■ ある日の土蔵(薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク/水&日&月)
ある日の午後、仕事が一段落した要は水川の屋敷に向かった。
土蔵の前で、水川のお手伝いさんに声を掛けられた。
「日向さん、今日は珍しく先生のご機嫌が悪いようなの。お食事もあまり手をつけなかったし。」
本当に珍しいことなのであろうか、彼女は心配でおろおろしていて落ち着きが無い。
「それでは、尚のこと先生にお会いしなくては。僕も心配ですから。」
そう言って、要は土蔵の階段を登っていった。
薄暗く埃の臭いも漂っているが、嫌な感じではなく、懐かしいような落ち着いた雰囲気の土蔵に、要は親しみを感じていた。
「水川先生? お邪魔します。」
声を掛けて入ったが、部屋の主は、机に向かったままだった。
いつもは仕事中でも振り向いて愛想のいい笑顔を見せる彼なのに、やはり今日は様子がおかしい。
要は、机の横に回って、水川の顔を覗き込んだ。
「うわぁ! 先生どうしたんですか? その顔!!」
後からでは、頬杖をついて考え込んでいるとしか見えなかったが、手の下の頬は明らかに腫れている。
「あぁ、これね。時期に治るからいいんだよ。ほっとけば。」
口をあまり開けられないのかぼそぼそとした返事が返ってきた。
「ほっとけばって。どこかにぶつけたのですか? それとも何かに刺されたのですか? いずれにしてもお医者様に診ていただかないと。」
「医者ぁ? 行かなくても大丈夫だって! 原因だってわかっているからっ!」
心配する要をよそに、水川は病院になど全く行く気が無いらしい。
時代が時代なので、混血の彼が病院で他人に体を見せる事をためらっているのかもしれないと要は想像した。
だが、脂汗までにじみ出ている水川を見ると、それどころではない。
額に手を当てると、熱も出ていた。
ふと、そんな要に良い考えが浮かんだ。
「あの、では、月村先生を呼んできますからっ」
水川の返事も聞かずに、要は土蔵を飛び出していった。
数分後、月村を連れた要が再び土蔵を訪れた。
水川は、痛さのあまりに動けないでいるのか、先程と同じように机の前に座っていた。
「おとなしく待っていてくれたようですねぇ、レイフ。要君の話を聞いた限りでは、君は逃げすのではないかと思っていましたが。」
「君から逃げることなんて不可能だろう? それに幹彦、患者にはもう少し優しく声をかけてもいいんじゃない?」
相当痛むはずなのに、毒舌は健在である。
「では、あまり気が進みませんけれど、君がこの状態ですと、要君の役に立ちませんからねぇ。」
そう言うと、月村は水川の顎に手をかけ腫れ具合を見た。
「レイフ、口を開けて下さい。」
水川は、仕方なく口を開けて、月村に見せた。
「あぁ、これですね。要君、すみませんが私の鞄から凧糸とペンチを取っていただけますか?」
月村は少し見ただけで、要に指示を出した。
「凧糸とペンチ…ですか?」
要は月村の意図することがわからずにいたが、指示に従った。
水川はそれらの道具を見比べて、先程よりいっそう酷く脂汗をかいていた。
「おい、幹彦。まさか、それ、抜くつもりなのか?」
「察しがいいですね。選択権を差し上げますよ。どちらの道具を使って欲しいですか?」
「……」
月村の問いに、水川は天を仰ぐ。
口の中で抜くといったら、あれしかない。
要もここまで聞いてようやく水川の病状がわかってホッとした。
そして、今まで心配していた分、つい意地悪になってしまう。
「で、水川先生、どうするんです? 僕もお手伝いしますから。」
要にまで催促され水川も、ようやく観念して「ペンチ」と小声で答えた。
月村はなんだか楽しそうである。
「そうそう。要君、レイフが痛みで動くと治療しづらいので、鞄から縄も取ってもらえますか?」
要から縄を手渡され、月村は手馴れた手つきで水川を縛る。
水川もここまで来ればまな板の上の鯉である。
縛られて不安定に座っている水川を、要は後ろから支えた。
「迷惑かけちゃったね。」
「そんな。先生に早くよくなってもらいたいだけですから。」
要はにっこりと微笑む。しかし何か含むものもあるような笑みだ。
ついに月村がペンチを蝋燭の炎であぶり消毒をはじめた。
だが、しばらくあぶってそのペンチを机に置いてしまった。
「悪いことはできないようになっているのでしょうかね。」
そうつぶやいて、月村はシャツの隠しから塗り薬を取り出した。
「レイフ、また口を開けて下さい。」
指に少量の薬を取ると、水川の頬の内側に丁寧に塗りこんだ。
「んっ!!!」
「口内炎の薬です。良く効きますよ。」
涼しい顔をして月村が言った。
「……幹彦、ペンチはどうなったんだ?」
「あれは、煤が付いてしまって使えなくなりました。それに、抜くなどと私は言ってませんよ。確かに素人目に見ても虫歯とわかるものでしたから抜いた方がいいかもしれませんが、歯科は専門外ですから、歯医者に行ったほうがいいと思いますよ。」
言うだけ言って月村は、さっさと土蔵の階段を降りて帰ってしまった。
後に残されたのは、痛みと怒りを通り越して疲れきった金髪の男と、申し訳なさそうに男の縄を解いている青年だった。
甘いものを食べると虫歯になりますよね。
で、歯が痛いのでよく噛まずに飲むと、胃が悪くなって口内炎ができるんです。
というわけで、水川先生の甘いもの好きネタからできたSSです。
先生は歯磨きをちゃんとしているから虫歯なんてできないもんってご意見の方も多々あると思いますが、そこはそれ、酸塊のドリー夢という事でご容赦下さい。