1. 愛してるですら足りないくらいに
隣の部屋から聞こえてくる甘ったるい女の人の声に、僕はベッドの中で身体を丸めた。
お兄ちゃんの部屋からこの声が聞こえるようになったのは、いつの頃からだろう。
唇を噛み締めて、両耳を手で塞ぐ。
ねぇ、お兄ちゃん。
お兄ちゃんは今、誰を抱いてるの…?
「ぁあっ、とうやぁ…っ!!」
お兄ちゃんのことを名前で呼べる、そして今、お兄ちゃんに抱かれている存在が妬ましい。
こんなにも好きなのに、弟である僕にそれは出来ないことだから。
嫉妬にどうかなりそうになっていると、聞こえてくる声が、一層大きなものに変わった。
ズキン、ズキン、と胸の痛みが強くなる。
もう駄目だ、耐えられない……っ。
僕は部屋を飛び出すと、お兄ちゃんの部屋のドアを蹴り開けた。
驚いたお兄ちゃんと、抱かれている女の人がこちらを向い……。
「――あ、れ」
お兄ちゃんに組み敷かれている人は、僕の考えている人物とはかけ離れていた。
小柄なことに変わりはないけれど――女の人じゃなかった。
頭の中が真っ白になる。
いつも気持ちよさそうに声を上げていたのは、お兄ちゃんと……そして僕と同性である男の人だった?
「や…だ。うそ、嘘…っ」
兄弟だから、諦めてた。
男同士だから無理だって、言い聞かせてたのに。
それなのにお兄ちゃんは、他の男の人を、愛していた…?
「っ……!」
突きつけられている現実に、涙が零れそうになった。
同性でも良いのなら、どうして僕じゃなくてその男の人なの…?
お兄ちゃんは慌てたように布団で身体を隠しながら、僕を睨みつけた。
「勝手に入ってくるな、文也!」
「桃矢、駄目だよ。そんな風に怒鳴りつけちゃ。声が聞こえてたんじゃないかな…」
男の人がたしなめるように、お兄ちゃんの頬に手を触れさせた。
お兄ちゃんの眼差しが若干和らぐのを見て、頭の中で何かが、ぷっつんと切れた。
「だめ、だめぇ…!!」
僕はボロボロと涙を零しながら、お兄ちゃんと男の人の身体を、無理やり引き離した。
お兄ちゃんにはこれ以上、触れて欲しくなかった。
だってお兄ちゃんは。
「お兄ちゃんは、お兄ちゃんは僕のなんだからぁ……っ」
ずっとずっと、好きだった。
きっとこの男の人よりも長く、僕はお兄ちゃんのことを想っていたはず。
奪われたくなんて、ない。
「おっ、おい……文也?」
しゃっくりを上げて泣く僕を、お兄ちゃんは戸惑ったように見ていた。
僕だってお兄ちゃんの立場にいたら、すごく驚いたと思う。
それでも、自分の気持ちを止めることは出来なかった。
「僕の方がお兄ちゃんのこと、ずっとずっと好きなんだから…っ。早く帰ってよぉ…!」
「――ふ、みや」
「ふぇっ…ぁ、ん…?」
きゅっ、と。
優しくお兄ちゃんに抱きしめられて、僕は目を瞬かせた。
何が起きているのか分からなくて視線を泳がせると、男の人と目が合った。
「ふふっ、何だ。桃矢、愛されてたんじゃない。お邪魔みたいだから、俺は帰るね」
男の人は僕に微笑みかけると、部屋を出て行ってしまった。
「お、お兄ちゃん? あの人、帰っちゃったよ…?」
「文也が帰らせたんだろ?」
お兄ちゃんは困ったように笑うと、そっと、僕の目元を指で拭ってくれた。
「好きだ、文也」
「……え?」
言われた言葉がすぐに理解出来なくて、僕は首を傾げてしまった。
好きって、僕のことが?
「う、嘘だ。だっていつも、あの男の人を抱いてたじゃんか…」
「文也によく似てたから」
「ど、どういうこと?」
「だって俺たちは兄弟なんだぞ? 文也をいくら好きだって、触れられるわけがないだろ! でも、どうしても我慢出来なくって。それで……無理を言って抱かせてもらってたんだ」
お兄ちゃんの言葉に、止まっていたはずの涙が再び溢れだした。
「ご、ごめん。やっぱり気持ち悪いよな。いくら似てるからって、文也のこと考えて他の男とヤッてたんだもんな。一人のときだって、もう何度…想像でお前のこと汚したか分かんないくらいだし…」
「違うの。お兄ちゃん、違うよ…。気持ち悪くなんてない。嬉しかったの。だって僕も……同じ、だから」
「同じ?」
「うん。他の人と抱き合ったりはしてないけど。それでも……ひとりで、シてたから」
お兄ちゃんのこと考えて、と付け足すと、お兄ちゃんは嬉しそうに目を細めた。
それから僕の頬を、大きな手のひらで包み込んでくれた。
甘い空気を感じ取って僕が瞼を閉じると、唇に柔らかな感触が触れる。
そっと触れるだけの単純なキスだったけれど、それはすごく幸せを伴ったものだった。
ずっとずっと、待ち望んでいたものだったから。
瞼をゆっくりと開くと、お兄ちゃんの熱っぽい瞳があった。
「――ダメだ、俺」
「え?」
ぐっ、と肩を押されてベッドに倒れこむ。
ポサッと音とともにベッドが軽く跳ねた。
「お兄ちゃん…?」
真下から見上げるお兄ちゃんは何だか逞しくて、大人の男の人という感じがした。
まるで……お兄ちゃんじゃないみたい。
胸をドキドキさせていると、お兄ちゃんは喉の奥から搾り出すような声を出した。
「キスだけじゃ止めれそうにない…っ」
――僕を求めてくれている。
込み上げてくる喜びに心を震わせながら、僕はお兄ちゃんに微笑みかけた。
「止めなくて、いいよ…。好きにして……?」
「文也…ッ」
お兄ちゃんがまた、唇を重ね合わせてきた。
何度も角度を変えて行われるキスに酔っていると、口内にお兄ちゃんの舌が滑り込んできた。
びっくりして思わず喉の奥に舌を引っ込めてしまうのだけど、お兄ちゃんはそんな僕の舌を上手に絡め取って吸い上げた。
「ふぁ、ん…っ」
敏感な舌で感じるお兄ちゃんは焼けどしそうなほどの熱を孕んでいて、互いの粘膜が擦れあうたびに、口元から全身へ甘美感が広がっていく。
こんなにもキスが気持ちの良いものだなんて、今まで知らなかった。
唇を離して荒い呼吸を繰り返していると、お兄ちゃんに洋服を胸元までたくし上げられてしまった。
「お、おにいちゃ…っ」
「もっと早く、こうしたかった…」
お兄ちゃんは人差し指と親指の間で僕の乳首を挟み込んで転がすと、他方を口に含んだ。
濡れた唇と舌で全体を包み込まれ、唾液をなじませるように舐め回されて、胸板から突起が浮き出す。
「あぁっ…や、んぁ…!」
「可愛い声だね、文也」
ちゅっ、ちゅっとキスをするように何度も音を立てて吸われて、胸元から広がる熱が次第に下半身へ集まっていくのが分る。
掻痒感に身を捩ると、お兄ちゃんは僕のズボンを引きずり下ろした。
そうして露になったパンツは、くっきりと大きくなった僕自身の形を表していた。
「や、やだやだぁ…! 見ちゃだめぇ…っ」
「どうして? それにそのままじゃ、文也だって辛いだろ?」
お兄ちゃんは僕のパンツに指をかけた。
少しずらされただけで、ぷるんっと勢いよく僕自身がパンツから飛び出てしまう。
「よっぽど触ってほしいみたいだね」
お兄ちゃんは泣きそうになっている僕の顔を見つめながら、やわやわと僕自身を揉んできた。
「んんっ、あ…ぁあっ」
「すっごく可愛いよ、文也。それにここ、ぬるぬるして……熱い」
「ぁあんっ!」
お兄ちゃんの指が動かされるたびに、耐え難い喜悦が体中を駆け巡る。
いつも何であんなに声を出すんだろうと疑問に思っていたけど、自然と出てしまうものなんだと初めて知った。
「ぁあっ、にいちゃ…んぁあっ!」
「気持ちいいんだね、文也…」
掌で握り締められて上下に激しく揺さぶられれば、先端から白みがかった蜜が零れる。
溢れた蜜はお兄ちゃんの指と茎を根元までぐちゃぐちゃに濡らしていた。
それを潤滑油として、お兄ちゃんの手の動きはより素早いものになっていく。
「ひぅっ…ぁ…ひゃっ…んぅ…!!」
鈴口をぎゅっと親指で押されて、僕はたまらず達してしまった。
どくん、どくん、と脈打つたびに僕自身から白い液が吐き出される。
開放感に脱力していると、お兄ちゃんの指が、秘孔に触れた。
「あっ…。おにい…ちゃん…」
「まだ続けられるよな…?」
「う、うん…っ」
こっくりと頷くと、お兄ちゃんの長く細い指が中に進入してきた。
初めてのはずなのにあまり痛みはなくって。
それどころか、お兄ちゃんの指を肉壁は柔らかく受け入れていく。
ぐるりと中を撫でるように指を動かされ、僕はシーツから腰を浮かせた。
「ぁあっ、や…そこ…」
「ここがいいんだ?」
「やぁんっ…!」
ある一部分に触れられると訪れる強い快感は、あまりにも鮮やかすぎた。
何度も身体を痙攣させて、腰をゆらめかす。
お兄ちゃんはそんな僕を見て、感心したように呟いた。
「感じやすいんだな…。それに文也のここ、指を引き抜こうとするとすごく締め付けてきて……なかなか、離してくれないよ?」
「ふぁっ…ぁああんっ」
「くすっ、本当に可愛いね。俺の血が繋がった弟とは思えないよ…」
お兄ちゃんは微笑みながら指を引き抜くと、ジーンズの前を肌蹴た。
それから僕の両足を抱え上げて大胆に脚を開かせると、むき出しの股間をくぼみにつきつけてきた。
「いいだろ…? ずっと、我慢してきたんだから」
「っ、ん…うん…!」
お兄ちゃんは僕の髪の毛を優しく撫でると、ぐっと、自身を押し入れてきた。
指とは全く違う圧迫感に、息を呑む。
少しでも動かれると裂けるような痛みが身体を襲ってきて、知らず知らず嗚咽が漏れた。
「ごめんな、文也。でももう少しだけ我慢してくれ…」
「へ、平気…だよ。だから、早く…っ」
「…文也っ」
「あっ、ぁああ!?」
一気に奥まで突き入れられて、僕は背を思い切り反らし、シーツをきゅっと強く握り締めた。
激痛に視界が霞んでいる。
力を込めすぎて震える僕の手に、お兄ちゃんは包み込むように掌を重ねてきた。
「大丈夫か? 深く、息を吐いて…」
「ん…はぁ…」
お兄ちゃんに言われたとおりに、何度か深呼吸を繰り返す。
僕の汗ばんだ額に張り付く髪の毛をお兄ちゃんは払うと、痛みを和らげるためになんだろう、優しく僕自身を掴んでくれた。
萎えていたはずのそこは、少しお兄ちゃんに触れられただけで再び天井を向き、濡れ始める。
指を軽く動かすだけでくちゅんといやらしい音が鳴るようになったところで、お兄ちゃんは腰を動かし出した。
小刻みに揺さぶられると敏感な部分にお兄ちゃんのものが擦れ、強烈な快感に悲鳴じみた声を上げてしまう。
「ぁああっ、やっ…ああんっ…!!」
「っ、ぁ…文也…っ」
先端から零れた蜜が中に入ったのか、はたまた身体の奥から滲んだものか…どちらかは分からないけど、次第に滑りが良くなっていく。
ときに緩やかに、ときに激しく攻め立てられて、意識が何度も飛びそうになった。
それでもそのたびに名前を呼んでもらえたりキスをしてもらえるのが嬉しくて、幸せで、快楽と喜びの混ざり合った涙が溢れる。
「ぁあっ、んぁ、おにいちゃん…ッ」
「文也ッ、ふみやぁ…!」
水音も身体がぶつかりあうことによって発生するパンパンという音も、大きなものに変わっていく。
ギシギシと軋むベッドの音が気にならないくらいに、僕たちは腰骨を激しくぶつけあった。
「ぁああっ、おにいちゃん…もっ…」
お兄ちゃんはふっと微笑むと、腰を押し上げた。
「ぁっ、ぁああ―――ッ!!」
熱くたぎった先端が最も感じる襞をめくり、喜悦の楔で貫いてきた。
ドクンッと白濁が僕とお兄ちゃんの間に放たれ、僕たちの身体を汚す。
それと同時に電気にも似た快感が身体中を駆け巡り、つま先まで痺れたところで、僕はふっと意識を手放してしまった。
++++++
ベッドの中で、お兄ちゃんと抱き合ったまま微笑みあう。
好きな人に好きだって言える。
好きな人と触れ合うことが出来る。
それがこんなにも幸せなことだなんて、思いもしなかった。
「お兄ちゃん」
「文也」
互いの愛情を確かめるように呼び合い、キスをする。
触れ合わせるだけのキスを何度も繰り返しながら、僕はお兄ちゃんの背に腕をまわした。
「……これからは毎日でも文也とこうやって、抱き合えるんだよな」
「いっぱいいっぱい、抱き合おうね」
「ああ。文也のこと、大切にするからな」
お兄ちゃんの大きな手が僕の頭を優しく撫でる。
その心地よさに瞼を閉じると、穏やかな眠気がやってきた。
「眠いか? 寝てもいいよ、ずっと一緒にいてやるから」
「……ありがとう、お兄ちゃん」
大好きなお兄ちゃんの腕に抱かれて眠りにつくことが出来るなんて、これ以上の幸せはない。
そう思ってはにかんでいると、玄関の鍵が開けられる音が聞こえてきた。
それから、お母さんの「ただいまー」という朗らかな声も。
「げ」
「うあ…!」
――そうだった。
家には親という存在がいるんだ。
こんな風に裸で抱き合っているところを見られたら、まず間違いなく怒られてしまう。
「ふ、服着るぞ!」
「うん…っ」
ガバッと起き上がって服を着にかかる。
もう少しお兄ちゃんと一緒に寝ていたかったのにな……。
身なりを整え終えて残念がっていると、お母さんが部屋のドアを開けてきた。
「桃矢ー……あら、文也も一緒にいるの? ちょうどいいわ。二人とも買い物に行ってくれないかしら? 牛乳買い忘れちゃって」
「いいよ」
気前よくお兄ちゃんは引き受けると、お母さんから財布を手渡されて僕を振り返った。
「行こうか、文也?」
頷くと、お兄ちゃんが耳元に口を寄せてきた。
「初デートだな」
「……えへへ」
お母さんには決して聞こえない、傍にいる僕たちだけに通じる声量で囁き、笑いあう。
「どうかしたの?」
「何でもないよ、母さん。それじゃあ行ってくるから」
お兄ちゃんが僕の手を引いて歩きだした。
お母さんは少しだけ不思議そうにこちらを見ていたけれど、僕たちがラブラブなことには気づいていないようだった。
「牛乳を買う前にさ、近くにある店でパフェでも食うか」
「うんっ」
きっとこれから、僕はもっともっとお兄ちゃんを好きになる。
だからその分、お兄ちゃんにも愛してもらえるよう最大限の努力をしよう。
そう決意して僕は背伸びをし、そっとお兄ちゃんの唇に唇を触れさせた。