413 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:37:27.40 ID:Imi0BDtl

七割がた座席を埋めた航空機は、低いうなりをあげて一路ニューヨークを目指していた。
照明を落とした機内は薄暗く、それぞれの座席を上から照らす小さな明かりがぽつぽつとまばらに点在するのみだ。
エコノミークラスの狭い座席にブロイラーのごとく押しこめられた乗客は、そのほとんどがブランケットを首まで引き上げて沈黙していた。

レヴィは三席並んだ真ん中のシートに身を沈めたまま視線だけをちらりと周囲にめぐらせ、
機内に満ちるのが弛緩した疲労の気配だけであることを確認すると、
だるくなっていた脚を膝にかけたブランケットの下でそっと伸ばした。
前の座席の下に空いた隙間に足先を突っこみ、膝を伸ばして足首をぎゅっと上に向ける。
張っていたふくらはぎの筋肉が伸び、血のめぐりがわずかに回復した気がした。
膝まである編み上げのブーツを脱ぎ捨ててしまいたい衝動に駆られたが、仕事中とあってはそれは叶わない。
レヴィはその衝動を抑え、足首をぐるぐると数回まわすだけにとどめた。

一回の乗り継ぎを経て、フライト時間はすでに半日にも及ぼうとしていた。
気流の乱れはないが、常に響いている低いエンジン音と微細な振動は、じりじりと体力を削る。
ろくに身体を動かすこともできない座席、ふわふわと定まらない足元、乗客の吐き出す二酸化炭素が充満した空気。
眠ってやりすごそうにも「仕事中」の三文字がそれを許さない。
バンコクの空港でタラップをのぼったのが、もう一週間も前のことのように思われた。

レヴィは右側の肘かけに乗っているロックの腕に手を伸ばし、ワイシャツの袖に人差し指の先を引っかけた。
そして、その指でちろりと袖をめくる。
レヴィは、ロックの手首に巻きついている腕時計に目を落とした。
文字盤に示された時刻は、到着時刻までにはまだ何時間もあることを伝えている。
──確認したのは逆効果だ。
レヴィはため息をついた。
残り時間を考えただけで気が滅入る。
袖をめくられたロックが物問い顔に視線をよこしてきたが、レヴィは、いや、なんでもない、
と仕草だけで応えて頭をヘッドレストに戻し、膝にかけていたブランケットを引き上げた。


414 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:38:20.56 ID:Imi0BDtl

長いフライト、航空機の向かっているニューヨークという地、そして十二月というこの季節。
気分を浮き立たせる要素はどこにもない。
レヴィは黒いハイネックのセーターの首元をつまみ、内側にこもった熱を逃がした。
まさか真冬の日本を訪れた時と同じような格好をするはめになろうとは、思ってもみなかった。
ニューヨークになど行きたくないと散々ごねたが、レヴィとロックの二人に仕事を振ると決めたダッチは聞く耳を持たず、
苦しまぎれに「着ていく冬服がない」と絞り出すと、ダッチはなんでもいいからすぐに買ってこいとロックに厳命した。
そしてロックがどこからか調達してきたのが、この服だった。
黒いハイネックのセーターに短いプリーツスカート、黒いストッキング、そして膝下まであるブーツ。
スカートがチェックから深紅一色に変わったことと、ブーツがウエスタンから編み上げの黒に変わったことを除けば、
日本でロックが選んだ組み合わせとほとんど変わらない。
この男はよほどこういう服が好きなのかと呆れるが、プリーツの入ったスカートは動きやすいし、
ハイネックのセーターは首のタトゥーをうまい具合に隠してくれて都合がいい。
この服装に関しては、特に気に食わないところがあるわけではない。
気に食わないのは──、

「──っと」

その時、ロックの座っている席とは反対の左隣、窓側の席に座っていた女が突然立ち上がり、
レヴィとロックを無理矢理またいで通路に出ていった。
「おい」
出ていく際、女のハイヒールがレヴィの脚にぶち当たった。
レヴィは女の横顔を睨みつけたが、女は謝りの言葉を口にするどころか視線をよこすことすらせず、
長い巻き毛をゆらして足早に通路を歩いていった。
脱色してほとんど金髪に近くなった後頭部はそのまま通路を進み、化粧室のドアの向こうに消えた。
「……クソ」
舌打ちとともに毒づいたレヴィは、荒々しく脚を組み上げた。

そう、この尻から根が生えそうなクソ長いフライトも、イカれたニューヨーク行きも、すべては今の女のせいなのだ。
気に食わない。
本当に、気に食わない。
煙草でも吸わなければやってられない気分だが、フライト中は禁煙ときている。
「──クソッ」
もう一度小さく毒づき、レヴィは胸の前で腕を組みつつ、ことの顛末を忌々しく思い返した。


415 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:40:48.32 ID:Imi0BDtl

 * * *

「あたしをニューヨークまで送り届けて。できるだけ早急に」
飛びこみの客がやってきたのは、数日前のある晴れた午後のことだった。
ラグーン商会のドアをくぐるなり、挨拶もそこそこに女はぐいと顎を上げて居丈高な調子で言い放った。
ソファーで仰向けに寝転んで雑誌をめくっていたレヴィは、ニューヨークという言葉に顔をしかめた。

──ニューヨーク? 冗談じゃねえ。

今時、東のはてから船で地球を半周しようなどという物好きは、
霊柩車のようなキャデラックの後部座席でコイーバをくゆらせているような輩だけだ。
事務所に顔を揃えていたラグーン商会の面々を雑誌の陰から窺うと、三人とも表情は思わしくない。
当然だ。
レヴィをはじめ、ダッチもベニーも大手を振って合衆国の土を踏めるような身分ではない。
ニューヨーク? いいな、ランチボックスを持って今すぐ出発だ!
そんなふたつ返事ができるようだったら、今頃こんなタイのはずれで非合法の運送屋などやっていない。

ふん、と小さく鼻を鳴らして、レヴィは手元の雑誌に目を戻した。
ぺらぺらのワンピースを着た女は派手な化粧をしているわりにはそう若くもない様子で、
脱色した長い巻き毛のぱさつき具合や、ノースリーブのワンピースの袖ぐりから剥き出しになった肌の荒れ具合から、
なんらかのトラブルを抱えた娼婦くずれだろうという予測はついたが、生憎この物件は門前払いだ。
 
──残念だったな、とっとと帰れ。

レヴィが女を意識から閉め出そうとした、その時だった。
「船でか」
品定めをするように女を見ていたダッチが尋ねる、低い声がした。
「──ダッチ!」
思わずレヴィは手にしていた雑誌を放り出して跳ね起きた。
だが、ダッチはそんなレヴィには目もくれず、丸い黒眼鏡の奥から女を見下ろしている。
「まさか。船のわけないでしょ。
あんな船でニューヨークまで行こうだなんて、着いた頃にはもう婆さんになってるわ。
あたしはそんなに気が長くないの」
「あんな船とは、ずいぶんご挨拶だな」
女の物言いにダッチは声を渋くしたが、目の前に立ちはだかるポール・バニヤンなみの大男にも女はひるまない。
「あら、気を悪くしたんなら謝るわ。けど、事実でしょ?」
少しも悪びれずにひょいと肩をすくめてみせる。
そんな女に、今度はダッチの方が肩をすくめた。
「──まあいい。で、船でないなら?」
「飛行機よ」
「……飛行機、か」
ダッチは口の中で女の言葉をくり返す。

──なんだ、航空券だけか。

レヴィはほっとしてまたソファーに沈みこんだ。
だが、女の話は終わってはいなかった。


416 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:42:06.55 ID:Imi0BDtl

「航空券と安全に出入国できるパスポート、それに、ボディーガードを二人」
「──ボディーガード?」
ダッチが胡乱な声を発したと同時に、レヴィはまた飛び起きていた。

──ボディーガードだと?

「ヘイ、ダッチ!」
だが、レヴィの方へ視線をよこしてきたのは女だけだった。
「金なら出すわ」
レヴィの非難がましい声を報酬の心配と勘違いしたのか、女は手に持っていたボストンバッグをダッチに差し出した。
「いくらだ」
「一万五千」
「──ドルでか」
「ドルでよ」

「──ダッチ!」
とんとん拍子に進んでいく商談に、たまらずレヴィは声を張り上げた。
ロックもベニーも客との交渉はダッチの領分とわきまえてか、少しも異論を差し挟もうという気配がない。
──役立たずどもめ。
レヴィは心の中で二人を罵り、じろりと視線で薙いだ。

「……なんだ、レヴィ」
今度は話を中断させて、ダッチがレヴィの方に顔を向けた。
レヴィはここぞとばかりに食らいついた。
「ダッチ、正気か? ニューヨークだぜ?」
「ああ、正気だとも。
……お前が話の邪魔をしようとしたのがこれで三度目だってことがわかるぐらいには、正気だぜ」
ダッチのレヴィを見る視線は冷たい。
しかし、これしきのことでひるむわけにはいかない。
「……邪魔したわけじゃねェよ。──しっかりしてくれよ、ダッチ。ニューヨークなんざ、論外だろ?」
レヴィは、なんかの冗談だよな? と両手を広げてみせたが、ダッチは鼻息ひとつでそれを一蹴した。
「しっかりするのはお前だ、レヴィ。どこが論外だ。客の話は最後まで聞くのが筋ってもんじゃねえのか」
「最後まで聞くだけ時間の無駄だぜ。うちにニューヨークまでお守りしてやれる奴はいねえだろ?
それに、こいつがどこの女だか知らねェが、ベンジャミン・フランクリンと仲がよさそうなツラにはとてもじゃないが見えねえ。
その一万五千、どこから引っぱり出してきたのかわかったもんじゃねェよ。
あたしの見たところ、そのバッグの中に入ってるのは金だけじゃねえ。
厄介事だ。厄介事がたんまりつまった臭いがするぜ。
チャックが閉じてたって、紙袋ん中のブルーチーズなみにぷんぷん臭ってきやがる。大方──」
「レヴィ」
すべてを言いきる前に、ダッチが遮った。
「客の前でする話じゃねェな」
「“客の前で”? ──ハッ、いつからうちはそんなお上品な運び屋になった」
「依頼を受けるかどうか決めるのはお前じゃない。俺だ」
「ンなこたぁわかってる。そうじゃなくて、ただあたしは──」

「あのう」

ヒートアップしかけたダッチとの言い合いの隙間に、女の声が割りこんできた。
「まだ話が終わってないんだけど」
続けてもいいかしら、と目で訊く女に、レヴィはしぶしぶ黙って顎で促した。


417 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:43:03.35 ID:Imi0BDtl

「まずひとつ、その金はきれいな金よ。
ま、あたしの身体に乗っかって腰を振った男たちが落としてった金だから、“きれい”と言えるかどうかは怪しいもんだけど、
頬に傷のあるお兄さんたちが目の色変えて追っかけてくるたぐいの金ではないわ。
耳を揃えて一万五千、きっちり入ってるはずよ。
そしてもうひとつ、ボディーガードを頼んだのは、足抜けしたいからなの」
「──足抜け?」
問い返したダッチに、女は頷いた。
「そう、足抜け。ラチャダストリートの娼館で客をとって十数年、やっとこれだけ金がたまった。……長かったわ。
けど、女衒の強欲ババアに知られたら全部パア。
足抜けしたとわかったら、左胸のふくらんだ男に追いかけさせてでも連れ戻そうとするに決まってる。
あたしはもういいかげん年増だから、運がよければ見逃されるかもしれない。
けど、絶対に連れ戻されるわけにはいかないの。ボディガードはそのための保険。
──どう? わかった?
一万五千の半分は前払い、あとの半分は無事にニューヨークまで送り届けてくれた時に払うわ」

「──話はわかった」
レヴィが口を開く前に、ダッチが話を引き取った。
「あんたの話を信用しないわけじゃねえが、一応こちらでも調べさせてもらう。
額に見合った依頼と判断できれば引き受けよう。
どのみちパスポートはこの場で発行してやれるわけじゃねえ。それぐらいの時間は待てるだろう?」
「もちろん。気が済むまで調べてもらって結構よ」
どうせ調べたってなにも出てきやしないんだから、とでも言いたげな様子で女は大きく頷いた。


418 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:44:03.66 ID:Imi0BDtl

女の帰った事務所で、レヴィはむっすりとソファーに沈みこんだ。
「……受けんのかよ、ダッチ」
「調べてみなけりゃわからねえな」
書類の散乱したローテーブルを差し挟んだ向かいのソファーに座ったダッチは、
レヴィの視線を受け流してベニーを肩越しに振り仰いだ。
「パスポートを頼む、ベニーボーイ。国籍はタイでいいだろ」
「了解、ボス」
お安いご用だとばかりにベニーはパソコンの前に座り、彼の愛機を立ち上げた。
ロックはダッチからなにか言いつかったのか、先ほどから姿が見えない。

「……あの女の依頼、受けんのか」
もう一度問い直すと、ダッチはいかにも忙しげに書類をめくりながらそっけなく答えた。
「今んとこ、断る理由はねえな」
手元の書類から目線を上げようともしないダッチを、レヴィは下から睨みつけた。
「ラチャダストリートっつったら、張の旦那のシマだろ。旦那とトラブル起こすのはごめんだぜ」
めんどくせえ、それで一万五千は安すぎるぜ、と低くこぼすと、ダッチは黒い丸眼鏡の奥でちろりと眼球だけを動かした。
「まだトラブルと決まったわけじゃねえだろ」
「そのリスクだけで充分アシが出るぜ。一万五千でピンが刺さってるかどうかもわからねェ手榴弾を運べ? 
──ハッ、冗談」
ソファーの肘かけに肘をついてそっぽを向くと、ダッチが呆れたようにため息をついた。
「俺たちのお荷物が火薬入りじゃなかったことがあるか?
バラライカの照準器にがっちりロックオンされた双子の片割れを運んだのを忘れたのか。
今回のが手榴弾なら、あの双子は核弾頭だ」
レヴィは肘をついたまま中空を睨んだあと、ダッチに向き直った。
「……でもよ、ダッチ、ボディーガードって誰つけんだよ。
ロックは役に立たねェし、あとの三人は合衆国を一歩踏んづけただけで両手が後ろにまわるぜ」
「おいおいレヴィ、俺たちを赤絨毯で出迎えてくれる国がどこかにあるとでも思ってんのか?
なんのために今パスポートをこしらえてるんだ」
ダッチは手に持っていた書類をばさりとローテーブルの上に置くと、ベニーを仰ぎ見た。
「おい、ベニー、それが終わったらパスポートをもう二組追加だ」
ベニーはパソコンのブラウザから目を離すことなく答えた。
「オーケー、ダッチ。顔写真は?」
「レヴィとロックだ」
「オーライ」

「──ちょっ!」

ダッチの口から飛び出た名前に、レヴィはソファーの上で跳ね上がった。
「ちょっ、ダッチ、ちょっと待ってくれよ! なんだよ今の! なんであたしなんだよ!」
だん、とローテーブルに膝をついて身を乗り出すと、ダッチは迷惑そうに片手で肩を押し返してきた。
「うるさいぞ、レヴィ。書類の上に膝つくんじゃねえ」
「これが黙ってられるかよ! あたしはニューヨークなんざ、絶っ対ェ行かねえからな!」
「行く行かねえを決めるのはお前じゃねえ、俺だ。さっきも言っただろう。同じことを二度も言わせんな」
「でもよ、ダッチ、あたしはニューヨークだけはほんとにヤベェんだ。好き嫌いの話じゃ──」
「そのためのパスポートだろうが。あとはお前がニューヨークで暴れなきゃいいだけの話だ」
「んなこと言ったって、ダッチ──」
「いいか、レヴィ」
ダッチは開いた脚に両肘をついて、ぐいと身を乗り出した。
「ドンパチになった時に対応できるのは俺かお前かだ。
そしてお前も俺も、アンクルサムにとっちゃ招かれざる客だ。
あとはあっちの白い門番が俺たちを見比べた時、
あいつらの輝かしき合衆国にふさわしくねえとまず弾きたくなるのは俺とお前のどっちかって、そういう話だ」
ダッチの言いたいことはわかる。
レヴィはダッチのチョコレート色の顔を見据えながら、ぐっと黙った。


419 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:45:04.59 ID:Imi0BDtl

「敵はマフィア連中だけじゃねえ。入国管理局もだ。
あいつらの鼻先を通っても、その日の夕飯になにを食おうか考えててくれる、
そんな組み合わせはうちじゃお前とロックしかいねえ。
火事場担当は一人いりゃ充分だ。ロックはロックで表の世界の空気に慣れてる。
──どうだ、この組み合わせがベストだろ?」
「……ベストったってダッチ、あの女と三人で歩いてどこが自然なんだよ。見るからに怪しいじゃねえか」
レヴィは食い下がったが、ダッチはいとも簡単にそれをはねのけた。
「お前たち夫婦とお前の姉が、合衆国にいる病気の母親を見舞いにいくことにした。
どうだ、これで。完璧じゃねえか」
「──えっ、夫婦!?」
“夫婦”。
とんでもない言葉に、レヴィの心臓はでんぐり返った。
「夫婦って、えっ、なんであたしが!」
「慌てるな、レヴィ。なにも本当に籍入れろって言ってるわけじゃねえ」
「──ったりめえだっ!」
レヴィが叫んだその時、のんびりした声が部屋の隅から聞こえてきた。
「僕もダッチの案に賛成だな」

見ると、パソコンのブラウザに向かっていたベニーが、キイと椅子をきしませて振り向いた。
「大丈夫、君とロックだったら充分夫婦で通じるよ。いつも通りでいいんだよ、いつも通りで。
特別になにかすることなんかない、普段のままで大丈夫なんだから安心しなよ」
「……お、おう……」
なにに対して太鼓判を押されたのかよくわからず、レヴィはぎこちなく頷いた。
「心配することないさ、スカートはいて黙ってりゃ普通の女の子に見えないこともないんだから、あとは君次第だ」
「……喧嘩売ってんのかテメェ」
「まさか。そんなおっかない顔しないでくれよ、レヴィ。──まぁなんにせよ、ボスの目に狂いはないってことさ」
言いたいことだけ言ってパソコンのブラウザに向き直りかけたベニーは、
ああ、となにか思い出したようにまたレヴィに顔を向けた。
「パスポートのことなんだけど」
「……なんだよ」
「さすがに本名はまずいから、レベッカ・オカジマにはしてあげられないんだ。ごめんよ」
「──は!? ……っざけんな、このクソベニー! 頼んでねェよ!」
レヴィは声の限り叫んだが、ベニーはどこ吹く風で笑うだけだった。

そのあとは、押しても引いても粘っても、この案件に断る理由なしと判断したダッチは頑として考えを変えず、
そしてレヴィは今機上の人となっていると、こういう次第だった。


420 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:45:33.43 ID:Imi0BDtl

 * * *

「……クソッ」
この日何度目になるのか、もう見当もつかない悪態を、レヴィは苛立ちとともに吐き捨てた。
すべてはあの女がいけないのだ。
あの女さえこんなわけのわからない依頼を持ちこんできさえしなければ、
今頃は肺いっぱいに煙草の煙を吸いこんで、浴びるほど酒を呑んでいられたのに。
頭からシャワーを浴び、自分のベッドで思いっきり身体を伸ばし──。

そこまで考えた時、レヴィはハッと我に返った。
隣の女がまだ帰ってきていない。

──遅い。

化粧室に消えた女の帰りが、遅すぎる。
レヴィは慌ててもう一度隣のロックの腕を取り、時計を見た。

──十六分。……いや、十七分か。

レヴィは先ほど見た時刻を反芻しながら頭の中で逆算した。
あの女が席を立った時、化粧室に並んでいる乗客は一人もいなかったし、化粧室は使用中でもなかった。
ということは、もう十五分以上あの女は化粧室で立てこもっていることになる。
女のトイレが長いといっても、これはさすがに長すぎる気がする。
「──どうした、レヴィ」
突然腕を掴まれたロックが不審そうな声で尋ねてきたが、レヴィは、気にするな、と首を横に振った。
だが、腹具合が悪いだけならいいが、なにか嫌な予感がする。
様子を見に行くべきか、このままここで待つべきか。
一瞬迷ったが、レヴィはロックの腕を離して立ち上がった。
今はまだ誰も化粧室に並んでいないが、このあとドアの前に並ばれてしまうとむやみに動けなくなる。
レヴィはロックが背中を預けている背もたれに手をつき、ロックの脚をまたいで通路へと出た。

ゆっくりと通路を歩き進めながら、レヴィは左右に目を走らせた。
一歩ずつ足を進め、寝たふりをしながら周到に気配を消している客はいないか、
ブランケットの下で怪しげな動きをしている客はいないか、神経を尖らせる。
だが、レヴィのアンテナに触るものはない。
乗客はみな機内の薄闇に沈み、通路を歩くレヴィに意識を向けてくる者すら見当たらなかった。
レヴィはひとまず胸を撫で下ろした。
機内に銃は持ちこめない。レヴィの愛銃カトラスは、今回はロアナプラで留守番だ。
空港で引っかかる危険をおかすくらいなら、その場にあるもので臨機応変にしのぐ方がまし、
もし相手が銃を持っていたらそれを奪えばいいという心づもりでいたが、
大の男と正面きっての素手ゴロなどという事態はできれば回避したいというのが人情というものだ。


421 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:46:31.53 ID:Imi0BDtl

女が消えた化粧室までたどりつくと、レヴィは使用状況を確認した。
使用中。
そう表示されたドアの前で気配を探ってみるが、航空機の騒音が邪魔をしてよくわからない。
レヴィは思いきってドアをノックしてみることにした。
小さく二回叩いてドアに顔を近づけ、低く声をかける。
「──おい」
すると、少しの間のあと、中から答える声があった。
「……はい」
あの女の声だ。間違いない。
レヴィはもう一度ノックして、ひたりとドアに身を寄せた。
「おい、あたしだ。どうした」
そのままドア越しに待ったが、返答はない。
だが、ガコン、とヒールが金属にぶち当たったような音がして、なにやら慌ただしい気配が伝わってきた。
「──おい、どうした」
なにかある。
けれど、中からは「なんでもないわ」というくぐもった声が返ってくるのみだ。
「ごまかすんじゃねえぞ」
レヴィは声をさらに低く落とした。
「開けろ」
いやよ、と言う声を無視して、レヴィは声を押し殺した。
「いいから開けろ。──フライトアテンダントが来る」
嘘だった。
しかし、しばしの沈黙のあと、カチャンと音がしてドアの鍵は内側から解除された。

細く開けたドアの隙間から素早く化粧室の中にすべりこんだレヴィは、一瞬で事態を把握した。
「……てめェ…………!」
レヴィは後ろ手でドアを閉めて鍵をかけるやいなや、洗面台に片手をついて身体を支えていた女の胸ぐらを掴み上げた。
「どういうことだ、これは」
どん、と鈍い音をさせて女を化粧室の壁に押しつける。
女の着ていたニットがレヴィの手に引っぱられて伸び、大きく開いた襟首から汗ばんだ肌が露出した。
「……やめて、気分が悪い……、──吐きそうなの」
女はがっくりと落とした首を力なく左右に振った。
ハイヒールの足元はおぼつかなく、今にも崩れ落ちそうだ。
レヴィは女の胸元をぎりぎりと絞り上げ、強く睨みつけてから解放した。
手を離すと、女は大きく息をついて化粧室の床にへたりこんだ。
そのままうずくまりかける女の髪を、レヴィはぐいと掴んだ。
「くたばってる暇はねェぞ」
掴んだ髪を乱暴に引き上げて、上を向かせる。
「こいつはなんだ」
レヴィは洗面台のボウルの中に転がっていた親指大の楕円形の物体を手に取って、女の目の前に突きつけた。
レヴィの指の間に挟まっているのは、薄い黄褐色をしたゴム状の皮膜に包まれたカプセルだった。
大人の親指ほどの長さがあり、蚕の繭を思わせる楕円の形に張りつめている。
女は焦点の合わない目をさまよわせるだけだったが、
女が答えずとも、これがなんなのかということくらい、レヴィは百も承知していた。
「……騙しやがったな。
あたしたちが護衛してるのはマフィアに追われる娼婦じゃねえ、ヤクの運び屋だったってわけだ」
レヴィは女の髪を掴んだ手に力をこめた。


422 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:47:28.45 ID:Imi0BDtl

そう、レヴィがつまんでいるのは、麻薬──おそらくヘロインだろう──入りのカプセルだった。
ヘロインやコカインの密輸入には、こうしてカプセル状に仕込んだものを飲みこみ、人体を器として税関を通過させる方法がある。
スーツケースの中に隠し持ったり土産物の中に細工したりという方法では、麻薬探知犬にすぐ感づかれる。
身体の表面に貼りつけるという方法も、身体検査をされたらすぐにアウトだ。
人体の中に隠匿してしまえば、X線を浴びせられない限りは見破られない。
この女の腹の中には、ヘロイン入りカプセルが何十個とつまっているのだろう。

「あたしたちは体のいい目くらましってわけだ。──違うか!」
合衆国には縁もゆかりもない東南アジアの薄汚れた女が、たった一人で入国するのは目立つ。
空港をうろついて目を光らせている税関に、声をかけて下さいと言っているようなものだ。
「……前に、一人で運び屋をやった子が捕まったわ。だから──」
「だから、あたしたちを隠れ蓑にするって寸法か」
レヴィは女の髪を掴んだまま、目の前にぐいと顔を寄せた。
「テメェが仕込んだのは腹ん中のブツだけか」
女は呆けた表情でレヴィを見る。
レヴィは、声を低くして続けた。
「空港で声をかけられて気前よくあたしのバッグを開けてやったら、そこに見覚えのねェ白い粉のパックがちゃっかりまぎれこんでる、
そんな事態がこの先に待ち受けてるんじゃねえのかって訊いてんだ!」
そこまで言うと、ようやく女が首を横に振った。
「……そんなことしてないわ。あんたたちの荷物には触ってない。あんたたちを囮にしようなんてつもりはないわ」
「どうだか」
レヴィは吐き捨てた。
「一度嘘をついた奴は二度嘘をつく」
「ほんとよ、信じて。あたし一人じゃ疑われる。三人いれば観光だって思ってくれるかもしれない。
ほんとにそれだけよ。それに、マフィアの連中が怖かったのも本当だわ」
「ハッ、そっちのマフィアより、今はてめェの腹の中身を待ち受けてるマフィアの方を心配するんだな」

ここまで馬鹿な女だとは思っていなかった。
レヴィは拳のひとつでもお見舞いしてやりたい気持ちをなんとかこらえて、女の髪から手を離した。
「立て」
ぐったりしている女の二の腕を取って、引きずり上げる。
そして、カプセルを鼻先に突き出した。
「飲みこめ」
まずはこのカプセルをもう一度腹の中におさめてもらうことが先決だ。
大方、腹につめこんだはいいものの、今になって限界がきて吐き出してしまったのだろう。
それもそのはず、そもそもカプセルの飲みこみは食事と排泄が制限されることから、長時間の移動をともなう場合には向かない。
空港のあるバンコクで仕込んだのだとしても、
そこからほぼ一日がかりの行程の間ずっと腹に爆弾を抱えていようなど、とても正気の沙汰とは思えない。
案の定、女は脂汗をびっしりと額に浮かべている。
だが、悠長なことは言っていられない。


423 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:48:08.76 ID:Imi0BDtl

「早くしろ」
レヴィはカプセルを女の唇に押しつけた。
「……待って」
ぐいぐいと迫るカプセルから逃れるように、女はレヴィの手を押し返す。
「いいからやれ」
「待って」
「やるんだ」
「待ってったら、今は無理──」
「いいか」
レヴィは、身をよじらせて逃げようとする女を睨みつけた。
「こいつの到着を待ってる奴らは、てめェの胃袋の中身をティースプーン一杯の違えなく把握してる。
てめェがどうしても飲みこめねえってんなら、あたしたちはこっから赤の他人だ。一緒にゲートはくぐらねえ」
「そんな……」
「甘ったれんじゃねえ。こいつを化粧ポーチに入れて歩いて、空港を散歩してる犬に吠えたてられんのはまっぴらだ。
このクソカプセルのしまい場所は、てめェの胃袋ん中しかねえんだよ」

女は瞳孔の開いた目でレヴィを見ていたが、ようやく震える指でカプセルを受け取った。
ごくりと一回喉を上下させ、そしてカプセルを口の中に入れる。
指で奥まで突っこんで、上を向いて喉にカプセルを通す──、
かと思った瞬間、女はうぐっと声をもらし、カプセルを吐き出して咳きこんだ。
洗面台のボウルに向かって、うぇっ、と苦しそうにえづいた女の唇から唾液が糸を引いた。
「なにやってんだ。喉の広げかたが足りねェんだよ。ぐずぐずしてっとケツの穴からねじこむぞ」
レヴィが言うと、女は垂れ下がった髪の隙間から睨み返してきた。
「簡単に言わないで。やったこともないくせに」
「ああ、ないね。一袋でも腹ん中で破裂したら完全にお陀仏だからな。あたしはそこまで馬鹿じゃねェ」
レヴィは洗面台に転がったカプセルを取り上げて女に手渡した。
「しっかりしろ、ディープスロートならお得意だろ?
こんなもん、男の股間にぶらさがってるモノに比べりゃ、ジェリーベリーみてェなもんじゃねえか」
女は髪の毛をべったり張りつかせた頬でわずかに笑った。
「……そうね、違いないわ」


やっとのことでカプセルをおさめ直したあと、レヴィはふらつく女と一緒に化粧室を出た。
一緒に出るところを誰かに見られたらめんどうだが、もし外に並ばれていたら時間差で出ていっても同じことだ。
どうにでもなれとドアをすり抜けると、運良く外にはまだ誰もいなかった。
レヴィは囚人を引ったてる看守のような心持ちで座席に戻り、
女を先に通して自分もロックをまたぎ越し、どさりと腰を下ろした。
「どうしたんだ、レヴィ。なにかあったのか」
ロックが耳元で小さく尋ねてきたが、レヴィは黙って首を横に振った。
「問題ねェ。が、事情が変わった。あんたももう起きてなくていいぞ」
頭をヘッドレストに預けて目をつぶると、しばらくして耳元にあったロックの気配が遠のいていった。

レヴィは目を閉じたままため息をついた。
見たところ、女に差し向けられた追っ手はいない。
だが、危険物の引率をしているという意味では同じことだ。
下手すれば自分まで合衆国に拘束されることになる。
厄介さは増したといってもいい。

──冗談じゃねェぞ。


424 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:48:51.32 ID:Imi0BDtl

もう一度息をついたところで、ねえ、と隣から女の小さな声がした。
「なんだ」
「……起きてる?」
「寝てたら返事はしねェよ」
レヴィが目をつぶったまま返すと、女は一瞬言い淀んでからしおらしげな声で言った。
「……悪かったわ、──言わないで」
「言わないで、ね。そいつは騙してたっていうんだぜ」
「だから、悪かったって言ってるでしょ。……どうしてもニューヨークに行きたかったのよ」
「腹ん中にあんなもん仕込んでか」
「貯めたお金は全部あんたたちに払っちゃったもの。無一文じゃ向こうで暮らせないわ」
「そうまでして行きてェのか」
「そうよ、行きたいわ」
レヴィの問いに、女はきっぱりと答えた。

レヴィは閉じていた目を開けた。
「なんでニューヨークなんだ」
開いた目に、前の座席の背が映る。
レヴィの隣で女は答えた。
「ニューヨークには未来があるわ」
未来。その言葉にレヴィは短く笑った。
「……ハッ、ニューヨークになに夢見てんだ。ニューヨークは夢の国なんかじゃねえ。……どこも同じだ」
「でも、あの街──ロアナプラはどんづまりよ。
死と背中合わせのところで毎日男の下で腰振って、絞り取られるだけ絞り取られたら、あとは路地裏に転がるだけ。
……あたしはタイ北部の生まれでね、親に売られたの」
「ふん、お涙頂戴か」
下らねェ、とレヴィが鼻で笑うと、女は苦笑しながら首を横に振った。
「いやね、あんたの涙なんか期待してないわ。
……そうじゃなくて、あたしの生まれたところはニューヨークよりも確実にひどい、って話よ。
ロアナプラを出たって、帰るとこなんかどこにもない。──あんたはニューヨークを知ってるの?」
「……まあな」
「──そう。あたしは一度も行ったことがないから詳しいことはなにもわからないけど、
でも、生まれた村に帰るよりかは百倍もマシよ。それだけは断言できるわ。
ニューヨークには、少なくとも可能性があるもの」
「……可能性、ね」

──そいつを信じられるだけ、おめでてェな。

レヴィは胸の中でつぶやいた。


425 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:49:23.88 ID:Imi0BDtl

女はそれきり黙った。
航空機はそれから何時間も飛行を続け、J.F.ケネディ空港に着陸した。
若干の緊張を強いられた税関も無事に通過し、レヴィたち一行は拍子抜けするほどあっさりと空港ロビーをあとにしていた。

夜のニューヨークは雪だった。
空港のエントランスを抜けると、真っ暗な空から白い雪が次から次へと舞い落ちてきていた。
「行き先は?」
「マンハッタンよ」
ロータリーで客待ちをしているイエローキャブに乗りこみ、運転手に行き先を告げる。
窓の外の雪は次第に強くなり、マンハッタンのビル影が大きくなる頃には横殴りに吹きつけてきていた。
エンパイアステートビルにツインタワー、マンハッタンの高層ビル群はレヴィの記憶と変わらない姿でそこにあった。
レヴィは視線をビル群から引き剥がした。
またこの街に戻ってくるなんて。
レヴィは小さくため息をついて目を閉じた。


426 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/03(土) 21:50:32.99 ID:Imi0BDtl

「じゃあね、レヴィ。それから、そっちのお兄さんも。……ありがとう」
イエローキャブを降りると女は残りの金を支払い、短い挨拶を残して去っていった。
白くけぶる街並みの向こうに、女の背中が小さくなる。
雪の勢いは強い。
レヴィは羽織ったショートコートの前をかき合わせた。
「俺たちも行こう。ホテルを探さないと」
「ああ」
女を送り届けたらニューヨークに一泊し、次の日の便で引き返す予定だった。
レヴィはロックとともに二ブロックほど雪の中を歩き、目にとまった中級のさびれたホテルにチェックインした。


疲労は全身に広がっていた。
レヴィはシャワーを浴びると、ふたつ並んだシングルベッドの一方へ倒れこんだ。
「レヴィ」
ベッドカバーもとらないまま、タンクトップ一枚でベッドにつっぷして眠ってしまっていたのだと気づいたのは、
レヴィのあとにシャワールームを使ったロックに声をかけられた時だった。
「大丈夫か。寝るんならちゃんとベッドの中に入らないと」
「……ああ」
重たい身体を起こして、レヴィはベッドの中にもぐりこんだ。
頭を枕に落ち着けると、隣のベッドにロックが腰かけた。
「なぁ、レヴィ」
「あ?」
「機内ではいったいなにがあったんだ」
「ああ……」
機内では人の耳があってまともに説明できなかった。
ことの詳細を、レヴィはかいつまんで話した。

「じゃあ、彼女は麻薬入りのカプセルを飲みこんで、今頃それを引き渡してるってことか」
「そんなとこだろうが、全部ひり出すのもペッツの口からキャンディーを取り出すようにはいかねえ。
数日間は拘束されるだろうな。
しかも、うまく出せりゃまだいいが、どうしても出ねえってことになりゃ
腹をかっさばくぐらいのこと、あの手の連中は顔色ひとつ変えずにやるだろうよ」
「そこまでして……」
「まったく、いくら貰えんのかは知らねェが、割に合ってるとは到底思えねえな」
「ああ、そうだな……。無事だといいけど……」
表情を沈ませるロックを横目に、レヴィは枕元のスタンドに手を伸ばした。
「考えるだけ無駄だぜ、ロック。早いとこ寝ろ」
ぱちんとスタンドの紐を引くと、明かりが落ちる。
窓の外はさらに強くふぶき、薄いガラスを通して風の音が響いてきた。
しんしんと冷気が室内にまでしのび寄る。
けれど明日になれば、このクソ寒いニューヨークともおさらばだ。
レヴィは深く毛布にくるまって目を閉じた。

大雪によりJ.F.ケネディ空港から出発するすべての便が欠航になるのを知るのは、次の日の朝のこととなる。


434 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/07(水) 21:53:40.01 ID:s9R0Mq0g

 * * *

前の晩からの雪は朝になってもやまず、さらに強くなってマンハッタンを白く塗りこめていた。
テレビ局はどこも大雪の報を伝え、この雪は明日になっても降り続くでしょうと気象予報士が深刻そうな表情で語っていた。
ロックは慌てて空港に問い合わせたが、
本日J.F.ケネディ空港を出発する便はすべて欠航が決まっているとの返答が得られただけだった。
まだベッドの中にいたレヴィに状況を説明すると、眉をしかめてぶつくさ言っていたが、
いくら文句を言ってもそれで飛行機が飛ぶわけではない。
レヴィはまた寒そうにベッドの中にもぐりこんで眠ってしまった。

ロックはいつまでもベッドから出てこないレヴィを置いて部屋を出た。
ずっと部屋にこもっているのも手持ち無沙汰だが、
ニューヨーク行きが決まってからずっと機嫌の悪いレヴィを誘っても、きっと一緒には来ないだろう。
降り続く雪には困ったものだが、初めて訪れたニューヨークを散策してみるのも悪くない。
ロックは寒さに首をすくめつつ、表の通りへ出た。

興味本位で外に出てみたはいいものの、さてどこへ行こうと考えると足どりは鈍った。
一人で観光という気分ではないし、格別行きたい場所があるわけでもない。
ロックは、とりあえず目についた書店で市内の地図を買った。
片手に傘を持ち、もう一方の手に持った地図にちらちらと目をやりながら通りを歩く。
そうやって足の向くまま歩いているうちに、ふと、あることに気づいた。

──チャイナタウンの近くだ。

レヴィが生まれ育ったというチャイナタウン。
それが、すぐそこにある。
ロックは思わず足を止めた。
レヴィが二度と見たくもないだろうエリアだということはわかっていた。
ニューヨークに行きたくないとあれだけ渋ったのも、すべてはそこにつまった過去のせいだとも。

けれど、見たい。
レヴィの生まれた街。
今はもうその頃のままではなかったとしても、でも見たい。
なにもレヴィを無理矢理引き連れて行こうというのではない。
ロック一人で見て帰ってくるぐらいなら構わないのではないか。
好奇心は抑えられなかった。
ロックは意を決して、チャイナタウンへと歩を進めた。

チャイナタウンへ足を踏み入れると、それまでの街並みががらりと顔を変えた。
巨大なドンブリを模したネオンに、漢方薬局の黄色い看板、赤いわら紙の提灯、大きな真鍮の銅鑼、
けばけばしい色の洪水がどっと押し寄せてきた。
ここにたどりつくまでの街並みも、クリスマスを控えてずいぶんと華やかに彩られていると思ったが、
チャイナタウンの色彩はクリスマスなど寄せつけない雑多な活力にあふれていた。
肉屋の店先には豚の丸焼きが吊り下げられ、魚屋には雪に吹きつけられて半分凍った生魚が並び、
青果屋や乾物屋の軒先には、歩道にあふれ出さんばかりに商品がぎっしりと並べられていた。

上に目をやると、店の二階から上はすべて集合住宅になっているようだった。
同じ形をした窓がいくつも並び、鉄の階段がつづら折りになって煉瓦の壁面にへばりついている。
その鉄の階段にも雪がつもり、うっすらと白い縁どりを作っていた。
ロックはなんとはなしに、ずらりと並ぶ窓のひとつひとつを目で追った。
隣との間隔は狭く、内側の部屋はたいして広くもないのだろう。
あのうちのどれかひとつに幼いレヴィが暮らしていたのだろうか。
おそらく今はいないであろう彼女の親と一緒に。
ぼんやり見上げていると、中華饅頭を売る店先に群がる子供たちの歓声が聞こえた。
この寒さの中でも、子供は元気だ。
子供たちは中華饅頭を受け取ると、風のように走り去っていった。


435 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/07(水) 21:54:20.09 ID:s9R0Mq0g

ロックは大通りから細い小道へと角を折れた。
急に狭くなったその道の両側にも、集合住宅がびっしりと立ち並んでいた。
薄暗い路地の両脇から、のしかかるように迫ってくる。
壁に埋めつくされたその上に、白い雪を落としている鈍色の空が細く見えた。

ロックはあてもなく路地をさまよい歩いた。
中華料理屋の脂やスパイスのにおいに混じって、
長い時間をかけてコンクリートや煉瓦に染みついたらしい下水のにおいがした。
人の足に踏み荒らされて溶けかけた雪は黒く濁り、ごみごみした通りをさらに歩きにくくしていた。
溶けた雪が革靴の隙間から染みこんできて足を冷やし、スラックスの裾を重たく濡らす。
すでに地図を見ることは放棄して、コートのポケットの中にねじこんでいた。
でたらめに路地を折れて、時折すれ違う人の顔を盗み見る。
その人々の顔に、無意識のうちにレヴィの面影を探していたことに気づき、ロックはため息をついた。

──なにやってんだ、俺は……。

まるでレヴィに隠れてこそこそと過去を掘り起こそうとしているような気分になり、
小さな罪悪感がロックの胸を引っかいた。

どの角を曲がってもチャイナタウンは迷路のように続いており、このまま永遠に抜け出せないかのように思ったが、
いつの間にか別のエリアに入りこんでいたようだった。
狭い路地を抜けて比較的広い通りへ出たところであたりを見まわしてみると、
薄汚れたホテルや安っぽいネオンを備えたバー、くたびれたカフェに混じって、間口の狭い店がごちゃごちゃと立ち並んでいた。
シャッターの降りた店も多いが、裸に近い女のポスターが壁の隙間を埋めるように張られ、
ショーウィンドウにはいかがわしい器具や扇情的なポーズをとったマネキンが並んでいる。
看板を光らせたビデオショップのガラス戸の向こうに見えるのは、ポルノビデオだ。
どの街にもこの手の通りはある。
男たちの欲望を一手に引き受けるこの通りは、きっと夜になればもっと活気を増し、
薄い服を着た上にコートを羽織っただけの女たちが闊歩するところとなるのだろう。

──帰ろう。

ロックは手近な店の軒先を借りて傘をたたみ、コートのポケットから地図を引っぱり出した。
ページをめくり、いったいここはどこだろうと標識を求めて建物の壁を見渡す。
その時だった。

──あれ。

一瞬、視界のはしにどこか見覚えのある顔が引っかかったような気がした。
なんだったのだろうともう一度見渡すが、
目の前のビデオショップの店内に店番らしき人影が見えるだけで、通りにはほとんど人がいない。
そもそもニューヨークに知り合いはいないはずだ。
たぶん気のせいだろう。
地図に目を戻そうとした時、今度ははっきりと目がそれをとらえた。

──あれは……!

目にとまったのは、ビデオショップの棚に並ぶ一本のビデオテープだった。
表を向けて立てかけてある、そのパッケージの少女に、ロックの目は釘づけになった。

──レヴィ……!


436 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/07(水) 21:55:20.61 ID:s9R0Mq0g

ガラス越しで細かいところまではよく見えないが、
上目づかいで睨み上げているらしい少女の目つきは、レヴィのそれと酷似していた。
まさかそんな、他人の空似だろうと気を落ちつけようとしたが、
心のざわめきはおさまるどころか、さらに高まるばかりだった。

ロックはひとつ深呼吸をして店のガラス戸を押し開けた。
中に入ると、カウンターの向こうで店番をしていた若い男がちらりと目を上げたが、
すぐに手元の雑誌に目を戻した。
ロックは視界のはしにあのビデオテープをとらえながら、気ままに棚を物色するふうを装ってゆっくりと近づいていった。
距離が縮まるごとに心臓の動悸が激しくなる。
ようやくこちらを向いているビデオテープの前にたどりついた時には、心臓が喉元までせり上がってきていた。

──レヴィ。

伸ばした手が震える。
少々画質が荒いが、後ろから二人の男の手に肩と腕をとらえられて正面を睨み上げる少女の顔は、
レヴィにしか見えなかった。
今は背中の中ほどまである長い髪は肩の上で荒く切り揃えられ、耳にはいくつかのピアスが光っている。
なにも着ていない身体に、まだトライバル模様の刺青はない。
男たちに掴まれた剥き出しの肩と腕は細く、頬のあたりには幼さが残っている。
しかし、こちらを睨む大きな目は間違いなくレヴィのものだった。

──レヴィ。

題名から、そのビデオテープの内容は警官による少女のレイプものだということがわかった。
少女の顔つきからすると十代の半ば頃、
もし本当にこれがレヴィだとするとかなり昔のものだということになるが、ビデオにはいい値段がついている。
ロックが立ちすくんでいると、突然、店の奥から声がした。
「おい」
自分に声をかけられているとは思わずに聞き流していると、もう一度声が届いた。
「おい、そこの兄ちゃん」
「──はっ?」
ロックが慌てて振り向くと、カウンターの奥で雑誌を読んでいたはずの男がこちらを見ていた。
「それ、買ってくれんだったらあっちで観ていいぞ」
男はロックの持っているビデオを指さしてから、親指を立てて店の奥に向けた。
外では雪が降っているというのに、男は半袖を着ている。
その剥き出しの腕に、筋肉がぐいと盛り上がった。
「家じゃ観られねぇってお客さんも多いからな」
どうやら店の奥には視聴室があるらしい。
今ならちょうど空いてるぜ、と男は気さくに請け合う。
ロックが曖昧に笑うと、男はその笑いを遠慮と勘違いしたのか、カウンターを出て近寄ってきた。
そばに来るなり、男はロックの肩に太い腕をまわした。
ロックをがっちりと拘束したその腕には、刺青がいっぱいに彫り込まれていた。

「お、そいつに目ぇつけるたあ、兄さんお目が高いぜ」
そいつは掘り出しもんだぜ、と男は肩を組んだままカウンターへと導く。
ロックはそれに引きずられてふらふらと店の奥に向かって足を進めていた。
あれよあれよという間に刺青の男は太い指でレジを打ち、金額を告げた。
それに流されるように財布から金を引っぱり出してカウンターの上に置いた時、
自分はとんでもないことをしようとしているのではないかと我に返ったが、
ビデオテープの中身を確認しないままここに置いて帰るなどということはできそうもなかった。
ロックは腹を決めて店の奥にある個室に入った。


437 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/07(水) 21:56:10.56 ID:s9R0Mq0g

ビデオテープのパッケージの少女は、憎しみの凝った目でこちらを睨み上げていた。
レヴィには散々地獄の底のような目で睨まれてきたが、それでも未だかつてこんな目で見られたことはなかった。
パッケージの少女の目は、今のレヴィのものよりもっと荒み、もっと昏い。
この少女の身体の中いっぱいに真っ黒なタールがつまっていて、それが目からあふれ出してきているようだった。
引き返すなら今だ。
頭の片隅で小さく警告の音が響いたが、
ロックはそれを振り切って震える手でビデオテープを取り出し、ビデオデッキにセットした。

ヘッドホンをつけて再生ボタンを押すと、画面に一瞬ざらざらと砂が混じり、そのあとすぐに映像が流れ出した。
画面は薄暗い。
ハンディカメラで撮っているらしく、若干映像がぶれる。
だが、その画面に映るのが床から天井まである鉄格子と、
その鉄格子の奥にある打ちっ放しのコンクリートの部屋であることははっきりとわかった。

──留置所、か。

鉄格子の中には人影がひとつある。
コンクリート剥き出しの床にぽつんと座り、頭を落としている。
肩につくかつかないかという長さの髪が垂れ下がっているため、顔は見えない。
カメラがゆっくりと鉄格子に近づくと、その人影が頭を上げた。

──レヴィ。

人違いであってくれたなら。
藁にもすがる最後の願望は、はかなく砕け散った。
パッケージの画像よりも映像の方が鮮明だった。
髪は短く、顔にかなりの幼さを残していようとも、カメラを見上げた少女はレヴィそのものだった。

『……なに撮ってやがんだ、テメェ』

画面の中のレヴィが顔をゆがめてカメラを睨んだ。
ヘッドホンを通して聞こえるその声は、相手を威嚇することに慣れきったものドスのきいたものだったが、
耳に馴染んだ今の声よりもずっと高く、幼かった。

カメラがわずかにぶれて、撮っている人間が笑ったのだとわかる。
画面には警官の制服を着た男が写りこんだ。
人相まではわからないが、腹が丸く出てきた体型は中年のものだ。
鍵を手にしたその男は鉄格子の前で立ち止まった。
カチャカチャと金属の触れ合う音がしたあと、鉄格子の錠がはずれる。
キイ、と耳障りな音とともに鉄格子の扉が開き、制服の男が中に入っていく。
一人、そのあとにもう一人、同じ制服を着た男が続く。
そして最後に、カメラも中へ入った。

三人の人間に見下ろされたレヴィは、敵意を剥き出しにして睨み上げた。
大きな目を尖らせて、触ったら噛みついてやるとばかりに威嚇する。
その様は猛獣の仔さながらだったが、大人の男に囲まれてしまうとレヴィの身体はびっくりするほど小さく見えた。


439 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/07(水) 21:56:44.54 ID:s9R0Mq0g

レヴィは警戒した様子で地べたに尻をついたまま後じさった。
じりじりと、自分を取り囲む男たちから距離を取ろうと後退する。
そんなレヴィを追いかけるように一人の男が歩み寄ったかと思うと、
ぶかぶかのカットソーに包まれたレヴィの腕を取り、乱暴にねじり上げた。
『──って! なにしやがんだ!』
離せ、とレヴィは吠えたが、体格がまるで違う。
暴れる子猫の首筋をひょいと片手でつまみ上げるかのように、
男はいともたやすくレヴィの動きを封じて両手を背中にまわし、取り出した手錠で後ろ手にガチャリと固定した。
『ふざけんじゃねェぞ!』
レヴィは噛みつかんばかりの勢いで男を睨んだが、男は暗がりの中で薄く笑うだけだった。
『離せ!』
腕を掴む男の手から逃れようとレヴィがもがいていると、もう一人の男がレヴィの正面に立ちはだかった。
見上げる暇もなく、振りかざされた男の手がレヴィの顔に打ち下ろされる。
パァンッ、と音がはじけた。
音はコンクリートの壁に大きく反響し、レヴィがどさりと床に倒れ伏した。
レヴィの頬を張り飛ばした男は床に倒れこんでいるレヴィの髪の毛をむんずと掴むと、乱暴に引き上げた。
『ギャアギャアうるせェんだよ、このメス犬が』
男はレヴィの正面にしゃがみこみ、顔を近づける。
『俺たちを楽しませてくれたら、こっから出してやってもいいんだぜ』
粘った声が房に響く。
『誰、が……』
レヴィは髪を掴み上げられて顎を反らせながらも、苦しげに声を絞り出した。
晒された喉が、ひくりと震える。

男は目を細めてそんなレヴィの様子を眺めていたが、突然髪から手を離したかと思うと、
レヴィのカットソーを下からがばりとめくり上げた。
『──なッ!』
胸元まで剥かれたレヴィは慌てて身をよじって逃げようとしたが、
手錠で後ろ手に固定された上に、背後からもう一人の男に両肩を掴まれていたため、それは無駄な抵抗に終わった。
薄い身体と、そしてまだ熟していない青林檎を思わせるふたつの乳房がカメラの前に晒された。
『──や、』
カットソーをさらに大きくめくり上げられてレヴィは引き攣れた声をもらしたが、
後ろから大きな手に口をふさがれ、あとは言葉にならなかった。

レヴィの正面に腰を据えた男は、剥き出しになった乳房に手を伸ばした。
まだ成長しきってない乳房は、今ロックが知るものよりも小さく、硬く張っている。
男はその乳房を、片手で握りつぶすかのように掴み上げた。
『んん!』
後ろから口をふさがれたレヴィが、くぐもった悲鳴を上げた。
男は乳房を掴む手にさらに力をこめる。
『──ん!』
レヴィの身体が後ろに逃げる。
しかし、男の太い指は容赦なくレヴィの乳房に食いこんだ。


440 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/07(水) 21:58:04.49 ID:s9R0Mq0g

そこで画面がぐっと寄った。
ズームアップされた画面の中に、やわらかい肌が芋虫のような男の手になぶられる様が大きく映し出された。
太い指の間で薄い肌がねじれ、肉がつぶれる。
痕がつくほど強く、男はレヴィの乳房をこねまわした。
乳房の感触を楽しむというより、レヴィに苦痛を与えることを楽しんでいるようだった。
男は赤く腫れた乳房から手を離すと、今度は逆の乳房の先端をつまみ上げた。
『ん-!』
まだ小さくやわらかな乳首を、つまんだ爪が白くなるほどの強さで挟みつけられ、レヴィの身体がよじれた。
薄い身体に肋骨が浮く。
男はほの赤く色づいたレヴィの乳首をねじり、乱暴に左右へ引っぱった。
青白い皮膚がぴんと張りつめ、後ろから羽交い締めにされた身体は苦しげにもがく。

カメラがまた全身を写すと、男はレヴィのはいているジーンズのボタンに手を伸ばしているところだった。
背後から拘束されていた上半身は仰向けに倒され、その肩をもう一人の男が上から体重をかけて押さえつけている。
ピン、と金属のボタンがはずされてジッパーが下ろされると、ジーンズを脱がせまいとレヴィが脚をばたつかせて暴れたが、
ジーンズに手をかけていた男はその脚をうるさそうに受けとめ、そして拳を振り上げた。
一瞬空に停止した拳は、次の瞬間には勢いよく振り下ろされ、無防備に晒されていたレヴィの腹にめりこんだ。
『──ぐぅっ』
くぐもった低いうめき声が響き、レヴィの頭が床から浮く。
くの字に折り曲げたかったであろう身体は、押さえつけられた肩のせいで奇妙な形にねじれた。
呼吸のできなくなった口から、ひゅうっ、と不穏な音がもれる。
腹を殴りつけた男は、身体をひくつかせて小さく丸まろうとするレヴィの脚を取り、無理矢理引き伸ばした。
肩を押さえつけられたレヴィの身体が仰向けに開いて、膝がまっすぐに伸びる。
それでもなお縮こまろうとするレヴィの脚の上に、男は両膝で乗った。
ゆうにレヴィの倍以上の体重があるだろう男の重みがすべて細い脚にかかり、レヴィは顔をゆがめた。
肩と脚を押さえつけられ、レヴィの身体の自由は完全に奪われた。
そこにもう一度、男の拳が振り上げられる。
レヴィの目は、その拳に吸い寄せられた。
瞳孔の開いた目で拳を凝視しながら、レヴィは喉が裂けるような悲鳴を上げた。
ヘッドホンから流れこんできたレヴィの声が、ロックの頭の中でわんわんと反響した。

──これは……。

ロックは停止ボタンを押すことすらできずに、画面の前で凍りついていた。

──これは、“本物”だ。

ロックは今になってこのビデオにつけられた値段の意味を理解した。
これはポルノビデオのために作られた、やらせの映像ではない。
本物のレイプ映像だ。
ポルノビデオの中で行われているのが本当にレイプだったならそれはもちろん違法だが、
だからこそ、高い金を払ってでもその“本物”を観たいと切望する者はいる。
最近はずいぶん取り締まりが厳しくなったと耳にしていたが、
それだけに数少ない映像に高値がつき、過去の古い映像がこうして今も出まわっているのだろう。


441 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/07(水) 21:58:46.76 ID:s9R0Mq0g

画面の中では、二人の男が目配せをし合ってレヴィを裏返そうとしていた。
仰向けにされた状態でさらに数発殴られたレヴィは、ぐったりと力を失っていた。
まだほとんど筋肉のついていない薄い腹は、早くも鬱血の色を見せていた。
あと数時間もすれば、確実にどす黒い痣となるだろう。
男たちは後ろ手に手錠をかけられたレヴィをうつぶせにし、一人は肩を両手で押さえつけ、もう一人は脚の方で膝立ちになった。
膝立ちになった男の手はレヴィのジーンズの腰にかかり、
ところどころ破れてほつれかけたジーンズが乱暴に引きずり下ろされた。
簡素な白い下着と、ほとんど肉のついていない太ももが剥き出しになる。
男は薄い下着も荒っぽく剥ぎ取った。
丸みをおびた尻の白さが、薄暗い房の中に浮かび上がる。
床の上に押さえつけられたレヴィに、抵抗する力は残っていないようだった。
未だおさまっていないらしい腹の痛みに顔をゆがめながら、これから起こることを覚悟するかのように、
レヴィは目をぎゅっと強くつぶった。

レヴィのジーンズと下着を下ろした男は自分のベルトをはずし、膨張して反り返った陰茎を取り出した。
レヴィの腰を引き上げて尻を高く突き出させ、掌に吐き出した唾を自分の陰茎になすりつける。
そして先端をレヴィの尻の割れ目にあてがったかと思うと、そのままなんの予告もなしに突きたてた。
『──う』
男の太い陰茎が埋めこまれた瞬間、床に顔をこすりつけたレヴィが短くうめいた。
眉がゆがみ、身体が硬直する。
痛みと屈辱に耐えようとするかのように、目がさらにきつく閉じられる。
男はレヴィの薄い腰を両手でがっしり固定すると、半分ほど挿し入れた陰茎を勢いよく根本まで押しこんだ。
『……ぐ』
レヴィの背中が丸まって、顔がさらにゆがむ。
もう一人の男がグローブのような掌で頭を床に押さえつけているため、レヴィの身体はまったく自由にならない。
手錠で後ろにまとめられた手が、ぎゅっと握りしめられた。

男は背中を震わせるレヴィにはお構いなく、腰を振りはじめた。
太い陰茎がわずかに抜かれ、そしてまた肉を割って埋めこまれる。
未熟な尻の間に、膨張した陰茎が何度も突きたてられる。
ずっしりと重たそうな腹を突き出させた男に対して、レヴィの身体はいかにも小さかった。
床に膝をついた脚は棒きれのようで、腰はずり下がったズボンから覗く男の太ももと同じくらいの太さしかなかった。

少し離れた位置から三人を写していたカメラは、そこで移動をはじめた。
床に押さえつけられるレヴィと、そのレヴィを後ろから突く男にじりじりと寄っていく。
尻を高く上げさせられたレヴィの姿が大きくなり、尻の間にずぶずぶと埋まっては抜き出される陰茎の動きがはっきりと映し出される。
カメラはさらに寄り、レヴィの尻を大きく写した。
すぼまった肛門と、その下で太い陰茎に押し広げられる幼い性器の様子が画面いっぱいに広がった。

男はレヴィの薄い腰をとらえて激しく突いた。
勢いが増すと、肉を打つ乾いた音がコンクリートの壁に響く。
興奮した男の荒い息が混ざる。
突かれるたびにレヴィの顔は硬い床にこすりつけられた。
大写しにされた尻の向こうで、レヴィが苦悶の表情を浮かべるのがぼんやりと見えた。
まだ成長しきっていない少女の身体に、使いこんだ中年男の陰茎が突きたてられる様は、なにか悪い冗談のようだった。


442 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/07(水) 21:59:43.78 ID:s9R0Mq0g

『……濡れねェな』
腰を振っていた男がぼそりとつぶやいたかと思うと、ペッとレヴィの尻に向かって唾を吐いた。
『おら、もっといい声で鳴けよ』
男は腰を大きく使って激しくレヴィをゆさぶった。
ずん、と奥まで突かれるごとに、レヴィは額をコンクリートにこすりつけて歯を食いしばった。
意地でも声など出すものか、そんな様子でぎゅっと固く目をつぶる。
男はしばらくレヴィの反応を窺っていたが、依然として声を上げないとわかるや、
腰を掴んでいた手を片方だけ離し、振り上げた手でレヴィの尻を打ち払った。
パンッ、と高い音が破裂する。
『──あ!』
背後の様子がわからずに不意をうたれたレヴィの口から、ついに悲鳴がもれた。
男は満足げに唇を吊り上げると、二度、三度と尻を打った。
厚い掌に叩かれて、レヴィの尻はあっという間に赤く腫れ上がった。
皮膚の薄そうな尻には掌の跡が何重にもつき、指の形までもがくっきりと浮かび上がっていた。
肌が真っ赤になっても、男は振り下ろす手を止めない。
レヴィはコンクリートの床の上で、切れてしまいそうなほど強く唇を噛みしめていた。

もうやめてくれ、ロックのすがりつくような願いもむなしく、レヴィの肩を押さえつけていた男もベルトをはずしはじめた。
カメラはぐるりとレヴィの頭の方へ移動する。
男はジッパーを下ろし、張りつめた股間を剥き出しにした。
そしてレヴィの髪の毛を掴んで頭を引き上げると、反り返った陰茎を顔の前に突き出した。
『しゃぶれ』
レヴィの両手は背中で拘束されており、床についているのは膝から下だけだ。
髪を引き上げられたレヴィは、自分の体重が髪にかかる痛みに顔をゆがめた。
『しゃぶれよ、アバズレ』
男の指の隙間からこぼれ落ちた髪をこめかみに張りつかせて荒い呼吸をくり返すレヴィの口元に、男は陰茎を突きつけた。
『ちゃんとおしゃぶりできたら、こっから出してやるぜ』
『……ファック』
かすれた声で、レヴィは吐き捨てた。
乱れた髪の間から、濁った目で男を見上げる。

見上げられた男は唇のはしを吊り上げて笑うと、レヴィの鼻をぎゅっとつまんだ。
『──ん』
鼻で呼吸ができなくなり、レヴィの口が空気を求めて苦しげに開く。
その口に、男は陰茎をねじこんだ。
『ぅ、ぐっ』
口いっぱいに陰茎を押しこまれたレヴィの喉が、低く鳴った。
『歯ァ立てたらこいつでおしおきだぞ』
男は腰から警棒を引き抜いた。
黒く無骨な警棒をレヴィの目の前でちらつかせ、先端でコツコツと頭を叩く。
『おら、もっとちゃんとしゃぶれ』
膝だけで自分の体重を支えなければいけない無理な姿勢に、レヴィの身体は崩れ落ちそうになった。
だが、男はそんなレヴィの頭をがっしりと掴み、腰を前後に動かした。
『──う』
小さな口に、陰茎が出入りする。
口の中をかき混ぜられる音に、うまく呼吸できない荒い息、時折もれるうめき声が混ざる。
後ろからはもう一人の男が相変わらず乱暴に突いている。
前後から腹の突き出た男にゆさぶられ、骨の目立つレヴィの身体はばらばらに砕けてしまいそうだった。


443 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/07(水) 22:00:31.69 ID:s9R0Mq0g

カメラは、口に突っこんでいる男の背後からレヴィを見下ろす位置に移動した。
レヴィの頭をとらえて腰を振っている男の視界と、ちょうど同じアングルに変わる。
陰茎を前後させる男は両手でレヴィの頭を引き寄せ、喉の奥深くに腰を進めた。
『──う、……っ』
レヴィは身体を波うたせてえづいた。
胸がひくりと震え、首の後ろがこわばる。
眉間には深く皺が寄り、顔は苦しげにゆがんだ。
それでも男は根本まで飲みこませようと、無理矢理陰茎を押しこんだ。
『うぅ……!』
レヴィの唇のはしから唾液が垂れ、頭が左右に振れた。
男は、どうにかして逃れようとするレヴィを力づくで拘束してたっぷりと喉をふさいだあと、
ようやく喉の奥から陰茎を引き抜いた。

『──ぇ、っ』
今にも窒息しそうになっていたレヴィが激しくえづき、そして咳きこんだ。
あふれ出た唾液が糸を引いてコンクリートの床の上に垂れる。
男はそんなレヴィに休みを与えようとはせず、再度、唾液で濡れた陰茎を口に突っこんだ。
『う……』
うめくレヴィの喉の奥を、男は何度も突いた。
飲みこみきれない唾液が粘ついた音をたてる。
レヴィの声が胸の方まで押し戻される。
腰の動きが速くなる。
男はレヴィの口に、陰茎を一心不乱に突きたてた。

壊れたかのように腰を振りたてたあと、男は突然動きを止め、そして、ぶるりと身体を震わせた。
低いうなり声と、獣じみた吐息。
しばらくして、ずるりとレヴィの口から陰茎が引き抜かれた。
ぬらぬらと濡れた陰茎が抜き出されたレヴィの唇からは、白く濁った液体がこぼれ落ちた。
レヴィは手を後ろにまとめられて膝をついたまま、なんとか腹筋だけで上半身を支え、荒い息をついていた。
はぁはぁと息を吐くその唇から透明な唾液混じりの白い液体がたらたらと垂れ、コンクリートの上に液だまりを作った。

『垂らしてんじゃねェ!』
突然、陰茎を引き抜いたばかりの男がレヴィの頭を張った。
力を失っていたレヴィの頭が激しく横に振れる。
『舐めろ』
乱れた前髪の間から見上げるレヴィに、男は床の液だまりを指して命じた。
『舐めろよ、メス犬』
レヴィは後ろから突かれて頭をゆらしながら、のろのろと視線を下げた。
コンクリートの床の上には、泡立った白い液体がどろりとたまっている。
その液体に目をやって、なにを言われたのか理解したらしいレヴィが、ぐいと頭を上げた。


444 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/07(水) 22:01:21.67 ID:s9R0Mq0g

その目は命令した男ではなく、まっすぐカメラを見ていた。
向けられたのは、泥水のような目だった。
憎悪とも軽蔑ともつかない、この世のすべてを呪いつくすような目で、レヴィはこちらを見上げていた。
今にもその昏い目玉の色が溶けて、どろりと黒くこぼれ落ちてきそうだった。

男はカメラを見上げるレヴィの頭を掴むと、力ずくで押し下げた。
『ほら、舌出せよ』
薄く笑いながら、男は上からぐいぐいとレヴィの頭を押しつける。
レヴィはなんとか首を上げようと試みていたが、力では到底かなわない。
小さな頭はすぐに床すれすれにまで押し下げられた。
カメラは舐めるように下へと移動し、ぎゅっと屈辱に耐えるように眉を寄せるレヴィの表情をとらえた。
レヴィは肩で息をしながらまばたきをくり返していたが、やがて、そろそろと舌を出した。
赤い舌がちろりと突き出され、ゆっくりとコンクリートの上にたまった液体に近づく。
かすかに震える舌が、液体の表面に伸ばされる。
そして、舌先がぴちゃりとひたされた。
レヴィは舌を出して、こぼれた液体を舐め取った。
カメラはレヴィの顔にぐいと寄って、横からその様子を克明に写した。

『そうだ、うまいじゃねェか』
画面にはまたレヴィの全身が映し出された。
レヴィは尻を上げて男に突かれながら、コンクリートの床を舐めていた。
両手は背中でまとめられているため、レヴィは手で身体を支えることすらできない。
『ちゃんと全部舐めろよ』
男たちの間に低い笑いが広がる。
画面が小さくぶれたことで、カメラを持つ男も笑ったのだとわかった。


445 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/07(水) 22:02:17.98 ID:s9R0Mq0g

ロックは停止ボタンを押した。
コンクリートに這いつくばっていたレヴィの姿がかき消え、画面が黒くなる。
これ以上は見ていられない。
ロックはヘッドホンをはずして深くため息をつき、頭を左右に振った。
ひどく胸がむかついていた。
何度か大きく息を吸って吐いても、胸のむかつきは少しもおさまらない。
腐ったヘドロ混じりの汚泥を食道いっぱいに流しこまれたような気分だった。

沈没した潜水艦の中で、レヴィは警官に半殺しにされたことがあると話した。
これがその時なのか、それとも別の時のことなのか、それはわからないが、制服の男たちが本物の警官であり、
このビデオテープが本当にレイプの現場をおさめたものであることは間違いないように思えた。
ロックはビデオテープのパッケージをひっくり返してみた。
制作会社の名前を探すが、見当たらない。
このビデオテープは業者が制作したものではないのだろうか。
ということは、この映像を撮影した人間は業者に持ちこんだのではなく、
個人でこのビデオテープを制作したということなのか。

そこまで考えたところで急にどうでもよくなり、ロックはパッケージを放り出して両手で顔を覆った。
身体はしんと冷えきって、胸のむかつきがどうしてもおさまらない。
レヴィの口ぶりから、過去にレイプされたことがあるのだということはわかっていた。
その過去は今もレヴィに影を落としており、それが彼女をどんなにゆがませたか、ロックは重々承知しているつもりだった。
けれど実際の映像は、ロックの想像をいとも簡単にひねりつぶした。
現実は想像よりもずっと醜悪で、ずっと、──むごい。
これを撮り、これを観て喜んでいる人間がいるのか。
ロックは崖から突き落とされたような気分になった。
成長途中の薄い身体、憎しみに塗りつぶされた目、ゆがめられた顔、その断片は目をつぶってもまなうらにこびりつき、
今よりも高い声で上げた悲鳴の残響がいつまでも頭の中でこだましているような気がした。

ロックはビデオテープをデッキから取り出し、のろのろと席を立った。
挨拶もそこそこに店をあとにし、雪の降り続く通りに出る。
外は先ほどよりもさらに冷えこんでいた。
雪は厚く降りつもり、歩道を白く染め、街路樹を白い立木に変えている。
ホテルを目指して歩いているうちに冬の短い陽は落ちた。
空は真っ黒になり、街燈が白い雪の向こうに滲んだ。
街はどこもクリスマスの飾りつけがほどこされ、あちらこちらで小さなライトがまたたいていた。
いたるところにカラフルなボールの吊り下がったクリスマスツリーが立ち、
店の奥からは明るいクリスマスソングが聞こえてくる。
ショーウィンドウにはプレゼント用の商品があふれ、道行く人の顔も心なしか明るく見える。
しかし、ロックはとてもではないが浮き立った気分にはなれなかった。
きらびやかな光から逃げるようにうつむき、
足元だけを見ながらただひたすらホテルへ向けて歩を進めた。


446 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/07(水) 22:03:11.21 ID:s9R0Mq0g

部屋に戻ると、さすがにレヴィはベッドからは抜け出していた。
だが、スカートが皺になるのにもお構いなく、使ったままのベッドの上で枕を背にして脚を伸ばし、
退屈そうにテレビを眺めている。
「レヴィ、帰ったよ」
ロックが声をかけると、レヴィはだるそうに目だけをこちらに向けた。
「……ああ、ロックか」
「ずっとここにいたのか?」
「ああ、こんな雪ん中出てく奴の気が知れないぜ」
レヴィはちらりと窓の外へ目をやった。
部屋の中からでも、カーテンのかかっていない窓の外で激しく雪が降っているのが見えた。
「……どこ行ってたんだよ」
「ああ──」
ロックは一瞬言葉につまったが、表情を変えないよう気をつけて答えた。
「ちょっと街を散策してたんだよ」
「……街、ね。見るとこなんかあんのか?」
「──いや、ニューヨークは初めてだから……」
「初めてか。ふん、そいつは幸せなこった」
レヴィは心底下らないとばかりに鼻で笑い、またテレビに目を戻した。

──言えない。

ロックは苦笑いを浮かべながら、顔が引き攣るのを感じた。
さっきまで街でなにをしていたかなど、レヴィに言えるわけがなかった。

「レヴィ、食事は?」
ロックは努めて明るく響くよう尋ねた。
「……食ってねえ」
「じゃあこれから一緒に食いに行こう。すぐ近くにダイナーがあったよ。近所なら雪が降ってたって構わないだろ?」
「……ああ」
レヴィは気乗りしない様子だったが、それでも拒絶はせずに頷いた。


447 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/07(水) 22:04:17.99 ID:s9R0Mq0g

二人で入ったダイナーでも、話ははずまなかった。
片側が広い窓に面したテーブル席で、レヴィは寒そうに背中を丸め、
浮かない顔でいつまでも皿のマッシュポテトをフォークの先でつつきまわしていた。
「……食わないのか」
テーブルの向かいからロックが尋ねると、レヴィは大ぶりの皿をテーブルの真ん中に押し返した。
「もういらね」
皿の上には小山のようなマッシュポテトと巨大なチーズバーガーが残っている。
チーズバーガーには囓った跡がついているものの、半分も減っていない。
ニューヨークのバーガーはロックでも持て余すほどのサイズだが、朝からなにも食べていないにしては食べかたが少ない。
「食欲ないのか」
「……別に。朝から全然動いてねェからな」
レヴィはそう言ってフォークを放り出すと、テーブルに肘をついて窓の外に顔を向けた。
雪は街並みをかすませるほどに降りそそぎ、ガラス張りの窓を冷気がすり抜けてくる。
レヴィの顔の横に垂れている髪の間からは、耳がちらりと覗いていた。
今はなにもついていないその耳には、うっすらと小さな穴の跡が残っている。
ピアスの跡だ。
あのビデオテープの中の少女は、いくつもピアスをつけていた。
今レヴィの耳に残っている穴と、ぴったり同じ位置──。
それに気づいたロックは、慌てて頭の中によみがえった映像を振り払った。

「……帰るか」
ロックはフォークを置いた。
レヴィの顔を正面から見るのはどこか後ろめたく、話題も見つからない。
そして皿の上のバーガーは、砂を噛んだような味しかしなかった。
ロックの言葉に、レヴィは無言で頷いて立ち上がった。
レヴィの顔色は悪かった。
まるで雪に体温をすべて持っていかれてしまったように青白い顔だった。
雪はそんなレヴィの残りの生気をも奪い取ろうとするかのように、容赦なく吹き荒れた。

456 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/10(土) 21:52:40.72 ID:dX2B/sQX

 * * *

ホテルに戻ると、気詰まりな空気はいや増した。
ほんの少しの間部屋を空けただけで室内の空気は冷えこんでおり、しんとした気配が肌に突き刺さるようだった。
ロックはレヴィの顔をまっすぐに見られず、レヴィの口数も少なかった。
いつもならばまったく気にならない無言の時間が、じわじわと重苦しく胸にのしかかる。
このままだと勘だけはいいレヴィになにか気取られてしまいそうで、
ロックはぎこちない空気をごまかすようにレヴィを抱き寄せていた。
引き寄せた身体はわずかなためらいを見せ、レヴィが気乗りしない様子であることはわかった。
だが、レヴィの温かな息が首筋に触れた瞬間、ロックの疲れた身体は簡単に反応していた。

なし崩しに、ロックはふたつ並んだベッドの片方にレヴィを押し倒した。
仰向けに倒れこんだレヴィのセーターを、その下に着ていたタンクトップと一緒にめくり上げる。
あらわになった素肌に顔を寄せると、レヴィの肌のにおいが腹の底をうずかせた。
ロックは、セーターの下でほのかに温まった肌を唇で吸い上げた。
腹を唇でついばまれたレヴィがくすぐったそうに身をよじり、手で払いのけようとしてきたが、
ロックはその手をとらえてシーツに押しつけた。
そして、無防備にさらけ出されている肋骨の一番下の骨に舌を這わせた。
──は、とレヴィの身体が震えて、尖っていた肋骨の縁がさらに尖った。
ロックは浮き上がった骨を、舌でゆっくりとなぞった。

やわらかく盛り上がる胸を包んでいる下着の縁に指を引っかけ、そっと押し下げると、赤みのさした頂点がこぼれ出た。
ロックはその小さな頂点を口に含んでレヴィの背中に手をねじこみ、そこにあるはずのホックを探った。
指先に手応えがあった瞬間、顔を寄せていた乳房がふわりと自由になった。
ロックは中途半端に身体から浮いた下着を押し上げ、
締めつけから解放されてさらにやわらかくなった乳房に顔をうずめた。
胸元からたちのぼるレヴィのにおいを吸いこみ、ほんの少しの力で形を変える乳房を掌に満たす。
頬を押し返す弾力に吸いつきながら、ロックはレヴィのスカートのホックにも手を伸ばした。

性急に服を剥いで自分の服も脱ぎ捨てると、ロックはレヴィに覆いかぶさった。
膝を割って内ももを撫で上げ、下着を取り去った脚の間へ指を進める。
レヴィの肌はなかなか熱くならなかった。
時折ロックの脚をかすめるつま先はいつまでたっても冷たく、シーツの上に投げ出された手は氷のようだった。
だが、それに対してロックの熱は高まるばかりだった。
素肌がこすれ合うだけで腹の底が熱くなり、乳房のやわらかさが血をたぎらせる。
レヴィの脚の間にもぐりこませた指で襞を割ると、指先がくにゃりとやわらかく包みこまれる。
その感触に、自分の陰茎をそこに突きたてた時のことが生々しく思い出され、
血液の集中していた中心がさらに硬く勃ち上がった。

ロックは煮え返るような欲求を持て余し、レヴィの脚を開かせた。
そして、開いた身体の中心に先端をあてがい、ぐっと腰に力をこめて押しこんだ。
ず、となかに分け入った瞬間、ロックの身体の下でレヴィがわずかに顔をゆがめた。
──ん、と小さく喉が鳴って、一瞬呼吸が胸の奥に引っこむ。

まだ早かった。
レヴィのなかに入れた感触からも、それはわかった。
いつものぬるりと奥まで誘いこむようなうるみはなく、どこか乾いた内側がロックをこすった。
けれど、今さらやり直すわけにもいかず、ロックは静かに腰を動かしはじめた。

457 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/10(土) 21:53:09.12 ID:dX2B/sQX

レヴィがついてこられていないのは明らかだった。
ロックの脛に触る足は冷たく、身体をゆさぶられるたびに痛みを逃がすような息をつく。
どんなに突いても、内側は一向にとろけてはこなかった。
身体の中の体温が外側の肌の温度よりも高いことを伝えてくるだけで、きしむような摩擦はなかなか小さくならない。
それでもレヴィは、拒絶はしなかった。
時折眉をゆがめながらも、好きなように使っていいとばかりに脚を開いてロックを受け入れる。
それが却ってロックの胸をざらつかせた。

──嫌なら言えよ。

無理してつき合わずとも、嫌なら嫌と言えばいい。
だが、それはほとんど八つ当たりと言ってよかった。
口に出さなくても、レヴィの気が乗っていないのはわかる。
それが嫌なら自分がやめてやればいいだけの話だ。
しかし、一度欲情した身体は止められなかった。

「──あ……っ」
レヴィの喉が反って、小さく声がもれた。
顔がそむけられ、枕にうずめられる。
眉が寄せられ、息が震える。
その顔に、日中見たビデオテープの幼いレヴィの姿が急に重なった。
「──ん、」
短く鳴った喉に、ヘッドホンから響いたレヴィの声がオーバーラップする。

──くそ。

ロックは動きを止め、頭の中によみがえった映像を振り払うように目をつぶった。
きつく寄せられた眉も、ゆがんだ顔も、苦痛をこらえる声も、
早く消えてしまえと頭の中を無理矢理黒く塗りつぶす。

その時、身体の下で声がした。
「どうした」
目を開けると、暗がりの中でレヴィが見上げていた。
ぱっちりと開いたふたつの目玉がロックをとらえる。
「……いや」
ロックは頭を振った。
「いや、なんでも」
「なんでもって顔じゃねェぞ」
レヴィは不審そうな顔で見上げてくる。
ロックはその視線から逃げるように顔を逸らせた。
暗闇の中で光るレヴィの目は、ロックを突き刺すようだった。

458 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/10(土) 21:53:33.49 ID:dX2B/sQX

「……レヴィ」
「あ?」
「レヴィ、後ろ向いて」
ロックはつながっていた身体を一旦といて、上体を起こした。
つられて頭を浮かせたレヴィの腕を取り、引き上げる。
レヴィは若干戸惑った表情を浮かべたが、
促されるがままに起き上がってロックに背中を向け、両手をベッドについた。
ロックは四つん這いになったレヴィの背後に陣取って、膝立ちで後ろから突き入れた。
「──ん」
ぎしりとベッドのスプリングがきしみ、レヴィがわずかに背中をゆらした。
ロックはレヴィの腰を両手で掴むと、ゆっくりと腰を動かしはじめた。

レヴィの視線に耐えられなかった。
ロックはレヴィに見つめられた時、その目をまっすぐ見返すことができなかった。
暗闇の中で寄せられる眉の角度、狭まった喉を通る細い声、反った喉の曲線、
それらはビデオの中で犯されていた少女のものと変わらない。
ロックはあの警官ではないし、レヴィもあの頃の少女ではない。
わかってはいても、レヴィの顔に重なってくるあの少女の面影を振り払うことはできなかった。
レヴィに見据えられると、まるで自分が断罪されているような気がした。

ロックはあの光景を追い出そうと、ただ腰を振った。
考えるな。
警官がレヴィを蹂躙する様も、レヴィがコンクリートにこすりつけてゆがめた顔も、
必死にこらえようとしたのにもかかわらず上げてしまった苦痛の声も、耳の奥に突き刺さるような悲鳴も、今は考えるな。
純粋な快楽に集中し、頭の中をからにする。
レヴィのなかは温かく、ぎゅっとロックを締めつける。
段々と頭の芯がしびれてゆく。
その時だった。

「──ぁ、…………い……っ」
レヴィの頭が突然ぐっと下がり、背中が固くこわばった。
肩胛骨が浮き出し、尖った山を作る。
ロックが慌てて動きを止めると、レヴィはこわばらせた身体をゆるめ、はぁっ、と震えた息をもらした。
うなだれた頭から長い髪が垂れ下がり、枕の上で黒くうねった。

ロックは我に返った。
「レヴィ……」
痛い、と。
たった今レヴィが噛み殺した声は、そう言いかけていた。

知らず、ロックはレヴィの腰を両手で掴んで引き寄せ、激しく突いていた。
頭にあったのは自分の快楽のことだけ、レヴィがどう感じているかはいつの間にか蚊帳の外になっていた。
レヴィは枕の上に頭を落とし、乱れた息を整えている。
垂れた髪の陰になって表情は窺えないが、眉をゆがめたレヴィの顔が手に取るようにわかる気がした。

──今、レヴィになにをした。

ロックの身体は一気に冷えた。
今のはまるっきり、あの警官と同じ──。
背中を、冷水が流れ落ちていった。

459 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/10(土) 21:54:08.27 ID:dX2B/sQX

「……レヴィ」
ロックはレヴィの身体から萎えかかった陰茎を引き抜いた。
「ごめん、やめよう」
身体を離し、つけていた避妊具をはずす。

──同じじゃないか。

今、自分が後ろから力まかせに突いていた、あれはビデオの中で警官がやっていたことと同じだ。
腰を掴まれ、無理矢理陰茎をねじこまれていた少女の姿。
少女の背中は震え、顔は苦痛にゆがんでいた。

──今も?

今も、そうだったのだろうか。
ロックに突かれ、レヴィは一人息を殺して眉をゆがめていたのだろうか。
痛みをこらえ、それでも悲鳴を上げまいと歯を食いしばり。
そう思うと、ぐらりと目の前がゆれた。

「ロック」
そっとため息をついた、その時だった。
「どうしたんだよ」
レヴィがシーツの上で横座りになってロックを見ていた。
「……いや」
ロックはレヴィの視線を避けて首を横に振った。
「やめよう」
短く言うと、レヴィはじっとロックの顔を覗きこんだ。
じわりと首をかしげ、真意を推しはかるような目で見つめてくる。
すべてを映しこむ鏡のような目に耐えきれず、ロックは思わず顔を逸らした。

すると突然、ぐいと強い力に胸を押された。
「──レヴィ!?」
不意打ちで胸を突かれ、ロックはベッドに仰向けに倒れた。
身体を起こそうとすると、ロックの胸に手をあてて上から体重をかけてきたレヴィに阻まれた。
ロックはレヴィの手に押さえつけられ、ベッドに磔にされた。

「萎えたか?」
レヴィはロックを見下ろし、低く尋ねた。
黙っていると、レヴィの手がロックの脚の間に伸びてきた。
中途半端に勃った陰茎がレヴィの掌に包まれる。
レヴィはゆっくりと陰茎に手を這わせてその状態を確かめると、唇のはしで短く笑った。
「しかたねェな」
そしてロックの胸を押さえつけていた手をどかすと、頭をゆっくりと下げていった。
レヴィの頭はロックの腹を通りすぎ、脚のつけ根へと向かう。
「──レヴィ」
ロックが頭を起こしかけた瞬間、陰茎の根本に指がからみつき、温かく湿ったものが先端に触れた。
「──っ」
あっという間に先端は熱い粘膜に包まれた。
わずかに締まった唇と、ひたりと寄せられる舌の感触。
滲み出てきた唾液が先端にまとわりつく。
ずっ、とそのまま根本に向かって唇を送られると、萎えかかっていた陰茎が一気に勢いを取り戻した。
「──レヴィ」
震えそうになる息を抑えてささやくと、レヴィが視線を上げた。
口は陰茎を咥えたまま、目だけをロックに向ける。
暗がりの中で強い目が光る。

おとなしくしてな。

レヴィはそう伝えるように一回まばたきをすると、また目を伏せた。


460 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/10(土) 21:54:36.51 ID:dX2B/sQX

ロックの腹の下で、レヴィの頭が浮いては沈む。
レヴィは陰茎の根本に手を添えながら、頭を上下させた。
舌はうねるようにからみつき、唇はきゅっとすぼまってロックをしごき上げる。
あふれた唾液が唇のすべりをさらになめらかにして、レヴィの濡れた唇に締めつけられるたびに血液が下半身に集中する。
レヴィは激しく頭を上下させていたかと思うと、ふと唇を離して今度は先端を舌先でくすぐった。
根本の手がぐっと下がって先端が大きく剥き出しにされ、そこでちろちろと小さく舌が遊ぶ。
小刻みにゆれていた舌は、やがてゆっくりと輪郭をなぞり出した。
唾液のからんだやわらかい舌が生き物のように這いまわり、レヴィの息が温かく肌をかすめる。
その舌が突然硬く立てられたかと思うと、ぐいと頂点の尿道を探ってきた。
細くなった舌先が亀裂をえぐる。
突きたててくる力は強いのに、それでも舌は熱く濡れてやわらかさを孕み、小さく蠕動している。
根本を握るレヴィの手の中で陰茎が引き攣れるようにこわばったのが、自分でもわかった。
舌先はたっぷりとロックの先端をねぶり、そしてまた、やわらかく熱い唇がすっぽりと包みこんだ。

──くそ。

ロックは快楽に腰をひくつかせながらも、心の中で毒づいた。

──上手い。

レヴィは上手かった。
歯は立てずに口腔の奥を広げて咥えこむ深さも、唇で締めつけながらしごき上げる強さも、
うごめく舌の使い方も、そのすべてが男の快楽のありかを知りつくしているものだった。
ロックはレヴィに口淫を要求することはほとんどなかった。
レヴィが自分から進んでやろうとすることはあまりなく、
彼女にとって気の進まない行為であることは容易に見てとれたし、
ロックの方も無理に強いてまでしてほしいとは思わなかったからだ。
それが、いつ、どこで、こんなに──。

腰が浮き上がるような快楽とは裏腹に、胸の内に澱んだ影がさした。
目の裏に、またビデオテープの少女がちらつき出す。
ゆがんだ顔に、苦しそうなうめき声、途切れる呼吸、喉を突かれる音、唇のはしからあふれた唾液──。
もういい、本当にもうやめよう、そう口に出そうとした時だった。
ロックは息を飲んだ。
深く咥えられた陰茎が、さらにその奥、レヴィの喉にまで送りこまれた。
「──っ」
それまでレヴィの手にこすられていた部分までもが温かい口内に取りこまれ、先端が狭い喉の奥でぐっと圧迫された。
骨の髄から絞り上げられるような快楽が走った。
腰を激しく突き上げてしまいたい衝動が駆けめぐる。

461 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/10(土) 21:55:17.46 ID:dX2B/sQX

だが、その一瞬あと、レヴィの喉が痙攣した。
先端でそれを感じたと同時に、くっ、と短く喉が鳴る。
慌てて目を下に向けると、レヴィの背中が波うち、肩が震えるのが見えた。
──ぇっ、とかすかにえづく音がそれに続く。
ロックの先端に触れる喉は、異物を拒絶するようにきつく閉まった。

「──レヴィ!」
ロックは今度こそ身を起こした。
警官に陰茎を押しこまれて苦痛に顔をゆがませていた少女が、完全に二重写しになった。
喉をふさがれ、必死に嘔吐感をこらえていた、あの少女。

しかし、完全に身体を起こしきる前に、レヴィの目がロックを射た。
前髪の隙間から目を上げて、睨みつけるような強い視線でロックを縫いとめる。

黙ってろ。

レヴィは目だけでそう言って、ロックに見せつけるようにゆっくりとまた頭を上下させはじめた。


レヴィの手は、ぐっとロックの腰骨を押さえつけ、ロックが動けないよう拘束する。
だがそれよりも、レヴィの口が与えてくる快楽がロックを動けなくさせた。
レヴィは唾液でぬるついた陰茎をしっかりと咥え、激しく頭を動かした。
口内のやわらかい粘膜がぴったりと吸いつき、それよりもわずかにざらついた舌が裏筋をこする。
唇はさらにきつく締まって、破裂しそうなほど膨張している陰茎をしごき上げる。
ロックの腰は我慢しきれずに、いつの間にか突き上げられていた。
レヴィはそんなロックの腰のリズムを読み取り、それに合わせて休みなく頭を沈めた。
敏感な先端のくびれを、やわらかく濡れた唇が幾度も通過しては戻ってくる。
もう、昂ぶりを抑えることはできなかった。
ロックはさらなる刺激を求めて、くり返し腰を突き上げていた。
熱い粘膜に締めつけられて快楽が膨張する。
その快楽は、止める間もなく一気にはじけた。

「──っ」
ロックはレヴィの口腔の奥深くで射精していた。
どくん、と脈打ちながら体液があふれ出る。
レヴィはそれを口の奥で静かに受けとめた。
ロックはレヴィの温かな口内に、最後の一滴までを出しきっていた。


462 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/10(土) 21:55:56.50 ID:dX2B/sQX

「──レヴィ」
ロックがティッシュペーパーに手を伸ばそうとすると、それより前にレヴィの喉が上下した。
そして唇が薄く開き、からになった口から、はぁっ、と息がもれた。
濡れた唇がほのかに光る。
「……満足したか?」
レヴィはちらりと視線を上げた。
「…………あ、──あぁ……」
気まずさに、ロックは目を逸らして言葉を濁した。
レヴィはそんなロックを横目で見ると、ベッドの隅で丸まっていた下着を拾い上げ、脚を通した。
「寝ろ」
一言残して、レヴィはするりとベッドを降りた。

「──レヴィ」
ロックはとっさに、背中を向けたレヴィの片腕を取っていた。
「……待てよ」
隣のベッドに入ろうとしていたレヴィは、自分の腕を握るロックの手に目を落とした。
「……んだよ」
「レヴィが……」
ロックはレヴィの腕を取ったまま言い淀んだ。
「……レヴィが、まだ──」

達していない。

それをどう言おうか逡巡した途端、レヴィがくるりと振り向いた。
振り向きざまロックの手を払いのけ、その腕でロックをベッドに沈める。
気づいた時にはもう、ロックは仰向けに倒されていた。
上から、片手でロックを押さえつけるレヴィの影がのしかかった。

「あたしがイったかどうかなんざ、あんたにゃ関係ねェだろ」
ほの白く発光する窓を背にして、レヴィの顔は暗く陰になっていた。
表情は黒く塗りつぶされていて見えない。
垂れ下がった髪の間の暗がりから、低い声だけが降ってきた。
「……レヴィ、そうじゃ──」
ロックは口ごもった。
すると、わずかの間をおいて、それに、と小さくつぶやく声が落ちてきた。
「……イきたくてヤってるわけじゃねえ」
「あ──」
ロックが手を伸ばそうとすると、レヴィは身をひるがえして隣のベッドの中に消えた。

「レヴィ」
ベッドの中でレヴィはロックに背を向け、毛布をしっかり巻きこんだ。
毛布からは後頭部の髪の毛が覗くばかりだ。
「──レヴィ」
もう一度呼びかけると、毛布の中からくぐもった声が返ってきた。
「……眠い」
寝る、と一方的に告げ、レヴィは沈黙した。


463 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/10(土) 21:56:15.51 ID:dX2B/sQX

──ああ。

ロックは頭を抱えたくなった。
こんなはずではなかった。
こんなふうに抱きたいのではなかったのに。
誰にも優しくしてもらえなかった少女の頃を取り戻すように抱きしめて、
もうあんなことを思い出さなくてもいいように、すべてを忘れてしまえるように抱くはずだった。
それが、実際はどうだろう。
今もまだレヴィを苛んでいるニューヨークの記憶を掘り起こすような抱きかたをした。
もっと優しくするはずだった。
こうして一人、背中を向けて寝かせたいわけではなかったのに。

「レヴィ……」

そのあとはどんなに名を呼んでも、返事が返ってくることはなかった。


472 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/14(水) 22:05:09.61 ID:QRXOfodd

 * * *

いつもと違う。
レヴィは暗闇の中で四つん這いになってロックに突かれながら、違和感を拭い去ることができずにいた。
ロックはレヴィの後ろから何度も腰を打ちつける。
両手で掴まれたウエストはがっしりと固定され、
肉を打つ乾いた音に、きしきしとベッドのスプリングのたてる音が重なる。
後ろから激しく突かれると内臓に響く。
いつの間にか息をつめていたことに気づき、レヴィは肺の中にたまった空気をそっと逃がした。

元々あまり気乗りのしなかった身体は、なかなか準備が整わなかった。
その状態で激しく突かれるのは、少し、きつい。
疲れのせいか寒さのせいか、身体はいつまでたっても熱くならなかった。
シーツをぎゅっと握って短く息をつき、そして顔を横に向けてみると、
カーテンをかけ忘れた窓の向こうで雪が激しく降っているのが見えた。
暗い窓の外では、空の底が崩れてしまったように白い粒が降り注ぎ、その向こうで高層ビルのネオンが滲んでいる。

──ニューヨークだ。

容赦なく降り続く雪、夜中でも煌々と光り輝くネオン、のしかかってくるようなビルの大群、
そのどれもが記憶の中と寸分違わぬニューヨークだった。
レヴィは窓の外から視線を引き剥がした。
ロックは依然として腰を掴む手をゆるめず、規則的に突いてくる。

いつもと、違う。
違和感はレヴィの中でむくむくと成長した。
いつもならば、背後から抱く際、ロックの手は腰の裏を撫で、脇腹を通って腹にまわり、
みぞおちをさすり上げて胸にたどりつく。
胸にたどりついた掌はやんわりと乳房を包みこみ、後ろからすくい上げるように身体を引き寄せる。
背中にロックの体温が迫ってくる。
わずかに荒い呼吸が肩胛骨を撫で、レヴィ、と低く名を呼ぶ声が背骨に響く。
身体のなかに深く埋めこまれたまま背中を唇でついばまれると、こらえきれない声が吐息とともに唇からこぼれた。

それが、今日はどうだろう。
ロックはただ無言で後ろから突いてくるばかりで、名前ひとつ呼ばない。
いつもはレヴィがどう感じているのか全部承知しているといったふうに抱くくせに、
今日はレヴィが思わず息をつめても、構わず腰を機械的に動かすばかりだ。
今、後ろから突いている様子もさることながら、先ほど体位を入れ替えた時もおかしかった。
レヴィの顔から視線をはずし、お前の顔など見たくないというように後ろを向かせた。

──いつもと、違う。

ちょっとした違和感は、今や大きくふくらんでいた。
腰はしっかりととらえられ、奥を突く力は強い。
背中を向けているため、ロックの表情は見えない。
顔が見えないと、ひどく不安になった。
ロックは今どんな表情で自分を見下ろしているのだろう。
想像しようとしても、その顔は深い闇に塗りつぶされて、まったく窺い知れなかった。
わからない。
今ロックがなにを考えているのか、わからない。
そして、その次にふと浮かび上がった考えに、レヴィは慄いた。

──本当に、これはロックか?

473 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/14(水) 22:05:42.48 ID:QRXOfodd

急に、剥き出しの背中がぞくりと冷たくなった。
そんなはずはない、ロック以外の男であるはずがない、ここは今のニューヨークで、昔のニューヨークではない。
ここにはロックと一緒に来たはずだ。
毎晩のように犯されていたのはもう遠い過去のこと、とうにすぎ去った昔のことだ。

頭ではわかっていても、急速にふくれ上がった不安は抑えようがなかった。
後ろを振り返って、そこにある顔がロックではなかったらどうしよう。
家畜を見るような、汚物を見るような目がそこにあったらどうしよう。
そんなはずはない、そんなはずはないと思いながらも、レヴィは後ろを振り向くことができなかった。

奥を突く力はますます強い。
「──ぁ、…………い……っ」
レヴィはたまらず、頭を落とした。
腹の底が鈍く痛んで、こらえることができなかった。

声を上げた瞬間、後ろから突く動きがぴたりと止まった。
そして、ロックの戸惑ったような声が降ってくる。
「レヴィ……」
レヴィは強く目をつぶった。
そうだ、そんなはずはない。これはロックだ。
ロックではないかもしれないなんて、そんなことあるわけがない。
下らないことを考える必要はどこにもない。
レヴィは目の前の枕に額を押しつけ、馬鹿げた妄想を追いやった。

──いつもと違うのは、あたしか。

レヴィは呼吸を整えながら苦く思った。
いつの間にかニューヨークにいた頃の面白くもない記憶をよみがえらせていたことに気づき、
レヴィは心の中で舌打ちした。
おかしいのはロックではなく、自分の方か。

474 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/14(水) 22:06:27.98 ID:QRXOfodd

そう考えた時、ふいに身体のなかに入っていたものが抜かれた。
「ごめん、やめよう」
ロックの冷めた声が聞こえ、すっと気配が離れていく。
レヴィはベッドの上に腰を落とし、肩越しに振り返った。
ロックはベッドの足元の方で、さっさと避妊具をはずしていた。
「ロック、どうしたんだよ」
なぜ、こんな中途半端なところでやめてしまうのか。
レヴィが尋ねると、ロックは目を逸らして首を横に振った。
「……いや、やめよう」
レヴィの視線から逃れ、ロックは答えになっていない答えをくり返す。

レヴィは今さらながら、これまでの自分の態度を顧みた。
この街に来てからずっと陰にこもっていて、ロックの相手もろくにしていなかった。
ベッドの上でも心ここにあらずでただ身体を差し出すだけ、そんな女を抱いてどこが楽しいだろう。

レヴィはロックの胸を突き押した。
「──レヴィ!?」
ロックを仰向けに押し倒して、上から見下ろす。
「萎えたか?」
答えは返ってこなかったが、手で探った感触でロックの状態はわかった。
「しかたねェな」

──今度はちゃんと、楽しませてやるよ。

レヴィはロックの股間に、頭を沈めた。


475 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/14(水) 22:07:10.53 ID:QRXOfodd

勢いを取り戻した陰茎を咥えこみ、頭を上下させ、唇でしごく。
唾液をからめ、舌を這わせ、吸い上げる。
レヴィはベッドに寝転がったロックの脚の間に座りこんで、頭を動かした。
ロックが当惑したような声で何度かレヴィの名を呼んできたが、
口の中で張りつめていく陰茎がもっとも率直にロックの本心を表していた。
唇をすぼめて往復させた後、唾液で濡れた表面を舌先でなぞる。
肥大化した亀頭の裏側、くびれ、そして頂点。
その頂点に刻まれた小さな穴に舌先をねじこむようにしてえぐると、ロックの腰がひくりと動いた。

ブロウジョブはあまり楽しいものではないが、男はみんなこいつが好きだ。
ロックが強要しないのをいいことに、最近はすっかり遠ざかっていたが、
毎日のように実の父親に咥えさせられていたのだから、これくらいお手の物だ。
父親だけではない。
警棒をちらつかせた警官も、力にものをいわせた男たちも、みな一様にこの行為を強いた。
喉の奥にまで突っこまれるのは苦しくてたまらないが、膣内で射精されるよりはずっとましだ。
孕んだらどうしようと恐怖に押しつぶされそうになることを思えば、
口で済ませてくれるのはむしろ歓迎したいほどだった。

レヴィは唾液をからませながらロックの陰茎をしごき上げた。
口の中のものは硬く上を向いて、筋ばっている。

──ロックにだったら、別にいい。

この行為は好きではないが、ロックにしてやるのだったら構わない。
レヴィが先端をさらに喉の奥へ押しこもうとした時だった。
「──ぅ」
突然、喉がつまって息が止まった。
胸の奥から吐き気が押し寄せる。
レヴィの意思に逆らって喉が拒み、食道が胃袋の方まで痙攣した。

──くそ。

レヴィは喉の奥から先端を引き抜いた。
こみ上げる嘔吐感で、反射的に目がうるむ。

──できない。

レヴィは勝手に滲んできた涙をまばたきで乾かしながら荒く息をついた。
昔あれだけ無理矢理突っこまれていたというのに、
今となってはもう、一瞬たりとも喉の奥に送りこむことはできなくなっていた。
こんなことはお手の物だと思っていたのに。
ロックとの会話も、セックスも、ブロウジョブも、すべてがうまくいかない。

476 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/14(水) 22:07:47.48 ID:QRXOfodd

「──レヴィ!」
ロックが慌てて身を起こそうとしたが、レヴィはそれを目で制した。
あたしはなんだってできる。
なんだって一人で乗り越えてきたし、なにをしても、なにをされても平気だ。
あんたに心配されることなんか、なにもない。
だから、黙れ。

レヴィは半ば意地になって頭を上下させた。
口全体で吸い上げながら激しく往復させる。
唾液を潤滑液にして唇でしごく。
唇を押し返してくるように張りつめる陰茎を、しっかり咥えこんで責めたてる。

ロックが達したのは、間もなくのことだった。
口の中でびくんと大きく跳ねたかと思うと、先端から生温かい体液がほとばしる。
脈動しながらあふれ出る体液を、レヴィは喉の奥で受けとめた。
すべて出しきった頃合いを見計らって、唇で拭い取るようにすべらせて引き抜き、口の中に残った液体を飲み下す。
「……満足したか?」
「…………あ、──あぁ……」
ロックがティッシュペーパーを差し出すのが目のはしに映ったが、
レヴィはそれを無視してシーツの海の中から下着を拾い上げ、脚を突っこんだ。
「寝ろ」
なにをしても噛み合わず、なにをしてもからまわる。
ひどく虚しい気分だった。

早いところ寝てしまおう、そう思って自分のベッドに移ろうとした時だった。
「──レヴィ、……待てよ」
後ろからロックに腕を取られた。
「……んだよ」
問い返してもロックは、レヴィが……、と言い淀むばかりだ。
なんなのだ、この男は。ぎこちない空気をこれ以上引き延ばしてどうしようというのか。
レヴィがうんざりしかけた時、ロックが言葉を継いだ。
「……レヴィが、まだ──」

まだ──?

477 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/14(水) 22:08:56.76 ID:QRXOfodd

疑問符が浮かんだのは一瞬だった。
まだイってない、ロックはそう言いたいのだと気づいた瞬間、身体がかっと熱くなった。
レヴィは勢いよく振り返り、その勢いのままロックをベッドに突き倒した。
片腕にぐっと体重をかけて上からロックを押さえつける。
「あたしがイったかどうかなんざ、あんたにゃ関係ねェだろ」

自分はそんなに物欲しげな女に見えただろうか。
耳のはしまでもが熱くなり、血の上った頭がどくどくと脈打った。
挿れてほしくてしゃぶったわけではない。
見返りがほしくてイかせたのではない。
それに──、

「……イきたくてヤってるわけじゃねえ」

ただ快楽ほしさに寝ているわけではない。
絶頂を味わいたいがために股を開いているわけではない。
自分はそんな女では──、
そう思いかけた時、イきたくてヤってるわけではないのなら、ではなんなのだという壁にぶつかって、
レヴィは凍りついた。

まるで、ロックと肌を合わせることが大事なのだと告白しているも同然──。
それに気づき、レヴィは慌ててロックに背中を向けた。
急いで自分のベッドに飛びこみ、毛布をかぶる。

「レヴィ」
背後からロックの声が聞こえたが、レヴィはきつく毛布を引き寄せた。
すべてはこのニューヨークがいけないのだ。
この寒さと雪、まばゆいネオンと巨大なビル影が、自分をおかしくさせる。
とうに捨て去ってきたはずのものが、知らず知らずのうちに重たくまとわりついている。

レヴィ、と呼ぶ声に、寝る、と宣言して毛布の奥で目をつぶった。
ぎゅっと目を閉じ、早く眠ってしまおうと試みる。
だが、眠りはなかなか訪れなかった。
目の裏ではいつまでも、雪に滲むネオンの残像が光っていた。


478 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/14(水) 22:09:43.94 ID:QRXOfodd

 * * *

その次の朝も、雪は相変わらず強く降り続いていた。
J.F.ケネディ空港は雪で閉鎖され、レヴィはまたしてもロックとともにニューヨークに足止めされることとなった。
隣で起き出す気配に目覚めてみると、ロックはなにやら慌ただしく準備を整えていた。
こんな朝っぱらからいったいなにを急いでいるのだ。
そう思いながらベッドの中でぼんやりと眠りの余韻を味わっていると、
ロックは、ちょっと出かけてくるよ、と言い残して足早に部屋を出ていった。
レヴィはぬくぬくと温かいベッドの中で寝返りをうち、首元まで毛布を巻きつけた。
眠い目で窓の外を見やると、ざんざんと大粒の雪が落ちてきているのが目に入った。
こんな雪の中、ご苦労なことだ。
レヴィは毛布の中にもぐりこみ、身体に満ちる眠気に身をまかせた。


出かけるつもりはなかった。
しかし、レヴィはその三時間後、背中を丸めて雪の降りしきる街を一人歩いていた。
たっぷり二度寝をして起きてみても、時間はあり余っている。
ロックはいないし、テレビをつけても下らない番組しかやっておらず、
ニュースキャスターの磨きたてられた便器のような白い歯を見せられるのにも、もう飽きた。
連泊を重ねてそろそろ部屋の掃除を頼みたいところでもあったし、なにより腹が空いた。
レヴィは激しい雪に降られながら、ざくざくとブーツの底で雪を踏みしめた。

クリスマスを控えた街は、どこに目をやっても浮かれたデコレーションで満ちあふれていた。
街角にはクリスマスツリーが立ち並び、まだ昼間だというのに雪の中でライトを点滅させている。
巨大なリース、金ぴかのモール、脳天気な笑顔を浮かべるスノーマン、
この日を待ち受けていない者は誰もいないとばかりに街を明るく飾りたてる。

そういえば、今日はイヴだ。
レヴィはふとそれに思い当たって、足を止めた。
道理で街が浮かれているわけだ。
立ち止まったレヴィのその横を、小さな子供とその父親らしき親子連れが追い抜いていった。
ねえ、プレゼントは明日? そうだ、朝になったら開けていいぞ。
笑いを滲ませた会話が耳に入ってくる。
レヴィは立ち止まったままその親子連れの後ろ姿を見送り、
そして、かたわらのコーヒーショップに目を向けた。
通りに面したコーヒーショップは大きなガラス張りになっていて、
ずらりと並んだスツールではカップルが肩を寄せて笑い合い、奥まったソファーでは仲の良さそうな親子連れが談笑している。
看板娘の緑色の人魚も、今日はクリスマス仕様にめかしこんでいる。
レヴィは雪の降りつもる歩道からしばらく中の様子を眺め、そしてそのコーヒーショップを後にした。
腹が減っていたが、その店の中に入る気はしなかった。

──出てくるんじゃなかった。

レヴィは後悔した。
よりによってクリスマスイヴ。
他人の幸せを見せつけられるのはまっぴらだ。
レヴィは人通りの多い道を避け、静かな方へ、静かな方へと足を進めた。
どこまでも明るいクリスマスソングも、笑いさんざめく人々の声も、すべてが無性に気に障る。
だが、どこもかしこも街はクリスマスの色であふれ、レヴィの入りこめる隙間はどこにもなかった。

479 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/14(水) 22:10:47.29 ID:QRXOfodd

レヴィは歩道の片隅で立ち止まり、コートのポケットから煙草を取り出した。
一本引き抜いて咥え、ライターをともして火をつける。
路肩の壁に寄りかかって煙を上に吐き出すと、空から降り注ぐ雪が頬に当たってじんわりと溶けた。
レヴィはぶるりと頭を振るって髪にからんだ雪を払い落とし、もう一度深く煙草を吸いこんだ。
突き刺すような雪風に、剥き出しの手が冷たい。
レヴィは凍える指で煙草を挟み取った。
横断歩道の向こう側では、小さな店が雪にかすんでいた。
時折人が入ってはカップを手にして出てくるあの店は、スープスタンドか。

あの頃も、凍えていた。
レヴィはもう何年も昔、ニューヨークに住んでいた頃のクリスマスのことを思い出していた。
あの頃もどこにも居場所がなくて、雪の降りしきる冷たい街を一人さまよっていた。
着飾って出かける親子連れ、プレゼントらしき包みを持って店から出てくる人の群れ、
光り輝くイルミネーションを見て歓声を上げる人々を横目に、暗がりで息をひそめる。
温かい飲み物ひとつ買えず、身体は凍りつくように冷たかった。
そんな街角で目にしたスープスタンドのスープは、ひどく温かそうに見えた。
街ゆく人が小さな店に吸いこまれていき、出てきた時にはその手に湯気の立つカップを持っている。
カップの中からは、ほわほわと白い湯気が立ちのぼっていた。
いいな、と思った。
あれだったら、もう少し金があったら手に入るかも。
あれだったら、いつかあたしも飲めるかも。
小さなカップに入ったスープだけが、唯一レヴィの手に届きそうなものだった。
レヴィはクリスマスプレゼントなどもらったことはなく、あれは別世界での出来事なのだと、早くから割りきっていた。
けれど、やわらかい光のあふれる家の中を見ると、胸の中がどうしようもなくささくれ立った。
羨ましくなんかない、あんなもの下らない、イエス・キリストなんかクソ食らえ、
そう思っているはずが、いつの間にか明るい窓に目を引き寄せられている。
テーブルの上には湯気のたつ七面鳥がのっていて、優しいママがケーキでも作ってくれているのだろうか。
知らず、見たこともない光景を想像しているのに気づき、慌ててそれを振り払う。
あたしはこれがあれば充分だ。
腰に手を伸ばし、冷たい銃を握り締める。
誰にでも分け隔てなく光を振りまく街角のツリーを遠くに見ながら、暗がりでずしりと重たい銃を胸に抱く。
これがあれば、あとはなにもいらない。
ニューヨークのクリスマスはいつも、骨に染みるほど寒かった。


レヴィは短く笑って、また煙草を口に運んだ。

──下らねぇ。

今さら思い出してどうするというのだ。
レヴィはフィルターの近くまで煙草を吸いきって足元に落とし、ブーツの先でにじり消した。
道の向こう側のスープスタンドに立ち寄る気にはならなかった。


480 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/14(水) 22:11:35.00 ID:QRXOfodd

店に入りそびれ、さてどうしようと足の向くままぶらぶらと歩いていた時だった。
降り続く雪の向こうに見覚えのある姿を見つけ、レヴィは足を止めた。

──あれは……。

数十メートル先に、スーツの上にコートを羽織った人影があった。
片手には小振りのボストンバッグを提げている。
雪と距離のせいではっきりとは見えないが、髪や肌の色からすると東洋人だ。

──ロック……?

店から出てきたばかりらしいその男はすぐに傘をさしてしまったが、背格好や歩きかたがロックに酷似していた。
シアーズのカタログに載っていそうなスーツにもコートにも、確かに見覚えがあった。
これだけ長く一緒にいるのだから見間違えるはずがない。
あれは確かにロックだ。
だが、こんなところでなにを……?
不思議に思ったところで、レヴィはようやく周囲の様子を把握した。

──ああ。

通りをぐるりと見まわし、並んでいる店に目をやって、すぐに納得する。

──なるほどね。

通りには、ポルノショップやストリップ劇場、娼館が軒を連ねていた。
視界を遮る雪のせいと、足元ばかり見て歩いていたせいとでよくわからなかったが、
レヴィが立っているのはポルノ街だった。
昼間から文字を光らせたネオン、安っぽい看板、ボンデージの衣装に身を包んだ女のポスターの数々が、
雪の向こうにひしめき合っていた。
ロックは通りに立つレヴィには気づかずに角を曲がっていった。
レヴィはそれを、ぼんやりと見つめていた。

──そういう、ことか。

朝から慌ただしく支度をして、いったいどこへ行くのだろうと思っていたが、そういうことか。
レヴィは唇のはしで小さく笑った。
せっかく大都会へ出てきたのだ。ここで満喫しない手はない。
ロアナプラでもこの手の店にはこと欠かないが、壁に耳あり障子に目あり、だ。
ロックは他人の目を気にしてか、そのたぐいの店を利用することはないようだった。
しかし、ここニューヨークならば人の噂を気にする必要もない。

なぜ、今までその考えが抜け落ちていたのだろう。
レヴィは自分のおめでたい頭に呆れはてた。
昨日だって、きっとここへ来ていたに違いない。
ロアナプラではいつも我慢していたところに、やっとまともな女を抱けたのだ。
そう考えれば、昨夜の違和感にも納得がいく。
ちゃんとした女を抱いたあとでは、レヴィとの情事はさぞかしげんなりするものだっただろう。
中折れも当然だ。
レヴィは昨夜の自分の醜態を思い出し、顔をしかめた。
大方、今も昨夜の口直しでもしていたのだろう。

──帰ろう。

481 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/14(水) 22:12:23.75 ID:QRXOfodd

胸が苦しくなってきて、レヴィは踵を返した。
ロックがどの店を利用したかなど、確かめる気すら湧いてこなかった。
とにかくこの場から早く離れたかった。
これ以上ここにいると、想像したくもないことを想像してしまいそうだった。
ロックが、他の女を抱いている様。
その光景がもやもやと頭の中に浮かび上がってきて、レヴィは何度もそれを振り払った。

どうしてこうなってしまうのだろう。
レヴィは雪を踏みしめながら思った。
ロックが楽しんだなら、それはそれでいい。
レヴィがそれに口を出す筋合いはない。
プライベートな時間になにをしていようと知ったことではないし、相棒がハッピーな気分なら仕事もはかどる。
それはレヴィにとっても好都合なはずだ。
しみったれた顔を見せられるよりもずっといい。
結構なことだ。
けれど、とレヴィは思う。

知りたくなかった。

びゅう、と風がうなって、レヴィの頬を雪が冷たく叩いた。
レヴィはショートコートのポケットに手を突っこんで背中を丸めた。
ブーツが雪にうもれるのを見ながら足を進める。
雪の道を、レヴィはただ歩いた。
早くこの場から遠ざかってしまいたかった。
ロックに関するあれこれを考えなくていいくらい遠くに。
降りつもった雪に足をとられそうになりながら、レヴィは歩いた。
吹きつける雪はさらに強く、やむ気配はまったくなかった。


494 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:07:02.34 ID:tZIUQqpp

 * * *

ロックは雪の中を足早に歩いていた。
片手には傘を、もう片方の手にはボストンバッグを持って、雪の降り続く街並みを脇目もふらずに歩いていた。
先ほどの興奮と緊張の入り混じった高揚感はまだ身体のそこかしこに残っており、今もロックの頬を熱くほてらせていた。
冷たい雪が吹きつけてくる中でも、寒さはまったく感じなかった。
ロックは慣れない街並みを歩きながら注意深く標識に目を走らせ、角を折れ、また歩き進めた。
はやる心に、自然、足取りは速くなる。
ロックは雪道でつんのめりそうになりながら、ほとんど走るような速さでうらぶれた通りを突き進んだ。
今しがたスーツの内ポケットに入れた小さなメモが、胸の上で熱くなっているような気がした。

内ポケットの小さなメモ、それは昨日のビデオショップを再度訪ねて手に入れたものだった。
まさか本当に手に入るとは思わなかった。
運がいいといってよいのか悪いのか。
それはこの先の自分次第だ。
ロックは胃が熱く締めつけられるのを感じながら、先を急いだ。


先刻、ロックは前の日に訪れたビデオショップを再訪した。
入り口のガラス戸を押し開けて中に入ると、カウンターには昨日の若い男ではなく店主らしき初老の男が座っていた。
広げた新聞の向こうに、つるりと禿げた頭頂部が覗いている。
ロックはまっすぐ男の座っているカウンターに足を進めた。
「あのう……」
新聞を目の前で大きく広げている男に声をかけると、禿頭が上を向いた。
耳のまわりに白髪を残すのみで、あとは見事に禿げ上がった頭がてらりと光り、
鼻先に引っかけた老眼鏡の上から灰色の目がロックに向けられた。
「昨日、この店で買い物をした者ですが」
ロックは手に持ったボストンバッグの中から前日買ったビデオテープをパッケージごと取り出した。
男はロックの手の中のものを認めると、途端に顔を曇らせた。
「だめだめお客さん、うちは返品は扱ってないよ」
「いいえ、違います、返品じゃありませんよ」
ロックは目の前で手を振った。
「そうではないんです。実は、昨日ここで買わせてもらったこのビデオ、大変気に入りましてね」
続けてそう言うと、男は表情をゆるめた。
「そうかい」
広げていた新聞をカウンターに置き、パッケージを見てなるほどという顔で頷く。
「こういうビデオはなかなか手に入らない。……そうでしょう?」
ロックが顔を覗きこむと、男は意味ありげな笑いを浮かべた。
「まあ、こういったもんはなかなか店頭に出なくなったからな。お客さん、運がいいよ」
「本当にそう思いますよ」
ロックはにっこりと微笑んだ。

495 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:07:41.45 ID:tZIUQqpp

その時、店の奥から声が上がった。
「あれ、昨日の兄さんじゃねえか」
見ると、ロックがビデオテープを買った時に店番をしていた男が奥からのっそりとやってきた。
筋肉隆々の腕いっぱいに刺青を入れた、若い男だ。
「ああ、昨日はどうも」
ロックが軽く頭を下げると、カウンターに座った初老の男は半身になって二人を見比べた。
「顔見知りかい?」
「ええ、昨日──」
「俺が店番してる時に、この兄さんがお買い上げ下すったんだよ」
ロックの言葉を引き取って、刺青の男はカウンターから身を乗り出した。
「どうだい、よかっただろ?」
「──ええ、……そうですね」
顔を覗きこまれ、ロックはゆっくりと頷いた。
「今日はどうしたんだよ。また買いにきてくれたのか?」
「ええ……、まあ、そんなところです」
その時、カウンターに割りこまれた初老の男が刺青の男をうるさそうに押しのけた。
「おい、どけ」
「──んだよ」
「邪魔だ」
じろりと睨む初老の男に、刺青の男は肩をすくめて「やれやれ」といったようにロックに向かって眉をひょいと上げてみせた。

ロックは初老の男に向き直った。
「ところで、少々お尋ねしたいことがあるのですが」
「……なんだい」
また警戒するような目つきに変わった男に、ロックは穏やかな笑みを浮かべてパッケージを差し出した。
「このビデオテープなんですけど、これ、制作会社が書いてありませんね」
男は鼻先に乗っかった老眼鏡の位置を直し、顎を引いてパッケージを眺めた。
「……そうだな」
「それはどうしてですか? こういったものに制作会社名は載せないんですか? 
それともこれは、個人が作成したものなんですか? だとするといったい──」
「お客さん」
男は老眼鏡の上からロックを見た。
「それ、お客さんにどんな関係があるんだい?」
「いえ、特に深い意味はありませんが、少々気になって──」
「いいかい」
ロックの言葉を遮って、男は言った。
「こういうもんの流出ルートはゴマンとあるんだ。
どこぞの会社が作ってるもんもあれば、そうじゃないもんもある。
どっから流れてこようが、お客さんはそれを買って満足。それでおしまい。──そうじゃないのかい?」
「……そうですね」
下から顔色を窺ってくる男に、ロックは軽く息をついた。
「ごもっともです」
一旦言葉を区切ったあと、ロックはわずかに身を乗り出して声をひそめた。
「……では正直に言いますが、私はこういったビデオテープの買い取りを行っている者でして」
言いながらふところを探り、名刺入れを取り出す。
そして名刺を一枚抜き取り、どうぞ、と男に手渡した。
このビデオショップを訪れる前、手近なフェデックスに飛びこみ、
そこで貸し出しているパソコンと印刷機を使って急遽作ったばかりの名刺だった。

496 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:08:22.28 ID:tZIUQqpp

男はその名刺を胡散臭そうに眺めまわしてから、ちろりとロックを見上げた。
「……業者さんかい」
「ええ。日本ではなかなかこういう“本物”の映像は手に入らないんですよ。やはりアメリカは違う」
ロックは口元に笑いを浮かべたが、男は疑わしげな表情を崩さなかった。
「だったら、俺なんかよりもよっぽどそっちの業界のことには詳しいんじゃないのかい」
「いいえ、そうでもないんです。うちは弱小企業ですからね。
オフィスで座ってるだけで版権が転がりこんでくるようだったら、わざわざここまで出ばってきたりはしませんよ。
やはり実際に足で探してみないと、いい映像には出会えない。
そして、いい映像は往々にして制作者とコンタクトを取るのが難しい」
ロックはさらに声を落として続けた。
「お願いします、このテープの制作者について、なにか知っていることがあったら教えてほしいんです」

男はカウンターに片腕をつき、渋い顔でロックを見上げていた。
「……わからねえな。映像がほしいんだったら、そのテープだけでいいじゃねぇか」
ロックは首を左右に振った。
「とんでもない。制作者に無断で複製して売ることなど、できませんよ。
誰が権利者かもわからないものに迂闊に手を出して、あとから著作権侵害だのなんだのと訴えられるのは御免ですからね。
それに、ダビングをくり返すと画質が荒くなる。このテープだって、すでにダビングされたものでしょう?」
「……出まわってるのは全部、ダビングされたもんだぜ」
「ええ、そうでしょう。それはわかっています。制作会社がわかる場合は問題ないんです。
あとはその会社と交渉して、日本で販売する権利を買い取ればいいだけのことですからね。
そうすれば、一本のテープから孫テープを複製するなんてことはせずに済みます。
しかし、このビデオテープは違う。
私一人が楽しむのだったらこれ一本で充分でしょう。でも、商売ではそうはいきません。
──お願いしますよ」
目の前の男は、難しい顔で黙りこむばかりだ。

──これは、なにか知っているのか。

ロックは注意深く男の表情を観察した。
なにも知らないであれば、ロックの真意など問い返さずにさっさと知らないと突き放してしまえばいい。
それとなくこちらの腹を探ってくるのは、なにかがあるに違いない。

497 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:08:55.11 ID:tZIUQqpp

ロックはボストンバッグを開けて封筒を取り出し、カウンターの上に置いた。
「もちろん、ただでとは言いません」
そして、置いた封筒を初老の男に向かってすべらせる。
男は一瞬虚を突かれたような表情を浮かべて目を落とし、それから胡散臭そうに封筒を取り上げた。
どうぞ、と目で促すと、男はロックの様子を窺いつつ、おそるおそるといった体で中を覗きこんだ。
封筒の中には、決して少なくない額の紙幣が入っているはずだった。
初老の男の背後から刺青の男が覗きこんで目をみはり、二人は顔を見合わせた。
そして、ぼそぼそとロックの耳には届かない声のトーンでささやき合った。

「お客さん、顔に似合わず結構したたかだね」
やっとロックの方に顔を戻した初老の男が、渋い顔で見上げた。
「だが、これはちょいと強引にすぎるってもんだ。
……面倒事は困るんだよ、お客さん。こんなのは御法度だ。
この店は俺たちだけで商売してるわけじゃねえ。ルールってもんがあるんだ。
話通すってんなら、俺たちじゃなくてもっと別の──」
「別の、どこです?」
ロックは男の言葉に割りこんだ。
「別のというのは、そうですね、たとえばジェノヴェーゼ? それとも、ガンビーノ? 
──よして下さい。なぜ彼らにご足労いただく必要があるんです?
私はあなたに斡旋の申込をし、あなたが承諾すれば正当な対価が支払われる。これは商談ですよ。
もちろん紹介いただいた暁には、その制作者のかたにもきっとご満足いただける対価を支払う準備はあります」

カウンターを挟んでロックと向かい合う初老の男に、刺青の男がなにやら耳打ちをした。
「……黙ってろ」
初老の男はそれをうるさそうに振り払うと、ロックを見上げてため息をついた。
「……困るんだよ、お客さん。あんたの要求はわかった。
けど、あんたの言ってることが本当だって保障はどこにもねえ。
最近はこのへんも取り締まりが厳しくってね。
金につられてほいほい乗っかってみたら、いつの間にか警棒持ったおまわりに囲まれてて、
んで、もれた情報から芋づる式にみんな仲よく釣り上げられる、そんなのは勘弁してほしいんだよ。
娑婆よりも鉄格子の中の方が安心、そんな老後は送りたくねえ。──な、わかるだろ?」
段々と嘆願するような口ぶりになってきた男を、ロックは正面から見つめた。
「ええ、それはもちろんわかります。けれど、虎の穴に入っているのは私も同じなんですよ。
……この少女──、」
ロックは言葉を切って、パッケージの表面をそっと撫でた。
「どう見ても十代半ば、ですね?」
答えはなかったが、ロックは構わず続けた。
「ここでは、こういった児童ポルノをただ所持しているだけで違法。──違いましたか?
日本でだって、頒布目的で所持しているのが見つかればすぐにお縄です。
あなたは私が気に食わないとあれば、このあとこっそり警察へ密告することもできる」
男は眉根に皺を寄せてロックを見ていた。

498 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:09:31.12 ID:tZIUQqpp

「もし私が警察に捕まったとして──」
ロックは男の顔をじっと見つめ返した。
「そうしたら警察は、このビデオテープの中身をもちろん確認するでしょうね」
なにも言葉を返してこない男に、ロックは続けた。
「このビデオテープの中身、あなたはご覧になりましたか?
さすが“本物”だけあって、すばらしいリアリティでしたよ。
──そう、警官の制服や警棒、鉄格子に至るまで、ね。
これは値段がつくわけだ。これはまったくのレア物、そうでしょう?
この映像を撮った人物も、よほど危ない橋を渡ったのでしょうね。スキャンダル覚悟だ。
──これがもし警察に渡ったら、撮影した人物はさぞかし困ったことになるでしょうね」
ロックは目をすがめて男を見た。

初老の男は深く息をついて視線を落とし、片手で禿頭を撫でまわした。
「……勘弁してくれ」
その後ろでは、刺青の男が戸惑ったように様子を窺っていた。
ロックとカウンターに肘をついて頭を落とす男とを、おろおろと見比べる。
カウンターに沈んだ禿頭がなかなか上がらないのを見ると、刺青の男は腰をかがめて初老の男の耳元でささやいた。
「……あのおっさん、金に困って──」
全部は聞き取れなかったが、言葉の一部がロックの耳にも届いた。

ちらちらとこちらに目線を飛ばしながら低い声でささやき合う二人を前に、ロックはふっと表情をゆるめた。
「……すみません」
声をやわらげて、ロックは微笑んだ。
「無理なお願いでした。……そうですよね、無理ですよね。困らせてすみません」
頭を下げ、カウンターの上に置いてあった封筒を取り上げる。
「お騒がせしてすみませんでした。無駄なお時間をとらせてしまって……」
本当に申し訳ない、ロックは何度も腰を折りつつ、封筒をふところにしまった。
「よくわかりました、この話はなかったということで──」
「ちょっ──!」
ビデオテープをボストンバッグにしまい、踵を返そうとしたその時、カウンターに座っていた男が立ち上がった。
「……なにか?」
「ちょっと待ってくれ、お客さん!」

そのあとは、ロックの思い通りにことが運んだ。
ビデオショップの主人は、ロックの買ったビデオテープが個人作成のものであること、
それが店に直接持ちこまれたものであること、制作者とは連絡がつくことなどをしぶしぶ吐いた。
どうやらこのビデオテープを持ちこんだ者は金に困っているらしい。
相手が話に乗ってくるかどうか、訊いてやるのはそれだけだと言って男は電話を取った。
映像の権利を買い取りたいという男が来ている、
それを聞いたビデオテープの制作者はロックと会うことを承諾したようだった。
ロックはその制作者の名前と、彼と落ち合う場所が書かれたメモを受け取って、店をあとにした。


499 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:10:54.51 ID:tZIUQqpp

 * * *

こんなにうまくいくとは思わなかった。
パッケージに制作会社が書かれていなかったことから、もしかしたらこのテープは個人作成のものではないか、
だとすれば、どうにかしてこのテープを撮った者にたどりつけはしないか、
望みは薄いがビデオショップの店員がなにか知ってはいないか、
そんな一縷の望みを託した試みだった。
このビデオテープの関係者を見つけ出せる可能性は限りなく低い。きっと無駄足に終わるだろう。
そう覚悟していただけに、ロックは気分が高揚していくのを抑えることができなかった。
ロックは雪の降り続く街を歩き続けた。
速まる足につられて手が大きく振れ、その手に持った傘ががさりと街路樹の枝にこすれた。
途端、上からどさりと雪のかたまりが落ちてくる。
ロックはそのかたまりを傘から振り落とし、片手に提げたボストンバッグを持ち直して先を急いだ。

先ほどビデオ屋に払った金、そしてこれから会う男に払うはずの金は、
ニューヨークまで送り届けた依頼人の女から受け取ったものだった。
その金に手をつけるということは、ラグーン商会の金を横領するということになる。
それは理解していたが、ロアナプラに帰ればこれを補填できる程度の現金は用意できる。
どうしても、今すぐにまとまった金が手元に必要だった。

ロックが手に入れたいのは、マスターテープだった。
あの映像が今も残っていて複製され、変態どもに供されている、それがロックにはどうしても我慢ならなかった。
本当はレヴィの映ったビデオを一本残らずかき集めて、すべて焼き払ってしまいたい。
けれど、すでに複製されてばらまかれてしまった分を追うことは、どう頑張っても不可能だ。
ならば、せめてマスターテープだけでも──。
長い月日を経てもなお流通しているビデオテープは、悪夢のようだった。
金でなんとかなるのだったら、いくら払っても安いものだ。
絶対に、このままにはしておかない。
ロックはスラックスが濡れるのも構わず、歩道に降りつもった雪を踏み抜いて歩き進めた。
メモに書かれた住所は、もうすぐそこだった。

雪に吹きつけられて白く凍りかけている標識の前で、ロックは立ち止まった。
標識を見上げたまま傘を首の横に挟み、ふところのメモを取り出す。
そして折りたたんであったメモを開き、そこに書きつけられているボールペンの文字を目で追った。
乱暴に走り書きされた文字は、確かに標識と同じ番地を綴っていた。
標識とメモとを何度も照らし合わせたあと、ロックは傘をたたんで目の前の建物の中に入った。

足を踏み入れた建物は、暗くじめついた集合住宅だった。
エントランスのガラス戸は埃っぽく曇り、天井の電球は切れている。
どこからともなく腐った生ゴミのにおいが漂ってきて、そのにおいは建物全体を墨色に覆っているようだった。
ロックは自然、息をひそめていた。
建物内に人影はない。
ロックは薄暗い階段をのぼり、冷えた廊下を進んだ。
いったい誰が住んでいるのか、生気というものがまるで感じられず、建物はひっそりと静まりかえっていた。

メモに示された部屋番号の前でロックは足を止めた。
このドアの向こうにはどんな人間がいるのだろう。
開けた途端、銃をつきつけられて身ぐるみ剥がれるということだって大いにありうる。
それを考えると緊張が高まったが、ここまできてビデオショップの店主を疑ってみてもはじまらない。
ロックはドアの横についたブザーを押した。

500 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:11:33.96 ID:tZIUQqpp

ブザーが鳴って、しばらくして返ってきたのは男のしわがれた声だった。
「……誰だい?」
「先ほどビデオショップのご主人から電話でご紹介に与った者です」
答えると、少しの間のあと、ドアが細く開いた。
ギイ、と蝶番をきしませて開いたドアの隙間からは、まばらに伸びた無精ひげをたくわえた男が見下ろしていた。
「……どうも、はじめまして」
ロックは精一杯、害意はありませんという表情を作って微笑んだ。
男はドアの隙間からロックを舐めるように観察していたが、
上から下まで眺めまわして問題ないと判断したのか、おもむろにドアを開いた。

ドアの向こうの男はロックよりも頭ひとつ分背が高く、若い時分はずいぶんと体格がよかったのだろうと思われたが、
今では伸び放題の無精ひげとひどい猫背、皺だらけのネルシャツのせいで、みすぼらしさしか感じられなかった。
「……ちょいと荷物、下に置いてくんねえか」
「──え?」
唐突に言われて聞き返すと、
男はそれを無視してロックの手にあったボストンバッグと傘をひったくり、大きな両手を伸ばしてきた。
「なにを──」
慌てて身を引こうとしたが、男は構わずロックのコートの上から掌で胸を叩き、そしてその掌を脇腹に移動させた。
「悪ィな、あんた、チャカ持ってそうな顔には見えねェが、念のため身体検査だ」
男は手慣れた様子で服の上からぽんぽんと掌をはずませてチェックをし、
ロックのスラックスの下までたどりつくとようやく納得したようだった。
「……よし、入ってくれ」


501 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:12:03.43 ID:tZIUQqpp

招き入れられた部屋は、この男の住まいのようだった。
読みかけの古雑誌、脱ぎ捨てられた服、使ったままで脂の浮いた食器、煙草の空き箱に蓋の開いたピザの箱、
それらが狭い室内に層をなし、埃をまとって暗く沈んでいた。
「なんか飲むかい」
男は窮屈そうなキッチンに立ち、小さなコンロに火をつけた。
「いいえ、お構いなく」
ロックは答えたが、その時にはもう男の手はマグカップをふたつ取っていた。

男はマグカップを両手に持ってやってくると、
小さなフォーマイカのテーブルを埋めていた新聞や食器をまとめて隅へ押しやって、
椅子に座ったロックの前にひとつ、マグカップを置いた。
「ほれ、インスタントですまねえが、外でできる話でもねェしな」
カップの中には黒々としたコーヒーが入っていた。
「……どうも」
ロックは一応礼を言ったが、
ちゃんと洗ったのかどうかもわからない薄汚れたマグカップに口をつける気にはなれなかった。
「わざわざ日本から買いつけかい」
男はロックの向かいにどさりと腰を下ろす。
「ええ」
「あんたも大変だねェ」
男はさして同情もしていない様子で、マグカップのコーヒーをずず、とすすった。
「──ま、俺にしてみりゃありがてえ話なんだがな」
椅子の背にもたれかかって脚を組む男を前に、ロックは話を切り出した。
「それで、マスターテープのことなんですが──」
「これかい」
男はあっさりと、剥き出しのテープをロックの前に放った。
「いやぁ、ほんと持っててよかったぜ。こんなとこで金になるとはな。……ご覧の通り、金とは縁のない生活でね」
ロックは部屋の中にぐるりとめぐらせられた男の視線を一緒にたどった。
長年のヤニがこびりついて黄ばんだ壁、黒ずんで破れかけたカーテン、年季の入った家具はどれもガタがきている。
部屋の中は足の踏み場もないほど散らかっているくせに、食器棚の中はからっぽだ。

そんな中、埃をかぶった本棚の中段に写真立てがひっそりと飾られているのが目に入った。
今よりもずっと若く生命力にあふれている目の前の男が、ワンピースを着た女の肩を抱き、
その前に並ぶ二人の小さな女の子と顔を寄せ合っている。
二人の女の子の顔はそっくりだが、年格好が違う。おそらく姉妹なのだろう。
写真の中の四人は、カメラに向かってまぶしそうに目を細めて笑っていた。
「……ご家族ですか」
「ああ、まあな」
男は身体を半分写真立ての方に向けてコーヒーを一口すすった。
「……ま、もう離婚して、娘の親権もあっちにとられちまったけどよ」
投げやりな調子で言い捨てながらも、男の写真立てを見る目はどこかやわらかい。
「かわいい娘さんですね」
ロックが言うと、男の表情が嬉しそうに崩れた。
「どうも。今じゃすっかり生意気になっちまったけどな」
ロックは目の前に置かれているコーヒーに目を落とした。
まだ湯気のたっているコーヒーの表面では、油の被膜が虹色に光っていた。

502 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:13:04.03 ID:tZIUQqpp

「──で、あんたいったい何者なんだい」
突然正面からやってきた言葉に、ロックは慌てて視線を上げた。
写真立てを眺めていたはずの男は、いつの間にかテーブルの向こう側からすくい上げるような目でロックを見ていた。
かさついた大きな手は、先ほど男がテーブルに放ったテープの上に乗っている。
「買い取りだか業者だか知らねェが、ビデオ屋のオヤジから聞き出してまでここに来るなんてのは、
なかなか珍しいんじゃないのかい?」
「……そうでもありませんよ。労力をかけるだけの価値があると踏めば、それぐらいのことはします」
ロックはにわかに頭の血管が強く脈打ってくるのを感じながら、穏やかな笑みを作った。
「運よくすばらしい映像に出会えたので、なんとしても手に入れたくなった、純粋にそれだけですよ」
男はそれでも、ロックの腹を探るような表情を変えない。
ロックはわずかに目を細めて、低く声を落とした。
「……なにを警戒なさっているんです? 州警察? それともFBI?」
そして喉の奥で笑ってみせたが、男は押し黙って濁った眼球をロックに向けるばかりだ。
「私が銃を撃てるように見えますか? 
……それに、私が捜査機関の人間ではないということは、あなたが一番よく知っているはずだ」
ロックはちらりと男の手の下にあるテープへ視線を送った。

男はしばらくロックを睨んでいたが、やがて長いため息をついてテープから手をどけ、椅子の背もたれに寄りかかった。
「……末端の人間はそこまで把握しちゃあいねえよ」
頭をがりがりと掻いて、それに、と続ける。
「俺ァ、もう警察の人間じゃねえしな」
男はネルシャツのポケットからくしゃくしゃになった煙草の箱を取り出し、一本引き抜いた。
「退職されたんですか」
ロックは自分のライターを取り出して火をともし、男へ差し出した。
「定年まではあと何年かあったんだがな。……疲れちまったんだよ」
男はロックのライターに顔を寄せて煙草に火をつけると、深く吸いこんで煙を吐き出した。
「俺がいた頃は、そりゃァひどかった。……チャイナタウンが管轄だったなんて、ツイてないぜ。
もう十年以上も前のことだが、あそこはほんとに、ひでェなんてもんじゃなかった。
フライングドラゴンズにホワイトイーグルス……、地元のギャングどもが夜な夜な暴れまわりやがってな。
──抗争だよ、抗争。ギャング同士の抗争だ。
特にモットストリート、あのあたりが一番ヤバかったな。
マフィア連中だけじゃねえ、まだ十歳になるかならねえかってガキまでがチャカ振りまわしてんだぜ」
「──そうだったんですか」
「ああ。まったくロクでもねェ。あいつらガキだと思ったら大間違いだぜ。あれは悪魔だ、悪魔。
まったくためらわずに引き金引きやがるからな。
大人は少なくとも損得勘定はまともにできるが、ガキは計算ってもんを知らねえ。その点大人よりずっとタチが悪ィぜ」
男は苦々しげに煙草を口に運んだ。

503 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:13:43.32 ID:tZIUQqpp

ロックはテーブルの上に置き去りにされたテープへ目をやった。
「この映像も、その頃に……?」
「──ああ」
苦い表情を浮かべていた男が、そこで急に唇を吊り上げた。
にやりと、下卑た形に唇がゆがんだ。
「そう、そいつはその頃だな。まだ十年は経ってねえ気もするが、まぁそのあたりだ」
男は当時のことを思い出すように笑った。
唇の間から、煙草の挟まった黄色い歯が覗いた。
「そいつはまあ、とんでもねえガキだったんだが、チンクにしちゃあ器量がよくてね」
「──チンク?」
「中国人だよ、中国人。盗むわ壊すわ暴れるわで、そいつにゃ特に手を焼いてたんだが、……締まりは抜群だったぜ」
わかるだろ? とばかりに男はにやりと笑う。
「ちょいとおしおきしてやったってわけさ。こいつァどんなに殴っても蹴っても、絶対ェ泣かなかったな。
根性だけは大したもんだが、でも、ありゃいけねえな、ちょっと懲らしめてやっても全然効きゃァしねえ。
シャバに出たと思ったらまた性懲りもなく同じことくり返しやがる。ありゃ害虫だ。社会のクズだ。
言ってもわからねぇガキには身体で覚えさせてやらねえと……、なあ、そうだろ?」
男に同意を求められ、ロックは息を殺して頷いた。
「……ええ、そうですね」
上擦りそうになる声を抑えて、笑みを浮かべる。
「まったくそう思いますよ。こんなのがいるから、犯罪がなくならないんです」
「だろ?」
男は身を乗り出して喋り続けた。
「クソ生意気なガキだったぜ。どんだけこっぴどくヤられても、ずっと睨み続けてよォ。
……あの目、見たかい、兄ちゃん?」
「──ええ」
「あれにぶちこむのは最ッ高の気分だったな。どんなにイキがってようと、所詮ガキはガキなんだよ。
黄色いメス犬が。身の程を思い知れっつーんだ」
「……」
「──ああ、すまん、兄ちゃんも黄色い人種だったな。別にそんなつもりじゃなかったんだ」
「いえ、わかりますよ。大丈夫です」

すっかり舌がなめらかになった男は、フィルターぎりぎりまで吸い終わった煙草を吸い殻でいっぱいの灰皿に押しつけた。
「そんなこんなで、俺の署の奴らみんなであいつを“教育”してやってたんだが、この映像はそん時のもんってわけさ。
試しに撮ってみたらけっこう上手い具合に撮れててね。ずいぶん楽しませてもらったよ」
くくく、と男は喉の奥で笑った。
「だが、市長が替わってから上がうるさくなってね。
こんなもん残しといちゃヤベエってことになったんだが、処分されちまう前に俺がこっそり拾い上げといたのさ。
兄ちゃん、だからよ、そいつはほんまもんのお宝映像だぜ」
「──ええ」
ロックはひとつ頷いて、顔を上げた。
「本当にすばらしい映像だと思いますよ。こんな映像のマスターテープを買い取ることができた
私はとても運がいい」
男は満足そうに頷いた。
ロックはその時、自分が完璧な笑顔を浮かべていることを、他人の顔を覗きこんでいるようにはっきりと認識していた。


504 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:14:25.75 ID:tZIUQqpp

「じゃあな、兄ちゃん。色々失礼なことしちまったかもしれねぇけど、許してくれよな」
「いいえ、とんでもない。急なお願いでしたのにお時間とって下さって、ありがとうございました」
「いいってことよ。──会えてよかったぜ」
「私もですよ。……それでは、このへんで」
「気ィつけてな」
「どうも」
頭を下げつつ歩き出した後ろで、部屋の扉の閉まる音がした。
ロックはそのまま薄暗い廊下を進み、階段を降りた。
下りで勢いのついた足でそのままエントランスを駆け抜け、ガラス戸を突き押して外に出る。

「──クソッ!」
雪の吹き荒れる中、ロックは傘もささずに表へ飛び出し、
建物の壁へ寄せつけるように置いてあった金属製のゴミ箱を蹴飛ばした。
ゴゥン、と鈍い音が響いて、ゴミ箱の表面が少しひしゃげる。
「クソ!」
ロックは煉瓦の壁に背中を押しつけ、その壁に拳を振り下ろした。
叩きつけた拳の音は吹きすさぶ風にかき消され、強く押しあてた手の熱で煉瓦に張りついていた雪が溶け出した。
背中を壁に押しつけたまま、ロックは腹の中で煮え返るような熱に肩を上下させた。

『ええ、そうですね』?

先ほどの自分の言葉が頭の中でがんがんと響く。

『まったくそう思いますよ』?

ロックの目的はマスターテープを手に入れることだ。
本心をさらけ出し、感情的に糾弾することではない。
取引相手の警戒感をつのらせるなど、もってのほか。
同意を示し、相手の立場に理解を示し、気分よくさせる。
こいつは俺の味方だ、俺の側の人間だと思わせる。
大切なのは目的を達成すること。
そのための手段なら、なにを用いたって構わない。
けれど──、

──レヴィ。

505 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:15:17.71 ID:tZIUQqpp

自分の言葉に反吐が出る。
本当はあんなことは言いたくなかったのだ、あれは本心ではないのだと、今すぐ誰かにすがりついてしまいたかった。
ロックはすべてを自分一人の腹の中におさめておくつもりで、ここに来た。
だが、レヴィを手ひどく裏切っているような気がして、ロックの胸はぎりぎりと締めつけられた。
ここでの出来事を彼女に知らせるつもりはない。
けれど、この煮えたぎるような腹の中身はどうすればいい?
胸は太い杭を打ちこまれたように重く、腹の中では重油のような黒い衝動が渦をまいていた。

ロックは今しがた会ったばかりの男の様子を思い出す。
すっかり老けこんでみすぼらしくなった男。
娘のことに話が及ぶと、嬉しそうに顔をほころばせた。
写真立ての中の彼は幸せそうだった。
その男が同じ手でレヴィを犯し、ビデオテープを売ったのか。
なぜ、レヴィも自分の娘と同じ人間なのだと思えなかった。
男の言う通り、レヴィは子供ながらにこの世の道理に反することごとくに手を染め、
善良な人々の暮らしを脅かす存在だったのだろう。
奪い、殺し、破壊するだけの存在。
──でも、そんな彼女も、無邪気に笑う少女と同じ生き物なのに。

ロックの脳裏に、ふとした拍子に見せる邪気のないレヴィの笑顔がよみがえった。
そして、朝の光に照らし出される妙にあどけない寝顔も。

銃を使えなくてよかった。
ロックは思った。
銃が使えたら、そしてこの場に銃があったら、間違いなく引き金を引いていた。
ロックは、銃を手にしたレヴィの気持ちが少しだけわかったような気がした。


506 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:16:46.67 ID:tZIUQqpp

 * * *

イーストリバーは雪の中、黒々と流れていた。
ロックは川岸のフェンスにもたれて、目の前を流れる川をぼんやりと眺めていた。
白い雪片がいくつもいくつも黒い川面に降りそそいでは、跡形もなく消えてゆく。
雪で白く染まった遊歩道に人影はない。
ロックの胸まであるフェンスの手すりにも、厚く雪が降りつもっていた。

ロックは男から買い取ったマスターテープと、そしてもうひとつ、小型のICレコーダーを取り出した。
ICレコーダーは、ボストンバッグの隙間にこっそりしのばせておいたものだった。
中には、元警官のあの男との会話の一部始終が録音されている。
ビデオテープの映像とレコーダーに録音されている会話、このふたつを公表したら、あの元警官の先はないだろう。
警察官が未成年の少女をレイプし、それを撮影して売っていた。
警察の上層部に送るにせよマスコミに送るにせよ、簡単に無視できないだけの証拠は揃っている。
時効が成立していようとしていなかろうと、関わった者が激しく糾弾されることは間違いない。

だが、ロックの気分は重かった。
復讐、報復、それが目的なら、今すぐこれをニューヨーク市警察なりABCニュースなりへ送りつければいい。
しかし、そうすればこの映像は多くの人間の耳目に晒されるところとなるだろう。
警察に送れば捜査や検証の過程で何度も再生され、
マスコミに送れば興味本位で消費され、好奇の目で睨めまわされる。
きっと警察は保身に走り、レヴィの過去はすべてほじくり返され、
したり顔の傍観者たちがそれを酒の肴にして妄想を逞しくするのだろう。
ロックには、そちらの方が耐えがたかった。
もうこれ以上、誰の目にも触れさせたくない。

ロックはマスターテープを持った手を振りかざし、そのテープを力の限りイーストリバーに向かって投げこんだ。
マスターテープは弧を描いて飛んでゆき、黒い川の中程に消えた。
続いてICレコーダー、そして、ビデオショップで買ったビデオテープ。
ロックは次々と投げこんだ。
イーストリバーはそれらをまるまる飲みこみ、
川面のゆれがおさまると、あとはまた白い雪を静かに受けとめるだけだった。

──これでいいんだ。

すべてを回収できたわけではないかもしれない。
あのビデオショップにあった在庫はロックの買った一本だけだったが、
複製されたテープがまだどこかに存在している可能性は否定できなかった。
しかし、マスターテープさえなければ、この映像が増殖し続けることはもうない。
残っているかもしれないビデオテープも、いつかは劣化して朽ちるだろう。
忌まわしい映像は、暗い川底で永遠に眠ればいい。
ロックは黒く流れる川をしばらく見つめ、そして静かに背を向け、川べりをあとにした。


507 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:17:30.17 ID:tZIUQqpp

 * * *

ホテルの部屋にレヴィはいなかった。
夕刻、ロックがホテルに戻ってみると、部屋は整然とした佇まいで沈黙していた。
ベッドは少しの乱れもなく整えられ、書き物机の椅子も小さなゴミ箱も所定の位置にぴたりとおさまっている。
部屋の中の空気はひんやりと冷たい。
「レヴィ?」
人の気配は感じられなかったが、ロックは声に出して室内を見まわしてみた。
思った通り返ってくる声はなく、バスルームを覗いてみても誰もいない。
部屋は清掃が終わった状態のまま、そのあとに人が入ったような形跡はなかった。
レヴィがずいぶん前にこの部屋を出て、それからずっと戻ってきていないのは明らかだった。
どこに出かけたのだろうか。
ロックはそのまましばらく待ってみたが、レヴィは一向に帰ってこなかった。
ホテルに戻った頃にはまだ暮れ方の薄闇を漂わせていた空は、今ではもう真っ暗だった。
雪は相変わらず強く降り続いている。

小一時間待ってみてもレヴィは帰ってこなかった。
窓の外を白くかすませる雪は、弱まるところを知らない。
ただじっと待っているのに我慢できなくなり、ロックはコートを羽織って部屋を出た。

陽が落ちた外はいよいよ寒かった。
二日間降り続いた大雪で、街は道路も建物も街路樹も芯まで冷えきり、白く凍っていた。
ロックは傘を広げて、道路につもった雪を踏みしめた。
雪の吹きつけてくる街並みを、人々は足早に通りすぎていった。
視線を左右にさまよわせてレヴィの姿を探すロックを、次々と追い越してゆく。
クリスマスイヴの夜、家族や恋人とすごすために家路を急いでいるのだろうか。
ロックは白くけぶる雪の中に消えていく人々を、ぼんやりと見送った。

レヴィはなかなか見つからなかった。
こんな闇雲に探しても見つかるわけがない、これだったら部屋で待っていた方がいいに決まっている、
理性はずっとそうささやいていたが、ロックはその声を無視して雪の街をさまよい歩いた。
ダイナーの座席に座っていないかガラス越しに目をこらし、映画館があればホールの中を覗き見る。
書店で雑誌を立ち読みしていないかぐるりと見渡し、もしやと思ってチャイナタウンにも足を向ける。
そのどこにも、レヴィはいなかった。
探しまわっているうちに足も手も冷たくなり、全身が震えてきていた。
なんのあてもなく探しまわるのは、そろそろ限界だった。
だが、ここにいなかったらもう帰ろう、そう思って足を伸ばした最後の場所に、レヴィはいた。

マンハッタン五番街、ロックフェラーセンター。
このロックフェラーセンターのセンタープラザには、クリスマスの季節になると巨大なクリスマスツリーが設えられる。
空高くそびえ立つGEビルの正面で、何万個もの電球に飾りたてられたクリスマスツリーが光り輝き、
アイススケートのリンクを見下ろす。
ロックがセンタープラザにたどりつくと、
ツリーの足元にあるアイスリンクを挟んで備えつけられた手すり、その手すりに寄りかかって佇む人影がひとつあった。
ショートコートと紅いプリーツスカート、足元は膝丈のブーツ。
長い髪はうしろで一本に束ねられている。
華やかなクリスマスツリーを目の前にしているというのに、その頭はわずかにうなだれ、視線が上がることはない。
降りしきる雪の向こうで傘もささずにじっと動かない人影は、クリスマスツリーの光に張りついた影のようだった。

508 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:18:30.34 ID:tZIUQqpp

「……レヴィ」
ロックは小さくつぶやいた。
遠く雪に隔てられたところからでも、その後ろ姿ですぐにわかった。
だが、距離に邪魔されて声は届かない。
「レヴィ!」
駆け出すと同時に叫ぶと、人影が振り向いた。
「…………ロック」
肩越しに振り返った彼女は、駆け寄るロックの姿を認めて目をみはった。
ロックは雪の中を走り抜け、レヴィの正面で立ち止まった。

「レヴィ、なにしてたんだ、こんなところで」
いったいどれだけ雪の中にいたのか、レヴィの髪もコートも雪でうっすらと白く覆われていた。
「スノーマンみたいになってるじゃないか」
ロックはレヴィに傘をさしかけ、雪のからみついた髪を手で払った。
前髪、そして頭の上の雪も払おうとすると、レヴィが水から上がった犬のようにぶるぶると頭を振るった。
だが、細かい水滴が飛び散っただけで、髪にからんだ雪はほとんど落ちない。
「……傘ぐらいさせよ」
ロックが言うと、レヴィは寒さで紫色になった唇をぎこちなくゆがめて笑った。
「──ハッ、雪の日に傘なんかさすかよ。さすが育ちのいい坊ちゃんは違うな」
「別に育ちなんかよくない。それに、育ちは関係ないだろ。だいたい、なんでこんな雪の中──」
死人のような顔色をしたレヴィに言い返そうとしたところで、ふとロックは腕に提げていた紙袋の存在を思い出した。
「レヴィ、ちょっと傘持って」
「──なんだよ」
「いいから」
レヴィの手にほとんど押しつけるような形で傘を渡し、ロックは紙袋の中に手を突っこんだ。

「これ──」
ごそごそと袋の中を探り、中に入っていたものを引っぱり出す。
「あげるよ」
取り出したのは、毛糸の紅いマフラーだった。
「……寒そうだから、してるといいよ、レヴィ」
ロックはそのマフラーをレヴィの首にかけた。
頭の後ろに渡して、長い方の一端を首のまわりでぐるりと一回巻く。
レヴィは呆気にとられた表情で、マフラーを巻きつけるロックの手元をただ見ていた。
一緒に巻きこんでしまった髪の毛をマフラーの外に出していると、ロックの頭にぽすんと軽くなにかがぶつかった。
反射的に視線を上げると同時にわかった。傘だ。
レヴィの持つ傘がいつの間にか下がってきていて、ロックの頭に当たったのだった。
傘を持つ手から意識が逸れてしまっていたのだろう、レヴィは慌てて傘を掲げなおした。
マフラーを巻き終わると、ロックはレヴィの手から傘を受け取った。

レヴィはしばらく声もなく固まっていたが、
ようやく口を開くと、首から垂れ下がるマフラーのはしっこを指先でつまみ上げた。
「……なんだよ、これ」
レヴィは自分の指の間に挟まっているものをまじまじと見つめる。
「マフラーだよ」
「……それは見りゃわかる」
「──ああ、……うん」
ロックは、マフラーを手にするレヴィを見下ろして言った。
「さっき買ったんだ。レヴィを探してる時。今日はクリスマスイヴだから──」
「……クリスマス」
レヴィはロックの言葉を口の中でくり返した。
ロックは頷いた。
「ああ、クリスマス」
レヴィの背後では、大きなクリスマスツリーが無数の光をまき散らしていた。
雪のカーテンの向こう、夜を退ける勢いで輝いている。

509 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:19:28.30 ID:tZIUQqpp

じっとマフラーを見つめていたレヴィは、少しのあと、うつむいたまま小さく笑った。
「……神様なんか信じちゃいねェよ」
レヴィの口のまわりで白く息が漂う。
唇のはしが片方だけ吊り上がったのが、レヴィの頭の位置から見下ろすロックにも見えた。
「俺だって信じちゃいないさ」
でも、とロックは続けた。
「ずっと寒そうにしてたから」
レヴィはまたかすかに笑って、首をゆっくりと左右に振った。
「こんなの、ロアナプラじゃ使わねぇよ」
「……うん、わかってる。持って帰るのが邪魔だったら、ここに置いて帰ってもいいから」
レヴィの口からは、今度は白い息だけが短く吐き出された。
呆れたのか小馬鹿にしたのか、垂れ下がるレヴィの前髪が邪魔をして、その表情はよくわからなかった。
ただ首が小さく横に振れ、レヴィの唇はそれきり閉じた。

レヴィはなかなか顔を上げなかった。
傘に雪がつもっていく小さな音だけがふつふつと続く。
「……帰ろう。冷えてきてる」
ロックは沈黙を破り、レヴィを促した。
「……ああ」
レヴィは頷くと、ショートコートのポケットに両手を突っこんだ。
巨大なクリスマスツリーを背に、歩き出す。
ロックはレヴィに傘をさしかけて歩調を合わせた。
肩を並べて、降りつもった雪を踏みしめる。
レヴィの元へ駆けた時にロックがつけた足跡は、もう雪が白く消しはじめていた。
歩き進めるごとに背後のクリスマスツリーの光は段々と弱まってゆき、
そして街の灯りに溶けこんでわからなくなった。


510 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:19:56.62 ID:tZIUQqpp

ロックフェラーセンターをあとにして雪の降り続く街を歩いていると、レヴィが突然立ち止まった。
「ロック」
「どうした、レヴィ」
ロックも急いで足を止めると、レヴィは車道の向こう側をじっと見つめていた。
なにかあるのだろうかと雪にけぶる対岸を眺めてみるが、特にこれといったものは見当たらない。
「──レヴィ?」
レヴィの顔を覗きこむと、その目はどこか一点に据えられていた。
「ロック」
「ん?」
「あれ、飲もうぜ」
そう言ったかと思うと、レヴィは傘の下からすいと抜け出した。
呆気に取られるロックを置いてすたすたと歩き、車道を渡ろうとする。
「──おい、レヴィ!」
ロックが慌てて呼び止めても、レヴィは肩越しにちらりと振り返るだけだった。
「なにやってんだ、早く来いよ」
顎で小さく促し、そして車道をずんずんと渡っていってしまう。
「レヴィ!」
ロックはしかたなく追いかけた。
左右を見て車が来ていないかどうかを確かめ、車道に踏み出す。
もうすぐ反対側の歩道にたどりつこうかというところで、レヴィに追いついた。
「どうしたんだよ、レヴィ」
レヴィは歩道に上がると、路上に面した一軒の小さな店の前で立ち止まった。
「──ここ?」
「ああ」
「スープ?」
「ああ」

511 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:20:37.96 ID:tZIUQqpp

小さなガラス扉の上に看板を掲げたその店は、スープスタンドだった。
狭い店内にいくつか用意された座席はすべて客で埋まっており、
カウンターの向こうでは太った男が銀色のニードルを手にしていた。
男は客の注文を受け、カップに湯気のたつスープをそそいでいる。
寒さに凍えた身体に、それはとても温かそうに見えた。
「……でも、食事ならもうちょっとちゃんとしたところでとった方がいいんじゃないか?」
自分よりもはるかに凍えているだろうレヴィに、温かいもののひとつも勧めなかったことを恥じながら、
ロックは遠慮がちに提案した。
「席も全部埋まってるみたいだし……」
どうせならもっと落ち着いて食事のできるところへ、ロックはそう思ったが、
「いいんだよ、ここで」
レヴィは構わずその店に歩み寄り、ガラス扉を押し開けた。

目移りするほどたくさんの種類を掲げたメニューの前で、レヴィは長いこと考えこんでいた。
ほとんど睨みつけるような真剣な目つきでメニューを見上げ、押し黙る。
「決まった?」
「……いや」
尋ねても、レヴィはメニューから目を離すことなく首を横に振る。
「……あんたは?」
「え、俺? 俺は……、うーん、どうしようかな、ミネストローネにしようかな」
「ミネストローネ……」
レヴィは口の中で小さくつぶやき、また眉を寄せてメニューを睨んだ。

散々迷った末にレヴィが選んだのは、クラムチャウダーだった。
「ミネストローネとクラムチャウダーひとつずつ」
カウンターで待ち受ける太った男に告げ、ポケットから皺くちゃの十ドル札を出してカウンターに放る。
「え、レヴィ、いいよ、俺が払うよ」
ロックは慌てて財布から札を抜き出そうとしたが、レヴィの腕に遮られた。
「いいんだよ」
「でも、自分の分くらい──」
「いいっつってんだろ」
太った男から釣りを受け取ると、レヴィはカウンターに出されたカップを取り上げ、くるりと踵を返した。
「ちょっ──、レヴィ!」
ロックは急いで自分の分のカップを取り、レヴィのあとを追った。

512 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/17(土) 22:21:55.90 ID:tZIUQqpp

満席の店内から外に出て、ロックは雪の降る路上で傘を広げた。
店の外壁を背に、隣に並んだレヴィへ傘をさしかける。
レヴィは傘の下、両手でカップを持ち、唇をわずかに尖らせてスープをふうふう吹いた。
なにもこんな寒い外で、とロックは思ったが、レヴィは吹きつけてくる雪にも構わずスープに口をつける。
白い湯気がレヴィの顔のまわりにふわりと漂った。
そんなレヴィと肩を並べてロックも片手のスープをすすってみると、
熱いかたまりがじわじわと染み入るように食道を落ちていった。
「……あったまるな」
「……ああ」
レヴィはうつむいたまま小さく返して、またカップに顔を伏せた。
カップから立ちのぼる湯気がレヴィの睫にからむ。
ふわふわした紅いマフラーを首に巻きつけ、両手で大事そうにカップを包むレヴィは、
いつも片手で豪快に酒の入ったグラスをあおる姿とはうって変わって、どこか少女じみて見えた。

「レヴィ、こっちも飲む?」
せっかく別の味にしたのだからとロックがカップを差し出すと、レヴィが目を上げた。
「──ん、ああ」
ロックのカップを受け取り、代わりに自分のカップを差し出す。
そして手にしたロックのミネストローネに口をつけると、はぁっ、と白い息をひとつ吐いた。
「こっちもイケるな」
カップの中を見つめるレヴィを横目に、ロックもレヴィのクラムチャウダーを一口飲んだ。
トマト味のミネストローネよりもやわらかい、とろりとした味が口の中に広がった。
「──うん、こっちもうまいよ」
また元通りに交換し、自分のカップを受け取ったレヴィは、手の中のカップに唇を寄せた。
後ろで結ぶには長さの足りない髪が顔の両脇で垂れ下がり、レヴィの表情を隠す。
風は思い出したように突然強く逆巻き、雪が傘の中にまで吹きつけた。
ロックは肩を並べてカップを口に運びながら、そっと傘をレヴィの方に傾けた。
レヴィは黙々とスープをすする。
湯気のたつカップに顔を伏せ、時折小さく息をつく。
ついた息が湯気と混ざって、顔のまわりで白い靄となった。

ロックはレヴィに傘をさしかけながら、少しずつスープを飲んだ。
雪と風に体温を奪われてつま先が冷たく凍ってきていたが、
熱いスープの入った胃の中だけはじんわりといつまでも温かいような気がした。

522 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 21:58:05.37 ID:AxEO8Ge+

 * * *

ホテルの部屋に戻ると、空気は冷えていたものの、雪と風の寒さからは免れて、ロックは安堵の息をついた。
レヴィはマフラーをはずしてコートを脱ぎ、両方まとめて書き物机の上に放った。
そして、ふたつ並んだベッドの片方へどさりと腰を下ろした。
ひどく疲れた様子で、組んだ両手の親指を目頭に押しあてて顔を伏せる。
ロックはコートを脱ぎながら窓の外に目をやった。
「すごい雪だな……。明日にはやんでるといいけど」
「……ああ」
レヴィは気のない返事をよこす。
「レヴィ、どこ行ってたんだ? 今日の昼間」
脱いだコートをハンガーにかけつつ、ロックは尋ねた。
「……別に」
レヴィは顔を伏せたまま首を横に振る。
「別に、ってことないだろ。清掃が入る前に出かけたんだろ? そんなに長い間どこに──」
「どこだっていいだろ」
レヴィはわずかに苛立ちの滲んだ声で言ったかと思うと、のろのろと顔を上げた。
「そう言うあんたは、どこ行ってたんだよ」
レヴィに見上げられ、ロックは一瞬答えにつまった。
「──色々と、街を散策してたんだよ」
顔に出ないよう注意しながらさりげなくレヴィの視線から逃れ、ハンガーにかけたコートをクローゼットに吊す。
「……ふん、色々、ね」
レヴィは目を伏せ、ぼんやりとつぶやいた。
そして、ぎしりとスプリングをきしませてベッドから立ち上がり、
机の上に投げ捨てられているコートのポケットから煙草とライターを取り出して、またベッドに腰を下ろした。
「……楽しんだのか?」
煙草をくわえて火をつけながらレヴィが訊く。
「──え?」
くぐもった声にロックが問い返すと、レヴィは火のついた煙草を指で挟み取ってもう一度言った。
「楽しんだのか、って訊いてる」
「……あ、──ああ」
ロックが頷くと、レヴィは「そうか」と言って、また煙草を口にした。
煙草の葉の焦げるにおいが漂い、レヴィの口から吐き出された煙が室内に白くたゆたった。

523 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 21:58:34.54 ID:AxEO8Ge+

レヴィはたっぷりと時間をかけて煙草を吸ったあと、おもむろに立ち上がり、短くなった煙草をぎゅっと灰皿に押しつけた。
「……シャワー浴びてくる」
「レヴィ」
ロックの横をすり抜けてバスルームに向かおうとしたレヴィの腕を、ロックは掴み取った。
「……なんだよ」
レヴィが振り払おうとする素振りをみせたが、ロックはその腕をさらにしっかりと掴んで正面から目を合わせた。
「昨日は、悪かった」
「──あ?」
なんの話かわけがわからない、レヴィはそんなふうに眉をひそめた。
まともに見上げられて若干の気まずさを感じながらも、ロックは重ねて言った。
「昨晩は、悪かった。……その、乱暴にして」
不可解な顔をしていたレヴィが、ようやくなにを言われているのかに思い当たったような表情に変わった。
「……別に。謝るようなことじゃねェよ。あんなの乱暴なうちに入るかよ」
まったく下らない、そんなふうに鼻で笑ってレヴィはシャワールームへ足を向けようとする。
「レヴィ」
ロックは掴んでいた腕を引き寄せた。
ここで曖昧に終わらせたくはなかった。

「あんなふうにするつもりじゃなかったんだ、すまな──」
「うるせェな」
ロックの言葉が終わる前に、レヴィは苛立たしげに腕を振り払った。
「機嫌取りだったら必要ねえよ。あんたはあんたで楽しんできたんだろ? 
あたしは問題ない。ノー・プロブレムだ。
なに考えてんのか知らねェが、あんたの独りよがりな疚しさにつき合わされんのはまっぴらだ」
「──レヴィ?」
ロックは、睨みつけるような目を向けてくるレヴィの顔を覗きこんだ。
「……なにを言ってるんだ?」
機嫌取り、楽しんできた、疚しさ、そんな言葉が不穏に響く。
「なにを? ──ハッ、そいつはあんたが一番よく知ってるはずだぜ」
レヴィはロックの目を正面から見上げる。

──なにを知ってるんだ、レヴィは?

ロックは黙ってレヴィの目を見返した。
迂闊なことを口に出すわけにはいかなかった。
「別にあたしは責めてるわけじゃねェよ。あんたの気持ちはわかる。
けど、あんたはハッピー、あたしはオーライ、それで終わりだろ? 
……あんたの都合に巻きこまれんのは、御免だ」
レヴィはそこまで言うと、ふいと視線を逸らした。
「……レヴィ、なんの話をしてるんだ」
「くどいぞ、ロック。隠さなくたっていい」
「だから、なにを」
ロックが詰め寄ると、レヴィは眉間に苛立ちを滲ませて見上げてきた。
「今日の昼間、あんたを見た」
「え……?」
「あんたを、見た」
くり返されるレヴィの言葉に、ロックの頭は白くなった。

──いつ? どこで? 

524 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 21:58:57.79 ID:AxEO8Ge+

昼間めぐった場所の数々が、高速で頭の中をよぎった。
あのどこかに、レヴィがいたというのか?
しかし、どこに?
思い返してみても、ロックにはまったく心当たりがなかった。

言葉を失っていると、レヴィは続けた。
「どこで見たか、言った方がいいか?」
「──」
意味もなく小刻みに首を横に振ると、レヴィは唇をゆがめて笑った。
「心配するこたぁねえ、娼館通いぐらい誰だってする、別に言いふらしたりはしねぇよ」

──あの時か。

『娼館通い』。
それでわかった。
ビデオショップを訪れた時だ。
あの通りには確か娼館も並んでいた。
どうしてレヴィがあんなところにいたのかはわからないが、
ビデオショップのあるポルノ街にいたロックを目にしたのだろう。

「レヴィ、待て、違うんだ──」
ロックは急いで弁明しようとしたが、レヴィは皮肉な笑みを浮かべるばかりだ。
「なにが違うんだよ」
「だから、──」
「人違いだとでも言いてェのか?」
「いや──」
「だったらなんだ。なんのためにあそこにいた?」
「それは……」
「言えねェのか」
「……」
「あたしにわかるように説明してみろよ」
「……」
レヴィはしばらく黙って見上げていたが、
くそ、もうたくさんだ、と小さく吐き捨てたかと思うと、くるりと背を向けた。

「レヴィ、待て! 俺はレヴィが──」
ロックは慌ててレヴィの二の腕を取った。
「あたしが、なんだよ」
レヴィがゆっくりと振り返る。
「あたしが、なんだ」
ロックを見るレヴィの目は、これ以上曖昧な言葉でごまかすのは許さないと言っていた。
「俺は……、俺は、──レヴィを、見つけたんだ」
「…………なんだって?」


525 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 21:59:31.81 ID:AxEO8Ge+

ロックは、チャイナタウンに足を向けたこと、ポルノ街に迷いこんだこと、
ビデオショップでの出来事、マスターテープを買い取ったこと、そしてそれを川に投げ捨てたことを訥々と語った。
ビデオショップで売られていたビデオにレヴィがいた、そう言った時、レヴィの目は大きく見開かれた。
レヴィは目を見開いて小さく息を吸っただけで、その表情はほとんど動かなかった。
だが、瞳孔の開いた目は、もうロックを見てはいなかった。
そのあとの話が聞こえているのかいないのか、レヴィは焦点を失った目を虚ろに開けるだった。

「……だから、俺があそこにいたのは、女を買っていたからでもなんでもないんだ」
ロックが話し終わっても、レヴィは凍りついた表情で立ちつくしていた。
「……レヴィ?」
レヴィが一言も口をきかないため、ロックはおそるおそるレヴィの顔を覗きこんだ。
どこか遠くを見るような目でレヴィは二度、三度とまばたきをし、そしてようやく口を開いた。
「……見たのか?」
レヴィの口から、かすれかけた小さな声がこぼれた。
「え?」
ロックが問い返すと、レヴィはふいと顔を上げた。
「あんたはそのビデオ、見たのか?」
今度はレヴィの目がしっかりとロックをとらえた。
「──あ」
その目に詰問の色はなかった。
しかし、まっすぐにロックを見るレヴィの目は、真実しか望んでいなかった。

逡巡したあと、ロックは喉の奥から絞り出した。
「………………見た」
その瞬間、レヴィの顔がゆがんだ。
怖いくらい動かなかった表情が崩れ、眉が下がる。
なにか絶望的ことを聞いた、そんなふうに瞳の表面がゆれた。
「──レヴィ」
ロックは思わず手を伸ばしたが、レヴィは一瞬でその表情を引っこめ、ロックの手をするりとかわした。
は、と小さく笑って首を横に振る。
しかし、その口元は引き攣って、わずかに震えていた。

「レヴィ、でも最初の方だけだ。全部は見てない」
ロックは慌てて言い添えたが、レヴィは片頬をゆがめて笑った。
「同じことだ」
レヴィは乾いた笑いをもらし、そして吐き捨てた。
「……ロクでもねェことしやがって」
ロックはたまらずレヴィの肩を掴んで、自分の方に向き直らせた。
「……レヴィ、俺は耐えられなかったんだ」
振り払おうとするレヴィの肩をさらに強く掴んで、続ける。
「あんなビデオが今も出まわって、誰かに見られている、俺はそれに耐えられなかったんだ。
あのビデオを、そのままにはしておけなかった。俺が楽しむために見たわけじゃない!」
強く言い切ると、レヴィがぐいと顔を上げ、正面からロックを見据えた。
その目には、いつもの強い光が戻っていた。

526 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 22:00:03.95 ID:AxEO8Ge+

「聖人気取りか、ロック。イエス様が聞いて呆れるぜ。
あんたがそれ一本処分したからって、ガキが出てるポルノもレイプもなくなるわけじゃねェ。
あんたがやったのはせいぜい、死体に湧いた蛆虫を一匹つぶしてみたぐれェのことだ。
変わりゃしねェんだよ、ロック。あんたがなにをしようと、なにも変わりゃしねえ」
「俺はそんなたいそうなことを考えてたわけじゃない」
ロックは負けじとレヴィを見返した。
「俺はポルノビデオが許せなかったわけじゃない。俺は、レヴィが──」
睨みつけてくるレヴィに、ロックは言った。
「レヴィの映像があんなふうに見られてるのが許せなかったんだ」

レヴィは睨む目をゆるめなかった。
「……あたしが怒ってんのはな、ロック」
片手が伸びてきて、ロックの胸ぐらをぐいと掴む。
ロックのワイシャツをぎりぎりとねじ上げて、レヴィは言った。
「あんたがまた、なんの得物も持たずに一人でゴブリンの巣にふらふら入ってった、だからだ!」
レヴィのロックを睨む目は刃物のようだった。
「いいか、ああいう手合いの連中はな、教会の慈善バザーでキルトを売ってるようなババアとはわけが違うんだ。
たまたまあんたの前の前に立ってた奴、そいつの頭の中身がポストみてェにからっぽだったとしても、
そんなこたァ問題にならねえ。
そいつはただの歩兵だ。
巣の奥深くには、でっかいケツを革張りのソファーに沈めた親玉が待ち構えてんだよ。
──姐御、張の旦那、……あんただってロアナプラで散々見てるはずだ。
そいつのご機嫌をちょっとでも損ねたら、すぐさま裏口から引っ立てられて、セメントの靴を履かされ港に沈む。
あんたはそれを知ってながら、それでも一人で突っこんだ。あたしはそれに怒ってんだ!」
「……レヴィ」
「怪物のねぐらにのこのこ入って、その髭引っぱって帰ってきて、それで手に入れたもんはなんだ?
スリル? 興奮? それとも、あんたお得意の自己満足か?
──下らねェことで無駄に命張ってんじゃねえぞ!」
レヴィは猛獣さながらの調子で声を張り上げた。

「レヴィ」
ロックはワイシャツの胸元を掴み上げるレヴィの手を握った。
まなじりを吊り上げるレヴィを、負けじと見返す。
「下らなくない。スリルのためでも自己満足のためでもない。──言っただろ。
俺が、レヴィのあんな姿を他の誰にも見せたくなかった。もう、誰にも見せたくない!
……それのどこが下らないっていうんだ!」
叩きつけるように叫ぶと、ワイシャツを掴み上げていたレヴィの手がふっとゆるんだ。
ロックの手の中で、段々と力を失ってゆく。

「……見せたくない、か」
レヴィの手は、掴んでいたロックのワイシャツから離れた。
そして、のろのろと下がってゆく。
その手と一緒に、目線もゆっくりと伏せられていった。
手が完全に落ちきったところで、レヴィが口を開いた。
「……あたしが一番、見られたくなかった奴を教えてやろうか」
ロックが答える前に、伏せていた目がふいと上がった。

「──あんただよ、ロック」

527 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 22:00:37.07 ID:AxEO8Ge+

ロックは言葉を失った。
目を逸らすことも息をつくこともできず、ただ離しそびれたレヴィの手を呆然と取っていた。
「──あ、レヴィ、……俺は」
ロックの口から出てきた言葉は、意味をなさなかった。
レヴィは、ロックをひたと見つめていた。

──言うべきじゃなかった。

さあっと頭から血の気が引いていった。
ロックは握っていたレヴィの手を離し、無意識のうちに首を小さく左右に振っていた。
言うべきではなかった。
いくらレヴィに誤解されようとも、言うべきではなかったのだ。
最初の決心通り、レヴィには知らせず、闇から闇へと葬って──。
そこまで考えて、またロックは首を振った。
いや、それも違う。

──見るべきじゃなかった。

あのパッケージの少女がいかにレヴィに似ていようとも、見るべきではなかったのだ。
レヴィが見せたくない傷口に無断で触れた。
まだ癒えていないと知りながら、勝手に──。
でも、とそこでまたロックは考える。
そうしたら、あの映像はそのままずっと──?
少女がレイプされる様を好む男に買われ、薄笑いを浮かべながら見られ、肉欲の対象となり──?
それもまた、耐えがたかった。
いったいどうすればよかったのか、答えは出ないまま、しかし、ひとつだけ確かなことがあった。

取り返しのつかないことをした。


今はもう、レヴィはロックを睨んではいなかった。
ただ痛ましいものを見るような目で静かにロックを見ていた。
レヴィはなにも言わない。
罵られた方が、まだましだった。
「レヴィ──」
すまなかったで片づく問題とは思われなかった。
軽々しい謝罪の言葉を口にすることもできず、ロックはその場に立ちすくんだ。

沈黙を破ったのは、レヴィの方だった。
「……最後のは、忘れろ」
小さくかぶりを振って、レヴィは笑った。
「もう済んだことだ。……あたしはあんたが余計なとこに首突っこまなきゃそれでいい。
もしあんたがハドソン川に沈められでもしてたら、ダッチにどやされてたとこだった。
こんなことはもう、金輪際なしだ。……オーライ?」
「──あ、ああ……」
つられてロックが頷くと、レヴィは「それでいい」とつぶやいた。
そして話は終わりだというかのように身を翻そうとして、ふと思い出したように動きを止めた。
「……あと、マフラー、サンキュ」
つけ足しのようにそう言って、レヴィはロックに背を向けた。

528 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 22:01:02.37 ID:AxEO8Ge+

「レヴィ!」
ロックは反射的にレヴィの肩を掴み、引き寄せていた。
このまま話を終わらせたら、彼女との間にもう二度と埋められない溝ができてしまうように思えた。
「レヴィ……」
だが、引きとめたはいいものの、言うべき言葉は見つからなかった。
なにを言えばいいのか、ロックが言葉を探していると、レヴィがゆっくりと振り返った。
「……シケた顔してんじゃねェよ」
ロックを見上げ、唇を片方だけ吊り上げて笑う。
「別にもう怒っちゃいねえよ」
「……そうじゃない、俺は──」
「あんたが気に病む必要はない」
言い含めるように薄く笑うレヴィに、ロックは自分の眉がゆがむのを感じた。
「──でも、レヴィが」
「あたしはどうもしねえよ。……もう、終わったことだ。それに、珍しくもなんともねェ話だ。
あたしに限ったことじゃねえ。そういうふうに生まれた、ただそれだけのことだ。
血管にコカコーラが流れてる白豚どもは、中国人のガキなんざ黄色いメス犬としか思ってねぇからな。
メス犬はメス犬らしく、立場をわきまえろってことさ」

「……やめろよ」
ロックは低くうめいた。
「そういうふうに言うの、やめろよ」
レヴィがなんでもないことのように振る舞えば振る舞うほど、その目は昏く、表情を失っていった。
「ただの事実だ」
レヴィは暗い虚のような目でロックを見上げる。
「……事実なもんか」
ロックは両手でレヴィの肩を取った。
「──“立場”? 立場ってなんだよ、レヴィ。そんな立場、あってたまるか!
なんでそんなに物わかりのいいふりをするんだ、レヴィ!」
「……ふりなんかじゃねェよ。この世の中の仕組みに気づくか気づかねぇか、ただそれだけの話だ」
「俺は世の中の話なんかしてない、レヴィの話をしてるんだ! 話をすり替えるなよ、レヴィ。
わかったような説教なんか聞きたくない。お前、自分がどんな目してるのか知ってんのか! 
──どうもしない? そんなわけあるか! 知ったようなふりなんかするなよ、レヴィ!」

529 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 22:01:27.52 ID:AxEO8Ge+

肩を握った両手にぐっと力をこめて見下ろすと、レヴィの目に苛立ったような感情が宿った。
「あんたはどうしても、“ふり”ってことにしてェみたいだな。
……いいだろう、仮にそうだったとして、だ。
そうだったとして、じゃあ、あたしはどうすりゃよかったんだ?
助けて下さい、誰か助けて下さい、そう言って泣けばよかったのか? 
泣いてりゃ、誰かが助けてくれんのか?
ひどいことされたんです、つらかったんです、そうやって憐れっぽくすがれば、
どこかの誰かが、かわいそうだねぇお嬢ちゃん、って具合にいい子いい子してチョコレートのひとつでも恵んでくれるってか。
──笑わせるぜ、ロック。そんなのはな、あんたのいた世界の理屈だ。こっちの世界じゃ通用しねェんだよ!
あたしのいた世界じゃ、たとえば、こうだ。
レイプ? どうせお前が誘ったんだろ? いくら金もらったんだ? メス犬は見境ねえな。
……そうやって全部あたしから誘ったことになって、いつの間にか、あたしは股のゆるい淫売ってことになってる。
──そして、最後にはこうだ。
ぐちゃぐちゃうるせェな、お前も気持ちよかったんだろ?
……どうにもなりゃしねェんだよ。どうにもなりゃしねえ! 
力のないあたしが悪かった。それを避けられなかったあたしが悪かった。それだけだ!
自分でどうにかできなかったことは、受け入れるしかねェんだ! 
それ以外にどうすりゃよかった? 他に、どうすりゃよかったってんだよ!」
レヴィは喉が裂けるような声で叫んだ。
「レヴィ……」

レヴィは叫んだ勢いのままの激しい目つきでしばらくロックを睨み上げていたが、ふとその目が力を失った。
同時に身体もほどけるように芯を失う。
「……クソ」
ロックから逃れるように顔をそむけて、レヴィは小さく毒づいた。
「レヴィ」
ロックは慌ててレヴィの両肘を取り、崩れそうになる身体を支えた。
レヴィは嫌がるように身体をよじったが、ロックはその肘を強く掴んだ。
「……クソ」
よろけかけたレヴィが、ロックの二の腕に手を触れた。
ロックの腕を支えにして顔を伏せ、小刻みに頭を振る。
呼吸を落ち着かせるように何度か大きく息を吸っては吐く。
そして息が静まった頃、伏せられていた顔がわずかに上がった。
澱んだ影をまとわりつかせた顔で、レヴィは小さく笑った。

「……過去は、消せねェな」

530 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 22:01:57.29 ID:AxEO8Ge+

「──レヴィ」
ロックはとっさに目の前の頭を抱き寄せていた。
『……過去は、消せねェな』、そう言って向けられたレヴィの顔は、ひどく頼りないものだった。
長い時間をかけて塗り固められた硬い殻が、一瞬のうちにぱらぱらと剥がれ落ちてしまった、そんな顔をしていた。
抱き寄せる力にレヴィは腕を突っ張って抵抗しようとしたが、
ロックはそれを封じて、引き寄せた頭をワイシャツの肩口に押しつけた。

──終わってないんだ。

ロックは頭を殴りつけられたような気がした。
終わっていない。
ロックは、あの映像を処分してしまえば、レヴィに起こったことごとを過去のものにしてしまえる気がしていた。
誰の目にも触れないところに葬って、もう二度と掘り返されることなく、過去は過去のまま眠らせる。

けれど、違う。
レヴィの中では、まだ“過去”などではないのだ。
少女の頃のレヴィは傷を癒す暇もなく、ただ外側を厚く鎧ってその傷口を覆い隠した。
そうして、少女はそのまま大人になった。
硬い鎧の中で、今もまだ傷は癒えていない。
映像を処分したからといって、その傷がなくなるわけではない。
終わらせられるわけではない。

──礼でも言われると思ったか?

ロックは今さらながらに自分の浅慮を悔いた。
レヴィの昔の映像を見つけ、それを処分した。
どこかで善行をつんだ気分にでもなっていたのか?
レヴィが感謝の念を示すとでも?
サンキュー、ロック、あんたのおかげですっきりしたぜ。
そんなふうに。

──ありえない。

「……レヴィ」
ロックはレヴィの後頭部を思いきり自分の肩口に押しつけていたことに気づき、手をゆるめた。
レヴィはほんのりと額の赤くなった顔を浮かせて、は、と息をついた。
乱れた前髪の下で、伏せられた睫が上下する。
ロックのもう片方の腕はレヴィの腰にまわっていた。
先ほどレヴィはロックの腕から逃れるように身をよじらせたが、今はもうそんなそぶりはみせなかった。
ロックの腕の中で、レヴィは静かに呼吸をくり返す。

ロックは息をひそめてレヴィを見下ろした。
なにか言ったら、すぐさまレヴィの表面にあの硬い殻が戻ってきてしまう気がした。
レヴィもまた、なにも言葉を発しなかった。
ロックの上腕に手を触れたまま、ワイシャツの胸に目を落とす。
ロックは、伏せられたレヴィの睫を見つめた。

531 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 22:02:34.46 ID:AxEO8Ge+

「レヴィ……」
ロックは沈黙するレヴィの腰をとらえたまま、もう一方の手をレヴィの頭に伸ばした。
目にかかりそうな前髪を親指ですくい上げ、耳へとすべらせる。
「……耳、冷たいな」
指に触れたレヴィの耳の縁は、先ほどまでの雪の冷たさを思い出させた。
冷たい耳を掌で包みこむと、レヴィが顔を上げた。
至近距離で目が合う。
少しばかり目尻の吊った薄茶の目がロックを見上げる。
レヴィはなにも言わない。
沈黙が耳に痛い。
互いの呼吸の音までもが聞こえてきそうだった。

その静寂に窒息しそうになった時、レヴィの睫がわずかにゆれた。
ふっと視線がロックの目から逸れる。
ロックはその動きにつられるように、身をかがめた。
ゆっくりと頭を落とし、レヴィの顔に寄せる。
レヴィは避けない。
呼吸が肌に触れそうな距離になったところで、耳にあった手を下にすべらせて親指のつけ根で顎を持ち上げると、
レヴィの顔がわずかに上を向き、唇と唇が触れた。

ロックは唇を合わせ、レヴィの腰を引き寄せた。
体温がぐっと近くなり、胸と胸が重なる。
ワイシャツ越しにやわらかい胸の感触がして、ロックの胸の上でふわりとわずかにつぶれる。
レヴィの背中や髪の先にはまだ冷気のなごりがまとわりついていたが、触れた唇は温かかった。
かすかな呼吸が頬をかすめ、身体の熱が混ざる。
唇はただ重ねるだけなのに、手も胸も腰も、
触れているところすべてからレヴィの気配が浸透してきて、胸苦しくなるほどだった。

ロックはそっと唇を離した。
レヴィの顔を窺うが、そこにロックを非難する色はない。
また重ねるだけの短い口づけをすると、レヴィは呼吸を合わせてそれに応えた。
ロックが下唇をついばむと、レヴィの唇が一瞬遅れて上唇をかすめる。
やわらかく押しあてると、腕の中の身体がわずかに反る。
唇の表面を撫で合うような口づけを何度も交わす。

ロックは深く口づけてしまいたい衝動をぐっとこらえて、たわむれのようなキスの応酬を終わらせた。
深く口づけたら、すでにもう身体の中でくすぶっている火が一気に燃え上がってしまいそうだった。
ロックは息の触れる距離でレヴィを見つめた。
もっとこんな方法でごまかすのではなく、言葉で伝えたいことがあるはずだった。
けれど、伝えたいはずのことは胸の中でとりとめもない靄となって漂うばかりで、
いったいそれをなんと言えばレヴィに届くのか、ロックにはわからなかった。
レヴィが依然としてひとりで持て余しているものがすぐそこにあるというのに、それに触れるすべが見つからない。
やわらかい中身に触れたら、そのまま握りつぶしてしまいそうだった。

532 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 22:03:05.61 ID:AxEO8Ge+

ロックが見下ろしていると、ふっとレヴィの顔が苦笑いに変わった。
「……んな顔すんじゃねぇよ」
同時に、片手がロックの首の後ろに伸びてくる。
ひやりと冷たい指先が首筋に触れる。
その指先に力が入ったかと思うと、レヴィの顔が迫ってきた。
レヴィは背伸びをしてロックの唇に自分の唇を寄せた。
温かい唇がやわらかく重なる。
ロックの腕の中で、背中がしなる。
首の後ろに伸ばされた手に促されるがままに頭を落とし、今度はロックの方から唇を押しつけると、
角度を変えた拍子に互いの唇が薄く開き、熱い息が混ざった。
ロックはたまらず、レヴィの腰を強く引き寄せて深く口づけた。
開いた唇のすきまから舌をすべりこませ、奥に差し入れる。
「──ん」
ロックの勢いに押されてレヴィの身体が反り返り、喉の奥が短く鳴った。
口の中は唇よりももっと温かい。
寄せた舌に唾液がからみ、混ざり合う。
舌先に触れる粘膜のやわらかさが、レヴィの身体のなかの感触を思い出させた。
熱く、やらわかく濡れて、ロックを締めつける──。

どくん、と心臓が大きく脈動した。
胸の奥が熱くなり、それが一瞬で腹の底にまで広がる。
舌でレヴィの口内をかき混ぜるたびに、血はぐんぐんと下半身に集中してゆく。
胸にあたるレヴィの乳房のやわらかさと、腕で巻き取った腰の締まりがやけに鮮明に迫ってくる。

ロックは静かに舌を引き抜いた。
このまま続けたら、劣情のままにレヴィを押し倒してしまいそうだった。
それでは昨晩の二の舞だ。
なにかから目を逸らすためだけに身体を重ねることはしたくなかった。

けれど同時に、昨晩を最後にすることもまた、耐えがたかった。
あれを最後にニューヨークをあとにしてしまったら、きっともう、今までのようには抱き合えない。
ロックとの情事も、レヴィの中ではニューヨークにまつわる暗い記憶のひとつとして、
胸の底に隠し持つ鋼鉄の箱に入れられてしまうだろう。
父親に虐待され続けた記憶や警官に強姦された記憶とひとつのかたまりとなって、レヴィの中で凍結される。
そしてロックを見るたびに、その黒く凝ったひとかたまりの記憶が頭をもたげてレヴィを苛むのだろう。

ロックはほんの少しだけ身体を離してレヴィを見た。
拒絶の気配がないか、じっと窺う。
「……んだよ」
無言で見つめられたレヴィが、きまり悪そうに顔をそむけた。
だが、ロックを押しのける様子はない。
ロックは腰を引き寄せていた腕をといてレヴィの手首を取り、ベッドの方へ一歩、下がった。
一瞬遅れて、レヴィの足も一歩出る。
ロックはレヴィの手を取ってベッドへ進み、部屋の灯りを落とした。


533 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 22:03:34.83 ID:AxEO8Ge+

下着一枚で毛布の中にすべりこんで、ロックは両腕の中にレヴィを囲った。
窓の外から暗い室内をぼんやりと照らす雪あかりが、レヴィの片頬をほの白く浮かび上がらせていた。
頭を落として口づけると、レヴィの腕が首にまわってくる。
舌をからませながら、首筋、鎖骨と手をすべらせ、乳房にたどりつく。
掌で包みこんで寄せ上げるとやわらかく形を変え、ロックの指を沈みこませる。
指につんと触れてくる頂点を指の腹で撫でると、レヴィの身体がゆらめく。
以前と変わらない、情事のはじまりだった。

しかし、二人の間にわずかな違和感が挟まっているのを見逃すことはできなかった。
レヴィは口づけに応えながらも、どこかロックの手のゆく先を息をひそめて窺っているような気配を滲ませていた。
ロックは合わせていた唇を離し、つんと尖った乳首を口にふくんで舌先でころがした。
唇でやわらかく挟みこみ、つまみ上げるようについばむ。
脚の間にすべりこませた手で下着を縦になぞり上げると、レヴィの太ももがきゅっと締まって膝が内側にゆれる。
下着の上から一点を中指の腹でくるくるとこね、そして奥に這わせてやわらかい肉の間を探ると、
段々とほとびてきた下着を通して、ロックの指先もしっとりと濡れた。

レヴィの下着を取り去り、とろりと濡れたなかに指を沈ませようとした瞬間、
わずかに肌の表面に緊張が走ったような気がしたが、あ、と思った時はすでに遅く、指はぬるりとなかに入っていた。
「──ん」
レヴィがため息のような声をもらし、吐き出された息がロックの肩口に漂った。
ロックの指は、温かくやわらかな粘膜に包まれていた。
先ほど舌で口内を探った時と同じ、いや、それよりももっと熱い粘膜がロックの指を包む。
指を前後させると、きゅうっと内側が締まって腰が小さくうねった。
とろりとした体液があふれ出し、ロックの指をつけ根まで濡らす。
深く沈めるたびに指はなめらかにすべり、最後には毛布の中で響くとろけた音が耳に届くほどだった。
「……レヴィ」
あの一瞬走った緊張は気のせいだったか、けれど、本当に続けてもいいのかとロックが耳のそばでささやくと、
レヴィはそれを催促の意と受け取ったのか、静かに膝を開いた。

ロックは開いた膝の間にすべりこんで先端をあてがった。
触れたところはひたりとロックの先端に吸いつき、少しでも腰に力を入れたら簡単に吸いこまれていってしまいそうだった。
ゆるやかに膝を立てたレヴィの脚はロックを外側から囲い、小さく尖ったくるぶしの骨がわずかに脛に触れる。
ロックは腹の中で猛る熱を持て余し、深く腰を沈めた。
「──っ」
ロックの先端が肉を割ったその瞬間、レヴィが息を飲んだ。
内側がきつく収縮し、ロックを締めつける。
一気に腰の裏まで快楽が突き抜けて、ロックは思わず身体をこわばらせた。
「……レヴィ」
上擦りそうになる声をなんとか抑えて、レヴィに覆いかぶさる。
顔の横で固く握られている手に指先をねじこんで、開かせる。
レヴィの指の間に自分の指を差しこんで握りしめながら、ロックは深く身体を重ねた。

534 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 22:03:58.97 ID:AxEO8Ge+

「レヴィ」
耳のそばで名を呼んでも、答えはない。
ただロックの身体の下で胸だけが不規則な呼吸に震えていた。
「……レヴィ」
ロックは首筋に口づけて、ゆっくりと身体をゆらした。
腰を動かした途端、ロックをぴったりと包むやわらかい壁を押しわけた感触がして、
わずかに引き抜き、そしてまた沈めると、身体の芯を湧きたつような快楽が駆け抜けていった。
腹の底で欲求がふくらみ、出口を求めてざわめき出す。
刺激を求める衝動は抑えきれず、無意識のうちに腰の動きは大きくなっていた。
やわらかい身体のなかを突けば突くほどレヴィの内側はとろけていって、ロックの腰の動きをなめらかにした。

だが、ロックが指をからませているレヴィの手は、依然としてこわばっていた。
ロックが身体をゆらすたびに、くっ、と喉の奥が小さく鳴る。
目はぎゅっとつぶられ、眉はきつく寄せられている。
深く穿つと、その眉がさらにきつく寄って、顔がそむけられた。
ロックは口づけようと顔を寄せたが、レヴィはその気配にも気づかず、枕に顔をうずめるばかりだ。
「レヴィ」
ロックはその顔を無理矢理自分の方に向かせて口づけた。
頬を片手で包みこんで、唇を重ねる。

──思い出すな。

レヴィがまた過去の方に引きずられそうになっているのは明らかだった。
奥を突くたびにレヴィの呼吸は奥に引っこんでゆき、うまく吐き出せない息のせいで呼吸がいびつに乱れた。
口づけをくり返してもレヴィの身体のこわばりはとけず、過呼吸のような息の吸いかたのせいで胸が不自然に震えた。
「レヴィ」
ロックは唇をレヴィの首筋に押しつけて、硬直した肩を掌で包んだ。

思い出すな。
ロックはレヴィの肩口に顔をうずめながら思った。
思い出すな。
レヴィの中に未だ刻みつけられている記憶があるのはわかる。
それが簡単に拭い去ることなどできないということもわかっている。
けれど、今は俺と身体を重ねているのだから、俺を見ろ。
ロックがどうあがいても、過去のレヴィには届かない。
あの少女に手を差しのべたい、あの少女を救い出したいといくらロックが願っても、その手は決して過去には届かない。

──じゃあ、俺はどうすればいい?

535 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/21(水) 22:04:56.90 ID:AxEO8Ge+

「……忘れろ」
ロックはレヴィの耳元でうめいた。
自分はどうすることもできないまま、自分と肌を重ねるたびに他の男に犯された記憶と重ねられるのは、たまらなかった。
胸は鉛を流しこまれたように重く、苦しい。
「忘れろ」
もうお前はあんなふうに床に這いつくばらなくてもいいだけの力を持っているし、
お前を傷つけようとする者を自分の手で排除することができる。
あんな記憶にとらわれ続ける必要なんかない。
「忘れろよ、レヴィ」
レヴィの耳のすぐそばでくり返して額を撫で、髪に指を差しこむと、レヴィがなにごとか言葉を発した。
「……あんたが」
「──え?」
小さく漂った声にロックが顔を上げると、下から見上げるレヴィと目が合った。

「──あんたが、忘れろよ」

ほとんど息のような声だった。
語尾はかすれ、唇はわずかに震えていた。
レヴィの目は、すがるような色でゆれていた。

ロックは言葉を失った。
「──レヴィ」
やっと絞り出した声は、レヴィの名を口にしたっきり、喉の奥で固まった。

忘れられるわけがない。
あんな記憶、忘れられるわけがない。
たった一度見ただけのロックですらそうなのだ。
レヴィが忘れられるわけないじゃないか。
忘れろと言われて忘れられるくらいだったら、とうに忘れている。

──俺は……。

ロックは頭を落とし、レヴィの首筋に顔をうずめた。
……レヴィ、とささやいた声は音にならず、レヴィの髪の中に吸いこまれていった。
ロックはぎゅっと目をつぶり、上から覆いかぶさってレヴィを抱きしめた。

『──あんたが、忘れろよ』

閉じた目の裏には、たった今見たレヴィのゆれる目の色が、いつまでも残っていた。


540 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 17:52:10.42 ID:osD2FqAf

 * * *

「俺は、──レヴィを、見つけたんだ」
それを聞いた時、レヴィはロックの言葉の意味を把握できずに眉をひそめた。

──どういうことだ。

だが、最初の不可解さは話が進むにつれて驚愕へと変わった。
いや、驚愕すらしていなかったのかもしれない。
少女の頃のレヴィが警官に犯されている映像を見つけた、そうロックに告げられた時、レヴィの頭は真っ白になった。
それまで考えていたことが吹っ飛んで、突然コードを引き抜かれたブラウン管のようにすべての機能が停止する。
なにか考えなくてはいけないことがあるはずなのに、まったく思考が立ち上がらない。
ビデオショップ、ポルノビデオ、警官、レイプ、マスターテープ、そんな言葉がぼやぼやとレヴィの外側で漂う。

──どういうことだ。

なんとか働き出したレヴィの頭は、無数の「なぜ」に埋めつくされた。
ロックの説明はちっとも頭に入ってこない。
警官に犯された、その記憶はある。
ビデオカメラが撮影していた、そんなこともあったような気がする。
けれど、その映像がどうしてビデオショップに?
いったい誰が、どういう経緯で?
……いや、そんなことは問題ではない。
レヴィはあちこちにとっ散らかる思考をまとめて振り払った。
問題なのは──、

「……見たのか?」
「え?」
「あんたはそのビデオ、見たのか?」

はたしてロックはそのビデオテープの中身を見たのか。
レヴィにとって重要なのはその一点だった。
レイプもポルノビデオも、今はどうでもいい。

──見ないでいてくれ。

どうかロックがそれを見ていませんように。
思うのは、それだけだった。
レヴィはほとんど祈るような思いでロックの答えを待った。

「…………見た」

うめくように絞り出したロックの答えを聞いた時、足元がぐらりと傾いだ気がした。

──……見た、のか。

ロックが、見た。
ロックが、警官に犯されている自分を、見た。
すうっと頭の中を冷たい液体が流れていった。
ロックが見た、その事実はひたひたとレヴィを浸食していった。
胸の中でなにかが崩れていくような気がした。

541 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 17:52:56.26 ID:osD2FqAf

だが、レヴィは一瞬で我に返った。
そして、そんなふうに衝撃を受けた自分に驚いた。
ロックはそんな映像を見ずとも、レヴィが大勢の男に股を開いてきたことくらい知っているだろう。
ファックなんか屁でもない。
金のためだったら喜んでディックをしゃぶり、どんな男のものでもゆるいプッシーに咥えこんで腰を振る、
レヴィとは元々そういう女なのだと、ロックは最初からそう思っているに違いない。
こんな映像ひとつ見られただけで崩れるものなど、なにもない。
いったいなにを期待していたのだ、いったいロックにどう思われていたかったのだと、レヴィは自分を戒めた。
きっとまた、いつもの病気が出ただけのことだ。
この男の基準でいう「間違っていること」を見逃せない、あの病気が。

けれど、
「下らねェことで無駄に危ねぇ橋渡ってんじゃねえぞ!」
ロックの胸ぐらを掴み上げてそう怒鳴りつけたレヴィに対し、
「俺が、レヴィのあんな姿を他の誰にも見せたくなかった。もう、誰にも見せたくない!
……それのどこが下らないっていうんだ!」
そうやって怒鳴り返してきたロックに、またしても気持ちがゆらいだ。
ロックは睨みつけるレヴィの向こうを張って、射るような眼差しで見下ろしていた。
その、怒りともどかしさが渾然一体となった視線が、レヴィを突き刺した。

──本気か?

レヴィはロックの正気を疑った。
もしかして本気で、誰にも見せたくないという一心で処分したというのか?
他の誰にも見せたくない、たったそれだけの理由で?
一文の得にもならないのに?
レヴィの手を握ったロックの手はゆるぎない。
ロックは、どうしてこんな簡単なことがわからないのだという焦れたような目をしていた。
胸ぐらを掴んでいたはずのレヴィの手はいつの間にか、ロックの手の中で力を失っていた。

「……見せたくない、か」
ロックの勢いに気圧されるように、張りつめた気持ちがしぼんでいくのがわかった。
ロックはどうやら本気で言っているらしい。
信じられないことだが、本気らしい。
けれど、本気でそう思ってくれているのだとしたら──。

「……あたしが一番、見られたくなかった奴を教えてやろうか」
しぼんだあとに残っていたのは、先ほど追いやったはずの女々しい感情だった。
「──あんただよ、ロック」

気づいた時には、言葉は唇からするりとこぼれ出ていた。
ロックの顔は一瞬凍りつき、そして、苦いものを無理矢理口につめこまれたような表情に変わった。
その表情は、自分がなにかを傷つけてしまったようにも、自分が手ひどく傷つけられたようにも見えた。

542 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 17:53:24.34 ID:osD2FqAf

言うつもりのなかったことを口に出してしまった。
たちまち自己嫌悪が湧き上がってきて、レヴィは話を終わらせるべく口を開いた。
「……最後のは、忘れろ」
こんな感情に翻弄されるなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
ロックと話していると、どんどんペースを乱される。
いつの間にか余計な感情が芽生え、言うはずのなかったことを口走っている。
ここはシャワーでも浴びて正気を取り戻し──、そう思った時、ロックに肩を掴んで引き寄せられた。
「レヴィ……」
情けない顔で見下ろしてくる男に、レヴィは改めて後悔した。

──言うんじゃなかった。

一番見られたくなかったのはあんただ、そんなことを言ってなんになるだろう。
聞かされた方は困るだけだ。
レヴィは同情を買おうとして言ったわけでも、ロックを責めて言ったわけでもなかった。
警官からの仕打ちもそうなるべくしてそうなったこと、いわば必然だ。
立場はちゃんとわきまえている。

しかし、ロックはそれで納得しなかった。
「立場ってなんだよ、レヴィ。そんな立場、あってたまるか!
なんでそんなに物わかりのいいふりをするんだ、レヴィ!」
愚直ともいえるストレートさで切りこんでくるロックに、レヴィの中でどうしようもない苛立ちが頭をもたげた。

──どうして、あんたは。

どうしてロックは、こうしてレヴィが必死に理性を保とうと踏ん張っている足をすくいにくるのだろう。
レヴィの外面を剥ぎ取り、目をそむけていた本音を剥き出しにするのだろう。
捨ててきたはずのものをわざわざ拾い上げて、迫ってくるのだろう。
もうレヴィ自身にも、ぐらぐらとゆれ続ける感情を制御することはできなかった。

543 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 17:53:47.40 ID:osD2FqAf

気づいた時には、ぶちまけていた。
知られたくなかった。
レヴィがどんなに自分の境遇を呪い、どんなに誰かの手を待ち望み、
そして、どんなふうにして与えられなかったものを諦めてきたかを。
この世は持てる者と持たざる者でできていて、レヴィは持たざる者なのだ、
そう自分を納得させずに、どうして生きていけただろう。
決して与えられないものを望んで、願って、そして手ひどく裏切られることを何度くり返せばいい?
ならば最初から、お前にやれるものはなにもないのだと、
お前は家畜同然のメス犬なのだと言われた方が、よっぽどましだった。
メス犬だから、人間のように扱ってもらえなくて当然。
靴の裏で踏みつけられ、唾を吐きかけられて当然。
人間の扱いを望む方が間違っている。
望むな。願うな。
それが、レヴィの出した答えだった。

そしてレヴィは、ロックにだけは知られなくなかったのだ。
レヴィがどんなふうに生きてきたのか──いや、どんなふうに犯されてきたのか、を。
知られなければ、涼しい顔をしてこのままの関係を続けていけると思った。
悪いことならなんでもやった、そんなふうに苦労をちらつかせ、
仲間に淫売扱いされるくらい辛いことはない、そうほのめかして牽制し、
温室育ちのあんたにわかるはずがない、それを盾にして踏みこませず。
でも、無理だ。
あったことは消せず、やったことは取り戻せない。
ロックに口出しされるのがただただ苛立たしかった、いつかの夕暮れの屋台での怒りは、次第に恐れへと変わっていた。
知られるのが怖い。
ロックにすべてを知られるのが、怖い。
レヴィの過去をすべて知ったら、ロックはなにを思うだろう。
初めて自分を人間の女として見てくれた男に、軽蔑されたくなかった。
ロックの顔が蔑みに変わるところを、レヴィは見たくなかった。
けれど、あったことはあったこと。
いくら隠しても、なかったことにはできない。

「……過去は、消せねェな」

レヴィはそれを、嫌というほど思い知った。

544 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 17:55:40.69 ID:osD2FqAf

また余計なことを口に出した、そう思った瞬間、強い力で引き寄せられた。
逃れようとしても、腰と頭を抱きこむ腕に封じられる。
こんな醜態を演じたいわけじゃない、もう見ないでほしい、そう思うが、ロックの腕はそれを許してくれない。
窒息するほど強く、顔をワイシャツの肩口に押さえつけられた。

やめてほしい、とレヴィは思う。
同情などいらない。罪悪感で優しくする必要などない。
腹の中で軽蔑されるくらいなら、面と向かって蔑まれた方がまだましだ。

けれど、苦しくなるほど強く拘束されて視界を奪われると、ロックの発した言葉の数々がよみがえってきた。
レヴィの映像があんなふうに見られてるのが許せなかった、もう誰にも見せなくない、
俺は耐えられなかった、許せなかった、そのままにはしておけなかった、
意地になったような口調の激しさが頭の中でよみがえり、こだまする。
ロックの身体からは雪のにおいがした。
行き先も告げずにさまよい歩いていたレヴィを見つけるまで、いったいどれだけ探したのだろう。
レヴィ、と叫んで雪の中を駆け寄ってくる姿、顔のまわりで白く漂う息、
寒そうだから、とマフラーを引っぱり出して巻きつけてくる手、マフラーの赤、ツリーのライトの照り返し、
つい先ほどの光景が次々と浮かんでは消えてゆく。

なにを信じようとしているのだ、今信じようとしているものはこの世には存在していない幻のようなもの、
信じたって馬鹿をみるだけだ。
必死で自分を戒めるが、ロックの体温と鼓動はレヴィのちっぽけな自戒を吹き飛ばす。
耳に触れられ、顎を持ち上げられ、気づいたら自然に口づけを受け入れていた。

戸惑いがちにベッドへと誘われ、レヴィは引き寄せられるように従った。
部屋の灯りを落とし、服を脱がせ合い、毛布の下で折り重なる。
ロックは口づけを落とし、レヴィの首に手を這わせた。
やわらかい指先が首筋を伝い、鎖骨を越えて降りてゆく。
乳房にさしかかっても手は慌てない。ゆっくり、ゆっくりと這い落ちてくる。
そして掌全体が乳房を覆うと、くるりと手首がまわって丸く包みこまれた。
ロックの掌は乳房の形に変形し、そのままやんわりと寄せては上げる。
自分の乳房がロックの手の中で形を変えているのがわかる。
染みこんできたロックの体温が、じわりと喉を上がっていった。

ロックの手つきはいつもと変わりない。
丁寧で、礼儀正しく、荒っぽいところがまるでない。

けれど、ロックの手つきが丁重であればあるほど、レヴィの中には得体の知れない不安が湧き上がってきた。
ロックはいったい、ビデオテープの中になにを見たのだろう?
頭の裏側にこびりついていた疑念が、むわりとふくらむ。

545 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 17:56:10.57 ID:osD2FqAf

昔のレヴィが警官にレイプされていた、ロックの話からわかったのはそれだけだ。
ロックは、具体的にレヴィがなにをされていたかについては一切言わなかった。
檻の中で警官にレイプされたのは覚えている。
薄暗い房に漂う下水のにおいも、冷たく硬いコンクリートの感触も、手に取るように思い出せる。
けれど、カメラがまわっていた時にいったいなにをされたのだったか、レヴィはそれが思い出せなかった。
殴られた時の衝撃、腹にめりこむ拳の感触、饐えたにおいを放つ陰茎、喉の奥を突かれる嘔吐感、
無理矢理身体の中に侵入される痛みと、叫び出したくなるほどの嫌悪感、
そんな記憶が断片のように残ってはいるが、それがいったいいつのことだったか、
思い出そうとすればするほど記憶は輪郭を失い、黒く溶けて混ざり合ってしまうばかりだった。

──あたしは、なにをしていた?

レヴィは笑い出したくなった。
レイプされたことなど、一度や二度ではない。
犯されたことが多すぎて、いつのことだかわからない、だなんて。

ロックはまるでなにも見なかったかのように、いつもと変わらない手つきで乳房をこねる。
脇からすくい上げ、先端を親指の腹で刺激し、そして唇で挟みこむ。
尖った先端を濡れた唇でつままれると、剥き出しになった神経を直接撫でられたような刺激が走った。
今まで乳房にあった手はいつの間にか脚の間に移動して、下着の上から丹念に肉の割れ目を撫でていた。
そっと縦にこすり上げて指の腹を押しつけ、布越しにやわらかく陰核を圧迫する。
ぴたりと正確に探しあてられた布の下で、小さな突起がひくりと反応した。
ロックの指はふと離れたかと思うとまた戻ってきて、今度はくるくると揉みほぐす。
快楽を誘い出そうとしてくるような指の動きに、身体の奥からぬるい体液が滲み出た。
指は、その滲み出た体液の気配を感じ取ったようなタイミングで奥を探った。
滲み出たうるみが、下着越しにロックの指にかきまわされる。
その指で撫で上げられると、襞の間にもぬるい液体が浸透した。
ロックの指の下で、薄い下着は見る間に湿っていった。
内側がとろけ、それが下着の中に広がっているのが、ロックの指の動きでわかる。
ロックがほんの少し指を動かすだけで薄い布はぬるりとすべり、下着の中のとろけた粘膜が刺激される。
すっかり濡れてしまった布に指先をめりこませて陰核を探り出されると、
抑えきれない快楽に、またしても身体の奥からとろりと熱があふれた。

ロックの与えてくる刺激に腰をゆらめかせながら、レヴィの頭の中では止められない想像が広がる。
ビデオテープの中の自分は、いったいなにをしていたのだろう。
警官のものをしゃぶっていたか?
股を開いて、腰を振っていたか?
それとも、犬のように四つん這いとなって尻を高く突き上げていたか?

546 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 17:56:44.95 ID:osD2FqAf

「──ん」
ロックの指が濡れたなかに入ってきて、レヴィは思わず息をもらした。
うるんだ内側にロックの指が根本まで埋まる。
やわらかい内壁をこすられると、奥から新たな体液が滲み出る。
とろけた液体をまとわりつかせて、ロックの指はレヴィの内側を往復した。

すっかり身体を溶かされ、脚の間に入りこんだロックに腰を沈められた時、レヴィはこぼれそうになった声を噛み殺した。
濡れた肉がゆっくりと押し開かれ、身体の内側をロックが進む。
やわらかくほどけた身体は、簡単にロックのすべてを飲みこんだ。
身体の内側が、ロックで満ちる。
「……レヴィ」
小さくささやかれた声のあと、ロックの気配が近づいた。
温かい息が頬に触れる。

──あたしは、そのビデオテープの中でなにをしていた?

ロックの気配を身体の内側に感じ、膣をひくつかせながら、
レヴィはどうしようもなくふくらみきった不安に押しつぶされそうになった。
ビデオカメラの前でなにをしたのか、レヴィは覚えていない。
けれど、覚えていなくともたかが知れている。
警官に突っこまれ、無様な姿を晒していたのだろう。
そんな女が今になって、こんな普通の女みたいなやりかたで身体を重ねている。
砂糖菓子のような愛撫を歓び、内側を満たされて甘い声をもらそうとしている。
そんな資格はないのに、優しくされたがっている。
ロックはそんな姿を見てどう思うだろう。
 
──滑稽だ。

レヴィはどう振る舞っていいのか、まるでわからなくなった。
前のようにロックと触れ合い、身体をゆらし合って口づけを交わす、
そんなことをしようとすると、頭の片隅であざ笑う悪魔の声がする。
──この男はどう思ってるだろうね?

『お前も気持ちよかったんだろ?』
いつか言われた誰かの言葉がよみがえる。
もし、ロックもそう思っていたら?
レヴィも、犯されながら気持ちよかったのだと、そう思われていたら?
それを考えると、胸を鈍器で叩きつぶされたような痛みが走った。

ロックはレヴィの身体をゆさぶりながら、どこか怖々と様子を窺っていた。
戸惑いがちに腰を進め、探るように奥を突く。

あんたはなにを見た?
そしてそれを見て、どう思った?
今、なにを思っている?
知りたいのに、訊けない。

『レヴィ、あの時、ほんとはお前も気持ちよかった?』

もし、そうロックに訊かれたら?

──耐えられない。

547 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 17:57:13.72 ID:osD2FqAf

どうすればいいのかは依然としてわからないのに、
とろけた内側をロックが前後してゆく感覚に、快楽がふくれ上がった。
ロックが深く腰をうずめるたびに濡れた肉がやわらかくこねられて、ぬるい液体がとろりとあふれ出る。
さらになめらかになった身体の内側をかき混ぜられ、快楽は一気に喉元まで押しよせた。

──違う。

レヴィはあふれそうになった嬌声を無理矢理押し戻した。
そして、これは違うんだ、と念じる。
今、自分はロックと身体を重ねてこうして股を濡らしているけれど、これは違う。
あの時とは違う。
男に突っこまれて、いいと思ったことなんて一度もない。
よかったことなんて一度もない。
ロックと身体を重ねるまでは、一度も。
しかし、それを言葉にすることもできず、レヴィは抗えない熱を持て余して枕に顔をうずめた。

「レヴィ」
ロックはそむけた顎をとらえて唇を寄せてきた。
唇がやわらかく重なり、頬が掌に包みこまれる。
だが、ロックの声には隠しがたい影が色濃く滲んでいた。
苦悩をまとわりつかせた声でレヴィの名を呼び、口づけをくり返す。
レヴィはどう応えたらいいのかわからず、ただ声を殺した。
胸の中ではちきれそうになっていた空気が喉にひっかかる。

「……忘れろ」
レヴィの肩口に顔をうずめてロックが言った。
うめくような声だった。
ロックの呼吸が耳元に漂い、髪に吸いこまれてゆく。
「忘れろよ」
ロックはくり返す。
まるでレヴィではなく自分が痛めつけられたように、ロックは「忘れろ」と声を絞り出した。

そうじゃない、とレヴィは思う。
あんたがそんな声を出す必要はない。
レヴィが望むのは、忘れることではない。
「……あんたが」
「──え?」
レヴィの肩口から顔を上げたロックに、レヴィは言った。
「──あんたが、忘れろよ」

忘れてほしい。
ロックこそが、忘れてほしい。
レヴィがどんなふうに脚を開いたか、レヴィがどんなふうに他の男の陰茎を膣におさめたか、
どんなふうにしゃぶって、どんなふうに声を出して、どんなふうに突かれたか、
ロックが見たものを、全部、全部忘れてほしい。
忘れてくれるだけでいい。
レヴィはロックの頭の中に手を突っこんで、根こそぎ記憶を引きずり出してしまいたかった。

548 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 17:57:51.47 ID:osD2FqAf

「──レヴィ」
ロックは表情を凍りつかせたあと、ゆっくりと頭を落とした。
レヴィの肩口で熱い息が漂う。
ロックの身体はわずかに震え、その様子はまるでロック自身が苦悩しているかのように見えた。

──なんで、あんたが。

レヴィは戸惑った。
どうしてロックが、こんな苦しげな声を出さなくてはいけない。
ロックが苦しむ必要などどこにもないのに。
ロックがなにを見たかは知らないが、すべてはレヴィの身に起こったこと、ロックに起こったことではない。
ロックにはなにも関係がないことだ。
いかにレヴィが虐げられてこようが、ロックは痛くも痒くもないはず。

──それを、どうして、あんたが。

レヴィは肩口にうずめられたロックの頭に手を伸ばした。
そして、触れた後頭部をそっと撫でる。
首筋には、押し殺したロックの息が熱くこもっていた。
肩口で、ロックの眉がきつく寄せられている気配がする。
それを感じ、レヴィは自分の眉もゆがんでいくのがわかった。

──んな顔、すんな。

ロックにそんな顔をさせたいわけではなかった。
けれど、それならいったいどうすればいいのか、レヴィは皆目見当がつかなかった。
レヴィはただロックの頭を撫で、逆の手を背中にまわし、抱いた。

ロックを抱き寄せて身体を密着させると、つながっていたところがじわりとこすれた。
にわかにロックが身体のなかに入っているのが生々しく感ぜられて、反射的に内側がひくりと震える。
ロックの腰もそれに反応して、ぐっと力が入る。
すでにうるみきっている内側を刺激されて、レヴィは思わず息をもらした。
どちらからともなく、互いの身体はまたゆらめき出していた。

レヴィはロックの背中に腕をまわして肌を合わせながら思った。
もっと前に出会っていれば違っただろうか、と。
こんなに汚れきることなく、大勢の男に使い古されたあとではなく、もっとまっさらだった頃に出会っていれば──。
ロックは知らないだろうが、自分だって最初からこんなふうに汚濁にまみれていたわけではなかったのだ。
もっとずっと昔は、少なくとも今よりは爛れていなかった。
その頃にロックと出会っていたとしても、そのまま一緒に清浄な道を歩んでいけたとは思わない。
どう迂回しようと、結局レヴィの行きつく先は肥溜めだ。
それはわかっている。
けれど──、

「……あんたが最初だったら、よかっ──」

よかったのに、そう最後まで言いきる前に、レヴィは急いで言葉を飲みこんだ。
見開いたロックの目が、レヴィを見下ろしていた。

549 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 17:59:17.76 ID:osD2FqAf

──なにを馬鹿なことを。

レヴィは瞬時に我に返った。
今、自分はなにを言おうとしていたのだ。
そんなものはまったく空虚な仮定だ。
無益な感傷に流されただけでなく、あろうことか口に出してしまったなんて──。
レヴィが慌てて取り消そうとしたその時、ロックの指が髪の中にもぐりこんできた。
ざっくりと髪をかきわけ、レヴィの頭をぐいととらえる。

「──俺が、最後だ」

耳のすぐそばからそそぎこまれた言葉に、レヴィは息を飲んだ。
──は、と意味もなく短く息がもれる。
顔が奇妙にゆがみ、唇が震えるのを感じた。

なにを言っているのだろう、この男は。
下らない戯れ言につき合う必要はない。
なに言ってるんだ、レヴィ、らしくないな。そう言って笑い飛ばしてくれていい。
しかしレヴィは、胸の奥からこみ上げてくる熱のかたまりに邪魔されて、言葉を発することができなかった。

「──あんたは、馬鹿だ」
やっとのことで絞り出した言葉の語尾は、低く抑えたつもりが、わずかにつぶれた。
「……ああ、知ってる」
ロックは低く返した。
そして、腰が押しこまれる。

「──あ、」
かき乱されていっぱいになった胸には、これ以上なにもとどめてはおけず、声がため息とともにこぼれ出た。
ロックはレヴィに覆いかぶさり、大きく腰を動かした。
ロックからはもう、先ほどの躊躇や戸惑いは感じられなかった。
深くうずめ、ぎりぎりまで引き抜いて、また奥まで差し入れる。
奥を突き崩して、とろけた内側を舐めるように戻る。
ほんのわずか入り口にとどまったかと思うと、合わさった肉を押し開くようにぬるりと進む。
うるみきった内側を、ロックが往復する。
「…………ん」
たまらずレヴィは腰を浮かせ、ロックの背中を抱きしめていた。

ロックは腰を休めず、レヴィの首筋に唇を落とした。
荒くなった息がレヴィの肌を熱くしめらせ、互いの胸の間に熱気がこもる。
「……レヴィ」
ロックはレヴィの首筋を何度も吸い上げ、耳元で低く名を呼んだ。
「──ん…………っ」
頭の内側で響いたその声に、レヴィの胸は大きくざわめいた。

レヴィ、と何度も名前を呼び、何度も口づけを落としてくるこの男に、身体ごと引きずられそうになる。
抑えようもない感情に流されそうになる。
なにも知らなかった遠い昔に信じていたものを、また信じそうになる。
神様なんかいない。
愛なんかない。
もしそれが存在しているのだとしても、それはあたし用のもんじゃない。
幻影に焦がれるのはやめろ。
そう悟ったのに。

ロックと肌を合わせていると、あるはずのないものが見えてくる。
今まで感じたことのなかった、奇怪な気分になる。

まるで、本当に愛されているみたいな──。

550 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 17:59:52.80 ID:osD2FqAf

ロックはレヴィの首元から頭を上げると、腰の動きを速めた。
レヴィの内側からあふれ出た体液が小さく音をたて、外側にこぼれ落ちた。
開ききったレヴィの身体を、ロックが往復する。
腰を強く押しつけられて、陰核も一緒にこねまわされる。
「……ん、──あ、……あぁ…………っ」
せき立てられるような快楽に、自然、身体が反った。
ロックはその浮いた腰の隙間に腕を差し入れ、ぐっと引き寄せた。
レヴィの腰をすくい上げるように抱いて、突きたてる。
密着させた身体が、発光するかと思うほど熱い。
互いの身体から滲み出た汗で肌がすべる。
息も、汗も、熱も、ロックのすべてが身体の奥に染みこんでくる。
ロックに、浸食される。

──ロック。

それしか考えられなくなり、やがてそれすらも頭から吹き飛んだ時、レヴィは快楽の海へ投げ出された。


551 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 18:00:42.19 ID:osD2FqAf

レヴィは指先が食いこむほど強く、ロックの背中を抱きしめていた。
身体を芯から震わせる脈動はなかなかおさまらない。
深いところで脈うつように身体が痙攣する。
レヴィは呼吸もままならない身体を、何度もロックに押しつけた。
ようやく白飛びした意識が戻ってくると、突然、心臓の鼓動の速さを自覚した。
心臓は喉元までせり上がってどくどくと脈うち、息は全力で走ったあとのように乱れている。
レヴィと同じように、ロックの心臓も音が聞こえてきそうなほど激しく脈動していた。
重なった胸の間で、それぞれ微妙にずれた鼓動が混ざり合った。

ロックは荒い息をさせたまま、ぐったりしていた上半身を持ち上げた。
「……レヴィ」
しばらくそのまま見つめ合ったあと、挨拶のような口づけが落ちてくる。
やわらかく唇を合わせると、互いの息がまだ回復していないのがわかる。
熱っぽい唇を離し、そしてロックが身体を浮かせると、レヴィの身体のなかに入っていたものがするりと抜け落ちた。

後始末をするために離れていったロックに、レヴィはのろのろと背を向けた。
ほんの少し前は脚が攣るかと思うほど全身を強ばらせていたというのに、今では身体は溶けきった氷嚢のようだった。
視線の先には、カーテンの開いた窓があった。
外では相変わらず雪が降り続いている。
白い雪粒があとからあとから降りそそぎ、高層ビルのシルエットをかすませる。
レヴィは熱い手を毛布から外に出し、ほの白い窓に向かって広げてみた。
五本の指が開いた掌のシルエットが、黒く浮かび上がる。
身体は未だに熱く、指先のほてりはおさまらない。
今あの雪を指先で受けとめたら、きっとひんやりとして心地よいだろう。
ぼんやりとそんなことを考えていたことに気づき、レヴィは苦笑した。

まだロックと出会う前、ニューヨークにいた頃のレヴィにとって、雪は体温を奪い、命を脅かすものでしかなかった。
雪も、冬も、寒さも、大嫌いだった。
いや、おそらく嫌いでないものなどほとんどなかった。
欲しいのは、銃と、金と……、──それで全部。
あの頃は、憎悪だけで生きていた。
目に入るものすべてが腹立たしく、憎らしく、すべてをぶち壊してしまいたい衝動に突き動かされるように生きていた。
どうせあたしはこの世の害悪。
だったらお前らの望む通り、害悪は害悪らしく生きてやる。
長生きなんかしたくない。
ぬるい幸せなんかいらない。
あたしの喜びは、あたしの放った銃弾が忌々しいクソ野郎の額をぶち抜くところを見ること。
血をぶちまけながらのたうちまわる姿を見ること。
そう遠くない先に、あたしは泥沼の底でくたばることになるだろう。
その前に、せいぜい死体の山を築いてやることにするさ。

そうやって、欲しかったものすべてを葬った。

だが、その十年後には、羨望の目で見つめていたカップスープが自分のものとなり、
死ぬまで縁がないと思っていたクリスマスプレゼントが思いがけなく降ってくる。
苦痛をもらたすものでしかなかったセックスも、相手によってはそんなに悪いものじゃないと知る。
欲しいものなどなにもないと思っていた。
望んでいるものなどなにもない。
あたしは世の中の仕組みをわかっていて、いちいち傷ついたりなんかしない。
誰の助けも不要だ。あたしは一人でうまくやっていく。
けれど、とレヴィは思う。

けれど、本当はずっと、大丈夫なんかじゃなかったのかもしれない──。

552 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 18:02:11.72 ID:osD2FqAf

「レヴィ」
その時、突然背後から声をかけられて、レヴィは顔だけで振り返った。
「そんな腕出してたら冷えるぞ」
いつの間にかそばに戻ってきていたロックが、毛布を片手に見下ろしていた。
熱い熱いと思っていたが、言われてみれば肩先はずいぶんと冷えてきていた。
レヴィは腕を引っこめ、ロックが引き上げる毛布の下にすべりこませた。
後ろからロックの体温が迫ってきて、腰にゆるく腕がまわる。
「……ロック」
レヴィは背を向けたままつぶやいた。
「──ん?」

「………………サンキュ」

背中で、ロックがわずかに息を飲んだ気配がした。
「俺は……、俺は礼を言われるようなことなんてなにも──」
「うるせェな、それぐらい黙って受け取れねえのかよ」
言うと、腰にまわったロックの腕に力が入った。
背中に感じるロックの身体は温かい。

──十年だ。

レヴィは、使い慣れない銃を両手に抱え、寒さに身を震わせていた少女に向かって心の中で呼びかける。
すべてを諦めたつもりになり、奈落の底だけを見つめていた少女へ呼びかける。
あと十年すれば、お前はその時知らなかったものを知るようになる。
どうして世間の奴らがあれだけクリスマスを待ち望んでいるのかを知り、
雪の日に飲むスープの温かさを知り、他人の体温の安らかさを知る。
そして、レヴィの痛みを自分の痛みと感じる人間がこの世に存在することを知る。

──だから、生き延びろよ。

レヴィはロックの腕に囲われて、見るともなしに窓の外で降る雪を見た。
雪は眠りを誘うような一定の速度で次から次へと降り続ける。
毛布の中はとろとろと温かい。
ロックの体温に包まれ、レヴィはいつの間にか眠りに落ちていた。


553 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 18:03:28.86 ID:osD2FqAf

 * * *

翌朝、三日間降り続いた雪は嘘のようにやんだ。
分厚い雲に覆われていた太陽は漂白されたような光を振りまき、高層ビルの窓ガラスをまぶしく反射させた。
閉鎖されていたJ.F.ケネディ空港は晴れて通常運行となり、
ロックとレヴィはようやくニューヨークを離れ、ロアナプラへと戻れることとなった。

レヴィは混み合った空港ロビーのシートに座り、新聞を開いていた。
政治、経済、大雪、それらのニュースに追いやられた片隅で、その記事は小さく囲われていた。
ブルックリン郊外で身元不明の東南アジア人らしき女性の遺体が発見され、
その女性は腹部を鋭い刃物で切り裂かれた状態で置き去りにされていた、簡素な記事はそう伝える。

「レヴィ、行こう」
「ああ」
そばにやってきたロックに声をかけられ、レヴィはシートから腰を上げた。
新聞を小さく折りたたみ、ゴミ箱にねじこむ。
その新聞を目で追って、ロックが訊いた。
「なにかニュースでも載ってた?」
「……いや、別に。金儲けの話、陣取り合戦の話、いつもの通りさ。便所紙ほどの役にも立たねェ」
レヴィはマフラーの分だけ来た時よりもふくらんだ荷物を持ち直し、搭乗口へと足を進めた。

そう、ロックが知るべきことはなにもない。
合衆国が世界の先導者たらんと血気を上げるその陰で、今日も人が人を殺し、殺される。
一皮剥げば、合衆国は犯罪の巣だ。
ちっぽけな女の命など、鼻息ひとつで飛ばされる。
その女がどんなにニューヨークに恋い焦がれていたのかにも、一生かかって貯めた有り金はたいたかにも、
関心を払う者はいない。
ここニューヨークで正気を保って暮らしていくために必要なのは、
常に自分の安全にのみ注意を払っていること、そして、他人の事情には踏みこまないこと、だ。
ニューヨーカーなら誰でもできるそんな簡単なことが、ロックにはできない。
だから、ロックが知るべきことはななにもないのだ。
もうこれ以上、下らないことで思いわずらう必要は、どこにもない。


554 :ロック×レヴィ ニューヨーク幻影  ◆JU6DOSMJRE :2011/12/24(土) 18:03:58.30 ID:osD2FqAf

ロックとともに乗りこんだ航空機は、J.F.ケネディ空港を離陸して高度を上げていった。
航空機が上空で旋回すると、眼下にマンハッタンの高層ビル群が広がった。
海に突き出した先端に、細長いビルがにょきにょきと並んで生えている。
だが、下から見上げた時には摩天楼と呼びならわされるのもかくやと思える巨大なビルは、
こうして上から見下ろしてみると、指でつまんでぽきりと折り取ってしまえそうなほど小さかった。

「……ようやく帰れるな」
「ああ」
レヴィは窓の外を見やったまま、隣に座ったロックの言葉に頷いた。
航空機は旋回をやめ、雲の上を目指しはじめた。

レヴィは冷たい窓ガラスに額を押しあてて、遠くなってゆくマンハッタンを見下ろした。
何年も前に逃げ出してきたニューヨーク。
もう戻ってくることはない、もう完全に断ち切ったと思っていた。
けれど、ニューヨークはそのあともずっと、幻影のようにレヴィにまとわりついていた。
ふとした拍子に闇の中からむくりと起き上がり、レヴィに重たくのしかかる。
黒くふくれ上がって、お前はここから逃げることはできないのだ、どこに逃げても無駄なのだと、あざ笑う。
けれど、これで最後だ。

──あばよ、ニューヨーク。

航空機はぐんぐんと高度を上げた。
マンハッタンはみるみるうちに小さくなり、海に張りついた一枚の板きれになり、そして、消えた。









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