想い、言葉、記憶
死ぬほどの苦しみを自分に与えるとしても
実際にそれらに殺されることはない
いっそ、あの日に
貴方の手で私の全てを殺して欲しかった
雨音の結末
階段の踊り場から、今にも降り出しそうな空を見て、ジオルグはフッとため息をもらした
雨が降らないうちに帰りたいが・・・いや、それ以前に無事に帰れるだろうか・・・
ポツリポツリと頭に浮かぶ、あまり考えたくないイメージの気泡を潰しながら、階段を上がる
そして、吸えるギリギリまで吸ったタバコを携帯灰皿へ押し込み、その部屋の前に立った
ボロボロの廃屋のようなこのアパートで、唯一使われている1室
灰色の扉に表札はないが、ジオルグはノックと共に彼の名前を呼んだ
「ストラトス君ー。 おーい、ストラトスく−ん」
古い鉄製の扉は軽く叩いたのにも関わらず、ガンガンと騒がしい音を響かせる
・・・数秒待つが、返事はなし
ジオルグの脳裏は、ここ3日間浮かんでは消して、浮かんでは消してを繰り返してきた、最悪の結末を思い浮かべていた
3日前から、ストラトスは事務所に顔を出していない
今までは、案外マジメに出社していたのに、急にパッタリ、連絡もなく姿を見せなくなった
未成年とは言え、社会に出て働いている者に向かって、たかが3日の無断欠勤で細々気にするのもおかしな話だろう
しかし、相手はストラトスなのである
彼の日常を見ていれば、たかが3日の音信不通でも、否応なしに最悪の結果を思わせる
ジオルグは様々なイメージを頭によぎらせた後、意を決してドアノブを掴む
(血の海じゃありませんよーに、腐乱臭がしませんよーに、生きてますよーに)
真面目さに欠くしぐさで胸の上で十字を切ると、ジオルグはゆっくり、鍵のかかっていない扉を開けた
部屋の中は必要最低限の物すらなく、一切の生活感の感じさせない
専門書が敷き詰められた本棚、黒いソファ
目に付く家具はそれだけ
窓には真っ黒なカーテンがひかれている上に今日の天気も重なって、部屋の明るさはジオルグの視力でなんとか物が見える程度
とりあえず、血の匂いがしないことに安堵して、電気のスイッチに手を伸ばす
そして、明るくなった部屋・・・たった二つしかない家具の、ソファの上に彼を見つけた
ストラトスは毛布を1枚かけただけで、膝を抱えるようにして横になっている
「ストラトス君、寝てるのかい?」
ジオルグはわざと物音を立てるように、靴を踏み鳴らし、彼へ近づく
閉じた瞳は何の反応も返さない
「ストラトス君」
口元に手をあて、首筋に触れて、素早く生存確認をする
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 呼吸正常、脈拍正常
生きていることを確認して、ジオルグは本日一番のため息をついた
「ストラトス君、起きて、ストラトス君」
少しばかり乱暴な手つきで肩を揺らすと、ストラトスの瞼が僅かに震える
「・・・・・・しょちょぅ・・・?」
寝起きの舌足らずな声でジオルグを呼ぶ
「そうだよ、わざわざ君のためにココまで来たんだから、起きなさい」
ストラトスは酷く緩慢な様子で瞼を持ち上げる
「おはよう、ストラトス君」
眼を覚ましたストラトスが一番最初に見たのは、ジオルグの能天気な笑みだった
「・・・ご心配をおかけした様で・・・
責任をとって死にます」
ストラトスが持ち出した短刀を叩き落して、ジオルグは身体を起こした彼の隣に座る
「うん、いつも通りに元気そうでなによりだ」
ストラトスがベッドとしても使っているソファは一応3人掛けで、二人で座っても少しは余裕がある
しかし、ストラトスは膝を抱えて小さく座り、ジオルグはそんな彼と密着するように、真隣りに座る
「具合が悪かった、という理由ではなさそうだね。 何かあったのかい?」
ジオルグは柔らかい口調で、無断欠勤の理由を問う
「・・・・・・」
ストラトスは一瞬、僅かに唇を動かすが、無言のまま、ジオルグから視線をそらす
「・・・話したくないなら、構わないよ。 でも、あまり心配をかけないでくれ」
自分に怯えるようなストラトスの様子を感じて、ジオルグは部屋を出て行こうと立ち上がる
「所長・・・ッ」
しかし、ストラトスが彼の服を掴むことで、それを妨げる
「ストラト-------」
いつにない彼の様子に驚いて、ストラトスの顔を覗き込む
片方しか見せない瞳は真っ直ぐに、悲しげな色で自分を見つめていた
「・・・夢を・・・見たんです・・・」
両の手で、ジオルグの服をきつく握る
「・・・貴方が・・・死んでしまう夢でした・・・」
「・・・僕が・・・?」
ジオルグは再びソファに腰を下ろす
「それは妙にリアルで・・・夢なのか現実なのかわからなくて・・・
怖かったんです・・・凄く、怖かった・・・
・・・でも、夢なのかを確かめるのも怖くて・・・」
もしそれが現実だったら?
確かめて苦しむより、夢だと信じているほうが楽だから
「それで、3日間の無断欠勤・・・というワケか・・・」
ストラトスはコクリと頷く
指先も、肩も眼に見えるほどに震えていて、ストラトスを労わるように彼の肩に触れる
「・・・僕が死んでしまうことが怖かった・・・?」
ストラトスは、首を横に振った
「 貴方が死んでしまうことより・・・
貴方が居ない世界で、生きていくことが嫌だった 」
服に皺が残るほど、爪が白くなるほど、ストラトスはジオルグを掴む
『貴方が居ないと生きていけない』
それは嘘だ
耐え切れない現実がきても、精神的な痛みで人は死なない
どれほど酷い現実も、言葉も、思いも、記憶も、私を殺してはくれない
でも、その胸の痛みはリアル
痛くても、苦しくても、辛くても、生きている
-----------生きていかなくてはいけない
「大丈夫、僕は生きてるよ」
ジオルグは優しく、彼の頭を抱えるように抱き寄せた
「どうやら、心配をかけていたのは僕のほうだったみたいだね」
「・・・夢の話です・・・」
「夢でまで君を不安にさせるなんて、僕は所長失格だ」
「・・・まだ、失格してないつもりだったんですか・・・?」
「言ってくれるじゃないか」
「・・・口が過ぎてすみません、死にます・・・」
呟くが、実際の行動は起こさない
「・・・でも、もし僕が死んでも・・・後追いなんてしちゃ駄目だよ」
「・・・・・・辛いです・・・痛いです、苦しいです」
「うん・・・でも、君の命は・・・僕には重過ぎる」
「・・・所長・・・」
「我がままな三十路でゴメンね
・・・でも、君には・・・生きて欲しいんだ・・・」
------貴方は現実でも、同じコトを言うんですね---------
「・・・・・・・・・・返事はできません・・・」
「僕も、そんな簡単に死ぬつもりはないからね、その返事だけで十分だよ」
ストラトスはジオルグに頭を抱かれて、彼の体温と、そして心音を感じていた
なんの感情も持たないモノのはずなのに、それらは妙に優しい
「・・・きっと、所長のだから・・・」
それらは優しいんだ
「なにか、言ったかい?」
「・・・いいえ、何も・・・」
それを失うことなんて、今のストラトスには、もう考えられなかった
ただ、今、そこにあるリアルだけが、自分を生かす全て
その優しさを感じるのに精一杯で、ストラトスはゆっくりと降り出していた雨音に気づかなかった
ほんのりネクラなジオスト
意味不明は最早、治しようがないと開き直ってます