嵐の夜に





和泉冥と知り合ったのは二週間前。繁華街のはずれの小さなバーだった。
私は酒が飲めないたちだが、大学時代の悪友がやっている店なので、客のいなさそうな平日の夜に気まぐれに訪れる。
その晩は、夏の終わりの生ぬるさと秋の湿っぽさがごちゃ混ぜになったような天気で、細かな霧雨が降っていた。
「いらっしゃい。なんだお前か」
古びた木製のドアを開けると、カウンターの向こうで、友人――水木という――が言った。
「今日はあまり儲かっていないようだな」
もともとカウンター席のみの狭い店だが、客は私の他に学生風の青年が一人だけしかいない。
「失礼なこと言うね。今日は特別。台風の夜に来る物好きは少ないの」
「台風?」
「ウソ! 知らなかったの」
「そういえば、朝天気予報で聞いたような気もする」
「はぁ……台風ったらあんた、一大災害ですよ。これだから東北人は。」
水木は大げさにため息をついた。
「ところで、メイくんはどこだっけ。出身」
「九州です」
メイと呼ばれた青年は、突然水を向けられ他にも関わらず、動じた様子もなく答えた。
「あー、それならわかるよねぇ。大体、北の人間は台風舐めすぎなんだよ。死人も出るって理解してないもの」
「おい、水木」
このままだと喋り続けそうな水木を制する。
「紹介しろよ」
「ああ、ごめんごめん。こちら、和泉冥くん」
青年はまっすぐに私を見つめた。視線が絡む。
「はじめまして。和泉です」
きれいな子だ、と思った。
気の強そうな顔立ちに赤い髪が良く映えている。華奢だが、しなやかな身体つきは猫を連想させた。
「天宮です」
軽く目礼すると、和泉冥は大きな目を糸のように細めて微笑んだ。
彼はあまり喋らなかった。もっぱら私と水木が軽口を叩き合って、冥はきらきら輝く琥珀色の液体を舐めながらそのやり取りを眺めていた。時折水木が話を振る
と、彼は口元をほころばせて笑った。
私達はそれから特に言葉を交わすでもなく、小一時間を過ごした。
先に店を出たのは彼だった。
私と水木はそれからしばらく他愛もないことを話していたが、三杯目のコーラが空になったので、私は店を出た。
霧雨は本格的な雨になっていた。
「台風、か」
呟き、鞄から折り畳み傘を取り出す。
「天宮さん」
不意に後ろから声を掛けられた。振り返ると、冥が立っていた。
蒼白い街灯が彼の顔に陰鬱そうな影を作っていた。
「冥くん?」
「……待ってたんです」
「俺を?」
冥は頷いた。彼は一歩前に進み出て、私との距離を詰めた。
ふわりと柑橘類の香りがした。それは冥の使っている香水のものらしかった。
彼の白い手が私の手をとった。
「会ったばかりでこんなこと、おかしいと思われるかもしれないんですけど」
雨でしっとり濡れた冥の指先に力が加わった。
「もし……もし、嫌じゃなかったら」
冥は縋るような目で私を見た。
何かを言おうとして、言葉にできずに沈黙する。
「……嫌じゃなかったら?」
そう問いかけるのは酷だっただろうか。
冥は一瞬泣きそうに顔をゆがめた。
「僕を……」
「君を?」
長い沈黙の後、彼はぽつりと言った。
「僕を、抱いてください」
私は答えられなかった。
何と答えたらいいのかわからず、ただ立ち尽くした。
凍りついた思考の中、冥に掴まれた手が痛みを訴えていた。
「……手を、離してくれないかな」
「あ、すみません。ごめんなさい、本当に変なことを言ってしまって」
冥が傷ついた表情をしたのを私は見逃さなかった。その悲しそうな顔ははっとするほど美しかった。
「嫌じゃない」
気が付くと、そんなことを口走っていた。
私は冥の細い身体を抱き寄せた。
「天宮さん、本当に?」
私の腕の中で、冥は震えていた。無言で頷いてやると、冥は口許をほころばせた。
私達はそれからラブホテルへ行き、身体を繋いだ。
冥は巧みだった。彼は私の身体のいたるところに舌を這わせ、奉仕した。
痩躯をくねらせながら、絞り出すように何度も私の名を呼び、「愛している」と繰り返した。
そんな彼がとても愛しく思えて、私も訳もわからず「好きだ」と囁いた。
これが私と冥との出会いだった。
冥は気まぐれに私の携帯にメールを寄越す。大体が、「会いたい」の四文字だけで、私も了解とだけ返す。
待ち合わせ場所は水木の店で、いつも何を話すわけでもなく、しばらく飲んだら二人連れ立って店を出て、互いを貪るためにホテルへ行く。
私は時折自分たちの関係を何というのか考える。彼は私にとってどんな存在なのだろうか。そして、彼にとって私はどんな存在なのだろうか。
冥に尋ねたら、なんとなく「恋人」と答えてくれるような気もする。彼はきっとそういって微笑むだろう。
この楽観的予測を愛と呼ぶのなら、私は確かに彼を愛している。






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