1. 境界線の向こう側で


「何だって、岡崎と……」
「それはこっちの台詞だって何度も言ってるだろ。いい加減、聞き飽きたぞ」

文化祭が開かれているだけあって、校舎内の雰囲気は明るい。
ところどころに施されている装飾やスピーカーから流れ出るBGMのおかげもあるのだろう、生徒の気分は普段よりも高揚している。
それにも関わらず、仏頂面をしているのが俺と深町だった。
互いに委員長と一緒になりたいという望みを抱いているというのに、どうしてこうなるのだろうか。
運命の女神なんてあてにならない。

「ま、いつまでもブツクサ言ってても仕方ないよな。岡崎と見てまわるってのも、なかなか面白そうだし?」
「……どこがだ。深町は俺と文化祭が楽しめるだなんて、本気で思ってるのか?」
「冗談。そんなわけないだろ。……ただ、こうやってお前と二人きりで過ごすことって今までなかったし。これはこれでアリかな、とか思っただけだ」

深町は笑むと、俺の腕を引っ張って歩きだした。
反感を覚えて手を振り払おうとするものの、彼の力は予想外に強くて微動だにしなかった。

「おいっ、腕を放せ!」
「駄目だ。だって岡崎、歩く気ないだろ? 文化祭が終わるまでここで突っ立ってるだなんて、そんなの、つまらないじゃないか。俺は展示物を見たいんだ。あー……お前と一緒に、な?」
「……とってつけたように言うな。大体、俺相手に機嫌取りしたって無駄だからな」
「冷たいな、お前」

……そんなこと、分かってる。
こんな風に拗ねて、深町に当たるべきじゃないっていうことも、全部。
それでもこいつ相手には、俺は優しく接するだなんてことは一生出来そうにない。
委員長と仲が良いから、というだけで嫌うのは大人げないとは思うが、そう簡単には感情に逆らえないものだ。

「まわりたいなら一人でまわったらどうなんだ?」
「おいおい。ペアでまわらなくちゃいけないって言って、委員長から俺を引き離したのはどこのどいつだ?」
「さぁ? どこのどいつだろうなぁ」
「岡崎ってイイ性格してるよなー」
「それはどうも」

冷めた目をした深町の隙をついて、手を振り払う。
こいつに引っ張られたまま歩くだなんて、死んでも御免だった。

「……ま、岡崎が自分でちゃんと歩いてくれるならそれでもいいんだけどな。どこか、行きたいところとかあるか?」
「……別に」
「そうか。んじゃ、お化け屋敷でも行くか」

お化け屋敷という言葉に、顔から血の気が引いていくのが分かった。
俺は非現実的なモノが実は大嫌いで、大の苦手だったりする。
何よりも俺が幽霊などという存在を怖がっているということを、深町に知られたくなかった。

「……何で、そこなんだ」
「だって面白そうじゃないか」
「どこが? どうして?」
「……やけに突っかかってくるな」
「き、気のせい……だっ」

ふぅん、と深町は目を細めると、歩き出した。
お化け屋敷の方向へと向かって。

「ちょ、ふか……」
「何だよ、岡崎? 言いたいことがあるなら、言えよ。さっきまでバンバン、人がムカつくようなことまで遠慮なく言ってたじゃないか」
「その……あまり面白くないと思うんだ。何故ならば、だな? 人がやってると分かりきって……」
「馬鹿だなぁ、岡崎。人がやってるって分かりきってるからこそ、だろ? お化け屋敷ってのは、本物になりきって怖がらそうとしている無様で滑稽な役者を見ることに、面白さがあるんじゃないか」

……悪趣味なことこのうえないな、こいつ。
そんな思いが顔に出ていたのか、深町は苦笑いを浮かべた。

「委員長といい、岡崎といい。どうしてこうも、人の趣向を認めてくれないんだか」
「深町の趣味が悪すぎるだけだろ。一般人には理解出来ない。そんなわけで、俺は行かない」
「あのな〜。……っていうか岡崎さ、怖いんだろ」

疑問系ではなく言い切りの形だったことに、不快感を覚える。
俺が何も言わずにいると、深町はまじまじと顔を見つめてきた。
彼の口元が、少しずつ緩んでいくのが分かる。

「ッいつまで見てるんだ! いつまで!!」
「……くっ、はは! 意外と可愛いトコ、あるじゃないか」
「黙れこの下種!」
「……岡崎、お前って委員長の前とで性格違い過ぎないか? もっと口のいい子だと思ってたんだけど?」
「お前が口汚くさせるんだよ! ほかの奴相手にこんなこと言ったりしない!!」
「それって俺が、特別ってことか?」

俺は馬鹿なことを聞いてくる深町を突き飛ばすと、食堂へと歩き出した。

「どこ行くんだよー?」
「腹が立ちすぎて、腹がすいた!」
「はははっ、何だそれ?」
「ついてくるなっ」
「駄目」

何が“駄目”だ……!
こんな奴と一緒にいられる委員長の気が知れない。
心の中で深町のことを罵りながら、購入したフライドポテトを口の中に放り込む。
出来立てなのか中が思いのほか熱く、つい声を上げそうになるのを何とか堪えていると、スッと隣から水の入った紙コップを差し出された。

「ほら、岡崎。金もったいないから、ジュースじゃなくて悪いけど。飲みなよ」
「……あ、ありがとう。深町」

受け取った紙コップの中身を、一気に飲み干す。
俺が熱がってるのを見て、持ってきてくれたんだろうか……?

「……深町。お前は俺が嫌いじゃないのか?」
「嫌いだよ」
「……あ、そう」

サラリとあまりにも肯定されて、何だか拍子抜けする。
やっぱり俺だけ、嫌悪しているというわけではないらしい。
安心したような、少し寂しいような複雑な気持ちだ。

「……でも、委員長を抜く、他の奴らよりはいいかな」
「どういうことだ? 嫌いなんだろ」
「そうなんだけど。何て言えばいいのかな。……俺はさ、他人に興味がないんだ。委員長が特別ってだけで、な? だから委員長以外の人間を、俺は何とも思わない。眼中にないから。にも関わらず、俺は岡崎が嫌いだって思う。それはつまり、俺にとって岡崎は委員長とは違う意味で、特別ってことだろ?」
「……どんな理由にせよ眼中にはあるから、他の奴らよりはマシってことか?」
「ま、そういうことかな。岡崎は委員長と違って、理解が早いな」

満足そうに微笑む深町とは対照的に、俺はため息をつく。
たとえ眼中にあったのだとしても、それが悪い意味ではな……。
まぁ別に、深町相手に好かれたいだとか思っているわけではないし、むしろ俺は彼を嫌悪しているのだから、こちらの方が有難いのかもしれないけれど。

「でもお化け屋敷が無理だとすると、どこに行くかなぁ。特に見たいところがあるわけじゃないんだよなー」
「……行かないのか?」
「だって岡崎、怖いんだろ?」
「っ…お、俺は別に怖くなんてない!」

つい怒鳴って言い返してしまい、後悔する。
これでは肯定しているも同然だ。
きっと深町は俺をからかってくるのだろう。
そう思って目を伏せたのだが、彼から馬鹿にするような声は発せられなかった。
代わりに聞こえてきたのは、幼い子供をあやすような優しい声。

「岡崎が怖がってないっていうのは、分かったよ。だとしても、俺はもう行かないぞ? 気が変わったから」
「気が変わったって…?」
「言葉通りだよ。もう行きたいと思わないから、行かない。悪いな、俺の我侭につき合わせて」
「いや……」
「そうか? なら、いいんだけど」

深町は小さく笑みながら俺の紙コップを手に取ると、ゴミ箱へと捨てた。
それから穏やかな表情のまま振り返る。

「とにかく、歩きまわるか。そうしてるうちに、楽しそうなところが見つかるだろ」

俺は返事の代わりとして、歩き出した深町の後を追った。
気が変わっただなんてことは、本当はないのだろう。
俺のプライドを守りつつ、俺をお化け屋敷に行かせないようにするために、深町は嘘をついたんだ。
何だかんだいって、気を遣わせてしまっている……?
彼に対して作られていた心の壁にヒビが入り、壊されていく感覚。
少しずつ、けれど確かに崩落していくそれに戸惑いを覚えていると、深町の歩みが止まった。

「深町?」

深町の目線――数メートル先に、委員長の姿があった。
ひどくつまらなさそうな顔をして、彼はペアの女子生徒と一緒にいた。
全く文化祭を楽しんでいないのだろうその様子に、苦い笑みが零れる。

「委員長のあの顔は、さすがに露骨過ぎるだろ…。そう思わないか?」
「……ん」

生返事をした深町を訝しげに見ると、彼はじっと委員長のことを見つめていた。
愛しそうに、目を細めて。
その眼差しに込められた情の深さに、俺は息を呑んだ。
深町が委員長を好いてることは知っていた。
だから今更驚くようなことではないのかもしれないけれど。
それでも彼の委員長に向ける眼差しは、ドキッとするくらい、温かいものだったんだ。

「……っ」

駄目だ、と。
心の内側から声がした。
こんな眼差しを常に委員長が浴びているのならば、深町に委員長が絡め取られてしまうのも時間の問題だ。
いや、もうとっくに取られているんじゃないのか?

……そんなの、認められない。

醜い焦燥に、心が埋め尽くされていく。
だって委員長を傍で見守り続けていたのは俺なんだから。
現れたばかりのこいつに、奪われるわけにはいかない。
これ以上、委員長にこの眼差しを向けさせてはならない――――。

「委員長っ」
「まて、深町!」

委員長へと駆け寄っていこうとする深町の肩を掴み、止める。
深町は驚いたように振り返って、俺の顔を目にして、表情を曇らせた。
きっとこいつは俺の存在を忘れていたのだろう。
本当に……委員長以外には、興味がないんだ。

「なんだよ、岡崎。委員長があそこにいるんだぞ? お前だって、話したいだろ?」
「……委員長に不用意に近づくな」

低くなった俺の声に、深町は困惑の表情を浮かべた。

「近づくなって……?」

どことなく不安げな深町の目を、真っ直ぐに、けれど翳った気持ちのまま見つめる。
すると彼は俺の心に灯っている負の感情に気がついたのだろう、表情を顔から消し去った。
先程目にしたものとは全く違う彼の感情の欠落した瞳に、より焦燥が募っていく。
……分からない。
こんなにも冷めた目をしているこいつが、どうしてあんなにも優しい目を委員長に向けられるのか。
それとも俺も、委員長に同じような眼差しを向けられているのだろうか。

「岡崎、何なんだよ? 近づくなって、どうしてだ」
「……深町が委員長をどう思っているかは、分かってるつもりだ。その気持ちが、冗談なんかじゃないだろうことも。でもな、男同士なんだ。そこをちゃんと分かってるのか? やっぱり無理でした、だなんてことになって、委員長が傷ついたらどう責任とるんだ?」

俺の問いかけに深町は不愉快そうに目を細め、ため息混じりに口を開いた。

「……あのさ。前から言おうと思ってたけど、岡崎は委員長の何のつもりなんだ?」
「え……?」

唐突な質問に眉をひそめる。
委員長の何のつもりか、だって?
そんなもの、決まっている。
俺は……。

「保護者か何か? 違うだろ。ただの、友達だろ? 委員長が誰と過ごして、誰を想うか。それはあいつの自由だ。委員長を誰が好きになるのかも、な。これはお前には縛れないし、縛るべきでもないことだ」

言葉が、心に突き刺さってくる。
淡々とした口調で話す深町に、俺は言い返すことが出来なかった。
言われるまでもなく、そんなこと、分かっていた。
分かりきっているはずのことなのに、いざ他人の口から聞かされると、耳が痛い。

「それに、な。岡崎は委員長を傷つけないため、だとか言ってるけど。違うだろ? 本当は、自分が傷つきたくないんだろ? そうやっていつまでも委員長を守るふりをして、自分を守り続けるのは止めろ。見苦しいぞ」
「なっ……!?」
「恋愛なんて、傷の付けあいだろ? 誰も何も傷つかないようなことになんて、出来ないんだから。それに俺は、男同士だからやっぱり無理だなんて、絶対に言わない。そんなに生半可な気持ちじゃない。そんな言葉が出てくるってことは、岡崎は委員長のこと、それほど想って……」
「っざけんなよ!!」

最後まで言い切らすことなどはせずに、俺は深町の胸倉を掴み上げた。
俺の委員長に対する気持ちが、生半可だって?
――そんなわけがない。
どうしてこいつにそんなことを言われなければならないんだ。
俺の方が委員長を長く想い続けてきたのに、どうして、その気持ちを馬鹿にされなければならないんだ。

「俺はっ……お前が委員長を好きになる、ずっとずっと前からッ」
「だったら何で言わないんだ」
「な、に……?」

先程よりも怜悧になった声に目を見開く。
深町は俺の胸倉を掴み返すと、怒りの篭った瞳を向けてきた。
ゾクリ、と悪寒が背筋に走る。
これ以上この会話を続けてはいけないと、脳が警告を発している。

「そんなに好きなのに気持ちを伝えないのは何でだ? ……当ててやろうか? 怖いんだろ、今の関係が崩れることが。もしかしたら断られるかもしれない、気持ち悪がられるかもしれない。そんなことばっかり考えて行動に移せないような意気地なしに、何で俺のすることを止められなきゃならないんだ?」

深町の言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
意気地なし?
自分を守っている?
委員長に、気持ちを伝えないことが?
違う、そんなこと……ない。
だって委員長は俺のことを“頼りになる幼馴染”だって、そんな風に思っているんだぞ。
それなのに唐突に告白なんてしてみろ、委員長がどう思うか……。
いや、俺が委員長にどう思われるか……。
それを、俺は気にしてるのか?
嫌われてしまうんじゃないかって、そんな可能性に怯えて、逃げてるだけなのか?



こんなにも頭が痛いのも、動揺してしまっているのも、全部深町の言葉が核心を突いているからなのか?



「……がう。違う違う違う、違うッ! そんなわけがないだろ!? いい加減なことを言うな!!」

委員長のためには絶対に、気持ちを伝えないほうがいいんだ。
だって委員長は俺との関係が崩れることを望んでいないから。
だから、伝えちゃいけないんだ……っ。

「……なんで、岡崎はそうなんだ。こんなに言ってるのに、どうして分からない? 俺にはお前が理解出来ないよ」
「俺だってお前なんて理解出来ない! それに……理解したいとも、されたいとも、思わないしなっ」

吐き捨てるように言うと、深町が舌を打つ音が聞こえた。

「今日、話してみてよく分かったよ。やっぱり俺は、岡崎を好きになれそうにない」

深町は俺を一瞥すると、身を翻した。
燻る気持ちをなんとか抑え込みながら、離れていく彼の背中を睨みつける。
俺が委員長との間に張っていた境界線を、軽く飛び越えてしまう深町が憎い。
踏み越えてはならないラインの先に堂々といられるような存在に、出来ることなら俺だってなりたかった。



ああ、でも。
その境界線を作ってしまったのは。
その境界線よりも先に入らないようにしていたのは。



他でもない、俺なんだっけ――…?




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