550 :1/3:2007/10/21(日) 22:11:32 ID:MmQ8U5/f
「寒い…」
「もう少しだから我慢してくれるかな?」
「うん…」
元々温暖な気候に居たこの子にとって、この寒さは苦痛だろう。十分な厚着を用意できなかった俺に責任がある。

鼻を通り抜ける冷気は目を覚まして、眠気を遠いものにしてくれた。ただ、この寒さの厳しさを五感に伝える役割も余計に果たしてくれる。僅か数キロしかない道のりを、途方もない距離に感じさせる程だ。
それでもこの子は、弱音らしい弱音を吐かず、俺に甘える事なく付いて来た。防寒用に渡した俺の重いジャンパーを引きずって、両手に息を吹きかけて温めながら。
小刻みに震える小さな頭を、優しく払ってやる。赤みの髪に幾つか木の葉が引っかかっていた。
「?」
「葉っぱが散ってたんだ。気づかなかった?」
首を縦に振る。返事が無いと言うことはそろそろ限界なのかも知れない。
「やっぱり早めに休もうか?」
「…イヤ」
「どうしてだい?」
「もっとあそこから離れたいから…」
俺と出会うまでにこの子が体験してきた悪夢は、今もこの子の胸の中に居る。

正直言って、俺達が何処に向かってるかなんて解らなかった。ただ俺が歩くと、側にこの子が居る。俺でさえ知らない道を、俺が先に進んでる。それだけだった。
誰も居ない田舎町の遊歩道にも見えれば、空き缶と食べかすだらけの、どこかのダウンタウンの路地裏にも見える。
はっきりしてるのは二人きりで宛てのない道を。それだけだった。

「レヴェッカ?」
「うん?」
「僕が怖くないのか?知らない人とずっと一緒にいるんだよ?」
「…お兄さんを待ってた気がするから。そのうちお兄さんと色んな事、すると思うから」

年下の、こんな小さな子の言葉に、顔が赤くなるのが分かった。

552 :2/3:2007/10/21(日) 22:13:05 ID:MmQ8U5/f
きっと宿なんだろう。チェックインした記憶も無いけど、いきなり場所は変わっていた。今部屋に入って来たかのように、凍えたままで。

最初にしようと思った事は。

「こら!暴れちゃダメだ!」
「わーっ!」
二人で入ると狭い空間。でも季節や外気とは関係なしに、ここは熱気に満ちている。妙な所で日本式の湯船に浸かった。
体格の大きい俺が先に入って、その上にレヴェッカを無理やり押さえ込む。
「あったかい…」
「俺の国じゃ当たり前なんだよ?こういうお風呂」
「ふー…」
手すりに体を預けて、背中を向ける。

この無邪気さと裏腹な傷跡は、身を守る時に背を向けたからか、レヴェッカの背中に無数に刻み付けられていた。火傷、切り傷、打撲の跡。

悪意のある傷。

やはり全身の傷は消えていない。一生付き合っていかないといけない傷も多いだろう。こんな体になる前に、俺が出会えていれば何か止められたのかも知れない。
俺の勝手な義憤を知ることなくレヴェッカは温もりに身を任せていた。

湯船の湯を飛び散らせる。

今は、腕の中にある小さな体。か弱くても温かくて、穢れを知らない体は確かに手元にあった。

「く、苦しい…お兄さん…」
「…あ、ごめん…」
「…どうしたの?」
「いや、魅力的に見えて…」

弁解の方法を間違ったと気づいたのは後の事で、この後は風呂場から上がるまで、ひたすらからかわれる事になった。

553 :3/3:2007/10/21(日) 22:14:43 ID:MmQ8U5/f
それから。一人で薄く冷たいベッドに入った。体温の下がりやすいあの子に、出来るだけ布団を渡した代償だった。
どんな時でも徐々に温もってきて、朝になると抜け出せないくらい温まっているのが、この布の便利な所だろう。
眠りに着けるほどの温もりが溜まるまで、窓際の冷たい空気を吸いながら天井を見上げていた。今日はあの子に、レヴェッカに安眠が訪れるのを願いながら。

少しウトウトし始めた頃、物音がした。朧気に見える部屋の中を見渡すと、俺を見下ろすように立つ姿。両手をもじもじさせている所を見ると、何か言いづらい事を頼みにきたくらいは感づく。
「…」
「眠れないのかい?」
首を縦に振る。
「寒かったから?」
今度は横に振った。
「…?」
「あの…ね?一緒に…」


布団を分けたのが無駄になったと、ほんの少し後悔して、同じ布団の中で寝息を立てる少女の姿を見た。
枕は俺の胸。小さな腕を全開に広げて、しがみつくようにした後すぐに眠りに落ちてしまった。
寝顔に微笑みが見えるくらいだったから、良しとしよう。この子の安心できる場所が俺の中にあるのなら、幾らでも貸してやる。
改めてそう思った。

夢…俺も夢に落ちる瞬間が来たみたいだ。
おやすみ…レヴェッカ…


…苦しい。息苦しい。強く締めにきた腕が、首に絡まっていた。細長い腕だ。
ベッドの中で素肌が触れあうのを感じて、昨日、眠りに落ちる前に何をしていたかを思い出していく。

夢で聞いた物と同じ寝息が隣から聞こえていた。
赤みの髪は同じで、引き締まった唇からは豊かな寝息が漏れていた。普段のレヴィからは想像もできない、大人しくて静かな寝息。
部屋の中は青白かった。カーテン越しの、寝ぼけた日光が神秘的にも不気味にも見える光で、部屋の中を暗く照らしていた。
天井を見上げていると、冷気が俺の目を覚ます。横を向くと今度はレヴィの温かさが、逆に眠りを呼びそうになる。

静かで、悪くない朝だ。

「夢…か」
返事は帰って来ない。そもそも期待していない。
お互いの睡眠の為にもう一度眠りにつく事にした。

「…お兄さん」

きっと今の声は、レヴィの寝言がそう聞こえただけだろう。
きっと気のせいだ。







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