海の啼く夜





死ぬまで忘れないであろう光景がある。
月の明るい夜だった。
漆黒の海と蒼黒の空が溶け合っているために、月の光と砂浜の白が際立っている、そんな夜だった。砂浜はこの世のものと思えないほど、神々しく輝いていた。そこで若い男女が抱き合っている様子は、まるで一枚の絵のようだった。
女は洋装だった。純白のスカートの裾が、ひらひらと風に弄ばれている。
彼女はおれに背を向けていたけれども、それが誰なのかはすぐにわかった。
真島七海、鉱業で成功した実業家、真島一朗氏の令嬢で、一週間前におれの婚約者としてこの鳶島へやってきたのだ。こんな田舎に、洋装の女などひとりしかいない。
男のほうにも、見覚えがあった。
遠目にもわかる整った鼻梁、ほっそりとした華奢な体――久遠蓮。ずっとこの狭い「島」という世界で育ったのだ、見間違えるはずがない。
目の前が真っ赤に染まった。
怒りと悲しみの混じった感情が、おれをその場に立ち竦ませた。裏切りという言葉がぐるぐると頭の中を回っていた。
蓮は、そんなおれに気づいていた。
抱き寄せた女の背中越しにおれを見つめて、美しく微笑んでいたのだ。
おれはその勝ち誇ったような視線に耐えられず、踵を返してその場を離れた。
偏頭痛に似た海鳴りの音が、頭に残ってなかなか消えてくれなかった。


                                      


この館は、海鳴りがよく聞こえる。
あれは海が泣いているのだよ、と昔誰かに云われたような気がする。あの静かな口調は兄だったか、父だったか。
あのころの僕はまだ子どもで、その意味がよくわからなかった。海は泣かないよ、と生意気に云い返したような覚えがある。その人は僕の頭を撫でて少し笑った――それは覚えているのだけれど、それが誰だったか、靄がかかったように判然としない。
僕は眠りの淵でまどろみながら、他愛のない思い出と戯れていた。愛する人と交わった後の疲労感が、快い思い出の世界に僕を遊ばせていたのだ。
その至福の時間を終わらせたのは、首筋に触れた冷たい十本の指だった。
瞼を開けると、僕をじっと見つめる響さんと目が合った。響さんは褌も締めず、情交の痕跡生々しい素肌に着物を羽織っただけのいでたちで、その手で僕を縊り殺そうとしていたのである。
きつく眉を寄せ、苦しそうに潤んだ響さんの目は、月明かりのせいで蒼みがかって、きらきらと輝いていた。
「響さん」
僕の首に両手をかけたままの彼の手を、僕はそっと自分の手で覆った。
「相変わらず冷え性ですね。指、とても冷たい」
「この状況で、他に云うことないの?」
「僕があたためてあげましょうか」
冗談めかして云ってみたが、響さんは表情を変えなかった。
「お前……このまま、おれが力を入れたらどうなるかわかるだろう」
「僕が死ぬでしょうね」
「わかってるじゃないか。でも、そのわりにずいぶん落ち着いてる」
「貴方に人が殺せるとは思えませんから」
僕が云うと、響さんは切れ長の目をすぅっと細めて笑った。
「見くびるな。お前なら殺せる」
響さんの乾いた唇がそう動いたときに感じた気持ちを、僕はどう表現していいのかわからない。
ごく簡単に云うなら、嬉しかった。僕は『お前なら』という言葉を何度も胸の奥で噛み締めた。ずっと同級生の弟とか久遠の次男としてしか、僕を見てくれなかった響さんが、憎しみという形であれ、僕を見てくれたような気がした。しかし、悦びにひたる一方で、欲張りな僕は、結局ただ憎しみでしか彼の心を動かせなかったことに、どうしようもなく失望した。僕はおそらく、心のどこかで彼に愛されたいと思っているのだ。だから、彼を突き動かす殺意が、単純に悲しかった。
「僕が憎い?」我ながらなんと自虐的な、と思いながらも僕は問う。
憎いと答えるに決まっている。婚約者を奪い、社会的な地位を奪い、自尊心を傷つけ、この館に監禁し続ける年下の男を憎まないはずがない。
案の定、響さんは少しためらいつつも「もちろん」と答えた。
「……そうですか」
僕は彼の手に重ねた自分の手に、力を加えた。響さんは驚いたというより、怯えたように体を震わせた。僕から目をそらしはしなかったけれど、その視線は無防備に揺れた。
「それなら、ちゃんと絞めないと」囁くような、掠れた声で僕は響さんを追い詰めた。憎いのならば、僕を殺してしまったらいい。あなたの指で殺されるのなら悪くない。
しっとり濡れた眼球が、蒼い月の光を受けて、ぬらりとした輝きを放つ。
無意識に唾を飲み込んだらしい。響さんの咽喉仏がこくりと上下した。
「ほら、早く」
冷たい指が、苦しくない程度に僕の首に食い込んだ。しかし、いっこうに響さんは力を入れようとしない。
しばらく沈黙した響さんは、大きくため息をつき、「降参」と云ってぎこちなく笑った。
彼は言い訳するように「悪ふざけに決まってるじゃないか。お前が本気にするから、こっちも引けなくなったんだ」と早口で云った。
そのいかにも取り繕った態度が僕の気に障った。
「みんな冗談だったって云うんですか?」
「ああ、だから、さっきのことは忘れ……」
僕は響さんが全部云いおわる前に、彼を組み敷いた。響さんがキッと僕をにらみつける。
「何の真似だ」
「嘘つきにはお仕置きが必要でしょう」
「嘘つき?」
「みんな冗談だったなんて、嘘ついても僕は騙されませんよ。あなたは本気だった。あなたは僕を憎んでいて、殺そうとしたんでしょう」
「お前、考えすぎだよ。おれは、ただふざけただけなんだ」
無理矢理作った明るい声で、響さんが云う。彼はこういう演技には向いていないな、と思う。根が正直な人間だからだ。
「では、あなたは僕を憎んでいないのですか?」
「それは……」
響さんの嘘がつけないところは、愛すべき点だったが、このときの僕にはそれが疎ましかった。卑怯な僕は、嘘でもいいから「お前を憎んでいない」と云われて安心したかったのだ。そうでないなら、「殺したいほど憎い」と云われたほうがどれほどましだったか。愛で彼の心を支配できないのなら、憎しみで覆いつくして僕のことだけ思っていてほしい。
憎しみと愛情がどろどろに溶けた醜い独占欲は、今にも僕の口から溢れでようとしていた。
「響さん、僕はあなたに殺されたって構わないんです。それは、あなたが僕のことを特別に思ってくれてるということだから」
「何、云ってんだ」
「先ほどあなたが失敗したのは、憎しみが足りなかったからです。僕は中途半端なのは嫌だから……」
僕は響さんの首筋に、顔をうずめた。
「次はちゃんと殺せるように、僕を憎ませてあげる」
「蓮っ!」
悲鳴のような声をあげて響さんが僕を咎めたが、その声は耳に快いだけで、すっかり歪んだ感情に支配されてしまった僕を、止めることはできなかった。


一度情を交わした後だったので、響さんの体はあっけなく僕に服従した。
乳輪に埋没しかけていた乳首を、僕は軽く摘み上げた。すっかり開発された胸の飾りは、指の腹でこね回してやるだけで、すぐにぷっくり立ち上がる。
「蓮、今日はもう嫌だ」
「口答えしないでください」
僕は右の乳首を指先で思い切りつねった。
「――っ!」
「痛いですか?」
響さんは昂然と顔を上げて、僕を睨み付ける。
「あなたがちゃんと僕を憎めるように、協力してあげてるのに、その目は何ですか」
僕は摘んだままの乳首を、そのまま前方にねじりあげた。
「んむぅ――!」
「これから、たっぷりいじめてあげますからね」
そのまま、しばらくぎりぎりと指で押しつぶしてからそれを解放した。響さんは荒い息をついている。
「少し、大きくなったみたいですね」
僕は響さんの手をつかんで、乳首に触らせた。
「どうです、大きくなったの、わかります?」
響さんの指に自分の指を添えて、ぐりぐりと乳首を押しつぶした。
「ん……ふ……」
「ほら、コリコリしてるでしょう……こっちも、可愛がってあげましょうね」
僕は左の乳首に顔を近づけた。
まだ触れていないのに、これからされることを期待して、そこはけなげに立ちあがっていた。
僕は響さんの顔を見つめながら、もったいをつけて突起に舌を伸ばした。舌が触れる瞬間、響さんは切なげに眉をひそめて、体を震わせた。
「んぅ……ふ…ぁ」
わざと音を立てて響さんの羞恥心を煽りながら、僕は乳首を舌で転がした。思い切り吸い上げながら舌で乳首の先端をねぶると、耐えられないというように響さんの腰が揺れる。
下肢に手を伸ばすと、響さんの陰茎はすでに勃ちあがっていた。
「乳首を弄られただけで、こんなふうになるなんてね」
僕は掌全体で、響さんの股間を揉みしだいた。
「あ……ふ……」
「普通の男は、胸をいじめられたくらいで、こんなに濡らしたりしませんよ」
陰茎の先端からは、すでに透明な汁が溢れている。
「それは……お前っ…が……!」
「僕のせいですか? 自分の淫乱ぶりを棚に上げていい気なものですね」
僕は尿道に思い切り爪を立てた。
「ひゃぁああぁあっ!」
響さんの目が大きく見開かれた。なんていい声で泣くのだろう。ときどき裏返る絶叫じみた声が、僕の嗜虐心を煽った。
「あなたは変態だから、少し痛くされるほうがいいんですよね」
「あっ…やぁああっ、や……めてぇ…っ」
「口ではそういってますけど、ちゃんと勃ってるじゃないですか」
僕は辱めるようにくすくすと笑った。
「ほら、自分で触って御覧なさい」
響さんの手に陰茎を握らせる。
「ぁ……」
「どうなってます?」
「云……える……かっ」
羞恥で目元を染めて、響さんが僕を睨みつける。もっとも、快感に流されかけているので、ただ目を眇めただけにしか見えなかったけれども。
「響さん、まだわかってないようですね」
大げさにため息をついて、僕は響さんの足を抱えあげた。
「素直になったほうが、楽になるというのに」
僕は人差し指で、ひっそりと息づいている蕾の淵を撫でた。
「――んっ」
「一度やった後だからでしょうか、ちょっと腫れているようですね。舐めて差し上げましょう」
「やめろ……ふ…ぅぁああ!」
響さんは肛門を舐められるのがことのほか苦手だ。肛門の薄い皮膚に舌を這わせると、細く高い声を上げて喘ぐ。中に舌を差し入れようものなら、後ずさりして快楽から逃れようとするくらいだ。だから、僕はいつものように丁寧に襞の一枚一枚をくすぐるように、しつこくねぶった。
「ぁ…ぁあ……ふ、やぁあ……」
舌の先端を尖らせて、中に入るか入らないかの浅さで抜き差しを繰り返す。ちらりと響さんの様子を伺うと、揺らめくように腰が動き、鈴口からはだらだらと先走りが溢れていた。
僕が見上げていることに気づいた響さんは、掠れた声でねだった。
「蓮……おねが…い……」
「どうして欲しいんです?」
誘い込むように蠢く蕾を見れば、彼の欲しがっているものは何なのかは明白だったが、僕はあえて問うた。響さんが泣きそうな顔で首を振る。
僕は響さんから体を離した。冷たい口調で突き放す。
「僕はあなたほど、はしたなくありませんから、ちゃんと云ってくれないとわかりませんよ」
「蓮……っ」
「あなたが我慢できるならいいですよ」
僕は響さんの陰嚢に手を伸ばし、柔らかな二つの球を弄んだ。
「んぅ……ぁは…ぁあ」
「云わないと、ずっとこのままですよ」
「やぁ……っ」
「ほら、云ってしまいなさい」
僕は掌の中の球に、軽く力を加えた。滑らかな内腿が痛みと恐怖でわなないた。
「や、めろっ…それは駄目ぇっ」
「響さん、泣いてるだけでは僕も困ってしまいますよ」
押しつぶすように双球を揉む。
「ヒィ…ァあああッ」
「女の子になりたいですか?」
「云う。云うから……っ!」
響さんは少しためらっていたが、僕から顔を背けて小さな声で云った。
「蓮の……中に入れて――」
合格点をやるにはあまりにも拙いおねだりだった。僕はため息をついて、玉袋を爪で弾いた。
「ひ、やあああああん!」
「入れてほしいところを僕に見せて、きちんと強請りなさい」
急所に加えられた痛みに、響さんは涙を浮かべていた。濡れた目で僕を見上げたが、僕は首を振って、ここで許すつもりのないことを伝えた。響さんは俯いて、涙をグイと拭った。そして、意を決したのか、僕から視線を外したまま、両手の人差し指で括約筋を割り開いた。
赤く熟れているだろうそこは、月明かりしか光のない部屋では、底なしの闇のように見えた。
「おれの…」
「ちゃんと僕を見て云いましょうね」
顎を掴んで、目を合わせる。長い睫毛がふるふると怯えたように震えていた。
「蓮の……おれの…ここに入れて…ください」
「いいでしょう」
僕は自らの肉棒をそこに押し当てた。響さんが固く目を閉じる。
挿入は容易かった。少し前に僕の放った精液で濡れていたからだ。響さんの中はほどよく濡れて熱く、僕は本能のままに腰を動かした。


響さんの薄い胸板が呼吸するたびに上下している。月の光が滑らかな陰影をつけて、美しい。
触れようとすると、響さんは気だるげに寝返りを打って、僕に背中を向けた。
「何も逃げなくてもいいじゃないですか」
「二回もやったお前が悪い」
不機嫌そうな声で返事が返ってきた。
「元はといえば、あなたが先に変なことをするのがいけないんですよ」
「冗談だと云ったのに……まぁいい。とにかくおれはもう疲れた。寝るから邪魔するなよ」
「響さん」
寝ると云ったのに、響さんは律儀にも「何だよ」と答えてくれる。
「僕のこと、殺せそうですか?」
背中の筋肉がピクリと動いたが、響さんは関心なさそうにフンと鼻を鳴らしただけだった。
「あの、お願いがあるのですが」
「断る」
「せめて内容を聞いてから決めてくださいよ」と僕は苦笑する。
「お前のお願いなんか、いちいち聞いていられるか」
「首を絞められて死ぬのも、悪くないんですけど」
「……何を云い出すんだ、お前は」
眉間に皺を寄せて、響さんが云った。不意をついて、僕は響さんを押さえつけて無理矢理口付けた。
「ん……っ」
腕を突っ張って最初は抵抗した彼だったが、舌で歯列をなぞっているうちに腕から力が抜けていった。僕は彼の頭を撫でるように、後頭部へ右手を回した。左手は彼の頬に軽く添えている。響さんは次第に気分が高まってきたらしく、おずおずと舌を絡めてきた。
基本的に彼は体の触れ合いを好む人なのだ。
僕たちはお互いの舌を吸い、唾液を交換しあった。彼が充分に口付けに溺れているのを確認して、僕は頬に添えた左手を、何気ない様子で彼の鼻に移動させた。
そして、一気に鼻をつまみ上げる。
「ぅぐ――っ」
突然のことで、響さんが鉄砲玉を食らった鳩のような顔をした。必死に顔を背けようとする彼の後頭部を、ぐっと抑えて僕は口づけを続ける。
まだ解放するつもりはない。
顔が徐々に赤くなり、いよいよ苦しくなってきたらしい。僕を引き剥がそうと本格的に響さんは暴れ始めた。放せ、と訴えかける目もやや潤んでいる。
そろそろかなと思い、僕は顔を離した。
急に呼吸が楽になったために、響さんが盛大に咽る。ケホケホと咳き込む彼の背中を撫でてやったが、触るなと云わんばかりに振り払われてしまった。
「お前、何のつもり――っ」
「だから、お願いですよ」
「お願いだと?」
「せっかくなら、こういうふうに殺してほしいんです」
「ふざけるのもいい加減にしろ」
「死体を埋める場所は」
「おい」
「ここの薔薇園がいいですね」
「……それはまた、ずいぶん少女趣味だな」
呆れたように、響さんが云った。
「お願いしますね。こう見えても大真面目なんですから」
――この館は、海鳴りがよく聞こえる。
あなたは僕が死んだら意地でも泣かないだろうから、代わりに海に泣いてもらうのですよ――
響さんは訝しげに目を眇めて僕を見つめ、少し沈黙したが、「考えておく」とポツリと云った。


                                      


窓の外には、大きな満月が見えた。蒼い光に照らされて、砂浜は白く輝いているだろう。
瞼を閉じると、あのときの光景が甦る。
気ちがいじみた美しい月の光。海は闇を溶かしたように黒く、大きな魔物が蠢いているがごとく寄せては返し……。
白い洋服の女の背中越しに、蓮が微笑う。
裏切られたと思った。
しかし、あのときおれは誰に裏切られたと思ったのだろう。
一週間前に会ったばかりの、飾り物の婚約者か?
それとも――。
おれは頭を振った。それ以上は考えたくなかった。
海鳴りは低く唸って、まだ止みそうもない。






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