契り/千切り
そよそよと風が吹きぬけるのを感じる。
さらさらと川が流れていく音がする。
愛する人の肌に触れて、口付ける。
人を、斬る。
それが、当たり前だったから、とくに何も考えていなかった。
労咳になり、血を吐いたのは、いつだったろう。
(たしか……池田屋の時だったかな)
あのときから、はじまっていたのだろう。
新選組から、離れて。
武士から、離れて。
土方から、離れて。
(自分じゃなくなったみたいだ)
療養生活に入ってから、すぐに労咳の病状が悪化し始めた。
今では、動くことすら億劫になってしまっている。
話すことすらも。
(土方さん――――――今どうしているだろう)
毎日思っていること。
日々、彼が生きているようにと、願うことしか自分には出来ない。
突然、障子が開いた。
「―――――土方、さん」
「なんだよ、来ちゃ悪いかよ」
久しぶりに逢った彼は、あの頃と、なんら変わらなかった。
「来て、くれたんですね」
沖田の痩せた顔が嬉しそうに微笑む。
「――――ああ」
(総司……随分と、痩せたな)
そう、思わずにいられない程、沖田の衰弱ぶりは目に見えた。
「勝ってますか?」
「いや……」
「もう。土方さんの指示がだめなんじゃないですか?」
あの頃に戻ったみたいで、意地悪なことを言う。
「うるせぇ。そんなことねぇよ」
「そうですか?土方さんが指示出す時の荒さったらとんでもないですよ」
「おめぇの稽古の荒さも負けてねーよ」
(……懐かしいな)
ふと、そう思った。
こんな会話が、常に自分のそばにあった。
(こんなに、私にとって、重要なものだったのか)
沖田がしんみりしたのを察したらしい。
土方は、いつになく優しい言葉をかけた。
「総司、早く…治せよ」
「…わかりました。すぐに治して、新選組の方に助太刀に行きますよ」
空元気で言っても、虚しさが募るばかりだった。
「……ああ。待ってる」
ゆっくり、沖田の首に、土方の腕を回した。
「土方さんっ…私の病気は伝染するんです。離れてください」
「………」
土方を己から引っぺがそうとしても、筋肉が削げてしまった腕では無理だった。
「土方さん!」
「………」
土方から、声が聞こえない。
「ねぇ、土方さん!」
「―――――――ずっと、待ってる」
「………え?」
「ずっと……待ってるから―――――必ず、来いよ」
(土方さん……)
「じゃあ、そろそろ行くぞ」
するりと沖田から離れて、立ち上がる。
「土方さん」
背中を向いている彼に、言う。
「待ってて下さいね」
「…ああ」
何日ぶりに、刀を抜いただろう。
(あの約束を……守りたい)
そう思ったら、いつの間にか刀を持っていた。
目の前にある木の枝に狙いを定めた。
刀を、鞘から抜く。
_____ずしり
(こんなに……)
刀が、重い。
「………っ」
言葉が、詰まる。
気が付けば、己の瞳から、滴が流れた。
(刀が重くて……持つのも辛い)
当然、斬ることなんて出来なかった。
「……重いっ…」
流れ出る涙は、止まることなく、次から次へと溢れて地面に滲む。
涙のわけなんて、言わなくても分かる。
もう、あの頃には戻れない自分に対しての、嫌悪。
もう、土方を守れない、口付けが出来ない、悔しさ。
もう、来年には逢えない―――――――虚しさ。
何で、あんな約束などしてしまったんだろう。
(大体……自分でも、わかっていたじゃないか)
刀は、痩せて細くなった己の腕では持つのがやっとだ。
「………ごほっ…ごほっ!」
びちゃ、と血が涙の上に落ちた。
(土方さん……)
ゆっくり、ゆっくり、沖田は地面に沈むように倒れた。