しなことだと思う。
こんなにも近くにいるのに、存在が遠いなんて。
「……なあ、嫌だったらそれでも良いんだけどさ」
「ん?」
彼が珍しく迷いの感じられる口ぶりで話しかけてきた。
どうかしたのだろうか?
いつも彼はきっぱりと言い切るような口調だったため、少しだけ僕は眉を寄せた。
「あのさ。……そろそろ……あ〜、やっぱ、何でもない」
「えぇ? 何、言ってよ」
「嫌だ。やめとく」
それだけ言うと、彼は黙り込んでしまった。
僕は彼の背中にもたれかかった。
「言ってくれればいいのに……」
僕のつぶやきに、彼は言葉を返してくれない。
どうやら完全に話す気をなくしてしまったらしい。
僕は唇を尖らせた。
『そろそろ……』
その続きは、何?
僕は背中を通じて伝わってくる彼のぬくもりを感じながら、瞼を閉じた。
彼はいつだってそうやって、僕のことを焦らしてばかりだ。
知りたいという欲求ばかりが募っていく。
でも、それでも僕は今、無意識に微笑んでいた。
今の言葉で、彼が僕と同じ思いでいてくれていることを感じられたからだ。
不意に、背中に彼の体重がかかってきた。
互いにもたれ合いながら、くすくすと笑いあう。
名前は知らない。
顔も知らない。
それでも、心は繋がっている。
それを確かめあうように、僕たちはこうして、互いに背を重ねあう。
きっとこれからも、こんな風に、焦れったい関係が続くのだろう。
けれどいつかは、この関係も変わってくるはず。
今はまだ、そのときじゃないけれど。
だからこそそのときを心待ちにして、今を楽しもうと……そう思えた。