1. この世界はいっそ絶望してしまいたいくらいに醜く哀しいものだけど (日向視点)


学校から帰った俺は、挨拶もなく家に上がり、鞄を床に放り投げた。
浮かんでくるのは有原と相楽の顔だ。
引き裂いてやれば関係は簡単に壊れるだろうと考えていたのに、どうしてあいつらは互いに思いあったままなんだ。

「くっそ!」

落ちている鞄を蹴り飛ばす。
欲しいものはいつだってそうだった。
絶対に、手に入らない。
手に入れるような努力をろくにしていない人間が、ただ生きているというだけで幸せになれる人間が、妬ましくって仕方がない。
どうして、どうして有原が――。
奥歯を強く噛締めながらリビングに向かい、天井照明の電源を押す。
暗闇は一瞬にして光に照らされ、そこにいた女を震えさせた。

「……また、ここにいたのか」

俺の声に返答はなく、代わりに鼻を啜る音が聞こえてきた。
それからブツブツと、低く唸るような声が。
何かに怯えているかのように自身をギュッと抱きしめながら、訳の分からないことを涙を流して呟き続けるその姿は、異常でしかなかった。
俺は彼女――母さん――から視線を逸らし、浅く下唇を噛んだ。
彼女の精神が病み始めたのは、俺が小学生の頃からだったろうか。



++++++



何をさせても完璧で、優れた能力を持つ兄貴と。
他の女の胎から生まれた、ろくに能力もない俺と。

そのどちらを愛するかと訊かれれば、誰だって兄貴を選ぶだろう。
もちろん俺の母さんだって、例外じゃなかった。
それを分かっていたからこそ、差別や暴力を責めることはしなかったけど……寂しさや哀しみはどうしても拭えなくって。
息苦しさにどうしようもなくなったとき、俺は初めて、煙草と酒に手を出した。
正直言って、その日は飲みすぎたんだ。
酔いがまわって正常な判断が出来ないときに母さんがやって来て、いつものように死ねばいいと首を絞めてきて。
カッとなった俺は母さんを蹴り飛ばし、台所にあった包丁を手にとった……。
そのときのことは何故だか記憶が霞がかっているけれど、妙に身体が熱くって、頭の芯が痺れていたのを覚えている。
この出来事の後、俺と母さんは様々な病院に連れて行かれ、様々な検査を受けた。
学校に復帰出来るようになったのはそれからかなり先のことで、そのときにはもう、俺の居場所はなくなっていた。
ニュースに流されたのか、はたまた噂によって広がってしまったのか分からないけれど、俺は周囲から奇異の目を向けられ、避けられるようになった。
このときは自分のことで手一杯で気づかなかったけれど、きっと母さんも同じ目に遭っていたんだろう。
日に日に俺も母さんも心が蝕まれていって……それでも、兄貴だけは優しく接してくれた。
俺にとっても、母さんにとっても、兄貴はなくてはならない大切な存在だった。
だからこそ、彼の部屋で煙草と酒、そして透明な袋に密封された白い粉が見つかったとき―――目の前が真っ暗になった。

『どうして、どうしてあの子が!? アンタ達家族は、私をどれだけ苦しめれば気が済むの!?』

泣き叫びながら母さんはリビングにある皿を、何枚も何枚も床に投げつけていた。
母さんは兄貴に絶大な期待と希望、そして愛を捧げていたから、家族の中でも一番動揺していたんだと思う。
兄貴が暴力団と関わりがあることも分かって、俺はもう、自分の不甲斐なさで一杯になった。
この家庭環境に苦しんでいたのは、俺と母さんだけじゃなかったんだ。
俺達を支えてくれていた兄貴にも、心に大きな負担を掛けさせていた……。
こんなことじゃ、いけないと思った。
兄貴だけを心の拠り所にしてはいけない、頼っていてはいけない。
自分で居場所を何が何でも作って、彼を安心させなければならない。
そう思って俺は深夜に、こっそりと兄貴の後を追って、不良グループと巡り合った。
今更一般人と仲良くなれるような自信がなかったこともあって、俺は彼らとつるむようになり、舐められることがないよう率先して悪いこともした。
俺は不良グループの中でどんどん名を上げていき、兄貴も暴力団員としての地位を上げていった。
家にはただ、眠りに帰ってくるだけだった。
その方が母さんも憎い俺の顔を見ずに済むし、気楽でいいんじゃないかって思ったんだ。
兄貴も俺と同じ考え方らしく、母さんに会うことは滅多にしなかった。

―――知らなかったんだ。

父さんが金品を奪って、家から出て行ったことなんて。
彼女がいつも独りで、暗闇の中、震えながらすすり泣いていたことなんて。



母さんには誰でもいいから一緒にいてくれる存在が必要だったなんて、こんな俺達がどうやって気づけたっていうんだ。



++++++



「なぁ、母さん」

呼びかけにはやっぱり反応がなくって、気が滅入りそうになる。
本来なら彼女の精神状態を回復させるべく、俺達兄弟は足を洗って一般人に戻るべきだった。
けれど今更、そんなことが出来るほど世間の目は甘くない。
どうしたらいいのか、未だに解決方法は見出せないし、行く末は暗いだけだけれど。
それでも絶対に、治してみせるから。

「俺が酒や煙草を始めた理由、教えてやろうか……?」

俺は決して彼女が恨めしくて、反抗していたわけじゃないんだ。
リビングの明かりを消し、自分の部屋に向かって歩き出す。
暗闇からは未だ、母さんの泣き声が聞こえていた。



俺はただ、母さんに構って欲しかったんだ。
たった一言でもいいから、そんなくだらないことは止めろって、叱って欲しかったんだよ。




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