見舞う


夕日が赤々と路上を照らしている。蝉がうるさい。うだるような暑さの中、
俺は、正面から夕陽をうけ、汗をだらだらと流しながら、林沿いの坂道をのぼっていた。
そんなにきつい坂ではなかったが、気温が俺の体力をねこそぎうばっているのだ。

担任にクラスメイトの見舞いをたのまれた。見舞い相手は、クラスの中でも騒がしくもなく
暗くもなく、地味でめだたない生徒だった。親しい間柄ではない。口をきいた覚えすらない。
ただ彼とは家が一番近かったのだ。休学して一週間になると聞いた。彼のことを考える。
立ち上る熱気の向こうの景色のように、ゆらいではっきり顔を思い出せなかった。
俺は、ひたすら重い脚をあげつづけ、坂道をのぼった。

頂上にさしかかると、急に暗がりができ、大きな影が俺の体をしずめた。何かぞわりと
くるようなものを感じ、俺はたじろいだ。
俺は、影の本体を見上げた。それはなんてことはないただの家だった。建て売りっぽい
ありきたりな二階建。表札を見て、すぐにそれが彼の家だとわかった。
俺は、膝に手をつき、一息ついた。顔の汗をぬぐう。シャツが身体にはりついて気持ち悪い。
制服の襟首をつかんでぱたぱたとやった。その間に家を観察する。
二階建てのこじんまりした一軒屋だ。夕日に背をむけて建てられ、正面口は、薄暗くかげっている。
古臭いデザイン、うす汚れた壁や色がはげてかすんだ屋根は、年季が見られ、影の色が
それをひとしおに感じさせていた。
俺は、錆びた門を開け、殺風景な庭から玄関に向かった。呼び鈴を押す。
ピンポン、と音が家の奥から聞こえた。しばらく待つ。反応はない。もう一度押す。
ピンポンとまた同じ音がする。しばらく待ったが、やはり誰かが出てくるようすはない。
彼は、寝ているんだろうか。
俺は、ドアに手をかけた。ゆっくりノブをまわすと、なんの抵抗もなく扉は開いた。他人の家
特有のにおいが鼻についた。
家の中は、暗かった。締め切っているようだが、不思議と空気はよどんでおらず、ひんやり
としていた。
薄暗い中に目をこらすと短い廊下があり、右は風呂場と思われる引き戸が見えた。
左に居間らしき部屋の入り口があり、球すだれがかかっている。その向こうから、カチ、
カチ、カチ、という時計の音が聞こえてくる。
廊下をつきあたった正面の、階段に目を止めた。
誰かが立っている。
俺は、そこに目をこらした。
おかしいな、なぜこんなに暗いんだろう。よく見えない…。
白い何かが上下している。じょじょに闇に目がなれると、それが手であることがわかった。
手招きをしている手だ。
彼の手だ、と俺にはすぐわかった。
俺は、招かれるまま靴をぬぎ、家にあがった。階段の方へむかう。そしてはっとして立ち止まった。
奇妙なことに、近づいて闇がはれると、そこには何もいなかったのだ。さっきまで見えて
いた彼の手はどこにもない。俺は、階段の上を見上げる。
二階はさらに暗い闇にのみこまれていた。数段先から闇に消え、段が見えなかった。奥に何かが
チラチラするのが見える。手だ。手招きする手。
またそれにしたがって、階段をのぼる。ギシギシとひどく軋んだ。
俺が階段をのぼると彼の手も、上へ上へとのぼって行く。どうやって歩いているのか、彼が歩いても
階段が軋む音は聞こえない。
俺は、彼の白い手を見つめた。おいつけそうでおいつけない手。
俺は、それをつかもうと腕をのばした。その瞬間、彼の手はふっと消えた。俺の手はするり
と空をかき、そして何かひやりとしたものに触れた。壁だ。二階についたのだ。
彼の手は、左にあった。あまりに暗く、他に見えるものがなにもない。
あれは、本当に彼の手か。
俺は、不安を感じつつ、廊下を歩んだ。
彼の手は、相変わらず闇にうもれるすんでのところで見えて、まねいている。

闇に目がかすむ。夜でもこんなには暗くない。どうしてここは、こんなに暗いんだろうか。
二階に上がってからは、俺自身の足音すら聞こえなくなっていた。沈黙と暗黙が重く横たわる。
床が見えないので、宙に浮いているようだ。まるで浮世からはなれているようで、それは
とても奇妙な感覚だった。

ついて行くうち、不安がいっそう闇がより深くひろがりはじめた。
あまりにも廊下が長すぎる。歩めど歩めど終わりがない。闇はどこまでも広がり、彼の手は招き
つづけている。
戻りたくてももどれない。後ろは一歩の間もなく、真っ暗な闇に閉じていた。
一体どこへ連れて行かれるのだろう。
彼は、俺をどうするつもりなんだ。
何もわからない。不安は、じわじわと恐怖へと変貌しはじめていた。
あたりは、何も見えない闇。まるで底なしに暗くつめたい。俺は、坂道をのぼっていたころ
の熱をすっかり失い、寒さにガクガクと震えなくてはならなかった。
うまく息ができない。俺は、はあはあと必死に空気を吸ったが、肺が凍りつくような冷気
が体内に入ってくるだけで、呼吸は苦しくなる一方だった。
意識がもうろうとしはじめ、やがて俺は、絶望にみまわれた。おしまいだ、と思った。
ズボンの生地をぎゅっとつかむ。そしてはっとした。ポケットの固い何かが、俺の手にふれ
たのだ。
中をまさぐる。
携帯電話だった。俺は、そのたたまれた画面をひらく。白い液晶の光を彼の手にかざす。
俺は、まぶしさのあまり目がくらみ、数歩さがった。


ドン、と背中に衝撃をうけて目をつむった。そしてひらいたときには、そこがもうただの
暗い部屋でしかないことがわかった。
うっすらとだが部屋の輪郭も見える。閉めきった一室のようだ。背中がぶつかったのは壁だろう。
夏の気だるい熱気を肌に感じる。
相変わらず前方に、彼の奇妙に白い手が見えていた。
俺は、口をおおった。さっきまで何も感じなかったのに、今は吐き気をおぼえるほどの
腐臭が、辺りにたちこめている。ブンブンと何かが耳をかすめてぞわりとした。
たまらず立ち上がる。あわてたせいで肘が壁の横にあたった。部屋の扉だ。ギギギと音が
して開いた。
廊下の窓から夕陽がさしこみ、部屋のなかを赤く照らし出した。
そしてすべての真実を眼前にさらけだしたのだ。


見えていた白いそれは、手ではなく背骨だった…。

天井から縄にかかり、首でぶらさがった彼は、夏の熱気ですっかり朽ちはてていた。
肉は腐ってすべて床に落ち、縄に残った彼は背骨をむきだしていた。その肉や骨には、
波立つように蛆が湧き、壁には所狭しとハエが群集している。
ふっと気が遠くなり、眩暈がした。
ぐらついた視界で一瞬、部屋のすみで手招きしている彼の姿が、幻のようによぎった。顔は
見えなかった…。


そもそも彼の家の二階には廊下がない。一間しかなく、階段から直結に部屋になっている。
部屋の前には窓がある。
いったいどこからが、まやかしだったのだろうか。理解の範疇をこえている。

俺は、最初に彼と口をきいたことがないと言ったが、それは間違いだった、俺は、あの顔のない
彼を見て思い出した。以前に一度だけ、友人達と話しているときに、いっしょになって彼に
言ったのだ。
お前、死んだ方がいいよ。

友人達がふざけ半分に言う中で俺も便乗したのだ。俺は笑っていたに違いない。彼は、どう
だろうか。
うすっぺらな笑みを浮かべたその下で、首にかける縄のことを空想したのだろうか。
彼は、俺を恨んでいただろうか。あの白い手招きで、俺をどこへ連れていくつもりだったのだろう。
あの世だろうか。それとも深い闇に埋もれた彼の心の中だろうか。

今となっては、もうなにもわからない。
ただ一連のことを通して、わかった教訓がある。なにごともよく考えておこなうこと。
無責任にものを言わず、怪しい手招きについていかない。
そしてなにより、人に嘲笑されたぐらいで、よく考えもせず簡単に首を吊らないことだ。
あんなものを見せられて、正気でいられるものはいない。その後のことは語るにおよばないだろう。

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元々数年前に書いた話です。理科の先生がなぜか授業中に、友人の息子が首吊り自殺をしたという話
を細やかに語ったので、それを元に書きました。死体の描写については、その先生の話に負うところ
が大きいです。手招きで誘導していくのが書いていてとても楽しかったですw
影絵のような色のない登場人物とストーリー。こういう短編たまに書きたくなりますねえ…。
05.8.27



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