1. いつか訪れるその未来 直純side


私と、辻村と、光と、陣くんと。
それぞれのわだかまりが、まだ完全にとは言い難いかもしれないけれど解けて。
お互いに少しずつ、歩み寄りが始まった頃。

「父さん! 陣が最近、セックスしてくれないんだけど、どうしたらいいと思う!?」
「何だって?」

缶ビールを片手にくつろいでいた私は、光の突拍子もない発言に思わず聞き返していた。
いや、突拍子もないということはないのかもしれない。
光が陣くんに好意を寄せていることには気づいていたし、いずれ、相談されるだろうことは覚悟していたのだから。
けれど――。

「やっぱり、たまにはオレから誘ったりするべきなのか!?」
「そんなことはしなくていい! それより、もう挿れたり挿れられたりの段階に進んでいたのか!?」

まさか同性を愛してしまった苦しみを打ち明けられる前に、セックスレスによる苦しみを打ち明けられることになるだなんて。
目の前に立つ可愛い我が子が既に他の男に穢されているのだと思うと、非常にやりきれない気持ちになってくる。

「父さんってば、すぐにそういう顔するんだから。い、言っとくけど挿れることはしてないからなっ」
「そういう問題ではない……ッ」

っていうか、光は挿入される側なのか。
くそぉ、陣くんめ。私のものに許可なく手を出してくれやがって。
舌打ちしたいのを堪えて、気分を落ち着かせるためにビールを飲む。
味なんて、分かりゃしない。

「で? いつから二人は付き合い始めていたんだ?」
「――え? つ、付き合う……って」

ぱちり、と目を瞬かせる光に、胸騒ぎがする。
私が訝しむような表情を浮かべると、彼はバツが悪そうに視線を逸らしてしまった。
まさか、とは思うが……。

「肉体だけの関係なんじゃ、ないだろうな?」
「……あ、その。ごめん、なさい……」

尻すぼみしていく光の声に、何だか泣きたい衝動に駆られた。
光がそんな、淫らな生活を送っていただなんて信じられない。
知らない間に大人の階段を数段ぶっ飛ばしながら上っている我が子に、親としてどう接すればいいのか。

「そ、それで光はどうしたいんだ? まさか、このままでいいだなんて思っていないだろうな?」
「思ってるわけないだろ! ……でも、陣がどういうつもりなのか分からなくて。抱こうとしてこないのは、もうオレなんて必要としてないからなのかなって」
「なるほど? そう考えると、怖くて本人に問いただすことも出来ないのか」

こくり、と頷く光にため息を零す。
私からすると、陣くんが光に惹かれているのは一目瞭然なのだが――。

「仕方がない。ここは私が、彼にガツンと言ってこよう。はっきりさせろ、とな」
「えぇ!? いいよ、別にっ」
「陣くんの煮え切らない態度に、光は悩んでいるのだろう? だったら、私がちゃんと解決してやるから、安心して待ってなさい。大丈夫。彼を責めるようなことをするつもりは……多分、ないはずだから」
「自分のことなのに、何でそんなに自信なさげなのさ、父さーんッ!!」

必死の形相で引きとめようとしてくる光の手を無理やり振り解くと、私は陣くんに会うために、彼の家へと向かった。
どうやら辻村は外出中のようで、インターホンを押すとすぐに陣くんが出てきた。
彼は私が訪ねてきたことにひどく驚いたようだったけれど、快くリビングまで上げてくれた。

「どうぞ、紅茶です。お菓子もあるので、良ければ召し上がってください」
「あぁ、ありがとう」

テーブルに紅茶のセットを並べると、陣くんは私と向かい合うようにしてソファーに腰を下ろした。
なかなかに気遣いが出来る青年のようだし、何より顔が私に似ているし、パパ大好きっ子の光が惹かれるのも無理はないのかもしれない。
私の値踏みするような視線に気づいてか、陣くんはどこか居心地が悪そうに視線を泳がせ始めた。

「……あの、直純さん。今日はどういう用件でいらしたんですか?」
「光がセックスレスに悩んでいる。相当、溜まっているらしい」
「ごはぁっ! なっ、何を……!?」

直球過ぎる私の言葉に、陣くんは食べているクッキーを吹き出し、むせ返ってしまった。
ちょっと申し訳ないことをしたかもしれない。
もっとオブラートに言葉を包んで話すべきだったか。

「え、えっと。直純さんは、一体どこまで知って……?」
「とりあえず、君と光が肉体のみの関係を持っていることは確認させてもらったが?」
「……ぅ、あ」

――しまった。
つい棘のある言い方をして、陣くんを凍りつかせてしまったぞ。
光に彼を責めるマネはしないと、約束してきたばかりだというのに。

「す、すみません」
「君も、それがよくないことだとは分かっているんだね?」
「はい。だからこそ、最近は我慢しているんです。もう、光を傷つけるようなことはしたくないので」

真摯な眼差しで話す陣くんに、私は少しだけ眉根を寄せた。
もしかして彼も、自分に好意を寄せられていることに気づいていないのだろうか。
何というか……若いって、いいな。
陣くんに光の気持ちを教えてあげてもいいのだけれど、それだと二人の関係がすんなりと行き過ぎて何だかつまらないので、やっぱり黙っておくことにする。
正直なところ、まだ光を他の人間に渡したくないという思いもあるし。

「直純さん?」
「あぁ、すまない。少し考え事をしていた。ところで、陣くんは光のことが好きなのか?」
「それにはお答え出来ません。この気持ちを最初に伝えるべきなのは、貴方ではないと思いますので」

陣くんはキッパリと言い放つと、見ていて実に気持ちのいい笑顔を浮かべた。
予想外の、けれど十分すぎる返答に、自然と笑みが浮んでしまう。
残念ながら、直に彼のもとへ行ってしまうのだろう光を止めることは、私には出来そうもない。

「君は思っていた以上に、光のことを大切にしてくれてるようだ。私がとやかく言う必要はなさそうだから、今日はもうお暇させていただくよ。急に押しかけたりして、悪かったね」
「いいえ。いつでもいらしてください」

ソファーから立ち上がろうとして、全く手をつけていない紅茶に目を留める。
せめて淹れてくれた分は飲まないと失礼だろうか。
私は一気にカップの中身を飲み干すと、ごちそうさま、と呟いて玄関へ向かった。
靴を履きながら、ふと、大切なことを頼んでいないことに気がつく。

「陣くん。言い忘れていたことが……」
「何でしょうか?」
「さっき話した、光の欲求不満状態についてだ。今後いくら誘われたからと言って、本能に任せるがままに抱き合って解決! などということには、くれぐれもならないように注意してくれ。そういうのは恋人になってから――かつ、高校を卒業するまでは、絶対にお預けだ」
「……ぜ、善処しますっ」

引き攣った笑顔を見せる陣くんに私も苦い笑みを零すと、玄関のドアを開けた。
直後にゴンッ、と鈍い音が鳴り、取っ手を掴んでいた手に振動が伝わる。
おそるおそるドアの後ろを見れば、そこには丁度帰ってきたらしい辻村がしかめっ面をして立っていた。
その額は、赤らんでいる。

「や、やぁ。こんにちは、辻村」
「……直純。お前、言うことはそれだけなのか。この俺の額の状態を見て、何か思うことはないのか」
「ちょ、アンタも直純さんも! こんなところで喧嘩するのは止めてくれよ!?」

ひくり、と口元を動かした辻村と私の間に、陣くんはすかさず割って入った。
一瞬だけ流れた剣呑な空気はそれで払拭され、私たちはどちらともなく両肩をすくめる。
流石にこの程度のことに、本気で喧嘩するほど子供ではない。

「それじゃあ、陣くん。今日は本当にありがとう。二人とも、さよならだ」
「さようなら、直純さん。ほら、アンタも。ボケっとしてんなよ!」
「……じゃあな、直純」

陣くんは一礼をすると、辻村と一緒に室内に入っていった。
彼らの表情からは、憎しみや悲しみの感情は感じられない。
陣くんが辻村を“父さん”と何の気兼ねもなく呼べる日が来るのは、そう遠い日の出来事ではないのだろう。

「しかし、光を一体どうしたものか……」

ぼやきながら、晴れ渡った空を仰ぎ見る。
陣くんへの牽制を意味のあるものにするためにも、光には抱き合わないことに納得してもらわないといけない。
おそらく陣くんは光に迫られたら、断ることは出来ないだろうから。
『こんな身体にしたのは陣なんだから、責任とれよ!』――などという台詞を素で言いそうな我が子が少しだけ、怖い。
直に訪れるであろう光による質問と文句の嵐に気を重たくしながら、私は自宅へと向けて歩き出した。




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