92 :名無しさん@ピンキー:2009/03/19(木) 00:22:29 ID:7fqzRZL5

シェンホアがアパートの扉を開けようとすると、部屋の中からバニラの香りが漂って来た。
これまで留守中にさまざまなトラップを仕掛けられたり、帰宅を狙って襲われることはあっても、
こんなに甘い「歓迎」を受けたためしはない。
もしや新手の火薬か化学兵器、か…?
数々の危険に身をさらす「殺しのプロフェッショナル」として瞬時にそう判断し、
細く開けた扉の陰で身を低くしながら「得物」を構える。
「…ここ、シェンホアの部屋と知って仕掛けているか。もし間違いならささと退却する、これカシコイやり方よ」
得体の知れない敵に向かって、威嚇する。
カネにならないなら、無益な殺しは避けたい。
敵と分かれば、速やかに排除したい。
声を放ったことで「誰でも良かった」という手合いなら尻尾を巻いて逃げ出すだろうし、
そうでなければ何らかのアクションを起こすだろう。
さぁ、どっちだ?
シェンホアが息を詰めてわずかに感じられる部屋の中の気配に集中していると…。
『思ッたヨリ、早かッタ…ね。モウ少しデデキるカラ、驚かソウとオモッた…ノニ』
聞き覚えのある「声」がキッチンの奥から響く。
「…ソーヤー、何してる?」
驚いて立ち上がり、ドアを全開にする。
部屋には、ゴシック調の黒いレースに縁取られたエプロンをしたソーヤーがいた。
手には、ほんわりと暖かい湯気を立てるホットケーキ。
バニラの香りの正体はこれだったのだ。


93 :(92続き):2009/03/19(木) 00:27:02 ID:7fqzRZL5
「おかえり」
さらにもう1人、ピンクのハート型の胸当てがまぶしいエプロンを身につけた男が
フライ返し片手にキッチンの方から顔を出す。
「ロットンまで、オマエさんたちどういう風の吹き回しね?普段からゴハンも何も、手伝ったことないのに」
あきれながら指に挟んだクナイをスリットの奥に収め、後ろ手にドアを閉める。
見回すと、ソファとテレビの間に置かれたテーブルに焼きたてとおぼしきホットケーキが山盛りになっていた。
「今日はホワイトデーだ。1ヵ月前にチョコレートをもらったからな。
恩を返すために、ホットケーキを焼いている」
妙にきっぱりと、ロットンが宣言した。
確かに、シェンホアはバレンタインの日に2人の居候にちょっとしたチョコレートを贈ったが、
そんなことはすっかり忘れていた。
ましてや、ホワイトデーの日に返礼があるなどと…常識の通用しない街ロアナプラでさえ「非常識」な部類に入るこの2人に、
間違っても期待などしていなかったのだ。
「何でホワイトデーにホットケーキかはよく分からんけれども…とにかくうれしいね。ありがとう。
早速食べさせてもらってよろしいか?」
思わぬ誤算に笑顔をほころばせながら、シェンホアはテーブルの前に座った。
が、さぁ食べようとフォークとナイフを入れかけたそれは、よく見るとこんもりと山のような形をしている。
ホットケーキにしては見慣れないが、そのカタチ自体はよく知っているような気がして、
シェンホアは首をひねった。
「このホットケーキ、形、少しおかしいないか?」
『シェンホアの台所…中華ナベしかナカッたカラ、ソンなカタチニ…ナッタ』
ソーヤーがすまなさそうに、ホットケーキを運び終えたトレーを胸に抱きしめる。
ロットンがそんなソーヤーを慰めるかのように、言葉をつなぐ。
「底が厚いと生焼けになるから、卵をよく泡立ててスフレ状にした上で生地を作ってみた。
火は通っていると思うが?」
恐る恐る、口に入れてみる。
ロットンの言う通り、生地は空気を含んでふんわりと弾み、優しい甘さを残して舌の上でとろけてゆく。
あまりの出来映えに、シェンホアの目尻にはうっすらと涙さえ浮かんできた。
「お前さんたち、やれば出来るコね…!それにしてもこんなレシピ、よく思いつく。感心感心」
するとロットンはずい、と前に出て大きく胸を張った。
「以前、仕事のなりゆきでいくつかのレストランの厨房を渡り歩いたことがある。
イタリアからフランス、中華まで、一通りはこなせる」
その言葉を聞いて、感激に打ちふるえながらホットケーキを口に運んでいたシェンホアは、
はた、とその手を止めた。
脳裏に浮かぶのは、炊事から掃除、洗濯まで、家事の一切合切をシェンホアに任せっぱなしにして、
ひたすらプレステで遊ぶロットンとソーヤーの姿。
「…そんならなぜ、普段手伝わない…?」
「…」
ロットンは無言でうつむき、キッチンの方にあとずさっていった…。


94 :(92続き):2009/03/19(木) 00:39:30 ID:7fqzRZL5
「ま、どちらにしてもおいしいね。ほんと、お前さんたちはいいコですだよ」
チラリ、とロットンを一瞥したあとは、気を取り直したかのように上機嫌でフォークとナイフを
動かし続けるシェンホアを尻目に、ソーヤーもそろり、そろりとキッチンの方に退却する。
『ソれ…ニシテモ、アタシノ選んダエプロン…似合ッてル』
「そうか。格好いいか?」
『ウん、バッチリ。トコロ…でホンモノノ『オカエシ』ドウすンノ?』
そう、本当はもっと手の込んだケーキをシェンホアのために2人で焼くべく準備していたのだが、
仕込みの途中で思わずゲームに夢中になり、用意した材料は「無かったこと」になってしまっていた。
『デモ、マサかホットケーキ…くライデアんナニ喜ブ、ナンテ…』
「それほど、俺のホットケーキが芸術的な出来映えだったということだ」
ロットンとソーヤーは、ホットケーキを食べ続けているシェンホアの方を覗き込んだ。
通常のものよりも大きい「中華鍋ホットケーキ」を、もう3枚も平らげてしまっている。
その表情はとても嬉しそうで、とにもかくにも「料理人」としてはまんざらでもない。
「今から焼き直すのも格好つかないしな。ケーキは誕生日にでもリベンジすることにしよう」
『ソウしタラ、コンド…シェンホア、ノタんジョウビ…聞いトク』
「あぁ、よろしく頼む。さて、俺たちもティータイムと洒落こむか。全部…食べられてしまうからな」
『私、コーヒー入れル…ロットンはミルク、ネ…』
ソーヤーは、戸棚からカップを3つ、取り出した。
蓋つきで赤いボタンの花が描かれているマグカップはシェンホア、金彩の縁取りが美しい深紫色のカップ&ソーサーはソーヤー、
たっぷりとミルクの入るグラスはロットンのだ。
「それにしてもあんた、よくそんなエプロンしている」
「…決まってるだろ?」
「…何とも言えないね…」
テーブルでは、かみ合っているのかかみ合っていないのか、どうにもアヤシい会話が繰り広げられている。
ソーヤーは自分にしか聞こえない鼻歌を歌いながら、沸かしたてのコーヒーと冷たいミルクを入れた。
そして自分も「アヤシい会話」に加わるべく、3つのカップを並べたトレーを手に、
ホットケーキと同居人が待つテーブルに向かった。





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