春の日差し
春の日差しが暖かい縁側での午後。
傍らには、冷めてきた湯のみが2つ。
足にかすかな重みを感じる。
「こんなにゆっくりできるなんて久しぶりですよね」
忙しさの合間をぬって連絡してきた龍村さんに誘われて、彼の祖母の家を訪ねることになった。
俺は別に行きたいとは思わなかったが、その話を聞いた敏生の勢いに押し切られてしまった。
「行きましょうよ、天本さん。お祖母ちゃんに会いたいし、桜がきれいだって言うし、縁側ですよっ!」
龍村さんからの電話を切るとすぐの敏生の勢いに、驚きながらも問い返す。
「縁側がどうかしたのか?」
「僕、今まで縁側のある家に住んだことがないから、憧れなんですよ。この前に行ったときは夏で花火ができたけど、今度は春の縁側での花見も経験したいんです」
「どういうことだ?」
「えっと、縁側で、桜の花を見て、お茶を飲んで……ってやってみたいじゃないですか」
敏生が望むことならできる限り叶えてやりたいものだが……。
「少し年寄りくさくないか?」
「いいんですっ!いつも忙しいんだから、たまにはのんびりしたって……。だめですか?」
俺がその願いを断われないことを、敏生は知っているのだろうか。
「分かったよ、行こう。ただし、俺は締め切りが近い原稿を終わらせたいから、君が龍村さんとスケジュールを決めてくれよ」
「任せてくださいっ!……桜が散るまでに間に合うといいなあ」
うれしそうにカレンダーを見に行く敏生の後姿を見送り、俺は早めに原稿を終わらせようと、心に決める。
3月の最後の週末に、俺と敏生はJR新神戸駅で龍村さんと待ち合わせ、間人まで来た。
「 よう来たね」
俺たちを迎えてくれたハツエさんは、とても元気そうで、八十をとうにこえているとは思えなかった。
「お祖母ちゃん、こんにちは。またお世話になります。」
久しぶりの再会に、話がはずむ3人には加わらず、俺はガラス戸の向こうに見える大きな桜の木を眺めていた。
桜は、見事なほど満開に咲き乱れ、庭一面を桜色に染めていた。
次の日の午後。
ハツエさんは、町内の婦人会の集まりに出かけ、敏生と龍村さんは、明日は花見をしようと、はりきって買い出しに行ってしまった。
俺が昼寝から目覚めると、敏生が縁側で一人、桜を見つめていた。
「龍村さんはどうしたんだ?」
敏生を驚かせないように近づいて、後ろから声をかける。
「あ、起きたんですね。龍村先生は、一緒に帰ってきたんですけど、他に必要なものがあるからって、また出かけちゃいました」
つくづく龍村さんは、宴会などのお祭りごとが好きなようだ。
「お茶、飲みますよね?入れてきます、縁側は暖かいですよ」
縁側に2人で並んで腰掛け、お茶を飲む。なんとものどかな時間が流れていく。
「いつもは忙しいから、こんなにゆっくりできるなんてめったにないですよね。なんか幸せだなあ。大切な天本さんと、こうしてきれいな桜が見られるし」
「そうだな……。たまには、こういう風にゆったりと過ごす事も良いのかもしれないな」
「あのね、僕はずっと人生って1人で生きていくものだって思ってたんです。母さんがいなくなってから、僕は孤独で、自分の殻に閉じこもって絵を描くことだけで、寂しさをまぎらわせようとしていたんです。でもね……」
「でも?」
「でもね、天本さんに出会って一緒にいると、僕は1人じゃないんだなあって思えるんです。一緒に歩いてくれる人がいるって、すごいことですよね」
そう言いながら、敏生は俺の肩にもたれかかってきた。
「少しの間だけ、このままでいさせて下さい」
そのおねだりするかのような口調に、照れ隠しに明後日の方向を向きながら答える。
「好きにしろ」
しばらく後。
気がつくと、敏生は健康的な寝息をたて、眠ってしまった。
バランスの悪い肩から膝へと枕を代え、その安らかな寝顔を見ていると、出会ったときからのことを思い出す。
我が家の塀のくぼみに、死んだように座り込んでいた敏生は、『貧相で小汚いガキ』だった。
それが今では、なくてはならない公私両方でのパートナーになっているなんて、人生とは不思議なものだ。
神がいるのなら神に感謝するだろう、敏生に出会えたことに。
「俺だって、君に出会う前は暗い闇の中を1人だった。幸せという言葉だって思い出せなかった。君と出会って、世界がこんなにも色とりどりなんだと気づいたよ」
誰に言うわけでもなく俺はつぶやく。
「君が思っている以上に、俺は幸せなんだろうな。君が傍にいてくれるだけで、俺はどこまでも強くなれる。君がいるから、前に向かって歩いていけるんだ」
春の日差しは暖かく俺たちを包み、幸福を与えてくれるのだった。
(2005/10/29)
初めて灯屋が奇談で書いた話がこれです。
キーワードは「膝枕」!
上手く書けたかはおいといて、原点みたいなものでしょうか。