プロローグ
気が付けば私は暗黒の中にいた。私はなぜ自分がそのような薄暗く湿った場所にいなくてはならないのか、はじめから疑問を持っていたわけではない。そこは私を守ってくれる場所であり、その漆黒の闇は、私そのものでさえあった。両手首を鈍い銀色の手枷で拘束され、一生をその牢獄で終わらせることに、私は何の理不尽さも感じなかった。私は決して自分が不幸だとは思わなかった。あの男に、会うまでは。

その看守は着任初日に、私の独房の中に入ってきた。面食らう私をよそに、彼はすたすたと部屋の真ん中まで来て、「暗いですねえ」などとのたまった。
「こう暗いと、気が滅入ってしまわないですか?」
間延びした声でそう言うと、彼は腕を高く上げて、何やら呟いた。彼の掌の先から、美しい七色の光が飛び出して、天を目指してまっすぐに進んでいく。ガタンという音がしたかと思うと、看守はすっと手を下ろした。虹色の光が消えた代わりに、やわらかくて、頼りない光が天窓から降り注いでくる。
「あの窓、高すぎるから、あまり明るくならないなあ」
不満そうな声で独り言を言って、彼は私のほうに向き直って丁寧にお辞儀をした。
「暗い中で自己紹介するのはあんまり意味がないような気がしたので、天窓を開けてみました。僕、今日着任してきたヴァスティールって言います」
彼は少年のように屈託なく笑った。私はまだぼうっとしていた。
……私はそのとき見た一条の光を忘れない。
光に照らし出された瞬間、私のいた居心地のいい暗闇は隅に追いやられ、単なるみすぼらしい牢獄へと姿を変えた。日の光を浴びず、ろくに動いていないために、病的なまでに白く痩せた手首が目に痛かった。私は初めて自分のおかれた境遇を惨めだと思った。そして、切り取られた四角い青空――きっと、どこまでも高く、果てなく広がっているのであろう――への、痛烈な憧れを抱いた。
看守はふらりと扉の前までやってきては、自分のことや、この国のことについてとりとめのない話をしていった。
彼の生まれる前に、この国では、王家出身の魔術師が内乱を起こしたこと。彼は記憶を消されて、今はどこかに幽閉されていること。
そして、実は看守は、その魔術師を封印した現在の王の第一王子であること。でも性格が「のんびりや」だから、王になるつもりはなくて、妹が王位を継承するのだということ。父王が引退するために妹の即位パーティーがもうじき開かれるということ。
私が望んだわけではなかったが、「話相手もいないのは退屈でしょう」と彼は毎日顔を見せた。
彼の話は私を悦ばせたのだが、彼の話を聞くたび、私の胸のうちには何か黒いもやのような感情が生まれていった。その感情の名前を私は知らなかったけれども。


新王の即位パーティーの朝も、看守は律儀にも天窓を開けにやってきた。私は息を飲んだ。看守が着ていたのは、いつも来ているお仕着せではなくて、王族らしい輝くばかりに白い上等なあつらえの服。
「きれいな服だな」と褒めると、看守は照れて笑った。私はなぜか、チリリと胸の焼け焦げるような感覚を覚えた。最近の私はいつもそうだ。看守が笑うたびに、苛立ちに似た暗い感情が心の中に蓄積されていくような気がする。
「褒めていただいたお礼に、手枷だけでも外しましょうか」
「え……?」
「あなたは恩赦が許されないそうですから、ここから出すわけにはいかないのですけれど、でも、手枷くらいはいいでしょう」
「いいんですか」
「はい。手枷を外したくらいであなたは逃げたり暴れたりはしないでしょうし」
看守はそっと私の手枷に触れた。温かい感じがしたかと思うと、私の手首から手枷が外れていた。
それから数分間――いや、もっと長かったのかもしれない。
私の記憶はぷっつりと途絶えている。気が付けば、監獄の壁はガラガラと崩れ、看守は私の足元に倒れてうずくまっていた。白い服は所々が破れ、血がこびりついている。
「おい、ヴァスティール」
私は慌てて駆け寄った。彼を抱き起こそうとしたまさにそのとき――金色の風が私を吹き飛ばした。
「ぐ……っ」
壁の残骸に背中を思い切りぶつけて、私は呻き声を上げた。
『息子には指一本触れさせぬ』
ゆらりとヴァスティールは立ち上がった。その深く、威厳に満ちた声。普段なら人懐っこい琥珀色の目も、金色に輝いている。
「誰……だ?」
眩しさに目を眇めながら、私は看守を操っているものに問いかけた。彼はまっすぐに私を見つめた。ひとかけらの疑いもなく、自らに圧倒的な正義のあることを信じている目。なぜか、見覚えがあった。
彼は私に向かって腕を突き出した。
『兄上――いや闇の王太子、あなたを今度こそ封印する。二度と覚醒しないように!』
彼の掌から、白い光が飛び出した。
私の頭の中に、ある光景が閃いた。それはもうずっと昔に封じられた記憶。
かつて白いマントの青年が、私に美しい光の矢を放った。青年は私の弟だった。異端の力に惑わされ、国を危機に陥れようとしていても、彼にとって兄は兄だったらしい。圧倒的な光の向こうに見えたその顔は、苦痛に歪んでいた。闇の王太子と呼ばれた、魔術師ルシードを滅ぼさんがために。
全てを思い出した。同時に私は理解した。看守の見せる笑顔に感じていた暗い感情の名が、嫉妬や羨望、そして憎しみであったことに。
長い間感じなかった不思議な充足感が体に満ちていく。
私は闇の魔術師・ルシード。この世界を終わらせるべく生まれたもの。
「……サイレント・ハレーション……ッ」
かつての自分が得意としていた闇の呪文。光に身を貫かれながら、私はそれを呟いた。世界が、暗転した。





目を開けると、そこは真っ暗な世界だった。
私の肉体は失われていた。魔力でかろうじて外形を維持しているものの、薄ぼんやりと輝く体は実体を持たず、掌の向こうには濃い闇が見えた。
どうやら、私は光と闇の力がぶつかり合ってできた時空の歪みに落ちて、異空間に飛ばされてしまったらしい。
「お目覚めになりまして、ルシード様」
聞き覚えのある声に振り返ると、妖艶な若い女が立っていた。
「グレイス……」
かつて私の元にいた、有能な女魔術師であった。魔術はもちろんだが、技師としての腕も一流だった。
名前を呼ばれて、彼女は優雅に一礼した。
「一体、どうしてお前が?」
「私はルシード様から力の使い方を教わりましたから、波動が似ていたのでしょう。
闇の力の復活を感じたと思ったら、ここに飛ばされておりましたわ」
グレイスはにっこり笑った。
「あの……再会を祝っているところに、水を差す気は全くないんですけどね」
年齢は20歳くらいだろうか。旅芸人風の若い男がグレイスの腕を引っ張った。
「ここどこなんですか? 俺、第13番監獄にいたはずなんですけど」
「この者は?」
グレイスは男の手を邪険に振り払って答えた。
「どうやら、一緒に巻き込まれたようですわ」
「あの爆発、それに時空を越えたというのに無傷か。この男、素質があるかも知れんな」
「ええ。力を与えれば、もしかすると」
「ちょっと待ってくれよ。無視すんじゃねーよ。
聞きたいことは山ほどあるんだぜ。そこの旦那がどうして半透明になってるのかとか、つーか姉さんたち誰なんだよ、とか、まーそういうのはあとでも聞けるからいいんだけど、ここがどこで、どうやったら元のところに戻れるのかだけでも教えてくれないか」
一気にまくし立てる男にグレイスはうんざりした風だったが、説明する気になったらしい。ゆっくりと腕を上げた。
グレイスの長く伸ばした爪の向こうに、青いガラス球のような星が見えている。
「双子星――アナザーワールドよ」
「双子星……嘘だろ」
空のかなた、時をも越えた場所に、私たちの世界とよく似た世界がある。その青く輝く双子星では、その外見の美しさとは裏腹に、人々が憎しみ合い、戦いを繰り返してきたという。子ども時代に、よく聴かされる寓話であった。
「なんでそんなもん実在してんだよ」
男は頭を抱えて、へなへなと座り込んだ。
「俺、今日の昼には恩赦で出られるはずだったんだぜ。サーカスのみんなと酒でも飲むつもりだったのに……。何だって双子星なんかに飛ばされんだよ。」
「戻れる方法がないわけじゃない」
「えっ」
男は私に掴みかかろうとしたが、私の体が実体を持たないために、腕は空を切った。グレイスが「無礼な」と吐き捨てるように言うのを、私は手で制した。
「お前、名は?」
「トリスタン。なー、そんなこといいからさ、早く戻れる方法を教えてよ。俺、何でもするからさ」
「私が力を取り戻せば、元の世界に戻ることなど容易いこと。
そのためにはお前の力が必要だ。何でもするという言葉に嘘はあるまいな」
「な、何だよ改まって……。まー、俺にできることなんて限られてるけどね。ナイフ投げとか、空中ブランコくらい? サーカス育ちだから身軽なんだぜ。指先も器用だし。手癖が悪くて捕まっちまったんだけど、結構使えると思うよ。
あ、そんなのどうでもいいって? ごめん、睨まないでよ、姉さん。旦那も。
俺にできることなら何でもするって、マジで」
「だそうだ、グレイス」
グレイスはうんざりした顔で、
「本当に、我らが同胞に迎えるのですか」
「嫌か?」
「いえ。ルシード様の命令ならば、従いましょう」
きょとんとした顔をしている男の前に、グレイスが立った。
「な、何?」
「黙りなさい」
ぴしゃりと言い放って、グレイスはゆっくりと右の掌を男の額につけた。
「姉さん?」
「黙って、私の目を見ていなさい。――トリスタン」
名前を呼ばれた瞬間、男が引き込まれていくのがわかった。かつて、私が幼いグレイスに力を分け与えたときの光景を見ているかのようだった。
グレイスは聞き取れないほどの低い声で闇に祈りを捧げる。闇の力が彼女の体に満ちていく。
「――この者に闇の力を与える。トリスタンを、我らが闇の兄弟に」
グレイスはそう言うと、自分の左の人差し指を口に含み、歯で傷つけた。赤い血がにじむそれを、グレイスはゆっくりと男の口元に差し出した。
「お舐めなさい」
トリスタンはためらわずにグレイスの血を舐めとった。儀式は、それで完了した。
グレイスはトリスタンの額から手を離した。と、同時に、ぐらりとその場に膝をつく。
「大丈夫か」
「ええ。少々疲れましたけれど」
弱々しくグレイスが微笑んだ。
「この体では力を与えるなどはできなくてな。すまない」
「構いませんわ、生命エネルギーはあの星で補給すればいいだけのこと。それより、トリスタンは?」
トリスタンは呆然と立ち尽くしている。
「姉さん、何だよ、これ。スゲーやばい感じがするんだけど」
「闇の力よ。どう、使えこなせそう?」
「やばいよ、マジでヤバイって。俺、今、何でもできそうな気がしてる」
「何でも?」
「例えば、あの星を制圧したりとか」
私は絶句したグレイスに笑って見せた。
「どうだ、なかなか頼もしいじゃないか」
私たちはゆっくりと双子星に近づいていった。かの国でなしえなかった、闇の力による秩序を作り上げるために。
そして、争いの世界で傷を癒し、かの国に帰るために。
「地球へ――」
次回予告
何やら良くわかんないけど、闇の仲間になっちゃった。
チーム名とかほしいよなー。姉さんもルシード様も勝手にすればって言ってるから、 勝手につけちゃうもんね! うーん。サイレント・ダークネスとかカッコよくね?
何か闇っぽいし、いいねいいね!これに決定。
次回からはいよいよ俺達サイレント・ダークネスが大暴れ!
みんな、見てね☆☆

BYトリスタン


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