373 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/21(金) 21:28:57 ID:wg83Jrmp


   戦いに結ぶ 誓いの友  
   されど忘れえぬ 心のまち  
   思い出の姿 今も胸に  
   いとしの乙女よ 祖国の灯(ひ)よ



指先を立ち並ぶ小さなボトルの上にさまよわせて、僅かに逡巡した後、一つのボトルを摘み上げた。
私はそれをマホガニー製のドレッサーの上に置き、椅子を引いて腰掛けた。
手元を照らす灯りを点ける。
ぱち、という微かな音が夜の静寂の中に響いた。
薄暗かった私室の中が、ドレッサーの周辺だけ、ぽうっと明るくなる。
鏡の向こうからは、顔の半分が醜く焼け爛れた女が倦んだ目をしてこちらを見ていた。
見慣れた顔。
顔の右側を縦断するひきつれた火傷の痕は“フライ・フェイス”の呼び名に相応しい。
ずっと見ていたい顔ではないが、かといってわざわざ目を逸らす程に悲劇趣味な拘泥も無い。
私は特に何の感慨も無く鏡の中の女を一瞥して、手元に目を落とした。

コットンに除光液を浸して、爪に塗られたマニキュアを丁寧に落としていく。
爪の根本には、地爪の色がはっきりと分かるくらいに隙間が出来ている。
前回塗ってから約一週間が経過していた。
全ての爪から綺麗に色を落としてしまうと、手早くベースコートを塗る。
厚いカーテンを下ろした室内は、息苦しくなる程何の音もしない。
窓の外の街の空気も、弛んで疲れ切っていた。
今夜は、抗争の火種はどこにも感じられなかった。

ベースコートを塗り終えると、私は先程選んだボトルの首をひねった。
透明なボトルから透けて見えるのは、澄んだライラック色。
キャップについた刷毛をボトルの縁で程良くしごき、爪に色をのせていった。
根本から爪の先へと刷毛を滑らせる。
長く整えた爪が、うっすらとライラックの色に染まっていく。
じわじわと、静けさが浸透する。
マニキュアの液体に刷毛を浸した時に上がる、かこ、という小さな音だけが耳を打つ。
十本の爪を塗って、その上からまた色を重ねる。
今度は完璧に、ボトルの色が爪の上に再現された。
仕上げに色を守る為のトップコートをつけると、ガラスのような輝きでライラック色が固まった。

この色を選ぶのは久方振りの事だった。
私は指を広げてみた。
火傷の痕は顔だけでなく体中至る所に残っているというのに、不思議なことに手にだけは無かった。
爪を染めたライラック色は、青く血管の透ける白い手を更に冷たく見せた。
それは、屍蝋のような手を更に本物へと近づける仕上げの施しのようだった。

私はぼんやりと思い出す。
昔、私がまだ少女だった頃、この色は透明感溢れる涼やかさで私を飾ったのだ。
今となっては信じられない事だが、みずみずしい肌を持つ少女にライラックはよく似合う、
なんて可愛らしい子だろう、と大人達は口々に褒めそやした。
無邪気な少女はそれを素直に喜んだ。


374 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/21(金) 21:29:58 ID:wg83Jrmp

モスクワの自宅から車で約一時間の郊外にあるダーチャの庭には、沢山のライラックの木があった。
五月になると、ライラックの木は一斉に花を咲かせた。
四枚の花弁を持つ小さな花が集まったうす紫の房は、可憐な香りで庭を満たした。
私はその香りに包まれるのが好きだった。
週末ごとに訪れるその別荘の庭を、私は飽きもせずにさまよい歩いた。
四枚ではなく五枚の花びらのライラックを見つけると良いことがある、
そんな迷信めいた言い伝えを真に受け、群生するライラックの茂みに分け入った。
ソーフィヤ、ソーフィヤ、と呼ぶ父や母の声を葉の陰から漏れ聞くと、
私は顔の横で二つに結い上げたプラチナブロンドの髪を揺らして、
急いで葉むらの中から駆け出たものだ。


街路樹のポプラが風にざわめき、夏になると白い綿毛が街中に舞い散るモスクワも好きだったが、
幼い頃の私は、特にダーチャでの日々を愛していた。
ピオネールに入ると夏期の長期休暇はラーゲリでのキャンプとなり、
ピオネールでの活動は楽しかったものの、ダーチャで過ごせない事だけは惜しかった。
雪に覆われる季節の方がずっと長いモスクワの市民にとって、夏の光は貴重だった。
大抵の市民がダーチャの家庭菜園に野菜を植え、それを夏のうちに収穫して、長い冬への備えとしていた。
我が家でも、トマト、キュウリ、ジャガイモ、ニンジン、ラズベリー、ブルーベリー等を収穫し、
酢漬けや塩漬け、ジャムやジュースにして、数々の煮沸した壜に詰めた。

幼い私の仕事は、ラズベリーやブルーベリー、苺や赤すぐりを摘み採って来る事だった。
大きな籐の籠をよく熟れた小さなベリーで一杯にして母に渡すと、
「あら、すごいわ、ソーフィヤ。こんなに沢山採れたのね。助かるわ、ありがとう」
そう言って微笑み、誰にでも出来る仕事を丁寧に労ってくれた。
私が摘んだベリーは母によって洗われ、砂糖を加えてから大鍋でくつくつと煮つめられた。
弱火で辛抱強く煮つめていると、細かな白いアクが出てくる。
私は、ルビーやアメジストを煮溶かしたような液体から、そっとアクだけを掬い取った。
とろみを増した液体を熱いうちに壜に詰め、きゅっと蓋を閉めると、ジャムは完成だった。
その壜は、ピクルスなど他の沢山の壜と共に貯蔵室に並べられる。
それから一年間、次の夏まで、私達の食卓を賑わせるのだ。

ジャム作りの日の夕食は、決まってブリヌイだった。
普段は朝食に食べるブリヌイを、母は何枚も何枚も焼いて、重ねて大皿に乗せた。
食卓に着くと、めいめいが薄く焼き上がったそれを自分の皿に取り、バターを塗った上に
サワークリームやキャビア、スモークサーモン、ピクルス、ベーコン、ザワークラフトなどを
自由に組み合わせて乗せ、薄い生地をぱたんと二つ折りか四つ折りにして食べるのだった。
食事の後半には、その日作ったジャムが登場した。
「ソーフィヤが作ったジャムよ」
ただベリーを摘んで来て、煮つめるところをじっと見守っていただけだというのに、
母はそうやって、まるで私が一から十まで一人でやってのけたかのように断言した。
「そうかそうか。じゃあ早速食べてみるとしよう」
父は嬉しそうにスプーンを取り、熱が落ち着いてとろみの増した液体をたっぷりと掬った。
赤く透明なジャムを薄い生地で包んでナイフを入れると、端から赤い液体がたらりと溢れた。
父の評価が気になって、すっかり手元がお留守になっている私に気づくと、父はにっこりと笑った。
澄んだ湖のような青をした目が、優しさを増した。
口の中のものをすっかり飲み込んでしまうと、父は大きく頷いた。
「素晴らしい! 素晴らしく美味いよ、ソーフィヤ。君は毎年腕を上げるね!」
「お口に合って良かったわ、父様」
「去年も素晴らしかったが、今年のは更に良いよ、ソーフィヤ」
その賛辞には多分に父の優しさが含まれている事を承知してはいたが、
私は、はにかみと一緒に、少しの誇らしさを抑えることが出来なかった。


375 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/21(金) 21:30:58 ID:wg83Jrmp

我が家のダーチャは決して豪勢なものでは無かったが、
木の壁や床、白いレースのカーテン、レンガ製のペチカ、どっしりとした木製のテーブルと椅子、
厚手のラグ、庭に面したサンルーム、琺瑯のボウルや鍋、棚に飾られたマトリョーシカ、
二匹の鹿が描かれたマグカップ、それらが居心地の良い空間を作り出していた。

特にペチカを、私は気に入っていた。
母は、オーブンにもなるこの暖炉で、よくピロシキを作ってくれた。
挽肉、ザワークラフト、時には甘いジャムを中に包み込んで、ペチカで焼いた。
段々と香ばしい匂いが漂ってくると、心の浮き立つ思いがした。
私は、ペチカの前に敷いてあるラグの上がお気に入りだった。
パチパチとはぜる薪の音を聞きながら炎を見ていると、ぼんやりとした酩酊感を覚えた。
ペチカの前で、父はバラライカを爪弾きながら、よく歌を歌ってくれた。
「何がいいかね? ソーフィヤ」
「『ともしび』がいいわ、父様」
訊かれると、三回に二回はこの曲をねだっていた。
「ソーフィヤは本当に『ともしび』が好きだね」
父は呆れたように笑ったが、それは勿論ポーズだけで、
大きな体でバラライカを抱え直すと、決まって私のリクエストに応えてくれた。

   夜霧のかなたへ 別れを告げ
   雄々しきますらお 出(いで)て行く   
   窓辺にまたたく ともしびに
   つきせぬ乙女の 愛のかげ

   戦いに結ぶ 誓いの友  
   されど忘れえぬ 心のまち  
   思い出の姿 今も胸に
   いとしの乙女よ 祖国の灯よ

私は、このもの哀しいメロディーが好きだった。
静かに聞き惚れる私に、父は言った。
「戦争に赴く兵士と、それを待つ少女の歌だよ。
戦場で兵士は、少女の窓辺に灯っていた故郷の火を想うんだ」
「……二人はこの後、会えるのかしら?」
「――どうだろうね。でもきっと、少女はずっと待っているよ。君だったらどうするかね? ソーフィヤ」
「……分からないわ。けど、私は待っているだけなんて嫌。それなら戦場に行った方がましよ」 
「おやおや、これは勇ましいお姫様だ」
父の声が笑いを含んだ。
「からかっちゃ嫌よ、お父様」
「からかってなんかいないよ、ソーフィヤ」

そうやって父の歌を聞きながら、私はいつもペチカの前でまどろんでしまうのだった。

   やさしき乙女の 清き思い
   海山はるかに へだつとも  
   二つの心に 赤くもゆる
   こがねのともしび 永久(とわ)に消えず

   変らぬ誓いを 胸にひめて
   祖国の灯のため 闘わん  
   若きますらおの 赤くもゆる
   こがねのともしび 永久に消えず

ゆらゆらと形を変え続ける炎。
遠くなる父の声と、三弦のバラライカ。
私の中の兵士は、いつも火を見つめていた。
戦場で燃え続ける火を。


376 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/21(金) 21:31:57 ID:wg83Jrmp

 * * *

私はいつの間にかぼんやりしていたのに気付き、慌てて過去の残滓を振り払った。
――下らん。
もうあの少女はどこにもいない。
待つ人も無ければ、故郷も無い。
感傷など、とうの昔に捨てた。

……なのに、こうして過去がはみ出してくるのは、今夜が静か過ぎるからか。



戦場の記憶は、砂と風、火と爆音だ。
Mi-24攻撃ヘリの五枚羽が空を切り裂くローター音。
骨まで響くAK74の反動。
機関銃が絶え間なく火を噴き、敵の撃った弾が足元で跳ねた。
すぐ隣にいた同志の胸から真っ赤な鮮血が噴き出し、人の手足は簡単に千切れ、飛んで行った。
今までそこにあった体の一部を失った者が、信じられないといったように顔をひきつらせながら上げた悲鳴を、
私は今でも忘れる事が出来ない。
伏せた砂地のすぐ側にロケット弾が着弾すると、耳は一時的に聴力を失い、
吹き上げられた砂と石、煙だけの世界となった。
この世に地獄があるとしたら、まさにアフガンこそが地獄だった。

私はリャザン空挺学校を卒業してすぐに、スペツナズとしてアフガンに派遣された。
アフガンは、砂と岩の大地だった。
日中は五十度にもなるというのに、夜は零度まで冷え込む。
慢性的な水不足。マラリアや黄疸に罹る兵士が続出した。
物資を運ぶ輸送隊は度々アフガーニのゲリラやムジャヒディンによる攻撃を受け、
我々は常に敵地での孤立を恐れていた。
渓谷道路や橋に仕掛けられた爆発物、待ち伏せに警戒を強いられ、
見通しの立たない戦況も相俟って苛立ちを募らせる者が少なくなかった。
現場の士気は低下し、ジャララバードのソ連軍基地では、大麻やヘロインに手を出す兵士もいた。
司令官は麻薬の蔓延を黙認した。
そればかりでなく、手数料を取って私腹を肥やす士官すらいた。


377 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/21(金) 21:33:10 ID:wg83Jrmp

『ピオネールで認められた射撃の腕を生かして』
戦場とは、そんな生やさしいところでは無かった。
第二のルドミラ・パブリチェンコなどともてはやされていた私は、一瞬にして自らの無力を知った。
厳しい訓練を受けたスペツナズであっても、作戦を終えるごとにその数は半減していった。
冷え込む夜に焚き火を囲む同志の口からは、時折同じ単語が零れた。

「今日も“黒いチューリップ”が飛んだぜ」
「ああ、知ってる。俺も見た」

『黒いチューリップ』
死体運搬専用機であるアントノフ輸送機を、前線の兵士達はこう呼んだ。
戦死者の棺桶製造と遺体の輸送を担う国営企業の名から取ったのか、
棺に巻き付けられた黒いリボンがチューリップのようであるからそう呼ばれるようになったのか。
その由来を知る者は誰もいなかったが。

「まったく、これで何度目だ?」
「そんなもんいちいち数えちゃいねえよ。台所で鼠の数を数えるようなもんだ」
「……俺も国に帰る時はあれに――」
「やめな、余計な事は考えるな」
「そうだぜ、お前の帰りを待つかわいこちゃんの一人や二人、いるんだろ?」
「『思い出の姿 今も胸に いとしの乙女よ 祖国の灯よ』ってな」
「よせよ――」
「羨ましいねぇ、俺を待ってるのは魔女みてぇな女房だけだ。
ちくしょう、一緒になった時はお前、可憐な女だったんだぜ? 
それが何だってあんな膨らし粉飲んじまったみたいに……」
「何だお前、女房が待っててくれるだけでありがてえってもんじゃないか。
俺んとこは絶対待ってなんかねえよ。これ幸いと羽伸ばしてるに決まってる」
「お前はあれだ、かみさんの顔見てるよりオリンピック競技見てる方がよっぽど良い、ってやつだろ?」
「ああ、ご名答さ。オリンピックでは少なくとも誰が一位だったか確認できるからな、くそ」
焚き火のオレンジ色の炎が、皆の疲れ切った顔に一瞬笑いがのったところを照らした。

   戦いに結ぶ 誓いの友
   されど忘れえぬ 心のまち  

……誰かがぽつりと歌った。
他の誰かが続く。

   思い出の姿 今も胸に
   いとしの乙女よ 祖国の灯よ


私はそんな部下達を、誰一人として“黒いチューリップ”になど乗せたくは無かった。
乗せたくなど、無かったのだ……。


378 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/21(金) 21:34:26 ID:wg83Jrmp

 * * *

爪に塗ったマニキュアは、もう完全に乾いていた。
静けさが私を包む。
私は大きく溜息をついた。
生きすぎた、と思う。

軍人の生きる場所は、戦場だ。
戻る場所の無い軍人の生きる場所は、戦場しか有り得ない。
戦場で生き、戦場で死ぬのが軍人だ。
私は今でも戦場をさまよっている。
火と砂の戦場を。

私が求めるのは火だ。
全てを焼き尽くす火だ。
安寧はいらぬ。


その時、部屋のドアが控えめにノックされた。
「誰だ」
「ボリスです」
堅牢な造りのドアの向こうから、低い声がした。
「入れ」
静かにドアを開けて入ってきた大柄な男を、私は鏡越しに見た。
「どうした」
「夜分遅くに申し訳有りません。月間の業務報告が上がってきました」
「見せろ」
差し出した私の片手に、紙の束が乗せられる。
私はそれをめくり、目を滑らせていった。

『ブーゲンビリア貿易』――勿論それは表向きの形骸的な会社名であって、
実体はロシアに拠点を置くマフィア、『ホテル・モスクワ』のタイ支部、だ――の通常業務に当たる
細かな取り立てや流通に関しては、全てボリス以下の者に任せていた。
トラブルがあればその都度報告がある。

報告書に並ぶ数字は、どれも問題無い。
世界の半分はマフィアで回っている。
一度くわえ込んだ物は決して離さず、勢いづいた車輪が坂道を転がり落ちるように回り続けるのだ。

ショバ代の徴収、売春宿の経営、売春婦の派遣、麻薬の取引、役人への賄賂、
乗っ取った――いや、実質的経営権を委譲して頂いた企業による収益。
特にアフガン製のヘロインは主力商品だ。
ヘロイン――芥子から取れる阿片を精製した、極めて依存性の強い麻薬。
取引相手は大抵、優良顧客となってくれる。
その結果“コールド・ターキー”が何体出来上がろうと、私は何らの痛痒を感じない。


379 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/21(金) 21:36:04 ID:wg83Jrmp

しかし、驚くべきことに以前の私は違ったのだ。
私は、アフガンの渓谷に広がる、火の色をした芥子畑を思い出した。
乾いた砂色の大地で、オレンジがかった赤色をした芥子の花は炎のように揺れた。
ヘロインは衛生中隊物資調達班の手によってソ連軍基地内に蔓延していたが、
私は、自分の部下にはヘロインに手を出す事を禁じていた。

それでも、隠れて摂取しようとする者はいた。
私はそんな者に気付くと、口を出さずにはいられなかった。

「そんなに、良いか」
見つかった者は、しまったという顔をして、身を隠すように小さくなった。
「そんなに良いか、と聞いている」
「…………い、いえ……」
「良くないのに、やるのか」
「……いえ、…………はい……」
「ヘロインには手を出すな、と言ったはずだ」
「……はい…………」
「いいか、よく聞け。依存症に苦しむのは貴様の勝手だ。
しかし、薬物は判断能力を狂わせる。作戦に支障が出る。
作戦に支障が出て困るのは貴様だけではない。隊の同志全員を危険にさらす事となる。
私は貴様等の命を預かる上官として、それを許すことは出来ない」
「申し訳ありません……」
絞り出すような、声だった。

「理解してはいるのです……。――しかし、……しかし、自分は恐ろしいのです」
彼は、下を向いて震えていた。
「自分は、アフガーニの連中に一斉掃射を浴びせました……。迫撃砲も、打ち込んで……。
血しぶきが上がり、肉片が飛び散り、人間がずだ袋のように地面に倒れ伏しました……。
掃討してから確認すると――、それはもう……、人の形をしていませんでした……。
赤黒い塊でした。大小の、砂にまみれた血と肉の塊……。
まだほんの子供もいたのです。細い骨が……肉塊の中から突き出して……。
自分がやったのです。自分が……。
自分は恐ろしい……。もう……あんなのは、正気ではとても……」
関節の目立つ筋張った手が、頭を抱え込んだ。

「――貴様の気持ちは分かる。戦場は全く悪夢だ。
まともな神経では到底やっていけまい。貴様は正常だ」
私は小さく息をついた。

「――しかしな、私はアフガーニの連中の命よりも、貴様等の命の方が大切なのだ」
彼が頭を上げた。
「中尉……」
「私は貴様等を生きて本国に帰す。“黒いチューリップ”の世話にはさせんよ。
貴様の射撃の腕、小癪な粉末で衰えさせることはあるまい?」
「…………は……」
消え入りそうな声だった。
「貴様は私の命令通りに撃ったのだ。そしてこれからも、私の命令通りに撃つのだ。
“私の”命令通りに、だ。良いな」
「…………はい……」
「本日、二三〇〇より作戦を開始する。遅れるなよ」
「――はっ!」
彼は立ち上がって敬礼した。


380 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/21(金) 21:37:11 ID:wg83Jrmp

踵を返して歩きながら、私は自分の偽善者振りに口の中が苦くなった。

貴様等を生きて本国に帰す?
“黒いチューリップ”の世話にはさせない?

そんなことは、不可能だ。
作戦ごとに半減していくスペツナズの隊の中で、私の隊は驚異的な生存率を誇っていた。
守護天使に守られた隊。そんな馬鹿げた事を言う者もいた。
しかし、戦場において一人の死傷者も出さないなどという事は有り得ない。
私は、極力死傷者を出さないように作戦を立て、入念に下調べをし、退路を確保する。
それが指揮官として当然の仕事だからだ。
それでも、“黒いチューリップ”で運ばれる者は出る。
不可避的に。
戦場とはそういう場所だ。


私は今になって分からなくなる。
あの時、無理に薬物を禁じることは果たして正しかったのであろうか、と。
恐怖と苦痛の中で逝かせるぐらいなら、いっそ陶酔の中で終わらせてやった方が――。

それでも私は、本国の灯の元に帰してやりたかったのだ。
戦場の焚き火に祖国の灯を見ていた兵士達を。
そして私自身、少なくとも帰れる場所はあると、思っていたのだ。
――あの時は、まだ。

それが今、ヘロインを世界に遍く広めんとして、その先頭に立っているなど――。


381 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/21(金) 21:38:42 ID:wg83Jrmp

 * * *

「いかがなさいました、大尉殿」
ボリスの声に、私は我に返った。
報告書をめくる手は止まっていた。
「いや、問題ない。ご苦労だったな、軍曹」
私は書類を閉じ、肩越しにそれを返した。
彼が受け取る。
「……お顔の色が優れないようですが」
「そう見えるか?」
「はい」
この男は朴念仁のような顔をしていながら、なかなかどうして勘が良い。
それには随分と助けられる事が多いが、時として少々厄介な事もある。
今は後者だ。

「気のせいだ」
「しかし……。――何かお持ちしましょうか?」
「必要無い。それより軍曹、付き合え」
尚も食い下がる彼を、私は強制的に断ち切った。
「――はい」
彼は、私の命令の内容を正確に理解して返事をしたらしい。
昔からずっと変わらない。
彼は私の要求を正確に把握し、命令には絶対に従う。


私はドレッサーの椅子から立ち上がり、スーツの上着を脱ぎ捨てて白いブラウスになると、
奥の寝室へと足を向けた。
「来い」
「はい」
彼も少しの距離を開けて従う。
今も変わらぬ、忠実な部下。
要求された事を忠実にこなす、私の片腕。
……こちらが要求しないと、決して自分からは踏み込んでこない、私の片腕。

あの時、彼に手を伸ばしていたならば、何か変わったのだろうか……。
詮無いことを、私は思う。
アフガンでムジャヒディンの捕虜となり、一ヶ月に及ぶ監禁と拷問の末救出され、
本国で治療を受け入院していた頃。
そこに一人、尋ねてきた彼に手を伸ばしていれば、
私と彼の関係は、あるいは何か違ったものになったのだろうか。


386 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/22(土) 21:29:18 ID:oxwLBozp

 * * *

私が捕虜となったのは、アフガーニのゲリラやムジャヒディンの勢力から輸送部隊を護衛する任務中での事。
地の利を生かしてソ連軍の輸送部隊に奇襲をかけるのが、ムジャヒディンの常套手段だった。
輸送部隊が前線へ赴く時は、必ず物々しい装備をした護衛がついた。
我々の隊が護衛の任務についた時も、ムジャヒディンの襲撃に遭ったのだった。

隊列は、大きな岩がごろごろと転がる岩場の間を一列になって進行していた。
七台の輸送トラックを挟み込むようにして、スペツナズの隊員を乗せた車両が先頭に二台、最後尾に一台。
それぞれの輸送トラックにも、武器を携行した隊員が乗り込んでいた。
隊を指揮していた私は最後尾の車両に、副官であるボリスは先頭の車両にいた。

前方に橋が見えた時だった。
突然、凄まじい轟音が鳴り響き、時間差で別の場所からも煙と爆音が上がった。
耳をつんざくような音と、肌を焦がす熱風。
巨大な岩が吹き飛んで、砕けた破片がバラバラと降り注いできた。
もうもうと砂埃が舞い上がる。
目にも鼻にもお構いなしに入り込んでくる砂塵の中で目を眇めて現状を確認すると、
一台のトラックが爆発で出来た窪みにタイヤがはまり、立ち往生していた。
しかし、大破した車両は一台も無く、前方の橋も落ちてはいなかった。
「全速前進! 橋を渡り切れ!」
間を置かず、周囲の岩陰から機関銃の弾丸が飛んで来た。
「応戦しろ!」
しんがりにいた私は、弾が発射されたあたりを狙って、RPK機関銃を発射した。
「本車両は援護に入る!」
私が乗っていた最後尾の車両は、何とか窪みから抜け出そうとタイヤを軋ませているトラックの側に停車した。
「追わせるな! 撃て!」
輸送部隊は二つに分断されていた。
橋に差し掛かろうとしている前方集団と、後方で取り残された我々の集団。
何とかして前方集団だけでも橋を渡って逃げ切らせねばならない。
先頭の車両にはボリスがいる。
彼ならば的確に指揮してくれるだろう。

窪みにはまったトラックの運転手以外の全員が、フルオートで機関銃の引き金を引き続けた。
空薬莢が次々と宙を舞う。
敵の弾丸が頬を掠めたと思ったら、RPGロケット擲弾が飛んで来て、岩の間で爆発した。
爆風と熱が襲ってくる。
が、幸いな事に目標を外したようだ。
――怯むな!
そう言おうとした次の瞬間、今し方吹き飛ばされた岩の間に、私は信じられないものを見た。

――人!

今まで死角となっていた岩場の陰に、三人の人がいるのだった。
二人の子供と、その母親らしき女。
子供の一人が倒れてきた岩に足を挟まれ、他の二人が必死で引き抜こうとしていた。
――民間人!?
貧しい身なりをして、怯えながらも半泣きで岩をどかせようとしている者達は、明らかに民間人だった。
手は休み無く掃射を続けながら、なぜこんなところに民間人が、この周辺に集落は無かったはずだ、
と不思議に思い、その後すぐに、難民か、と思い当たった。
戦場となったアフガンから、難民となって国外に脱出する民間人は、何百万人にも及んでいた。
あの三人も、徒歩でパキスタンとの国境を越えようとしているのに違いなかった。


387 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/22(土) 21:30:04 ID:oxwLBozp

三人の周辺でも跳弾によって砂が吹き上がり、岩が砕け散っていた。
――危険だ。
あそこにいては流れ弾に当たる。
あの子供の足の上に乗っている岩の大きさでは、到底女子供二人で動かすことは出来まい。
それに、橋が落ちなかったところを見ると、仕掛けた爆発物全てが爆発したわけではないのだろう。
どこかに不発弾が残っているはずだ。
もし岩をどかす事が出来たとしても、無闇に歩き回っては危険だ。
私は即座に腹を決めた。
「後方に民間人を発見! 保護する! 援護しろ!」
言うと同時に、AK-74を抱えて飛び出した。
「中尉!」
飛び交う騒音の向こうで声がしたが、私は三人の元へ全力で駆けた。

銃を持って岩場に滑り込んで来た私を見て、三人は顔を引きつらせた。
「大丈夫。ここは危険。岩をどかすのを手伝う」
私は、片言のパシュトゥ語で伝えた。
分かったのか分からぬのか、依然として怯えた顔で身を寄せる三人を尻目に、
私は銃を置き、岩に手を掛けた。
その時、二人の同志が私のいる岩陰に走り込んで来た。
「中尉、フォローします」
やってきた二人は岩場の陰から応戦した。
私は体重をかけ、渾身の力で子供の足の上に乗っている岩を押した。
少しずつ岩がかしぐ。
岩の下に隙間が出来、血塗れになった足が抜けたと思った瞬間だった。
私が先程まで乗っていた車両が、爆音と共に吹き飛んだ。

RPG擲弾が命中したのだ。
咄嗟に三人の上に覆い被さるように伏せた私の上に、小石や車の残骸、そして肉片が降り注いだ。
熱風をやり過ごしてから顔を上げてみれば、RPG擲弾の当たった車両は炎を上げており、
輸送トラックも横倒しになっていた。
二台の車両からの掃射が止んだのを見て、AK-47を手にしたムジャヒディン達があちこちの岩陰から出て来た。
そして、トラックに近づいて行く。
――輸送物資を積んだトラックから鹵獲する気だ。
「させるか!」
フォローに来た二人と共に、私はAK-74の引き金を引いた。
弾丸が残り少ない。
しかし、構わず引き金を引き続けた。
ムジャヒディン達は、岩の死角を使って我々の銃弾を巧妙に避け、火を吹いているトラックに近寄った。
そして首尾良くトラックに辿り着くと、運転席にAK-47をぶち込んだ。
運転手、兵士、道ばたに吹き飛んで既に死んでいることがはっきりしてきる死体にも、一人残らず。


388 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/22(土) 21:31:04 ID:oxwLBozp

私の弾が切れた。
そして、残り二人の弾も。
それを見計らって、車両に残っていた全員を完全に沈黙させたらしいムジャヒディン達が、
こちらに向かって距離を詰めて来た。
私はマカロフに持ち替えて発砲した。
しかし、そんなものは気休めに過ぎない。
AK-47の弾丸が、雨あられと襲ってきた。
一人の同志の脇腹にムジャヒディンの撃った弾が当たり、前のめりに崩れ落ちた。
遮る物の無い地面に倒れ込んだ彼に、銃弾が集中する。
戦闘服にぼつぼつと穴が開き、血しぶきが飛び散った。
耳を覆いたくなる程の悲鳴が上がったが、頭蓋骨が砕けた瞬間、すぐに止んだ。

マカロフも撃ち尽くした。
私は、携行していた最後の武器、ナイフを取り出した。
狙いを定め、投げる。
一人の男の胸に当たったが、ナイフは一本しか無い。
ムジャヒディン達は四方に広がって、我々を捕獲しようとしていた。
じりじりと距離を詰めて来る。
岩に背中をぴたりと付けて息を潜める私の耳に、砂を踏みしめる足音が聞こえた。
私は姿勢を低くして岩陰に身を潜め、足の影が見えたところで思い切りその足を払い、
バランスを崩して倒れた男の首の後ろに、組んだ両手を叩き下ろした。
絶命した男から、AK-47を奪い取る。
……しかし、そこまでだった。
AK-47を構えようとした瞬間、首に重たい衝撃を感じ、私の視界は暗転した。

 * * *

意識を取り戻した時、私の両手両脚は荒縄で拘束されていた。
薄暗い室内に、十数人の人影があった。
だぼっとしたズボンと、裾の長いシャツにベスト、頭には丸いコットンの帽子。
浅黒い顔に髭を蓄えた男達だった。
落ち窪んだ眼窩の奥に、闇を煮つめたような暗い目があった。
私は負けずに睨み返した。
命がまだあると知った時点で、私は自分の立場を理解していた。
捕虜になったのだと。


389 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/22(土) 21:33:11 ID:oxwLBozp

ムジャヒディンの捕虜に対するもてなし方は、ソ連軍の中でよく知られていた。
彼らは生きたまま捕虜の皮を剥ぐ。
兵士を捕虜にすると、ソ連軍の野営地点の側に全身の皮を剥がれて赤黒くなった死体と、
その皮が転がしていくのだった。
見せしめのように。
皮を剥がれた状態で死にきれない兵士の悲鳴を聞いた、と語る者もいた。
部分的に皮を剥がれたり、裂けた腹から腸を引き出されたまま、岩場に放置されることもあった。
動けないよう、アキレス腱を切られて。
私が目にしたことのあるそれは、野犬に食い荒らされてはいたが、
視神経でぶら下がった眼球、あれはムジャヒディンの手によるものに違いなかった。

私は沸き上がる恐怖を押さえつけた。
反対側の部屋の隅には、もう一人の同志が両手を縛られて転がっていた。
私の意識が戻ったのに気付いたムジャヒディン達は、彼を取り囲み、物も言わずに銃底で殴りつけた。
彼は両手を縛られたまま、身を守るように丸くなった。
しかし、打撃はお構いなく次々と彼の上に降り注いだ。
彼の顔が赤く腫れ上がる。
先程の戦闘で脚を負傷したのだろう、彼の戦闘服は引き裂け、べったりと赤黒い染みが広がっていた。
その脚で、彼はじりじりと必死に地面を這った。
少しでも打撃から逃れようとする彼を、ムジャヒディン達は一層激しく痛めつけた
踏み付けた踵が彼の傷にめり込む。
「やめろ!」
堪らず叫ぶと、側に立っていたムジャヒディンが間髪入れずに私の頭を銃底で突いた。
衝撃と痛みで視界が揺れた。

ムジャヒディン達は、ぐったりした彼を部屋の中央まで引きずり出した。
うつ伏せにして、一人の男が彼の尻の上に座る。
そして、片方の膝を折り曲げるようにして脛を取った。
もう片方の脚は、他の男が伸ばして固定した。
更に一人の男が彼の背中の上に座った。
尻の上に座った男がナイフを取り出す。
ナイフが、彼のブーツを切り裂いた。
一緒に傷つけられた足から、鮮血が滴った。
彼の悲鳴が上がる。

――これから、何が行われようとしているのか。
私は、喉が焼け付いてしまったかのように、何も言葉を発することが出来なかった。
ばたつかせようとする彼の脚を、別のムジャヒディンが捉えて固定した。
剥き出しになった彼の足首に、鋭いナイフの刃がぴたりと当てられる。
丁度、アキレス腱の裏側。
くっきりと筋が浮いている。
彼のハシバミ色の目が、助けを求めるように私を見た。
瞳の表面が、水気を帯びて潤んでいた。

その一瞬後、振り上げられたナイフが彼のアキレス腱に鋭く突き立てられ、
そのまま抉るように横に薙ぎ払われた。
悲鳴。
そんな生易しいものではなかった。
恐ろしさに脳が縮み上がる程の絶叫だった。
どくどくと溢れる血で、たちまち彼の脚が真っ赤に染まった。
私は金縛りにあったかのように硬直して、ただ彼がのたうつところを見ていた。
彼の目が私を捉えたと思ったが、その瞳は虚ろだった。


390 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/22(土) 21:34:28 ID:oxwLBozp

その後の事は思い出したくない。
軍の中で囁かれる話は真実であった事。
しかし、現実はその百倍も二百倍も凄惨でおぞましいものであった事。
そして何より、赤い肉塊となって部屋から引きずり出された彼が、まだ生きていた事。
血と臓物の臭気と、彼の恐怖が凝って残ったような空気の中で、私は正気を保っていた。
狂ってしまった方がよっぽどましだと思った。


彼を部屋から引きずり出してしまうと、ムジャヒディン達は私を取り囲んだ。
ぐい、と大きく固い手で顎を掴まれ、上を向かされる。
憎しみが冷え固まったような目をしていた。
私は目を逸らさずに睨み返した。
恐怖よりも、今目の前で惨殺された――まだ死んではいなかったにしろ、
彼の行き着く先が一つしか無い事は明らかだった――彼の恐怖を想う憤怒の方が勝っていた。
私の部下。
目の前でなぶり殺された。
私は何も出来なかった。
あんなに助けを求めるような目で見ていたのに。

私は乱暴にうつ伏せにされた。
硬い床に押さえ付けられ、背中の上に乗られる。
足を縛っていた縄が、ぶつりと切られた。
自由になった両脚は、即座にがっしりと万力のような力で固定された。
ブーツが脱がされる。
片足、そしてもう片方の足も。

――私も今から彼のような目に遭うのか。
私は覚悟した。
彼の、耳をつんざくような絶叫と、流れ出る鮮血が蘇った。
今にも抜き身の冷たい刃が、私のアキレス腱に宛われるだろう。
固く歯を食いしばって身構えていると、戦闘服のズボンが
裾の方から太腿の方にめがけてナイフで一直線に引き裂かれた。
腰の方まで裂かれて、恐らくボロ布になったであろうズボンの残骸が投げ捨てられた。
露出した両脚が寒々しい。
ズボンの下につけていた下着も、乱暴に破り取られた。

――そっちか。

私は暗澹たる気持ちになった。
女の身で戦場に赴く事を決意した時から、それは当然起こりうる事態として覚悟はしていた。
しかし、いざその時になってみると、眩暈がする程の屈辱感を覚えた。
ムジャヒディンは、私の戦闘服の上着を腰の上まで捲った。
背中の男がどいたと思うと、腰を掴んで引きずり上げられた。
両脚は、膝から下でがっちりと固定されている。
後ろ手に縛られたままの私は、なすすべもなく尻を突き上げさせられた。
引き上げられた時に顔が床に擦れて、ひりひりと痛んだ。
剥き出しの下半身が男達の前であられもなく晒されているのかと思うと、
私は叫び出してしまいたいような心持ちになった。


391 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/22(土) 21:36:07 ID:oxwLBozp

背後に、腰を捕らえた男の気配を感じた。
何かが私の陰唇に宛われる感触。
次の瞬間、私の膣に異物が挿入された。
重くねじ込まれる衝撃に、私は呻いた。
直接は見えないが、見えずとも分かる。
挿入されたのは陰茎だ。
私に抵抗するいとまを与えず、男は乱暴に突いた。
全ての憎しみを込めるように。
まるで準備の出来ていない体が、苦痛を訴えた。
激しく突かれる度に、私の顔は床に擦り付けられた。
膣壁と腹の底が痛み、部屋の中に充満した血と臓物の臭いと相俟って、嘔吐感が込み上げた。
男の腰が、狂ったように叩きつけられる。
荒くなっていく男の息を、聞きたくないと私は思った。
男の突き上げが更に速まり、握り潰すように腰が強く掴まれたかと思うと、動きが止まった。
私の膣中で男の陰茎が脈打ち、生温い液体の存在を感じた。

ずるりと陰茎が引き抜かれ、ほっとしたのも束の間、背後は別の男に入れ替わった。
そしてまた、奥まで突き入れられる。
前の男が吐き出した精液のせいで、最初に比べると擦過的な痛みは軽減されていると言えたが、
それは歓迎すべき事でも何でも無かった。
力任せに突かれる痛みは内蔵まで響く。
部屋には複数のムジャヒディン達がいるというのに、誰も何も言わなかった。
息を潜め、暗い目をして、惨めに尻を突き出す私をただ見ているのだろうか。
そう思うと、途方もなくぞっとした。
男の腰が私の尻を打つ、肌の音だけが響く。
悲鳴など、絶対に上げるものかと私は歯を食いしばった。
しかし、止めていた息が限界になると、呻き声が漏れた。
この男もまた、欲望というよりは憎悪を、私の中に吐き出した。

その時点で、三人目、四人目、恐らくそれ以上があることを、私は確信していた。
そしてそれは正しかった。
果たして何人目なのか、もう定かではなくなった頃になっても、私の意識は正常だった。
膣の中に溜まった精液が潤滑油の代わりをするのが不快だった。
ぬるぬるとぬめって、男の腰の動きを助けた。
深く抉られる度に、ぐちゅ、と聞こえる気色の悪い音。
何度目かの排泄の後、陰茎が引き抜かれると、中に溜まった精液がどろりと溢れ落ちるのを感じた。

私がぐったりしているのを見ると、男達は私を仰向けにした。
蹴り飛ばそうとした脚には思ったより力が入らず、簡単に受け止められ、脚を開いたまま固定された。
縛られたまま下敷きになった手が痛い。
飽きもせず、男が陰茎を突っ込む。
これによって、私の尊厳を奪えると確信しているように。
そんなムジャヒディン達が酷く滑稽に思えてきて、私は薄く嗤った。

私はこんなことで屈したりはしない。
――お前等はソ連の軍人が蹂躙され、許しを請い、怯えたところを踏み潰したいのだろう?
そんな願望は満足させてやらない。
私の部下をなぶり殺した奴等を、満足させてたまるか。
こんなことで私を蹂躙出来たと思ったら、大間違いだ。


392 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/22(土) 21:37:30 ID:oxwLBozp

唇を歪めて見返してやると、男は一瞬ひるんだようだった。
しかし、別の男がナイフを閃かせてやって来た。
戦闘服の上着が引き裂かれる。
胸が露出し、下着も胸の中央部分で切られ、取り去られた。
無造作に乳房を掴まれ、無骨な指が食い込んだ痛みに声が上がりそうになったが、堪える。
私を見下ろしながら、男は腰を激しく振った。
突き上げられる度に、頭が振動で揺れた。
乱暴に脚を開かれ、代わる代わる男の陰茎を差し込まれる間、
私は頭が痛くなる程に、きつく奥歯を噛み締めていた。

――こんなことで私は屈しない。こんなことでは、決して……!



まるで無限地獄のように果てしなく感ぜられたが、何事にも終わりはある。
ようやく男達による陵辱が終わった時、私は宙を睨みながら思った。
――殺すなら殺せ。
部下が目の前で惨殺される様を何も出来ずに見ておいて、
自分一人がのうのうと生き残る事など、期待してはいなかった。
どんなに無惨な仕打ちを受けようと、決して命乞いなどするものか、と思った。

「お前は中尉だな」
戦闘服に付いていた階級章を見たのだろう。
男が尋ねてきたが、私は答えなかった。
「スペツナズか」
「……」
「お前等の任務の内容は」
「……」
「答えろ!」
「……」
ムジャヒディン達は、私を惨殺する方よりも、私から情報を引き出す方を選んだらしかった。
私は沈黙を貫いた。
苛立った男に頬を張られたが、その男を別の男が止め、何か言った。
利用する方法はいくらでもある、そう言っているようだった。

私は後ろ手に縛られたまま、両脚の膝を折り曲げて畳まれ、
片脚ずつ、太腿とふくらはぎの周囲をぐるりと束ねるように縛られた。
服を奪われ、尻をついた姿勢で座らされたまま、私は監禁された。


一日に一回、食事が与えられた。
そのついで、あるいはムジャヒディン達の気が向いた時に、私は男の憎悪と性欲の排泄場となった。
私は彼等の憎悪を感じた。
アフガンの、ソ連に対する憎悪を。
ソ連軍――それは“私”と同義である――が、彼等に対してやってきた事を思えば、
当然と言えたかもしれない。
しかしその時の私は、それを致し方無い事だと割り切れるまでに達観の境地へと至ってはいなかった。

私は、いくら酷く問い詰められても、何一つ口を割らなかった。
情報源として価値無し。そう判断されて殺されても構わなかった。
部下を死なせた上、更に同志を危険にさらすなど、愚の骨頂。
そんな選択肢は有り得なかった。
それでも、ムジャヒディン達は私を殺さなかった。
その理由は判然としない。
ソ連軍の捕虜となった味方との交換でも交渉していたのかもしれなかった。
あるいは、鬱屈したムジャヒディン達が飼っていた憎悪の捌け口として丁度良かったのか。


393 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/22(土) 21:38:24 ID:oxwLBozp

殺されない代わりに待っていたのは、拷問だった。
ムジャヒディン達の詰問に沈黙で答える度に、真っ赤に焼けた焼き鏝が私の肌に押しつけられた。
焼き鏝が迫って来ると感じる熱い空気。
だが、触れた瞬間は熱いのか冷たいのか分からない。
反射的に飛びすさりたくなるような、激痛。
体は逃げたいと欲するのに、固く拘束されていて、叶わない。
じりじりと肉の焼ける嫌な臭いがした。
情けない声など上げたくない。
しかし、呻き声を抑えることは出来なかった。
ムジャヒディン達はじっくりと肌を焼くと、また丁寧に細長い焼き鏝を熱し直して、
先程押し当てたところから少しずらして、その隣の肌を焼いた。
腕、脚、背中、腹、尻……。
日に日に、私の体は焼け爛れていった。
朱く崩れた皮膚からは、血液とも体液ともつかぬものがじくじくと滲み出た。
正常な皮膚の陣地が狭まっていく。
しまいには、どんな姿勢をとっていても床が火傷痕に触れるようになって、
眠ることすらままならなくなった。
意識が飛んだと思った時は、気絶していたのかもしれなかった。

そのうち、目覚めている時も朦朧として、夢との境が分からなくなった。
全てが靄の中に漂っているようで、男達の声も遠い。
抑えきれなくなった悲鳴も、誰か別人のものであるかのようだ。
焼き鏝の炎のような赤色と、焼け付く痛みだけが現実だった。

それでも、焼き鏝が顔に迫ってきた時は、切り裂かれたように意識が冴えた。
頭の芯が冷たくなる程の恐怖。
男の手が私の髪の毛を掴む。
頭はしっかりと押さえ付けられていて動けない。
焼き鏝の赤が目の前に迫る。
差し伸べる男は全く躊躇しない。
熱い空気。
熱源が。
迫る。
まずは額。
押し付けられる。
じっくりと。
そして、正確に焼き鏝一本分ずらして、その下を。
鏝が熱し直される。
丹念に。
また迫る。
眉。そして瞼を焼く。
閉じた瞼の下の眼球までもが痛みを訴えた。
少しずつ頬に及ぶ。
ずくずくと、脈打つように痛む。
鼻のすぐ隣で皮膚が焼かれているせいか、耐え難い臭気を感じた。


394 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/22(土) 21:39:10 ID:oxwLBozp

救出された時の記憶は淡い。
自力では歩けず、両肩を支えられ、気付けば担架で運ばれていた。
本国に送り返されたのだと知ったのは、病院のベッドの上で目覚めた時だった。
病室の窓から、懐かしい大聖堂のルコビッツァが見えた。
還って来たのだ、と思った。
一人で。
安堵は無かった。
ただ、置いて来てしまった、と思った。


全身が焼け爛れた私を、人は
「あれでよく生きてたな……」
と噂した。
面と向かって言う者はいなかったが、
そんな囁きは、病院の冷たい廊下で密やかに反響するように私の元へと届いた。
生きていて悪いか、と思った。
死んでいれば、救出部隊の手を煩わせることも無かった。
そんな事は私自身が一番良く分かっていた。


夜の病室の窓から見える街の灯りは、私を慰めなかった。
寒々とした空気の中で、黄や橙の光がぼんやりと冷たく滲んでいた。

   戦いに結ぶ 誓いの友
   されど忘れえぬ 心のまち

……前線の兵士達があんなにも恋いこがれた、祖国の灯。
しかし私には、それは戦場で死んだ彼等の鬼火のように感ぜられた。



包帯の取れた私の顔を直視する者はいなかった。
常にもやもやと纏わり付くような視線を感じたが、私がそちらに目をやると慌てたように即、外す。
そして私の視線から逃れたと思うと、またそろそろと窺うのだった。

――メドゥーサでもあるまいに。
私の右目は、ほとんど視力を失っている。
可笑しくなったが、怪物を見るかのようなその目は、私に似合いの待遇のように思えた。


395 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/22(土) 21:40:28 ID:oxwLBozp

ボリスが尋ねて来たのは、そうやって私が病院に収容されていた時の事だった。
ベッドの上で半身を起こし、枕に背をもたせかけていると、病室のドアがノックされた。
「どうぞ」
言うと、静かにドアが開き、がっしりした体躯の大男が、くぐるようにして病室へ入ってきた。
招じ入れた者とはついこの間まで毎日顔を合わせていたというのに、
私はその顔を酷く懐かしいように思った。
戦地から舞い戻って故郷を見た時よりも、ずっと。

私は遠近感の掴めない目の焦点を、彼に会わせた。
彼は黙礼をして二、三歩進み出ると、踵を合わせ、直立した。
病室に差し込む薄い光の中で。
軍人の立ち方。
そして、敬礼した。
私も敬礼を返す。
彼の目が私を捉える。
慣れた動作。
戦地では日常だった。

しかし、その手を下ろしてしまうと、私は次に何をしたら良いのか分からなかった。
そして、彼もまた。
互いに、戦場以外の場所でどのような態度で接したら良いのかなど、全く分からなかったのだった。
彼との間に沈黙が落ちる。
彼は静かに私を見つめるだけで、表情の読み取りにくい顔は動かない。

「第十一支隊はどうしている」
苦し紛れに、私は率いていた支隊について尋ねた。
「ジャララバードの基地内に待機しています。今は休養にあたっています」
「そうか」
また沈黙が落ちた。

彼は微動だにしない。
戦場を離れてなお、私の忠実な部下たらんとする事を全身で示すかのように。
このまま除隊するかもしれない、いや、もう既にこの男の上官では無くなっているかもしれない、この私の。

「よく、分かったな」
「司令より伺いました。本国へお戻りになり、モスクワ市内の病院に入院されていると――」
「いや、私のいる場所が、ではない」
私は彼の言葉を遮った。
「私が、だよ」
私の面立ちは様変わりしているはずだった。
顔の右半分は焼け爛れ、どんな表情も表す事が無い。
プラチナブロンドの髪はあちこちが焼き切れ、ざんばらのままだった。
一ヶ月にも及ぶ拷問によって体は窶れ、火傷の痕は朱く膿んでいた。

私の言葉の意味を解した彼は言った。
「分かります」
どんな時も感情に流されない彼にしては珍しく、その声には少しの憤りが含まれていた。
目に不本意そうな色が滲んだ。
「分かります」
今度は低い声で静かに言った。
まるで、太陽は東から昇るものです、とでも言うかのような口振りで。


396 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/22(土) 21:41:25 ID:oxwLBozp

いたわるような彼の目が、却って私の居心地を悪くさせた。
私は黙った。
手元に視線を落とす。
火傷の痕の無い手が、却って不自然に思えた。
しばらくして、立ち尽くしていた彼が初めて自分から口を開いた。

「――申し訳ございませんでした」

私が彼を見やると、彼は頭を垂れていた。
「……なぜ、貴様が謝る」
彼は答えなかった。
その代わり、また同じ言葉を繰り返した。
「申し訳ございませんでした」

護衛中、後方に取り残された私を援護出来なかった事に対してか、
捕虜となった私を救出するまでに一ヶ月かかった事に対してか、
それとも、ここを訪れた事に対してか……。
彼が何に対し謝罪したのかは分からない。
しかし、それが何であっても、彼が謝罪すべき事など何も無いのだ。
それなのに彼は、私がこんな姿になったのは自分の責任だとでも言うように、頭を垂れた。


その時、私は訊くべきだったのだ。
何に対して謝罪しているのだ、と。
だが、私は訊けなかった。
事によっては上官と部下という境界を踏み越えた答えが返ってくるかもしれない――。
それを恐れるが故に。
――そこに僅かな期待が混じっていたからこそ、私は恐れた。


彼は、最初に踏み留まった位置から一歩たりとも私に近付かなかった。
不用意に手を伸ばしても決して触れない距離。
そうすることによって私に安心感を与えられると確信しているかのように、彼はその距離を守った。

最後まで私は上官で、彼は部下だった。


402 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/24(月) 21:47:21 ID:XAm9Ue/6

 * * *

私は寝室に入ると、サイドテーブルに置いてあるランプを点けた。
ステンドグラスを通した灯りに、キングサイズのベッドが浮かび上がる。

私はタイトスカートのホックを外し、するりと落とした。
そして、白いブラウスのボタンも外していく。
ボリスがしゃがんで、私の足元に溜まったスカートの残骸を拾い上げた。
私はブラウスを放って、ベッドに腰掛けた。
シルクの下着とガーターベルトで吊されたストッキングだけとなった私の足から、彼は靴を脱がせた。

私は大きなベッドの中央に片膝を立てて座った。
膝に片腕を乗せ、言う。

「来い、軍曹」

それだけの言葉で彼には通じる。
彼は上着と靴を脱ぎ、ベッドに座る私の足元に寄った。
私がガーターベルトのストッキング止めを外すと、彼は太腿からそっと、薄いストッキングを剥いでいった。
するすると膝まで下ろし、ふくらはぎをたぐり、足首に溜めて踵を抜く。
彼の大きく無骨な手は意外と器用だ。
もう片方の脚も彼に任せて素足になると、私は脚を広げた。

やれ、とも、始めろ、とも言う必要は無かった。
彼は私の目から要望を正確に読み取り、私の足の甲に触れた。
彼の掌の皮は厚いが、温度は高い。
両足が温かい熱に包まれた。
足首を登り、脛まで来ると、くるりと掌がふくらはぎの方に滑る。
膝の裏まで来ると、今度は膝の上を通って、内腿へ。
じりじりと這い登って来る。
肌が熱を帯びてくる。
私の脚を押し開くように力が加わった。
左手はそのまま、膝の上で止まる。
もう一方の右手は、腿の終点まで迫って来ていた。
下着の縁を中指でそっと撫で上げられると、ぞくりと下腹が疼いた。


403 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/24(月) 21:47:54 ID:XAm9Ue/6

いつの間にか、彼は私の脚の間にまで膝を進めていた。
体温の低い私の肌を温め、丹念に揉みほぐすように太腿に手を這わせ、
そして、ぎりぎり下着に触れない位置、腿の付け根の薄く敏感な肌の上を撫でる。
まだ触れられてもいない下着の奥が、じわり、と熱くなった。

彼は私の体温が上がったのを認めると、指先でそっと、シルクの上から縦になぞり上げた。
快楽の在処が明確になる。
彼の指は先端まで行って柔らかく旋回し、また戻る。
何度も、往復する。
先端の突起の部分をシルクの上から捏ねられる度に、体温が上がっていった。

私の内部からは、とろりとした体液が溢れ、下着を濡らしていた。
その体液はシルクを通し、彼の太い指の腹までをも濡らしているのだろう。
粘液を纏った滑らかな布が、彼の指によって柔らかい襞の間に食い込む。
布と一緒に突起が捏ね上げられ、私は思わず腰を揺らした。
彼の指は、それに応えるように更にねっとりと絡みつく。

すっかり布がぬるりと滑るようになると、彼はゆっくりとそこに唇を寄せた。
体液を溢れさせているところを、シルクの上から舌で突く。
彼の舌と息が熱い。
窪みにほんの少しだけ舌を沈めてから、舐め上げられる。
しっとり湿って襞の輪郭を露わにしているシルクが熱くなり、
じりじりと突端に迫られるもどかしさで体が震えた。

ついに舌が先端の突起に触れ、円を描くようになぞられると、腰が浮き上がりそうになった。
充分に唾液を絡ませた舌で小さな突起を柔らかく押しつぶし、小さく吸い上げられる。
奥から更に温かな体液が零れ出たのを感じた。


404 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/24(月) 21:48:53 ID:XAm9Ue/6

私の体は熱かった。
そう、私は熱くなりたかった。
静けさに紛れて迫ってくる記憶から逃れて。

火を絶やしてはいけないのだ。
火を燃やし続けねばならぬ。

火が消えて、砂煙が収まってしまえば明らかとなる。
私の立っている場所が戦場などではなく、白く乾いた骨の上であると。

   変らぬ誓いを 胸にひめて
   祖国の灯のため 闘わん  
   若きますらおの 赤くもゆる
   こがねのともしび 永久に消えず

過去の歌が追ってくる。
祖国の灯は永遠に失われた。
軍人の生きる場所は、戦場だ。
――無ければ、作るまで。

戻る場所を失った軍人は、それ以外のどこで生き、また、死ぬ事が出来るというのだろう?

余計な事は考えてはならぬ。
私が求めるのは火だ。
全てを焼き尽くす、火だ――。



彼の手が下着を下げた。
片方の脚だけ抜いたシルクの布は、膝の下に引っ掛かった。
彼の手が太腿を大きく広げ、髪と同じプラチナブロンドの中に両の親指が潜る。
その指に押し広げられて露わになった粘膜を、舌が舐め上げた。
熱く柔らかいものが、襞の間を生き物のように蠢く。
先を尖らせ、小さな突起を押し上げるように刺激する。
彼の指も窪みに寄せられてきた。
緩くかき混ぜて、掬い取るように体液を絡ませると、私のなかへと入ってくる。
唇で突起を柔らかく包んでおきながら、指は根本まで沈む。
柔らかく濡れた粘膜が、太い指に押し拡げられた。
節の目立つ彼の指の形を内側で感じ、自然、体が反り返った。
崩れそうになる体を、片肘で支える。
私の快楽を示す体液を纏って、指は何度も往復した。
先端の突起の上では、舌がちろちろと遊ぶ。
彼の指の動きが速くなり、私の脳は快楽で満ちてゆく。

堪らず、私は腰を押し上げると同時に彼の頭へ手を伸ばし、髪の間に指を差し込んだ。
手と太腿に力が入った。
私の体は一層熱く、彼の指は粘着質な音を上げて私を責め立てる。
――限界が近い。
そう思った時、柔らかい突起を強く吸い上げられて、私は達した。


405 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/24(月) 21:49:42 ID:XAm9Ue/6

痙攣が収まると、私は仰向けに倒れ込んだ。
心臓の鼓動が速い。
熱い血液がどくどくと全身を駆け巡っていた。
少しずつ引いていく熱を感じながら、私はクリネックスで指を拭う男を仰ぎ見た。

いつでも私の命令に従うこの男。
私は彼を信頼していたし、また、彼も私を信頼していると確信に近い思いで信じていた。
しかし、時々思う。
彼の真意はどこにあるのだろう、と。

私は結局戦場でしか生きられなかった。
戦場で生きる事を求め、戦場で死ぬ事を望んでいる。

――だが、この男は?

私を支え、影のようにぴったりと付き添う彼は、
今でも上官に使える部下としてそれが当然であると言うように、そこにいる。
しかし実際は、私と彼は上官と部下でも何でも無いのだ。
“元”上官と部下、に過ぎない。
彼と私を縛る鎖など、どこにも存在していない。
既に鎖の切れている手錠を、さも繋がっているかのように互いの手にはめて、
歩調を合わせて歩いているだけのこと。
ほんの少し斜めに逸れるだけで、私と彼の歩く道など簡単に別れるだろう。

私は、後戻り出来ぬ深みまで彼を道連れにしてしまったのだろうか。
そんな思いがよぎると、私にもまだ人間らしさの欠片が残っていたのかと錯覚する。


アフガンにおける越境作戦中の命令違反により軍籍を剥奪された私が生き残る道は、
そう多くは残っていなかった。
従って、私に後悔の念は無い。
自分の取った行動を悔やんだ事は無い。
何度同じ場面に遭遇しても、私は同じ行動を取るだろう。
だが、外道に身を堕とした私について来た者達の事を思うと、僅かにそれは揺らぐのだった。

あの時、命令違反を犯していなければ、この者達の未来は変わったのだろうか、
この者達の選択肢は増えたのだろうか、と――。


406 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/24(月) 21:50:45 ID:XAm9Ue/6

 * * *

あの日、我々第十一支隊は前線からの要請を受け、パンジシール渓谷へ救援に向かった。
前線の部隊が、ムジャヒディンの襲撃に遭っているとのことだった。
私は本国で治療を受けた後、隊に復帰していた。中尉から、大尉となって。
我々はMi-24によって現場近くの上空まで運ばれ、リペリングで降下、
岩場を下り、ムジャヒディン達の背後を取って、掃討した。

前線の部隊と合流した我々は、野営地を探した。
パンジシール渓谷は敵地のど真ん中だ。
夜の中、ゲリラを警戒しながらの進行となった。

そんな時、砂礫の中に灯りが見えた。
パシュトゥン人の集落。
「丁度良い。攻めるぞ」
前線部隊の指揮官が言った。
制圧し、彼らの居住地を利用する気だろう。
「お待ち下さい。あれは民間人の集落です。ムジャヒディンの集合地ではありません」
私は反対した。
我々の存在はまだ気付かれていない。
そっと離れ、目に付かぬ岩場を探して野営すれば良い。
もしここで鳴り響いた銃声がムジャヒディンの耳に届けば、余計に厄介な事となる。
それに、敵に気付かれぬようゲリラ地帯を突破するならば、夜の方が都合が良い。
夜の内に出来る限り危険地帯から離れておく方が得策のように思われた。
しかし、彼の意見は違った。

「どうしてそれが分かる。民間人を装ったゲリラかもしれんぞ」
「ですが、我々の存在に気付いた様子はありません」
「ならば一層好都合だ。気付かれぬ内に潰す。手間がかからんではないか」

私は黙った。
彼の階級は少佐。
大尉である私よりも上だった。
上官の命令には逆らえない。
それに、合流した部隊にいる、不気味に落ち着いた男の存在が気に掛かっていた。

――KGB。

奴はKGBの将校だった。
我々スペツナズはGRUの管轄下にあり、KGBとは別組織だが、
KGBの将校がGRUの作戦に随伴して来る事は稀にあった。
戦況を打開する上で共通の利益となる事は、確かに無いとは言えなかった。
しかし。

――鼠が。

私は忌々しく思った。
奴は、GRUの監視を任務としている管理局の人間だろう。
虎視眈々と、GRUの足元を掬おうと狙っているに違いない。
KGBとGRUとのいがみ合いは、周知の事実だった。

ここで私が上官に反目すれば、KGB将校を喜ばせるだけだ。
そう思って私は黙った。

「よし、行くぞ」
彼の命により、皆の銃の安全装置が解除された。


407 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/24(月) 21:51:24 ID:XAm9Ue/6

制圧はあっという間だった。
訓練を受けたスペツナズの攻撃に、無防備なパシュトゥン人達は驚愕の表情を浮かべたまま、
血塗れになって地面に転がった。
狭い集落は、一瞬で死体の山となった。
硝煙と血の臭いが立ちこめた。

すっかり静かになった集落に、突然、女の悲鳴が上がった。
そちらに目を向けると、家畜小屋の飼い葉の中に隠れていたと思しき若い女と少女が
引きずり出されているところだった。
女がうつ伏せに倒され、肩から羽織った布を剥ぎ取られている。
少女の方に手を掛けているのは、集落の制圧を命じた少佐。
仰向けに押さえ付け、必死に暴れる彼女の服を引き裂いていた。

「何をしている!」
私は上官に対する敬語も忘れて、叫んでいた。
「やめろ! 彼女達に攻撃の意志は無い!」
少佐は、ゆっくりと私を振り返った。
「気でも違ったか、同志大尉。こいつらがムジャヒディンへ密告しないという保障がどこにある?」
確かに、これだけの者を虐殺しておいて、今になって止めようとするのは偽善でしかなかった。
「――しかし、その子はまだ子供ですよ!」
「それがどうした。“林檎は林檎の木の近くに落ちる”。祖国の諺も忘れたのかね? 同志大尉。
こいつも大人になれば立派なアフガーニだ」
私は唸った。
「しかし――、しかし、辱めることは無いでしょう。せめて服を――」
着せてやって下さい。
そう言うと、少佐は心底うんざりだ、と言うように溜息をついた。
「やれやれ、そんな興醒めな事を言われるとはな。
戦場での愉しみは少ない。その少しの愉しみにまでけちをつけようと言うのか?」
これだから女は、という目をして、彼はこれ以上私の相手をするのは面倒だ、
と少女の上にのしかかろうとした。


408 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/24(月) 21:52:31 ID:XAm9Ue/6

「やめろ!」
今度は自らの意志で、私は上官に命令した。
腰からマカロフを引き抜いて、銃口を少佐に向ける。
「……何をしている」
「『何をしている』はこっちのセリフだ。その子から離れろ」
安全装置を外す。
「――待て」

その時、僅かに緩んだ少佐の手から、少女が逃げ出した。
こちらに向かって走ってくる少女に、私は思わず片手を広げた。
彼女が懐に飛び込んで来る。
どん、とほとんど体当たりのようにしてぶつかってくる熱。
銃を構えたまま、私は片腕でその子を抱きしめた。
細い体が、がくがくと震えていた。
小さな手で、私の戦闘服をがっちりと握りしめる。

「大尉、貴様、自分のやっている事が分かっているのか」
「分かっています」
少女の熱い息が戦闘服の分厚い生地に染み込んで、私の肌まで通ってきた。
「大尉、そいつを殺せ」
「嫌です」
「殺せ! 上官命令だ!」
「嫌です」
私は一層強く、少女を抱き込んだ。
小さな熱い塊。
しがみついて震えている。
少佐の顔に血が上って赤く染まった。

隊員達は全員、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
「大尉、殺せ! 国家反逆罪で軍法会議に掛けるぞ!」
「構いません。おやりになったらどうです?」
私は銃口を下げなかった。
大尉……。と、私をよく知る同志の、狼狽混じりの呟きが聞こえた。

「貴様……!」
少佐が腰のマカロフに手を伸ばした。
しかし、少佐のマカロフが私を捉える前に、私は引き金を絞った。
間を置かず、続けて二回。
乾いた炸裂音。
火薬の臭い。
私のマカロフから発射された弾丸は、正確に少佐の額を貫いていた。
いかに右目の視力をほぼ失っていようと、この距離ならば他愛もない。
どさり、と少佐が地面に崩れ落ちる。

一部始終を見守っていたKGB将校が、薄く笑った。



私は軍籍を剥奪され、ラーゲリに送られた。
今度の“ラーゲリ”とはピオネールのキャンプなどではなく、強制収容所の“ラーゲリ”だった。


409 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/24(月) 21:53:41 ID:XAm9Ue/6

 * * *

私はあの時の行動を悔いてはいない。
――いや、悔いているか否かという問題ではない。
私は、ああする事しか出来なかったのだ。
私の腕は、どうしても少女を離すことが出来なかった。
どうしても。
それ以上でもそれ以下でもない。

しかし、思う。
あの時、もし命令通りにしていれば、部下達だけでもあるいは――と。



「大尉殿、いかがなさいました」
私はボリスの声で思考を戻した。
仰向けに寝転がったまま目の上に乗せていた腕をのけると、彼が案じ顔で覗き込んでいた。
「どうもしない」
「やはりおかげんが悪いので――」
「くどいぞ」
「――申し訳ありません、大尉殿」

“大尉殿”、か――。

「は――?」
心の中だけで呟いたつもりだった言葉は、どうやら僅かに唇から漏れていたようだった。
「いや」
何でもない、と首を振って、私は半身を起こした。
脚に引っ掛かっていたシルクを抜き取り、背中のホックにも手をやる。
外した下着をベッドの外に放って、仰向けのまま片肘を後ろに付き、上体を傾けた。

「続きをするか? ボリス」
「――」
彼の目に一瞬、私の真意を推し量るかのような戸惑いが浮かんだ。
「どうする」
「――」
彼は困ったように身じろぎをした。
「嫌なら嫌と言え。拒否権はお前にある」
「大尉殿、そうでは――」
「ボリス、これは命令ではない。私は“大尉”として言っているのではない」
だからお前も、“軍曹”として命令に従う必要は無い。
そう続けると、彼の強面が更に戸惑いの色を増した。
「大尉殿、私は――」
私は手で彼の言葉を遮った。
「“大尉”はやめろ。今、ここでは」
彼は口を真一文字に結んだ。
そうして長いこと沈黙した後、ゆっくりと唇を開いた。


「では――、ソーフィヤ殿」


410 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/24(月) 21:54:26 ID:XAm9Ue/6

予想外の音が耳から飛び込んできて、私は目を瞠った。
懐かしい、響きだった。
パブロヴナ、もしくはバラライカと――。
そう呼ばれると思っていた。

――まさか、その名で呼ばれるとは……。

唇の端が、僅かに緩んだ。
「――その名…………」
「申し訳ありません、出過ぎた事を――」
「いや、良い」
私はかぶりを振った。
「それで、良い」


彼は、自らのワイシャツのボタンを静かに外していった。
「ボリス、いいか、聞け。お前は自由だ。“今”だけではない。いつだって、お前は自由だ」
ボタンを外す手が止まった。
彼の目が私を見る。
「――私がお邪魔ですか」
「……そうではない。そうではなく――」
「私は、命令だから従っているのではありません」
静かな目だった。
森のような静けさで、まっすぐに、私を捉える。
「……もし私を不要とお思いになった時は、貴女の手で殺して下さい」
「――有り得ん。そんな事は有り得んよ、ボリス」


私は衣服を全て脱ぎ捨てた彼を、抱き寄せた。
「――お前の意志か?」
「はい」
「ならば、良い」


411 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/24(月) 21:55:20 ID:XAm9Ue/6

私達は口づけを交わした。
彼の手が肩に触れ、首元に触れ、乳房に触れた。
恐る恐る、といった風情で肌を滑る。
火傷の痕に触れる時は殊更丁寧に。
「構わんよ、ボリス」
そんな風にしなくとも、火傷の痕はもう痛まない。
はい、と承諾の返事をしたものの、彼は依然として丁重な手つきで乳房を包み込み、
先端をそっと唇で挟み込んだ。
まだ柔らかかったそこが、彼の熱い口内で硬く尖る。

下腹を下がっていった手が脚の間に辿り着き、中指が粘膜を探る。
過ぎ去ったかと思われた先程の熱が、再燃した。
一度蕩けた体は、簡単に彼の指を受け入れた。
ゆっくりと、溶かされる。
充分になかを潤した指は、とろりと引き抜かれ、先端を捏ねる。
そして襞の間を滑ってきて、また、なかへ。
溶けた内壁を撫でられる感覚に、堪らず声が漏れた。
彼の唇は、両の乳首をゆっくりと舌で刺激し続ける。
熱から解放された方の先端が、空気の冷たさに触れ、ぴりぴりと痺れた。

彼の体も熱くなっていた。
――いいぞ。来い。
目交ぜで伝えた。

彼はじりじりと腰を沈め、私を押し拡げた。
この期に及んで未だ自制しているかのような様子の彼に、私は自らの腰を浮き上がらせて誘い込んだ。
彼の眉間に皺が寄る。
ぴったりと全てを収めて、ゆるゆると引き抜き、彼をも濡らした粘液の助けを借りてまた収める。
そうして締め上げたまま緩慢に揺すると、彼の顔が一層大きく歪んだ。

彼の硬い腰が動き出す。
躊躇いが残っていたのはほんの最初の内だけだった。
すぐに彼は自主的に私の奥を突き出した。
滑らかに前後されるたびに、私の奥で火が灯る。
激しく突き上げられた挙げ句に腰を密着させてかき混ぜられると、熱い吐息の混じった声が漏れた。
彼の手はがっしりと私の腰を捉えて離さない。
指先までもが燃え上がりそうだ。

――もっとだ。もっと――。

彼の体も同じように熱い。
揺さぶられて、溶け混ざる。
熱の中に。
私の膣が、いや、全身が、痙攣した。
自分の意志の及ばぬ領域で、体が強ばり、震える。
彼もまた、私のなかで震えた。
強く腰を押しつけて。



熱くなった体が収まってくると、彼は荒い呼吸のまま両腕をベッドに付いて私を見下ろし、言った。
「…………申し訳ありません。我を忘れました」
謝るな。
私は言った。

「我など、忘れろ」


412 :バラライカ×ボリス 灯  ◆JU6DOSMJRE :2010/05/24(月) 21:56:37 ID:XAm9Ue/6

祖国の灯は失われた。
生きすぎた、と私は思う。
私は戦場で死ぬ事を願う。

――しかし、死ぬまでは、生きねばならんのだ。


   二つの心に 赤くもゆる
   こがねのともしび 永久に消えず


冷えた頭に懐かしい歌が蘇る。
私はこの男と共に、同じ灯を燃やし続けるだろう。


死ぬまで。








*作中引用歌:『ともしび(原題:アガニョーク)』
          作詞:イサコフスキー 訳詞:音楽舞踊団カチューシャ




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